何処にいたって、きっと
27話と28話の間くらいです。
それは、パティが何気なく放った一言から始まった。
「ケルトーの嗅覚ってどれだけ凄いんだ?」
煎れ立ての紅茶が入ったカップを両手に持ったパティの問いかけに、向かい側に並んで座っていたケルトーとラパンは二人揃ってきょとんとした表情を浮かべた。
それと同時に、食堂の壁に飾られた振り子時計が十五時を知らせる鐘を鳴らす。
ラパンとパティが午後のティータイムを始めた所に偶然出くわして流れで席に混ざっていたケルトーは、その響く鐘の音でハッと我に返って顔をしかめた。
「何なんだよ、急に……」
「いや、街でラパンちゃんとはぐれた時に匂いを追いかけたって言ってただろ? だから一体どれくらい鼻が利くのかなって思って。実際どれくらいなんだ?」
「そう言われても、そんなの調べた事もねえから分かんねえっての」
ケルトーは面倒臭そうにそう言うと、目の前に並ぶ皿から胡桃入りのカップケーキを手に取り、穏やかなティータイムには似合わない大口を開けてがぶりと頬張った。
何処までもマイペースなその態度に慣れているパティは苦笑し、ケルトーの隣でちまちまと好物のガレットを食べているラパンに視線を向ける。
「ラパンちゃんは気にならないか? ケルトーの嗅覚がどれくらいなのか」
「え? そうですね……気にならないって言ったら嘘になります、けど……」
話を振られたラパンは食べるのを止めて小首を傾げる。
確かにそう言われてみれば気になるのだが、ケルトー本人が明らかに面倒臭そうにしているので強くは言えないと思ったラパンは苦笑を交えて言葉を濁した。
そんなラパンをケルトーはちらりと横目で一瞥し、カップケーキを数口で食べ終えたと思えばおもむろに立ち上がった。
「じゃあラパン、お前、屋敷の何処かに隠れてみろ」
「……え?」
「本気で隠れろよ。俺が夕飯までには絶対に見つけてやる」
「え、えっ?」
「面白そうだな! やろうやろう!」
ケルトーの急な提案にパティはぱちぱちと手を叩いて賛同する。
一方、突然決まった事に思考がついていけないラパンは戸惑っていたが、ケルトーが「じゃあ三十分後に探し始めるからな」と言い残して食堂を出て行ってしまったのを見て、
「ーー……ええと、が、頑張ります……?」
こうして、兎と狼のかくれんぼが始まった。
***
「あはは、それで此処に来たんだ?」
「はい、……お邪魔してても良いですか?」
事の次第を聞いたサーヌは思わず笑みを零し、心底申し訳なさそうな様子で自分を窺っているラパンを見る。
そして温室の片隅に並ぶ大きめの植木鉢を幾つか退かすと、小柄なラパンがすっぽりと身を隠せる程の空間を作ってやった。
「此処なら直ぐには見つからないと思うよ。少し香りが強い植物もあるしね」
「すみません……有り難うございます」
サーヌが作ってくれた空間に少しでも身を隠そうと膝を抱えて座るラパン。
ちょこんとしたその愛らしい姿にサーヌは微笑ましさを感じながら、上手い具合にラパンを隠すような位置に植木鉢を周囲に置き直した。
「じゃあ僕は庭園の方の手入れがあるから行くね?」
「あ、はい。本当に有り難うごさいました」
「どういたしまして。頑張ってね、ラパンちゃん」
植木の向こうから聞こえてきた声に返事をして、サーヌは温室を出ていく。
一人残されたラパンはふうと息をついて両膝に顔を埋めた。
(……静かだなあ)
首から掛けていた金色の懐中時計を開けてみれば、ケルトーが探し始める時間まで残り五分を切っていた。
隠れ場所を探しに行く際にパティが貸してくれたその懐中時計をラパンは暫しぼんやりと見つめていたが、秒針が一周したところで蓋をぱちんと閉じて再び膝を抱えた。
(どれくらいで見つけてもらえるかな……)
そのまま目を瞑れば、傍の植木鉢に咲く花の香りがふんわりと漂ってくる。
胸元から微かに聞こえてくる秒針の音に耳を傾けているうちに、ラパンの意識はゆっくりと闇に溶けていった。
***
「ふえ……?」
ふに、と何かに頬をつつかれた感覚にラパンは目を覚ます。
寝起きでぼやける視界には人影が映っていて、其処に徐々に焦点が合い始めるとラパンの寝ぼけ眼は大きく見開かれた。
「ケ、ケルトーさんっ」
「おう、結構良い場所見つけたな。此処なら匂いも誤魔化せると思ったんだろ?」
間近にあったケルトーの顔に驚き、頬を赤らめて僅かに身を引くラパン。
そんな初な反応に全く気付かないケルトーは温室に漂う花の香りを嗅ぎながらにやりと笑い、座り込んでいるラパンの両脇に手を差し込むとその体を軽々と持ち上げた。
「ひゃわ、っ」
「だけど残念だったな。ほら、時間見てみろよ」
小さな体を抱き上げたまま得意げに笑ってみせるケルトー。
その笑顔を見たラパンは赤らんでいた頬をぽわっと更に染め、それを隠すように慌てて首から下がっている懐中時計を開いて時刻を見た。
其処に示されていた時刻は、夕飯の時間までには充分な余裕を残している。
「す、凄い……!」
予想していたよりもずっと早い時間を見せつけられたラパンは、思わず懐中時計から顔を上げてケルトーを見る。
見開かれた丸い瞳には悪戯な笑みを浮かべたケルトーが映った。
「ま、これくらいは楽勝だって事だ。分かったか?」
自信に満ちた言葉を掛けられて、ラパンは尊敬の眼差しを向けながら頷く。
その反応に満足したケルトーは抱き上げていた体を下ろしてやり、ラパンの頭をわしわしと撫で回すと温室の出口に向かって踵を返した。
「ほら、パティに報告に行くぞ。部屋かキッチンにいるだろ」
「あ……はいっ」
少し乱暴に撫で回された所為でふらついた足元を落ち着かせてから、とたたっと小走りでケルトーの後を追いかけるラパン。
と、温室を出て少しした所で、不意にケルトーが歩きながら口を開いた。
「そういやお前、あんまり匂いが強い物の傍には行くなよ」
「え……? 何でですか?」
唐突な忠告にラパンはきょとんと小首を傾げる。
するとケルトーは一旦足を止めたと思えばラパンの方に向き直り、目をぱちくりさせているラパンの髪をそっと掬い上げると、その煌めく銀色に鼻先を近付けて言った。
「何でって、お前自身の良い匂いが消えるからに決まってんだろ」
「ーー……っ!?」
平然と放たれた言葉は、ラパンの心臓を飛び上がらせるには充分だった。
そうして耳まで真っ赤にして口をぱくぱくと開閉させるラパンに、そんな状態にした当の本人は怪訝そうに眉を寄せて首を傾ける。
「あ? どうした?」
「……っ、な、な、何でも無いですっ!」
「え、おい、ラパン!?」
遂に恥ずかしさに耐えきれなくなったラパンは大声を上げ、その場から一目散に逃げ出してしまった。
いきなりその場に取り残されたケルトーは流石に唖然として、あっという間に遠ざかっていくその背中を見つめていたが、ふと目を細めると口角をにんまりと上げた。
「……何処に行ったって、絶対に見つけるって言ってんだろ?」
ケルトーはそう呟くと鼻をすんっと小さく鳴らし、間違える筈も無い甘い匂いを辿って足を其方へと向け始めたのだった。
END.




