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第2話:二人の供

 夜明けの鐘が公国に響き渡った時、ルーカスはすでに起きていた。


 一睡もできぬまま迎えた朝は、いつもと同じ静寂に包まれているはずなのに、どこか違って感じられる。今日からの旅立ちが、全ての風景に特別な意味を与えているかのようだった。


 身支度を整え、始祖の手記を革の鞄に慎重に仕舞い込む。昨夜から何度も読み返そうとしたが、古代文字の部分が多く、解読には時間がかかりそうだった。それでも、手記の重みは確かに彼の心に刻まれている。


 中庭に足を向けると、すでに出発の準備が整えられていた。


 ***


 朝霧の中に浮かび上がるその光景は、ルーカスの予想を遥かに超えていた。


 中央には、見たこともない豪華な馬車が佇んでいる。黒鋼の装甲に銀の装飾が施され、アイゼンヴァルト家の紋章が誇らしげに輝いていた。それは単なる移動手段ではない。まさに「動く要塞」と呼ぶにふさわしい威容を誇っている。


 馬車の前には、愛馬ゼファーが静かに待機していた。美しい葦毛の馬体は朝霧に包まれて神秘的に見え、黒曜石のような瞳がルーカスを見つめている。


 しかし、ルーカスの視線は、馬車の傍らに立つ二つの人影に釘付けになった。


 一人は、深い紺色のメイド服に身を包んだ女性。もう一人は、茶色の旅装束を着た、明らかに人間ではない青年だった。


 「あの二人が……?」


 ルーカスは思わず立ち止まった。


 父が言っていた「旅の供」とは、てっきり歴戦の騎士や、経験豊富な案内人のことだと思っていた。それが、一人のメイドと……猫の耳を持つ青年?


 父の足音が背後から近づいてくる。ジークフリート公は息子の困惑した表情を見て取ると、小さく笑みを浮かべた。


 「人は見た目では分からぬものだ、ルーカス」


 ***


 「こちらが、アメリア・ナイトシェード。お前の身の回りの世話と、護衛を任せる」


 紹介された女性は、ルーカスに向けて完璧な一礼をした。


 絹のように艶やかな漆黒の髪が、機能的なポニーテールにまとめられている。顔立ちは整っているが、その美しさには近寄りがたい冷たさが宿っていた。最も印象的なのは、その瞳だった。深い紫水晶のような色合いで、まるで感情の全てを奥深くに閉じ込めているかのような、静寂に満ちた眼差し。


 「アメリア・ナイトシェードと申します。この度は、お供させていただく光栄を賜り、恐縮に存じます」


 その声は澄んでいて美しかったが、どこか機械的で、人間的な温かみを感じさせなかった。まるで、感情というものが最初から存在しないかのように。


 「よ、よろしく」


 ルーカスが戸惑いながら答えると、アメリアは再び一礼し、それ以上は何も言わなかった。完璧すぎる作法、完璧すぎる沈黙。その完璧さが、かえって彼女を謎めいた存在に見せていた。


 「そして、こちらがジル・レオンハート。料理と、やはり護衛を担当してもらう」


 猫族の青年は、ルーカスに向けて人懐っこい笑顔を向けた。


 砂色の髪には虎のような黒い縞模様が走り、頭上でピンと立った猫の耳が、時折微かに動いている。陽光のような金色の瞳は常に楽しげに細められ、長いしなやかな尻尾が、彼の気分に合わせてゆらゆらと揺れていた。


 「ジル・レオンハートっす!よろしくお願いします、若様!」


 その声は明るく弾んでいて、アメリアとは正反対の印象を与える。彼は軽やかにルーカスに近づくと、大げさに片手を胸に当てて芝居がかった一礼をした。


 「美味い飯は保証しますぜ!世界中を旅した俺の腕前、きっと気に入ってもらえますって!」


 尻尾がくるりと一回転するのを見て、ルーカスは思わず口元を緩めそうになった。しかし、すぐに我に返る。


 この二人で大丈夫なのだろうか。


 ***


 ルーカスの心の中で、困惑と不安が渦巻いていた。


 アメリアは確かに美しく、その立ち振る舞いには一分の隙もない。しかし、それは生きた人間というより、精巧に作られた人形のような印象を与える。護衛と言うが、その華奢な体つきで、果たして自分を守ることができるのだろうか。


 ジルは人懐っこく親しみやすいが、どこか軽薄で頼りない。料理人としての腕前は分からないが、護衛としては……猫族特有の身軽さはあるだろうが、本当に危険から身を守ってくれるのだろうか。


 「父上」


 ルーカスは、父に向き直った。


 「この二人で、本当に……」


 「何か不満でもあるのか?」


 ジークフリート公の声には、軽い戒めが込められていた。


 「いえ、そういうわけでは……」


 「ルーカス」


 父の声が、より厳しくなった。


 「お前は、人を外見だけで判断するような愚か者ではないはずだ。書物から学んだ知識が、そんな浅薄な判断しか与えてくれなかったのか?」


 その言葉に、ルーカスは言葉を失った。確かに、自分は外見だけで二人を値踏みしていた。書物の中で読んだ数々の英雄譚では、真の勇者は必ずしも立派な外見をしているわけではないと学んだはずなのに。


 ジークフリート公は、息子の心の動きを見透かしたように、穏やかな声で続けた。


 「アメリアはお前の影となりて剣を振るい、ジルは人の心という名の盾となるだろう。お前の知識だけでは、この旅は越えられぬ」


 その言葉には、深い確信が込められていた。まるで、二人の真の能力を知り尽くしているかのような。


 「影となって剣を振るう……?」


 ルーカスは改めてアメリアを見つめた。彼女は相変わらず無表情で佇んでいるが、その姿勢には微塵の隙もない。まるで、いつでも動けるよう、常に臨戦態勢を保っているかのような。


 そして、人の心という盾……ジルの人懐っこい笑顔の奥で、金色の瞳が静かに周囲を観察しているのに、ルーカスは今更ながら気づいた。あの軽薄そうな態度は、もしかすると演技なのだろうか。


 「お前たちも、何か一言」


 ジークフリート公に促されて、アメリアが一歩前に出た。


 「ルーカス様のお命をお預かりいたします。私の剣が届く限り、いかなる危険もお通しいたしません」


 その声には、静かだが揺るぎない決意が込められていた。そして、メイド服の腰の部分に目をやると—


 ルーカスは息を呑んだ。


 メイドの仕事には到底必要のない、磨き抜かれたナイフの柄が、陽光を反射して鈍く光っているのが見えたのだ。しかも、一本や二本ではない。腰のポーチには、明らかに複数の刃物が仕込まれている。


 続いてジルが前に出る。


 「俺の料理で、若様の胃袋は掴んで見せますぜ!それに……」


 彼の金色の瞳が、一瞬だけ鋭く光った。


 「旅ってのは、腹が減ったり疲れたりすると、人の心がギスギスしちまうもんです。そういう時こそ、美味い飯と楽しい話で、心を温めるのが俺の仕事っす」


 その言葉は軽やかだったが、ルーカスには確かに感じられた。ジルの観察眼が、この短時間で既に自分の性格や不安を読み取っていることを。あの陽気な態度の奥に、人の心を見抜く鋭い洞察力が隠されているのだと。


 ***


 「さあ、出発の時だ」


 ジークフリート公が馬車の扉を開く。その内部も、外観と同様に予想を超えるものだった。


 「この馬車は……」


 「『シルフィード号』と名付けた。お前の旅のために特別に造らせたものだ」


 ルーカスは馬車に足を踏み入れる前に、振り返った。


 「父上、私は……」


 「案ずるな。お前には、お前にしかできないことがある。そして、二人には二人にしかできないことがある。それが組み合わさった時、きっと大きな力となる」


 ジークフリート公は息子の肩に手を置いた。


 「信じろ、ルーカス。人を信じることから、真の力は生まれる」


 ルーカスは深く頷いた。まだ完全に理解できているわけではないが、父の言葉には間違いなく真実が込められている。そして、アメリアの隠されたナイフと、ジルの鋭い観察眼は、彼らが決して普通の従者ではないことを物語っていた。


 馬車の中で、三人は向かい合って座った。アメリアは窓の外を警戒深く見つめ、ジルは持参した荷物の中から何やら食材を取り出している。


 ルーカスは改めて二人を見回した。この奇妙な組み合わせが、どのような旅を生み出すのだろうか。


 馬車が動き出すと、ゼファーの蹄の音が石畳に響いた。アイゼンヴァルト公国の門が、ゆっくりと遠ざかっていく。


 旅は、始まったのだ。

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