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「優しすぎる」と捨てられた僕の隣には、もう君の居場所なんてない  作者: ledled


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7/11

サイドストーリー 崩壊の足音と、残された者たちの末路

俺、中村亮のスマホが、深夜のテーブルの上で短く震えた。

画面に表示されたメッセージアプリ「MINE」の通知に目をやると、大学時代の友人たちで作っているグループチャットからのものだった。普段はたまに飲み会の誘いが飛び交う程度のそのグループが、今日は異常な数の通知を弾き出している。

何事かと思い、ロックを解除して画面を開いた俺は、そこに並んでいる信じられない言葉の数々に息を呑んだ。


『健太、美咲ちゃんと婚約破棄したってマジ?』

『っていうか、翔太が美咲ちゃんを寝取ったらしいぞ』

『翔太の奴、別のアカウントで写真共有SNSのアウスタに美咲ちゃんとの写真載せて自慢してたらしい』


流れていくテキストを追いながら、俺は頭痛を覚えてこめかみを押さえた。

健太と翔太、そして俺の三人は、大学時代からの腐れ縁だった。よく一緒の講義を受け、安い居酒屋で朝まで飲み明かした仲だ。だが、二人の性格は水と油ほどに違っていた。


健太は昔から真面目で、誰に対しても誠実で優しい男だった。他人の嫌がることを進んで引き受け、自分の意見を押し殺してでも周囲の調和を重んじる。時折「お人好しすぎる」と心配になることもあったが、俺はその不器用なほどの優しさを好ましく思っていた。

一方の翔太は、要領が良く、口が達者で、常に自分がグループの中心にいないと気が済まないタイプだった。欲しいものはどんな手を使ってでも手に入れ、他人の気持ちを推し量るという機能がすっぽりと抜け落ちている。健太の優しさを「退屈な奴」と見下しつつも、自分の都合の良いように利用している節があった。


二年ほど前、健太が婚約者として美咲を俺たちに紹介した日のことを、俺は今でもはっきりと覚えている。

美咲は確かに華やかで可愛らしい女性だったが、健太への態度の端々に、彼を自分の所有物のように扱う傲慢さが透けて見えていた。そして何より、翔太が美咲を見る目が、ただの「友人の彼女」を見るそれではなかったことに、俺は微かな嫌悪感を抱いていた。

いつか何かが起こるのではないか。そんな嫌な予感はあったが、まさか結婚式を目前に控えたこのタイミングで、こんな最悪の形で現実になるとは思わなかった。


ピロン、と再びMINEの通知音が鳴り、今度は翔太本人からのメッセージがグループに投下された。


『お前ら騒ぎすぎw 健太の奴が優しすぎてつまんないって美咲が泣きついてきたから、俺が救ってやっただけだっての。結婚する前に気づけて、健太も俺に感謝してるはずだぜ?w』


あまりにも身勝手で、悪びれる様子すらないその文面を見て、俺の中で何かが完全に冷え切った。

健太がどれだけ美咲を大切にしていたか、どれだけ結婚を楽しみにしていたか。それを一番近くで見ていたはずの親友が、こんな言葉を吐ける神経が理解できなかった。

グループチャットは一瞬の沈黙の後、翔太への非難の言葉で溢れ返った。だが、翔太は『お前らもノリ悪いな』とだけ言い残し、自らグループを退会していった。

それ以来、俺たちの友人グループから翔太という存在は完全に消去された。そして誰も、傷ついた健太に安易な慰めの言葉をかけることはできなかった。


それから一年という月日が流れた。

季節は再び冬を迎えようとしている。俺は中堅の広告代理店で営業として働いているが、この業界は狭い。翔太も同業他社に勤めていたため、彼に関する黒い噂は、わざわざ耳を塞いでも勝手に入ってきた。


翔太は美咲を奪った後、最初は意気揚々とアウスタに派手な生活をアップしていたらしい。だが、持ち前の「刺激を求める」性格と自己中心的な振る舞いは、やがて彼の足元を崩し始めた。

彼は美咲という手に入れた「戦利品」にすぐに飽き、夜な夜な別の女性と遊び歩くようになった。素行の悪さは仕事にも影響を及ぼし、遅刻や無断欠勤が増え、クライアントとのトラブルを頻発させた。決定打となったのは、取引先の重役の娘に手を出した挙句、妊娠騒動を起こして泥沼のトラブルに発展したことだ。


会社の信用を大きく失墜させた翔太は、当然のごとく自主退職に追い込まれた。業界内には彼の悪評が瞬く間に知れ渡り、彼はどこの広告会社からも門前払いされるようになったという。


一方の美咲についても、人づてに悲惨な末路を聞かされていた。

翔太に完全に捨てられ、マンションを追い出された美咲は、しばらくは友人たちの家を泊まり歩いていたらしい。だが、親友の婚約者を裏切って浮気に走った彼女に、心から同情し手を差し伸べる者などいるはずもなかった。

アウスタのアカウントも消え、誰とも連絡が取れなくなった彼女は、最終的に精神を病んで実家の両親に引き取られたと聞いた。健太のあの温かい「優しさ」という居場所を自ら蹴り飛ばした代償は、彼女の人生を根本から破壊するのに十分すぎるほど重かったのだ。


ある冷たい雨の降る金曜日の夜。

俺は残業を終え、駅裏の薄暗い路地にある大衆居酒屋で一人、ビールを飲んでいた。冷え切った体を温めようと熱燗を頼もうとした時、店の入り口の引き戸がガラガラと乱暴に開いた。


「おい、とりあえず生と、焼き鳥適当に見繕ってくれ」


かすれた、しかし妙に耳に障る大声。

俺は無意識にそちらへ視線を向け、手元のグラスを持ったまま硬直した。


そこに立っていたのは、間違いなく翔太だった。

だが、かつての洗練されたスーツを着こなし、余裕の笑みを浮かべていた男の面影はどこにもない。ヨレヨレの安いウインドブレーカーを羽織り、髪は伸び放題でボサボサ。顔色は不健康な土気色で、無精髭が生え、目は落ち窪んで血走っていた。

翔太は店内を見回し、そして、カウンターの隅に座っている俺とバッチリ目が合った。


「……亮? お前、亮か!?」


翔太は俺を見つけるなり、まるで救いの神にでも出会ったかのように目を輝かせ、ズカズカと俺の隣の席に座り込んできた。強烈な酒とタバコ、それに何日も風呂に入っていないようなすえた匂いが鼻を突く。


「……奇遇だな、翔太。久しぶり」

「おう、久しぶりだな! いやー、こんなところで会うなんて運命だな。俺さ、今ちょっと色々あってフリーで動いてるんだけどよ。お前の会社、なんかいい案件ないか? 俺の腕ならすぐ即戦力になるぜ?」


俺が冷たい視線を向けていることにも気づかず、翔太はヘラヘラと笑いながら馴れ馴れしく俺の肩を叩いてきた。その厚かましさに、俺は深い溜息をついた。


「悪いが、うちの会社にお前を入れる枠はないよ。業界内での自分の評判、まさか知らないわけじゃないだろ」


俺がはっきりと突き放すと、翔太の顔から作り笑いがスッと消え、代わりに醜い憎悪の色が浮かんだ。


「……チッ。どいつもこいつも、偉そうに俺を見下しやがって。俺がこんな目に遭ってんのはな、全部あのクソ女のせいなんだよ!」

「美咲ちゃんのことか?」

「ああ! あのメンヘラ女、俺に捨てられた腹いせに、あちこちで俺の悪口を触れ回りやがって。おかげで俺の計画はめちゃくちゃだ。健太から奪ってやった時はいい女だと思ったのに、中身は空っぽで重たいだけのハズレくじだったぜ」


翔太の口から飛び出すのは、自分の非を一切認めない他責の言葉ばかりだった。人を傷つけ、踏みにじってきた男が、自分が被害者であるかのように振る舞っている。その滑稽さと醜悪さに、俺は吐き気すら覚えた。


「それに健太の奴もそうだ! 俺が美咲を奪ってやったおかげで、あいつは今頃新しい女と楽しくやってるらしいじゃねえか。だったら、俺にも少しは恩返ししろってんだ。なあ亮、お前、健太の連絡先知ってるだろ? あいつに言って、俺に少し金を貸すように……」


バンッ!

俺は手元のビールグラスを、カウンターに強く叩きつけた。

店内に響いた鋭い音に、翔太はビクッと肩を震わせて言葉を止めた。


「ふざけるのもいい加減にしろよ、翔太」


俺の低く怒りを孕んだ声に、翔太は目を泳がせ、一歩後ずさった。


「お前が今そんな底辺を這いつくばっているのは、美咲ちゃんのせいでも健太のせいでもない。お前自身の薄汚いエゴと、他人の痛みを想像できないその腐った性根のせいだ」

「な、なんだと……お前、友達に向かって……」

「友達? 笑わせるな。健太の婚約者を奪って笑い者にしていたお前を、誰が友達だなんて思うかよ。お前はただ、健太が持っていた幸せが妬ましかっただけだろ。自分より下だと思っていた健太が、自分にはない本物の愛情を手に入れようとしているのが許せなかった。だからそれを壊して、優越感に浸りたかっただけだ。違うか?」


図星を突かれたのか、翔太は顔を真っ赤にして口をパクパクとさせている。反論の言葉を見つけられない彼を、俺は氷のような冷たい目で見下ろした。


「健太はな、お前なんかとは違う。あいつは自分の優しさに向き合って、傷つきながらも立ち上がった。お前が美咲ちゃんと一緒に捨てた健太の優しさを、本当に大切にしてくれる人と出会えたんだよ。お前ら二人が手放したものは、お前らが一生かかっても手に入れられないくらい、尊くて重いものだったんだ」


俺は財布から千円札を一枚取り出し、翔太の目の前のカウンターに叩きつけた。


「これで酒でも飲んで、二度と俺や健太の前に顔を見せるな。お前のその惨めな姿、これ以上見たくない」


俺はそれだけ言い捨てて、席を立ち上がった。

背後からは何も聞こえなかった。翔太はきっと、俺が叩きつけた千円札を握りしめ、惨めにうつむいていることだろう。因果応報。これこそが、他人の人生をゲーム感覚で破壊した男の、当然の末路だった。


店を出ると、冷たい雨はすでに上がっていた。

雲の隙間からは、冬の澄んだ夜空に星が瞬いているのが見えた。俺は深く深呼吸をして、肺の中の淀んだ空気をすべて吐き出した。


それから一ヶ月後の週末。

俺は、都内のお洒落なフレンチレストランの個室にいた。目の前には、見違えるように精悍な顔つきになった健太と、その隣で幸せそうに微笑む美しい女性が座っている。


「本当に久しぶりだな、亮。仕事忙しいのに、時間作ってくれてありがとう」

「いや、健太からの呼び出しなら絶対来るさ。で、そちらの方が?」

「うん。俺の職場の同僚で、……婚約者の、彩香だ」


健太が少し照れくさそうに紹介すると、彩香と名乗ったその女性は、丁寧に頭を下げた。


「初めまして、彩香と申します。いつも健太がお世話になっています」

「こちらこそ、初めまして。中村亮です。健太とは大学からの腐れ縁でして」


俺が笑って答えると、彩香も嬉しそうに目を細めた。

彼女が健太を見る目には、深い尊敬と、揺るぎない愛情が満ち溢れていた。かつての美咲のような、健太を下に見るような態度は微塵もない。健太もまた、彼女を大切に思い、守り抜こうとする強い意志が、その堂々とした態度から伝わってきた。


「実は今日、亮に一番に渡したくてさ」


健太はそう言って、バッグから一通の白い封筒を取り出し、俺の前に差し出した。

それは、来年の春に行われる二人の結婚式の招待状だった。


「おお……! おめでとう、健太! 本当に良かったな!」

「ありがとう。俺、色々あって一度はどん底まで落ちたけど。でも、彩香が俺を救い上げてくれたんだ。俺の優しさを肯定してくれて、背中を押してくれた。だから俺は、今度こそこの手で、彼女との未来を守り抜くよ」


健太の言葉には、かつてのような「波風を立てないための逃げ」はなかった。自分の足でしっかりと立ち、愛する人を幸せにするという、男としての本当の強さが宿っていた。

俺は招待状をしっかりと受け取り、二人に満面の笑みを向けた。


「絶対に出席するよ。スピーチでも何でもやらせてくれ」

「ふふ、じゃあ期待してるよ」


三人のグラスが合わさり、澄んだ音が個室に響き渡った。

美味しい料理とワインを楽しみながら、俺たちの会話は尽きることがなかった。健太の仕事での成功の話、二人の馴れ初め、これからの未来のこと。そこには、過去の暗い影など一ミリも入り込む隙はなかった。


帰り道、駅の改札で二人と別れた後、俺は冷たい冬の夜風に吹かれながら、ふとあの男の顔を思い出した。

薄暗い居酒屋で、千円札を握りしめていた翔太の惨めな姿。そして、すべてを失って実家の暗闇に引きこもっているであろう美咲のこと。


彼らは、自分たちが捨てた「退屈な優しさ」が、実は何よりも温かく、人生を照らす光であったことに、すべてを失ってから気づいたのだろう。だが、気づいた時にはもう遅い。失われた時間は二度と戻らず、壊れた絆が元通りになることは決してないのだ。


スマホを取り出し、MINEのアプリを開く。

健太とのトーク画面には、『今日はありがとう。結婚式、楽しみにしててくれよな』という温かいメッセージと、彩香と一緒に選んだのだろう、可愛らしいウサギのスタンプが送られてきていた。


『ああ、任せとけ。末長くお幸せにな』


俺はそう返信し、スマホをポケットにしまった。

冷たい風が吹き抜ける街の空には、かつてないほど美しい冬の星々が輝いていた。

他人の幸せを奪おうとした者たちは暗闇の底に沈み、傷つきながらも誠実さを失わなかった男は、今、最高の光を掴み取った。

人生というものは、案外正しくできているのかもしれない。そんなことを考えながら、俺は温かい気持ちで帰路についた。崩壊の足音はとうの昔に消え去り、残された者たちの新しい物語が、静かに、そして確かに始まっていた。

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