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第11話:盗賊の合言葉

 月光が血に濡れた剣を青白く照らしていた。アメリアの舞踊のような戦いは終わり、盗賊たちの大半は恐怖に駆られて夜の闇へと消えていった。しかし、一人だけ逃げ遅れた男がいた。


 彼は岩陰に身を潜めていたが、足に深い切り傷を負い、満足に動くことができずにいた。ルーカスが震える手で剣を構えていると、ジルがゆっくりと歩み寄ってきた。


「よお、相棒。どうやら足をやっちまったみてえだな」


 ジルの声は、いつものように陽気だった。しかし、月明かりに照らされた彼の金色の瞳は、まるで夜の狩人のように鋭く光っていた。その瞳には、普段の人懐っこい笑みのかけらもなく、獲物を見定める肉食獣の冷徹さだけがあった。


 盗賊は後ずさりしようとしたが、傷ついた足では逃げることもままならない。岩肌に背中を押し付けながら、彼は虚勢を張るように叫んだ。


「俺たちに手を出すな!俺たちを殺せば龍の祟りがあるぞ!」


 ジルは首を傾げ、猫のような仕草で小さく舌打ちした。


「龍の祟り、ねえ。面白い話だ。でも、俺が聞きたいのはそんなおとぎ話じゃねえんだよ」


 彼は懐から、普段料理に使っている小さなナイフを取り出した。刃は完璧に研がれ、月光を受けて鏡のように輝いている。しかし、それは今この瞬間、料理道具ではなく、明らかに武器として機能していた。


「誰の指示で、あの洞窟で偽の龍の声を響かせてたんだ?そして、あの妙な合金は、誰から手に入れた?」


 ジルの声は相変わらず穏やかだったが、その奥には有無を言わせぬ圧力があった。盗賊は首を横に振る。


「知らねえ!俺たちはただ、頭目のボルコフの言う通りにやってただけだ!」


「そうかい」


 ジルは一歩近づいた。その瞬間、彼の指先から鋭い爪がすっと現れた。それは猫族特有の、獲物を仕留めるための天然の武器だった。月光に照らされた爪は、まるで研ぎ澄まされた短剣のように見えた。


「なら、そのボルコフってやつは、どこにいるんだ?」


 爪の先端が、盗賊の喉元に軽く触れた。男の喉仏が、恐怖で激しく上下する。


「ひ、ひいいっ!や、やめろ!俺は何も知らないって言ってるだろう!」


 しかし、ジルの表情は変わらない。彼の金色の瞳は、まるでガラス玉のように感情を映さなかった。


「知らない、ねえ。でも、お前はさっき、龍の祟りがどうとか言ってたよな?ってことは、その龍とやらについては知ってるってことじゃねえか」


 爪が僅かに食い込み、盗賊の首筋に一筋の血が流れた。男は必死に首を振る。


「違う!それは、それは村の連中が言ってた話で……!」


「ほう。村の連中、ね」


 *** 


 ルーカスは、ジルの変貌ぶりに言葉を失っていた。普段の彼からは想像もつかない、冷酷な一面を目の当たりにしていた。料理を作る時の器用な手つきが、今は獲物を追い詰める狩人のそれに変わっている。


 アメリアが静かに近づいてきた。彼女の紫水晶の瞳は、ジルの尋問を冷静に観察していた。


「ジル、そのあたりにしておいて」


 アメリアの声は、いつものように感情を殺した、業務的な口調だった。しかし、その中には微かな制止の意が込められていた。


 ジルは振り返り、いつもの人懐っこい笑みを浮かべた。しかし、その笑顔と先ほどまでの冷徹な表情のギャップが、逆に不気味さを増していた。


「おっと、すまねえ。つい職業柄、熱くなっちまった」


 彼は爪を引っ込め、ナイフを懐にしまった。盗賊は安堵の表情を見せたが、それも束の間だった。


 アメリアが一歩前に出た。


「代わりに私が」


 彼女は盗賊の前にしゃがみ込むと、その顔を覗き込んだ。月明かりに照らされた彼女の表情は、人形のように美しく、そして恐ろしいほど無機質だった。


「あなたが知っていることを、全て話していただけますか?」


 盗賊は首を振る。


「だから何も知らねえって……」


 その時、アメリアは男の耳元に顔を近づけた。そして、ルーカスやジルには聞こえないほど小さな声で、何かを囁いた。


 その瞬間、盗賊の顔が見る見るうちに青ざめていった。まるで死人でも見たかのように、その瞳には純粋な恐怖が宿った。体は小刻みに震え始め、歯はガチガチと音を立てた。


「ひ……ひいいいっ!」


 男は喉の奥から、動物のような悲鳴を上げた。


「や、やめてくれ!何でもしゃべる!何でも話すから、その名前を口にするのはやめてくれ!」


 アメリアは何事もなかったかのように立ち上がった。その表情には、僅かな変化もなかった。


「それでは、お聞かせください」


 *** 


 盗賊は震え声で語り始めた。


「ボ、ボルコフの旦那は、洞窟の奥の隠し通路にいる。そこには、旦那が大事にしてる魔道具があるんだ。時々、誰かと話をしてるのを見たことがある」


「誰と話をしていたのですか?」


「わ、わからねえ。でも、『黒い鷲の旦那』って呼んでた。その人からの指示で、俺たちは洞窟で偽の龍の声を響かせてたんだ」


 ルーカスは眉をひそめた。黒い鷲。聞いたことのない名前だった。


「その偽の龍の声は、どうやって作っていたのですか?」


「洞窟の奥にある風穴で火を焚いて、強い上昇気流を作るんだ。それと、あの妙な金属の板を使って音を増幅させてた。あの板は『黒い鷲の旦那』からもらったものだ」


 アメリアは頷いた。


「その金属の板について、他に知っていることはありますか?」


「ボルコフの旦那が言ってたんだ。『星の涙』って呼ばれる、とても貴重なものだって。でも、歌に弱いから気をつけろって」


 ルーカスは息を呑んだ。星の涙。歌に弱し。それは、父の手記に記されていた謎のメモと一致していた。


 盗賊は続けた。


「俺たちは、村から上納金をもらう代わりに、もっと凶暴な魔物から村を守ってたんだ。でも、最近『黒い鷲の旦那』から、もうすぐその必要もなくなるって言われてた」


「それはどういう意味ですか?」


「わからねえ。でも、何か大きな計画があるらしい。ボルコフの旦那は『世界が変わる』って、よく言ってたんだ」


 アメリアは最後に尋ねた。


「その隠し通路への入り口は、どこにありますか?」


「洞窟の奥、風穴から更に奥に進んだところに、小さな横穴がある。そこを抜けると、広い空間に出るんだ」


 盗賊は全てを話し終えると、まるで魂が抜けたかのように崩れ落ちた。


 *** 


 ルーカスは、アメリアに近づいた。


「一体、何を囁いたんですか?」


 アメリアは振り返った。月明かりに照らされた彼女の横顔は、いつものように美しく、そして謎めいていた。


「企業機密です」


 彼女はそう答えると、踵を返した。しかし、その背中には、何かを隠しているような緊張があった。


 ジルが首をかしげた。


「企業機密って、アメリアちゃんは商人だったのかい?」


「違います」


 アメリアの声は、いつもより少しだけ硬かった。


「メイドとしての、職業上の秘密です」


 しかし、ルーカスには分かっていた。アメリアが囁いた言葉は、決してメイドの心得などではない。それは、盗賊が恐怖で震え上がるほどの、何か恐ろしい名前か言葉だったのだ。


 彼女の過去には、まだ多くの謎が隠されている。そして、その謎の一端が、今回の事件と繋がっているのかもしれない。


 ルーカスは、シルフィード号に向かって歩きながら考えた。父の手記に記された「星の涙」、アメリアの謎めいた過去、そして「黒い鷲」と名乗る謎の人物。


 これらの点と点が線で結ばれた時、どんな真実が見えてくるのだろうか。


 月は中天に昇り、彼らの影を長く地面に落としていた。夜はまだ深く、そして彼らの旅は、まだ始まったばかりだった。

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