その想いの名は
燃え盛る炎によって大穴を空けられた玄関を、冷たい夜風がひゅうと吹き抜けて、周囲に立ちこめていた黒煙を払っていく。
黒煙が消え、その姿を明らかにさせたデゼスの視線は、威嚇の色を露わにしているケルトーの後ろで脅えているラパンーーではなく、
「さあ、その魔力の源を返してもらおうか」
「……っ!」
こんな状況でも美しく輝く、その銀色だった。
ねっとりと嫌な感じがする声を掛けられたラパンは、びくっと肩を跳ねさせる。
以前に向けられ続けていたのと同じ、悍ましいこの視線。それはラパンの胸の内に深く突き刺さって、体の震えに変わっていく。
(いや、いや……っ)
心の奥底でずっと恐れていた事が遂に起きてしまった。 無意識に自分の肩を抱いて震えるラパンの目尻に、じわじわと涙が浮かび始める。
(もうやだ、戻りたくない……!)
暗い森の中で、冷たい世界に居た自分。
だけど今はもう、暖かい世界を知ってしまった。
そんな今の自分が彼処に戻れば、きっと次は耐えきれずに壊れていく。
彼処には何も無い。光も温もりも優しさも、パティもサーヌもクレもエトも、そして何よりも、
(ケルトーさんがいないなんて、嫌だよ……!)
ぼろり、と大粒の涙がラパンの頬を零れていく。
その一粒を切っ掛けに、涙は一気に溢れ出す。
そして、小さな嗚咽が喉から漏れた時、不意に何かがぽんっと頭に置かれた。
「泣くな、ラパン」
濡れた顔を上げなくても、何が頭に乗ったのかは、感じ慣れた温かさが教えてくれた。
しかし、涙に濡れた顔は自然と上がった。
「お前を渡したりなんかしねえ。だから、泣くな」
肩越しに振り返っているケルトーは、自分を見上げるラパンに口角を上げて笑ってみせる。
いつものように飄々とした自信に満ちた声が、体を震わせるラパンの涙と心を少しずつ落ち着かせていく。
「大丈夫だ。お前には俺がいるだろ」
ケルトーの大きな手が、銀髪をわしわしと撫で回す。
その手の温かさと言葉は、ラパンを飲み込もうとしていた重く濁った感情の全てをあっさりと壊した。
圧倒的な力強さに、ラパンは一瞬ぽかんとする。
「……はいっ」
しかし、直ぐに我に返るとごしごしと涙を拭いて、まだ濡れている頬を緩めながら頷いてみせた。
それを見たケルトーは僅かに笑みを深め、ラパンの頭をぽんっと叩くと、デゼスの方に視線を向けつつ言った。
「よし……じゃあとりあえず、お前はクレの所に行ってろ。彼処ならもし屋敷が潰れても平気だろ」
「え! で、でも、ケルトーさん達は……」
「僕らなら大丈夫だよ」
困惑するラパンに、サーヌの穏やかな声が掛かる。
見れば、やはりいつものように優しい笑顔を浮かべたサーヌと、少し涙目だが強気な眼差しを持ったパティが此方を見ていた。
「今一番大切なのは、ラパンちゃんを守ることだしね」
「そ、そうだ! だからラパンちゃんは安全な場所にいて、私達を待っていてくれ!」
「サーヌさん、パティさん……」
恐らく二人は自分を不安がらせない為に、いつも通りの様子でいてくれている事(臆病なパティは振る舞いきれていないが)はラパンにも分かっていた。
それが分かってしまっているからこそ申し訳無くて、一緒に逃げようと言いたくて、だけど、だからこそ。
「……分かりました。お願いします」
ラパンはぺこりと頭を深く下げてから、書庫へと続く廊下を一目散に駆け出した。
それを見たデゼスは目を細めてから、その場に残ったケルトー達に視線を移す。
「ふむ……流石に魔物三人相手は時間が掛かりそうだな。手早く済ませなければ……」
そう言うとデゼスは首に掛けていた小さな黒いオカリナを吹いた。野犬の遠吠えにも似た細い音が響く。
すると、何処からともなく羽音が聞こえてきて、一羽の黒い梟がデゼスの肩に舞い降りてきた。
デゼスはその梟を一撫でしてから、じっとりとした視線で三人を見回し、そしてケルトーを見ると笑った。
「お前が一番厄介そうだな」
「へえ、見る目はあんだな。てっきり腐ってると思ってたぜ」
「ふん……お前の相手は俺がしよう。残りの二人は俺の使い魔の餌にでもなってもらうとしようか」
ケルトーの挑発にデゼスは怒る事も無く、にたりと嫌な笑みを浮かべて指を鳴らす。
すると、空中に魔法陣が浮かび上がり、その魔法陣はデゼスの肩に止まる梟に向かって黒い光を放った。
「ーー……っ! 二人とも屈め!」
「「……!?」」
不意に聞こえたパティの叫びにケルトーとサーヌは反射的にその場に屈み込む、と、それとほぼ同時に、鋭い何かが数え切れない量で三人に向かって降り注いだ。
しかし、それは三人には当たる事は無かった。
「ほう……? よく分かったな、お前」
「……っ、はあ……」
デゼスが感心したようにパティを見る。
軽く息を切らせたパティは、その視線を睨みつける事で返した。
魔法陣によって巨大化した梟の翼から放たれた無数の漆黒の鋭い羽たちは、パティが咄嗟に作った魔法の透明な半球型の壁に弾かれて床に散らばっている。
パティが気付かなかったら確実に餌食となっていたであろう黒い凶器を見て、屈めていた腰を伸ばしたケルトーはちっと舌を鳴らした。
「……パティ、サーヌ、あの鳥はお前等に任せていいか? 彼奴がいると多分上手く動けねえ」
その言葉に、同じく立ち上がったサーヌと呼吸を整えたパティは一瞬目を見合わせて、
「任せてよ、ケルトー」
「た、戦うのは怖いし嫌いだけど……ラパンちゃんを守る為なら、わ、私も頑張るぞ!」
笑顔で迷い無く答えるサーヌと、少し頼りなくも強気な眼差しで頷くパティ。
そんな二人にケルトーは口角を上げると、デゼスの方に向き直り、挑発めいた笑みを浮かべて人差し指をくいと曲げた。
「……ま、そういう事だ。お望み通り、お前の相手を引き受けてやるよ」
***
足下を滑らせないようにしながら、ラパンは石の階段を出来るだけ急いで駆け下りていく。
そして、書庫の前に着いて声を上げようとした時、普段は呼びかけない限り開くことの無いドアがゆっくりと開いた。
「どうしたの? 何か騒がしいけど」
「クレさん……っ」
開いたドアの先、本の海の中に座るクレの表情は珍しく怪訝そうなものになっている。
走り通してきて息を切らせたラパンが書庫に足を踏み入れれば、ドアは自然と閉まって土の鍵がかけられた。
「さっきから屋敷が揺れて、本棚の本が落ち着かないんだ。上で何が起きているの?」
呼吸を整える為、深呼吸を繰り返すラパンの背を撫でてやりながらクレはラパンに問いかける。
どうにか落ち着きを取り戻したラパンはふうと息をつくと、目を伏せてぽつぽつと今までの事を話し始めた。
突然屋敷を襲ってきた魔術師の事。
その魔術師の目的は自分の髪だという事。
そして、その魔術師から自分を守る為にケルトー達が戦っている事。
話を一通り聞いたクレは「成る程ね」と納得した様子を見せ、さりげなく鍵穴の封印を強くしながら言った。
「事情は分かった。暫くは此処に居たらいいよ」
「……、……有り難うございます」
「……?」
返ってきたラパンの声色に何となく違和感を覚え、クレは其方を向く。
そこには元気が無いラパンの姿があったが、今のこの状況下ではそれは当たり前である。
しかし、何かが引っかかる。
目の前の少女が目を伏せているのは、果たして自分が思っている理由と同じなのだろうか。
そう思ったクレは気が付けば、肩を落として俯いているラパンに問いかけていた。
「ねえラパン? 君、何か悩んでない?」
「……っ!!」
明らかにラパンの顔色が変わった。
ああやっぱりか、と思いながらクレは続ける。
「話してごらんよ。此処には僕と君しかいない」
「で、でも」
「ケルトー達がその魔術師を倒すまで、どうせ君は落ち着かないんだろう? だったら何か話でもしていた方が良い」
淡々とそう話すクレだったが、今まで傍で勉強を教えて貰ってきたラパンには確かに感じ取れた。
その声色には、優しさと気遣いと、それと心配の色が見え隠れしている事に。
ラパンはその場に座って、両膝を抱え込む。
その隣にクレがゆっくりと腰を下ろせば、ラパンは自分の膝に顔を埋めて少しだけ身を縮こまらせた。
「……私、我が儘です」
「どうして?」
「私が捕まりたくないって思ったから、私の為に皆さんが残ってくれて、それで私は此処まで逃げて来られたのに、それなのに、私……」
「……『今すぐにでも戻りたい』?」
「……っ!」
言葉にするのを躊躇っていたことを、横からあっさりと先回りして言われ、ラパンは大きく見開いた目でクレを見る。
しかし、クレはいつの間にか手元に寄せていた本に視線を落としていて、暫くはその横顔を呆気に取られた表情で見つめていたラパンだったが、再び膝頭に顔を埋めた。
「……ケルトーさん達を信じていないわけじゃないんです。でも怖くて仕方なくて、もしもケルトーさん達が、って思ったら、わたし……っ」
「…………」
「ケルトーさんは、私に、俺がいるって言ってくれました。それが凄い嬉しくて、安心して……。でも、ケルトーさんが痛い思いをしたらとか考えたら、また怖くなって、苦しくて……」
「…………」
「今日だけじゃないんです……。最近、ずっとおかしくて、ケルトーさんの事を考えたり一緒にいたりすると、苦しくなったり不安になって……。でも、笑ってくれたりしたら嬉しくなって、もっと笑顔にしたいって、幸せにしたいって思って……っ」
言葉にしていく矢先から、どんどんと込み上げて複雑に絡まっていく気持ちと思考。それらは透明な涙となってラパンの紅い瞳をゆっくりと潤ませた。
それでもクレは何も言わず、そっと本の頁を捲る。
その静かな紙擦れの音に促されるかのように、ラパンは涙をぽろぽろと零しながら言葉を紡ぎ続ける。
「もう私、自分が分からないんです。今だってケルトーさんが折角私を逃がしてくれたのに、今すぐにでも戻りたくて、傍にいたいんです、傷ついてほしくないんです……! こんな我が儘、どうして、私は……!」
悲痛な叫びにも似た声でそう言ったラパンは、まるで渦巻く感情を押さえ込むかのように、微かに震え続ける自分の体を抱き締めた。
もし、この間にもケルトーが傷を負っていたら。
あの声や姿が、二度と届かない所へ行ってしまったら。
手を繋げなくなって、笑顔が見られなくなったら。
そう思っただけで胸が張り裂けそうになって、今すぐにでもケルトーの元へと飛んで行きたくなる。
だけど、自分が行っても足手まといになるだけだと、必死に言い聞かせた。
止めどなく溢れる涙を受け止めて、ドレスの膝の部分が濡れて色を濃く変えていく。
「……仕方ないな」
ラパンの紡ぐ言葉を黙って聞いていたクレだったが、不意に小さく溜め息をつくと手元の本を傍らに置いた。
そして、涙目で震えながらも自分をきょとんと見ているラパンの頭を少しぎこちない手付きで撫で始めた。
「一応は先生だからね、ヒントをあげるよ」
「え……?」
唐突に持ち出された関係性に、ぱちぱちと銀の睫毛が上下して、ラパンの目尻からは綺麗な滴が零れ落ちた。
「まずそれは、我が儘なんかじゃない」
「……え?」
きっぱりと言い放たれた言葉にラパンは面食らう。
翡翠色の瞳はそんなラパンをしっかりと見つめ、そして正に先生が生徒に物を教えるかの如く、クレはゆっくりと言い聞かせるように言った。
「きっと、愛情というものだよ」
「あい、じょう……?」
潤んだ紅色の瞳が僅かに揺れる。
確かめるように小さな声で言葉を繰り返したラパンに、クレはそっと頷いてみせ、頭を撫でていた手で目尻に浮かぶ涙を優しく拭ってやる。
「傍に居たい。傷ついてほしくない。一緒に笑っていたい。幸せになってほしい。それは全て、ラパンがケルトーに抱く愛情だ」
「……っ!」
揺れていた深紅の瞳が、今度は大きく見開かれた。
それを見たクレは、ほんの僅かにだが口角を上げ、戸惑っているラパンの目の前で人差し指を立てる。
「さあ、僕は今『知識』を与えた。だけどその知識をどう生かすかは、ラパン、ーー君の『想い』次第だよ」
そう言ってクレは指を下げ、また手元の本に目を向けてしまった。
その隣でラパンは目を瞬かせながら俯き、自分の胸元にそっと手を当ててみる。
薄い皮膚の下でとくとくと感じる心臓。其処からずっと、ずっと奥深くで静かに潜んでいるのは、
「私の、想い……」
そう呟けば、胸の奥がじわりと、熱を帯びた気がした。
.




