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後編

レビュー、感想、ポイント評価、ブックマークを下さった方、本当にありがとうございます!

「エレノア様は、ニルド殿下のことを、どう思っているんですか?」


 ある日の、素直なリリアの、直球の問いかけ。

 それに私は答えることが出来ないでいる。



 リリアは毎日忙しそうになった。学園のカリキュラムについていくための、自主学習とは別に、サマーパーティーの実行委員としての仕事。お兄様とのダンスのレッスン。合間にドレスの採寸などもある。

 おかげで私は、リリアとの触れ合いが減って、寂しい思いをしていた。リリアとお茶をしたり、お喋りをしたりして過ごすひとときは、私の大事な癒しなのだ。この普段の仲の良さと、スイッチ中の嫌がらせとの落差が、私の悪評を煽ることは十分に分かっていたが、だからと言って、止めることなど出来なかった。

 スイッチのせいで、親しい友人がいなかった私にとって、リリアは貴重な初めての親友なのだ。

 

 私は、リリアが実行委員の仕事を終えるのを、教室で待っていた。今日はこの後、お兄様とのダンスのレッスンに、同席させてもらう予定なのだ。毎回行くのはお邪魔なので遠慮しているけれど、たまには私も混ざりたい。お兄様ばっかり、リリアと仲良くするのは狡いわ。

 その時、たった一人で教室にいるにも関わらず、カチッという音がした。


 え? 何故?


 困惑した私の心中をよそに、私の体は窓へと向き直った。雨は降っていないが、どんよりとした厚い曇が、空を覆っていた。

 窓辺へ歩み寄り、下を覗きこむ。リリアが中庭を、ゴミ箱を抱えて歩いてきた。焼却炉に持っていくのだろう。

 それを確認した私は、教室を見回す。紫陽花の生けてある花瓶に目をとめ、持ち上げた。紫陽花を乱暴に抜き、足元に投げ捨てて。

 ……まさか。

 私は恐怖で凍りついた。水をかけるだけなら、まだいい。だが、花瓶を頭めがけて落としでもしたら……。

 私は知っている。前世の記憶に、嫌がらせでリリアが大怪我をしたという描写はなかった。それなら、リリアは無事だ。私が花瓶をリリアめがけて投げ落としたとしても、花瓶は逸れ、無事なはずだ。

 だが、それを分かっていても、花瓶を手に窓辺へ歩み寄っていくのは恐怖だった。万が一当たったら命に関わる。

 ああ、どうしてスイッチ中は喋れないんだろう。声さえ出れば、リリアに警告するのに!

 間が悪いことに、誰かがリリアに声をかけたらしい。リリアの足が止まり、後ろを振り返る。話しかけてきた相手を確認し、笑顔になった。その位置は、ちょうど私の真下だった。

 私の手から花瓶が離れた。

 私は内心悲鳴をあげた。体が自由になるなら、ぎゅっと目を閉じてしまいたかった。でもそれも出来ず、花瓶が落ちていくのを、ただ見ていた。スローモーションのように、全ての情景をはっきりと感じ取ることができた。

 空中で姿勢を崩した花瓶。中から零れ落ちる水。雨が降り始めたかと空を見上げるリリア。落ちてくる水と花瓶に気付き、目を見張って。

 確かにその一瞬、リリアと私の目が合った。そのことに、私の心の中で、一番臆病な部分がぎゅっと縮み上がった。


 パンッ


 花瓶が空中で粉々に砕けるのと、スイッチが切れるのは同時だった。

 水と花瓶の破片が、リリアを避けて円を描くように降り注ぐ。誰かが花瓶を砕くと同時に結界を張り、リリアを守ったのだ。

「エレノア様! 大丈夫ですか?!」

 リリアが下から叫んできた。リリアの表情に浮かんでいるのは、私への心配だけだった。花瓶を私が落としたのを、確かに見たはずなのに。本当に、何てお人好しな少女なのだろう。

 リリア、それは私の台詞だわ。貴女こそ、もう少しで大怪我するところだったのよ。

 しかし私は今、相当ひどい顔をしているのだろうと思う。実際、リリアに答えようとしても、今更ながらに体が震えて、言葉が出なかった。リリアが、「今そちらに行きますから! 待っててくださいね!」と言って、ゴミ箱を持って駆け出していった。「助けてくださって、ありがとうございました!」と、背後に叫ぶのを、忘れなかったのは流石だ。


 誰がリリアを助けてくれたのだろう。


 その答えは、すぐに出た。リリアを見送るように、校舎の陰から歩み出てきたからだ。

 ニルド殿下だった。


 先ほどリリアを助けたのは、ニルド殿下の土の結界だったのだ、と私は理解した。ニルド殿下は、土属性が得意なのである。あの咄嗟の一瞬で、あんなに正確に術を展開できるなんて、さすが殿下だ。私では、仮に体が動いたとしても、あれほど綺麗な結界は張れなかっただろう。ちなみに私の得意属性は風である。

 

 ニルド殿下は、もちろん私の存在に気づいていた。私を射抜く。鋭い金色の視線で。

 私は、震える声を風に乗せた。今は階下まで届くような声を、張り上げることができなかったから。

『リリアを助けてくださって、ありがとうございました』

 風は、すぐにニルド殿下の返答を伝えてきた。

『俺が助けたいのは、リリアじゃない。……お前だ、エレノア』

 私の眼差しが揺れたのが、自分でも分かった。

 ニルド殿下の目は、真っ直ぐに1つの言葉を、私に雄弁に伝えてきた。


 俺を、頼れ。


 私はぎゅっと目をつぶった。今は、ニルド殿下に視線を返す余裕がなかった。溢れだす涙と心を、押し留めるので精一杯だった。


 ニルド殿下。ニルド殿下。ニルド殿下。

 貴方が好きです。ずっと昔から。


 でも、気づきたくはなかった。こんな想いには。

 今の私は、可能な限りスイッチを避けることと、リリアを私の嫌がらせから守ること。そしてお兄様とリリアの恋を助けることで、精一杯だから。


 太陽のような、大切な従兄。私は、貴方にも、幸せになって欲しいんです。

 だから貴方だけは。スイッチなんかに関わらずにいて。


 私は1歩下がると、深々と臣下の礼をとった。ニルド殿下の眼差しが、険しくなるのが分かったが、他にどうすることもできなかった。



 サマーパーティーの当日は、澄み渡るような晴れた夜だった。

 無事に梅雨も明け、初夏の星々が天空を彩っている。会場の明かりのせいで、霞んでしまうのが勿体ないほどだった。

「エレノア様!」

 ドレスアップしたリリアがやって来た。駆け出したそうに、でもそれが出来なくて、焦れったそうに歩いてくる。

 リリア、ヒール初めてなのね……。

 私は笑いをこらえて彼女を見守った。きっとドレスの中の足は、相当ぷるぷる震えている筈だ。基本的に淑女のヒールは、自分一人で歩くようには出来ていないのである。

「エレノア様、どうですか?」

 たどり着いたリリアは、恥ずかしそうにくるっと1回転してみせた。

「とっても素敵よ。見立てたお兄様を誉めてあげなくっちゃ」

 私は微笑んで答えた。

 リリアは若葉色が基調のドレスを着ていた。胸元は若葉色、そこから裾に向かって、段々と色が濃くなっていく。自然なフレアーを描く足元や、肘まで隠す袖先は深緑。その濃いグリーンを、白い刺繍とレースが彩っていた。

 お兄様、狙ったわね。

 私はほくそ笑んだ。

 お兄様は濃紺の夜会服だったはずだ。これなら並んで立ったときのバランスもピッタリだ。

 リリアのふんわりしたピンクブロンドは、その柔らかい印象をそのままに、優しくまとめられていた。髪留めはシルバーに紫色の石が嵌まっているもの。お兄様の髪と瞳の色だ。

 咲き始めのピンクの薔薇のようなリリアに、私は心の中で100点満点をつけた。

「エレノア様も、すっごく綺麗です!」

 リリアが頬を染めて誉めてくれたので、ニコっと笑ってお礼を言う。

 私は目の覚めるような真紅のドレスを着ていた。白銀の髪の毛は、まとめずサラリと背中に流している。どうせスイッチの件で、皆の注目を一身に浴びるのだ。開き直って、目立つ色合いを選んだ。紫色の瞳と相まって、さぞかし悪役栄えすることだろう。


 その時、周囲の令嬢たちが嬉しそうにざわめいた。どうしたのだろうと顔を上げると、お兄様とニルド殿下が、何か会話しながら登場したところだった。

 お兄様は予定通り、濃紺の夜会服にグリーンのタイをしていた。シルバーの髪が濃色の夜会服に映えて、文句のつけようもない貴公子ぶりだ。

 一方ニルド殿下はオフホワイトの夜会服。タイは紫。奇しくも、私やお兄様の髪と瞳の色を、彷彿とさせる組み合わせだ。いつもは、その精悍さと凛々しさが目につく人なのだが、今日はその服装から、完璧な王子様に見えた。

 隣のリリアが、周囲の令嬢と同じように、うっとりと溜め息をついた。

「お二人とも素敵ですね……」

 リリアったら。お兄様の服装の意味に気がついていないのかしら。お兄様のタイ、多分リリアのドレスと同じ布だわ。

 これは教えておかねばなるまい。私は腹筋と表情筋を総動員して、澄ました表情を作った。

「お兄様とリリア、ペアルックね。お似合いで嬉しいわ」

「……え?! ぺ、ぺ、ぺ、ペアルック……?!」

 あたふたするリリア。楽しすぎる。

 ふふふ。お兄様にリリアのドレスを任せた甲斐があったわ!

 お兄様が、周囲の令嬢たちの、自分に声をかけてくれないだろうかという視線を、華麗に全スルーして近寄ってきた。

「リリア。エレノア。二人とも綺麗だね。とても良く似合ってるよ」

 お兄様! 二人まとめて言うなんて。それでコメント終わりじゃないでしょうね? そんな手抜きな誉め方じゃ、リリアへのアピールが足りませんわよ。

「ノエル様、ドレスありがとうございました! 着付けやメイクまで手配していただいて、助かりました」

「いや。……本当に、よく似合ってるよ、リリア。他の奴らに見せるのが惜しいくらいだ」

 お兄様は眩しそうに目を細めて、リリアを見ている。その表情と、嬉しそうに照れているリリアに免じて、及第点をあげることにした。まぁ、お兄様に美辞麗句を連ねろと言っても無理ですし。

 ニルド殿下が開会を宣言し、サマーパーティーが始まった。しばらくの歓談タイムを挟んで、ホールの中央から、自然と人が減っていく。ダンスタイムの始まりだ。


 そろそろかしら。

 私がそう思った時、隣のリリアから表情が消えた。スイッチだ。

 少し離れたところで、級友と歓談していたお兄様も、一瞬その動きを止める。しかしすぐに復帰すると、級友に断りを入れてから、リリアに歩み寄ってきた。そのまま自然な動作で膝をついたところで、一気に周囲がどよめいた。

 できる限り女性との接点を持たないようにしてくれていたお兄様は、当然ながらこれまで1回も、サマーパーティーで踊ったことがないからだ。自分から誘うことはおろか、女性から誘われても、全て断ってきたはずだ。

 その、人気は抜群ながらも女性につれない貴公子が、今可憐な少女の前に膝をついている。周囲の注目が一気に集まった。

「リリア嬢。私と踊って頂けますか?」

 リリアは頬を薔薇色に染めて答えた。

「……はい。喜んで」

 ここまでは予定通り。私は胸の内で呟いた。


 リリアとお兄様は、身内の贔屓目でも何でもなく、本当にお似合いだった。ペアルックに気付いて、周囲のざわめきが大きくなる。しかし、それに頓着せず踊り出す二人。お兄様と特訓しただけあって、リリアの動きに危なげはない。

 お兄様がフワリとリリアを抱き上げた。軽やかに回して下ろす。そしてまた抱き上げる。羨ましそうな周囲の視線。女性たちはお兄様を、男性たちはリリアを見ている。二人が躍り終わったら、すぐさま次の誘いが、二人それぞれに殺到しそうだ。

 しかし、実際はそうはならない。その前に私が、その場の雰囲気をぶち壊すからだ。

 1曲躍り終わり、二人が優雅に一礼したところで、いつもの音がした。


 カチッ


 私は、ホールの中央から戻ってきた二人へ向けて、ゆっくりと足を進めた。お兄様が、リリアに飲み物を渡している。微笑み合う二人。幸せそうだ。二人をダンスに誘いたい面々も、あまりの仲睦まじさに声をかけられないでいる。

 私は二人の正面に立った。まだ二人ともスイッチ中だ。ガラス玉のような二人の視線が、私のそれと絡まった。


 ごめんなさい、リリア。ごめんなさい、お兄様。


 そしてリリアを全力で突き飛ばそうとしたところで。


 カチッ


 え?


 スイッチが切れた。


 お兄様の反応は早かった。状況を正確に理解してもいる。すかさずリリアを自分の腕に抱き込んで守ってから、私の様子をうかがった。

「エレノア? 大丈夫か?」

 私は混乱していた。スイッチが予定の行動を全て終えずに切れるなんて、今まで無かったのに。何故?


 そして、混乱しているなりに、お兄様に言葉を返そうとしたところで、再び。


 カチッ


 え?!


 先ほどの続きが始まるのかと身構えたが、そんなことはなかった。リリアへ伸ばした右手を下ろす。別のスイッチが始まったらしい。

 それでは、さっき、リリアを突き飛ばすスイッチが途中で途切れたのは、より優先順位の高いスイッチに切り替わったからなのか。

 では、より優先順位の高いスイッチとは一体……?

 今度は、スイッチに操られているのは私だけのようだった。お兄様とリリアは、困惑しながら寄り添っている。お兄様がリリアを抱き込んだことでざわめいた周囲が、徐々に静まり返っていった。その場に、もう一人の人物が、歩み寄ってくるのに気がついたからだ。

 ニルド殿下だった。


 ……しまった……!


 私は内心で歯噛みした。まさか。サマーパーティーも夜会扱いになるのか。迂闊だった。


 それでは、ニルド殿下との婚約スイッチは、完璧に回避できていたわけではなかったのだ。ただ、発動条件が揃わずに、保留されていただけだったのだ。

 ニルド殿下が、優雅に私の前に膝まづき、私の手を取った。ニルド殿下の瞳は琥珀色のままだ。スイッチに操られているだけなのだから当然だ。

「私は自分の心を定めました」


 ……ああ、殿下。言わないで……!


「いえ、ずっと考えてはいたのです。貴女の気持ちを考えて、言わずにいましたが、もう我慢できません」


 お兄様とリリアの顔色が変わった。以前に話した、スイッチの台詞だと気づいたのだ。


「私と結婚して頂けますか? エレノア=ランカード嬢。聡明な貴女は、きっと、言わなくても、私の気持ちなど、ご存知なことでしょう。哀れな私を助けると思って、頷いていただけませんか」


 スイッチ中の私の体は、優雅な微笑みを浮かべた。

 ああ、もう、どうしようもない。例えこの体が自由に動いたとしても、衆人環視の中でニルド殿下に言わせてしまった以上、返せる言葉は1つしかない。殿下は王族なのだ。

 周囲の注目が集まる、痛いほどの静寂の中、私の返答が響いた。

「お受けいたします。殿下」

 ニルド殿下は、私の手の甲に口づけた。割れるような祝福の拍手が、私たちを包み込んだ。


 

 ニルド殿下と私は、1曲ダンスを踊ってから、テラスに出てきていた。

 月光が殿下のブロンドを、優しく光らせている。こんな時なのに、私は殿下の姿に見惚れてしまった。これで、図らずも私の恋は、実ったことになるのだろうか。

 例え殿下の心が私にはなくても。殿下の婚約者の地位は、確かに私のものになったのだから。そして仮にリリアと殿下が上手くいかなければ、婚約を破棄することもなく、この先もずっと……?

 それは、甘美な誘惑だった。自分の中の天秤が、一瞬大きくグラリと傾いたのが分かった。

 ……いいえ、そうはならないわ。しっかりしなさい、エレノア。

 私は自分を叱咤した。殿下は強い方だ。いつか必ず、自分の本当に愛する方を見つけて、私の元から飛び去っていくだろう。その時には私は、潔く見送らなければならないのだ。決して、相手の女性に、嫉妬から嫌がらせなどをしてはならないのだ。これから私は、ニルド殿下ルートのスイッチとも、戦わねばならないのだ。


 しかし、今、殿下の表情は清々しかった。スイッチの強制で、恐らく不本意な婚約をせざるを得なくなったにも関わらず、怒りなどどこにも見当たらない。いっそスッキリした、と、言いたそうな顔をしている。

「そんな不思議そうな顔するんじゃねえよ」

「だって、殿下。なぜ?」

「確かにあの台詞は、言わされたものだが。悪くなかったと思ってるからさ。どうせ何も無かったとしても、今日、決着をつけるつもりだったんだ」

 殿下の瞳が、金色に光り始めていた。

「エレノア。俺は今日、自分の気持ちを決めて、ここに来た。自分の意思で、今日お前に、結婚を申し込むつもりだったんだ」

 その言葉に、私の胸が震えた。


 殿下、今、何て……?

 お願い、もう一度言ってください。


「今までも、ずっと考えていたんだ。でもお前はずっと俺を避けていたし、裏側で打診した婚約話は断ってきただろう? 俺は王族だ。公で俺が自分の意思を口に出せば、お前は嫌でも断ることが出来なくなる。お前の気持ちを考えると、今まではどうしても動くことが出来なかった」

 この台詞は、スイッチのプロポーズと同じものだ。

 私は目を見張った。殿下は、この婚約は言わされたものではなく、自分の意思だと私に知らしめるために、わざと同じ流れをなぞっているのだ。

「だが、もう我慢はやめだ。お前が俺を嫌っているわけではなく、今までの行動はスイッチのせいだと分かったからには、もう遠慮はしない。俺はずっと、お前のことが好きだったんだ」

 ニルド殿下は、スッと私に手を差し出した。劇的に表情が改まる。隠しきれない緊張を滲ませて。

「私と結婚していただけますか? エレノア=ランカード嬢。私は心から、貴女を愛しています。貴女を恋い慕う哀れな私を助けると思って、頷いていただけませんか」


 ……スイッチのプロポーズの台詞は、愛なんてない言葉だと思っていた。女性からのアプローチをさばくのに疲れた殿下が、私を防波堤にするために求めた、仮初めの言葉だと。

 でも、殿下が私を好きだという、たった1つの要石を置くだけで。こんなにも、意味が全て裏返る。


 ニルド殿下。ニルド殿下。ニルド殿下。

 私も貴方を愛しています。心から。


 幼い頃から、スイッチに操られる私を、心配して追いかけてきてくれた人。

 お兄様とリリアをスイッチから守らなければと、一人で肩肘を張っていた私に、俺を頼れと言ってくれた人。

 今まさに、サマーパーティーを台無しにする醜態をさらそうとしていた私を、寸前で救い上げてくれた人。


 貴方が私に心を割いてくれることに、心から感謝します。


 涙が零れた。隠しきれない泣き笑いで、私は殿下の差し伸べた手に、自分の手を重ねた。心を込めて。

「喜んで……、お受けいたします。殿下」

 殿下は私を力強く引き寄せて、抱き締めた。



「それにしても、殿下。プロポーズの言葉、1つ足りませんでしたわよ。『聡明な貴女は、きっと、言わなくても、私の気持ちなどご存知なことでしょう』っていうところ」

 泣き止んだ私と殿下は、そのまま中庭に出て、ベンチに腰かけていた。

 遠くから、サマーパーティーの音楽が聞こえてくる。会場を抜け出すとき、お兄様とリリアと目があった。二人とも、私がテラスで殿下と抱き合ったのを見ていたのだろう。お兄様はホッとした顔で、手に持っていたグラスをちょっと掲げてみせた。リリアは本当に嬉しそうな満面の笑顔で、手を振って見送ってくれた。

「ああ、それはわざと。だってなぁ。お前かなり鈍感だし。俺の気持ちなんか全然気づいていなかったじゃねえか」

 嘘でもあれは言えねえよ、とニルド殿下はニヤリと笑う。

「酷い! 私、鈍感なんかじゃありませんわ!」

「ふぅん? じゃあ、俺がずっとお前を好きだったことは、知ってたと?」

 ぎくっ! そ、それは……。

「嘘だよなー。知ってたら、あんな態度はない。俺は前に、ちゃんと言ったぜ? 俺を見くびるな、って。俺の気持ちもちょっとは考えろ、って。ノエルの恋敵になる予定はないとも、俺を頼れとも言った」

「だ、だってそれは! そんな意味だと思わなかったんですもの!」

「大体俺の婚約者が長く決まらなかったのも、俺がお前以外は嫌で、首を縦に振らなかったからなんだぜ? それでお前は、水面下での打診を断ったあとも、筆頭候補のままだったんだ」

 え! そうだったんですか?

「そもそも俺が今日、何のために白と紫を着てると思ってたんだ?」

「奇しくも、私やお兄様を彷彿とさせる色合いですわね、と……」

 はい30点、と殿下は笑う。

「ほーらな、やっぱり鈍い。俺の気持ちなんか、ノエルもリリアもとっくに気づいてたってのに」

 え?! リリアも?!

 それでリリアったら、時々妙にキラキラしたりワクワクしたりしていたのね……。

 納得してしまった私の頬に、ニルド殿下が不意打ちのキス。

 殿下!

「まぁいいさ。お前が鈍感だってことを、俺が忘れなければいいってだけのことだ」


 そしてニルド殿下は、その後、デロ甘大魔人と化した。

 まず、とにかく視線が甘い。声色が甘い。そしてスキンシップが多い。王族ゆえに人目には慣れているのだろう。周囲に頓着せずに繰り出される多彩なラブラブ攻撃に、受け止める私の息は絶え絶えだ。

 私が文句を言うと、ニルド殿下は笑う。

「だってお前は鈍感だからな。はっきりと気持ちを表に出さないと、伝わらないだろう? それでなくてもお前は、すぐに一人でやろうとするしな」

 もう十分伝わっています! と言うのだけれど、取り合ってもらえない。それどころか、逆に私が慣らされていく有り様で。


 そして、これはいつしか、私たちのスキンシップの1つになっていった。

 ニルド殿下が、人目を憚らず私を甘やかす。それに私が文句を言うと、ニルド殿下は私が鈍感だから仕方ない、と軽口を叩く。そして私は、こう返すのだ。


「私、鈍感なんかじゃありません!」と。


 私の大好きな、ニルド殿下の明るい笑い声に包まれながら。


 このやり取りをしている間は、私たちはスイッチには負けない。私は、そう信じているのである。


お読みいただき、ありがとうございました^^

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