愛の嵐、襲来
綺麗に手入れされた芝生が広がる裏庭。
其処には、真剣な顔をしたラパンとエトがいた。
「頑張れ、エト!」
「きゅうっ!」
ラパンは両手に拳を握って声援を掛ける。
それに対してエトは気合い充分といった様子で鳴いて答えると、ぱかっと大きく口を開いた。
「きゅー……わっ!」
すると、エトの口の奥に青い光が集まり始める。
そしてぽんっという何処か呑気な音と共に、エトの口から青い炎の玉が吐き出された。それは海面のようにゆらゆらと揺らめきながら美しく燃えている。
しかし、ドラゴンとしてはまだまだ未熟なエトが放った其れは数秒で宙に散ってしまい、目を輝かせていたラパンとエトは揃って小さく肩を落とす。
「うーん、まだまだ先は長そうかな……」
「きゅうう……」
「でも前よりずっと成長したよね。凄いよ、エト」
「きゅうー」
落ち込んでしまったエトの頭をラパンが優しく撫でてやれば、エトは直ぐに元気を取り戻して羽をぱたぱたと動かす。
そんな無邪気なエトの姿に微笑んだラパンは傍の木陰に置いておいたバスケットに目を向けた。
「少し休憩にしようか、エト。パティさんがアップルパイを焼いてくれたんだよ」
「きゅきゅう!」
「ふふ、エトはパティさんのアップルパイが好きだもんね」
生まれたばかりの頃と比べて飛ぶ事に関してはすっかり慣れたエトは、好物のアップルパイと聞いて嬉しそうに鳴き、ラパンを置いて一目散にバスケットへと飛んでいく。
そして待ちきれないのか匂いをふんふんと嗅いで中身を確認すると、バスケットの中に頭を突っ込もうとし始めた。
「あ! 駄目だよ、エト!」
それを見たラパンは慌てて注意し、駆け寄っていく。
「もう……お行儀が悪いよ?」
「きゅうう……」
「今出して切り分けてあげるから、待っててね」
「きゅうっ」
ラパンに叱られてエトはしょんぼりと頂垂れる。
しっかりと反省の色を見せたエトにラパンは優しく声を掛けてやり、バスケットの中から小さなナイフと赤チェックの布に包まれた物を取り出した。
「……わ、相変わらず美味しそうだなあ」
布を退かして現れた物を見て、ラパンは思わず嬉しそうな声を漏らす。
中から出てきたのはこんがりと綺麗な焼き色の付いたアップルパイ。丁寧な編み目の奥にはシナモンの甘い香りを漂わせる林檎の詰め物が覗いている。
(今度、パティさんにお菓子作り教えてもらおうかな)
そんな事を思いながらラパンはまず掌の大きさほどに小さく切り、真っ先にエトに食べさせてやろうと辺りを見回した。
「あれ、エト?」
てっきり自分の直ぐ傍でアップルパイを待っていたとばかり思いこんでいたラパンは、エトの姿を見つけるのに少し時間が掛かってしまった。
何故なら、エトはラパンの傍ではなく少し離れた木の下にいた。そしてその視線はその木の裏側に向けられている。
「エト、其処に何かあるの?」
ラパンが今いる位置からでは、エトの視線の先は木が邪魔をしているので見えない。
エトが何を見ているのか気になったラパンはアップルパイを一旦バスケットの中に戻すと腰を上げ、エトの元へと小走りで向かった。
「どうしたの? 其処に何が……」
そう言いながらラパンはエトと共に木の裏側をひょいと覗き込んで、其処にあった光景に思わず言葉を失った。
「……だ、誰?」
「きゅう?」
かろうじて出せた言葉にエトが合わせて鳴いた。
二人の視線は下、地面へと向けられている。そこには、赤紫の髪をした若い男がばったりと俯せになって行き倒れの見本のような体勢で気絶していた。
「う、うう……」
「あっ! だ、大丈夫ですか!?」
この平和な裏庭には衝撃的すぎる光景に暫し硬直していたラパンだったが、不意に男が呻いて身じろいだのを見て我に返ると、慌てて背中を支えて上体を起こしてやる。
と、その男の顔を見たラパンは更に驚いた。
(き、綺麗な人……)
俯せで倒れていた所為で少し土に汚れてしまっているものの、男の顔立ちはとても端整なものだった。
長い睫毛に高い鼻、形の良い唇。どれもが完璧な形と位置で収まっていて、その完璧さ故に中性的な雰囲気を漂わせている。
そんな男の容姿にラパンが目を奪われているうちに男は意識を取り戻したらしく、もう一度呻いてからゆっくりと目蓋を持ち上げた。
そして、髪と同じ赤紫の瞳にラパンを映して、
「ああ、俺も遂におしまいか……。しかし、こんな愛らしい天使に迎えられるなら悪くないかなあ……」
うっとりとした表情で、そう甘く囁いた。
「……え?」
***
「久しぶりだね、パティ。相変わらず君は麗しいなあ……。どんなに美味しい君のお菓子も、甘く愛らしい君の前ではきっと自信を無くしてしまうだろうね?」
「あーもう! いいから黙って食べろ、アムール!」
役者のように大きく身振り手振りを付けながら甘い言葉を歌い上げる男に、パティは真っ赤な顔で怒鳴りつけながらもてきぱきと料理を運んでやる。
その様子をラパンとケルトー、そしてサーヌは少し離れた席に座って眺めていた。
「まーた、うるっせえのが来やがったな……」
「はは……相変わらずだね」
「えっと、あの人は誰なんですか?」
明らかに面倒臭そうな顔をして頬杖をついているケルトーと、普段の笑みと違って苦みの混じった笑顔を浮かべるサーヌ。
ラパンは先程からずっと怒鳴り続けているパティの事を少し心配しつつも、そんな二人におずおずと問いかけた。
「彼奴は……」
「これは失礼な事をしたね、可愛いお姫様」
「わっ!?」
ケルトーが答えようと口を開いた矢先、歌うような軽やかな調子の声が割り込んできた。
驚いたラパンが咄嗟に顔を向ければ、向こうの席にいた筈の男が薔薇のように華麗な笑顔を湛えて傍らに立っていた。
「名乗るのが遅れて申し訳ない。俺はアムール。ケルトー達とは……友達、かなあ?」
「お前みたいな浮ついた阿呆は知らねえよ」
「あははー、酷いなケルトー。……あ、そうだ、お姫様の名前を聞いても?」
「あ……えっと、ラパンです……」
ケルトーにぞんさいな反応をされたアムールは堪えた様子も無く、軽い調子でさらりと流してしまう。
普通なら険悪になりかねないやり取りが目の前で行われて、慣れていないラパンは少し戸惑いながらも名乗る。
するとアムールはきらきらと輝いた笑顔で頷いた。
「ラパン……うん、マカロンのように愛らしいお姫様にぴったりの名前だね」
「え、あ、有り難うございます……?」
「うん、これから宜しくね、お姫様」
そう言うとアムールは若干引き気味のラパンの片手をそうっと取って、ごく自然な動作でその柔らかな手の甲に唇を落とした。
「ひゃっ……!?」
「っ!!」
その一連の流れを目の当たりにしたケルトーは一気に目を見開くと、すかさずアムールの手を容赦無く叩いてラパンの手から払い退ける。
そして驚いて硬直しているラパンの肩を抱き寄せて、アムールから距離を置かせながら険しい表情で目の前の男をじとりと睨みつけた。
「おい……何してんだ、色惚け悪魔が……」
「いやあ、だって可愛い花は愛でたくなるものだよ? じゃあケルトー、俺はいつもの部屋を借りるからね」
魔物すら怖じ気付かせるケルトーの鋭い眼光を物ともせずに無邪気な笑みを浮かべたアムールは、何事も無かったかのように片手を振って食堂を出て行く。
そうして漸く落ち着きを取り戻した食堂に残された四人は一斉に溜め息をついた。
「な、何だか凄い人ですね、アムールさん……」
「彼奴は夢魔だからな。あんまり近付くなよ」
ケルトーはふんと鼻を鳴らして未だ険しさが残る顔でドアを睨み付ける。
が、隣でラパンがきょとんと自分を見つめていることに気付くと、不思議に思いつつ視線を其方に向けた。
「何だ?」
「いえ、あの……夢魔って何ですか?」
「……は?」
「えっ?」
「あー……」
純粋な瞳をしたラパンの問いかけに対してケルトーとパティは目を瞬かせ、サーヌは一人納得したような声を漏らす。
それから直ぐに二人もサーヌと同じ答えを思い付き、自然と合った視線から互いの考えが一致している事を確認して口を開いた。
「あー……えーと、まあ……簡単に言えば人間、特に異性を惑わすのが得意な化け物だ」
「そ、そうそう!」
「へえ……?」
ラパンは一瞬漂った微妙な空気が何となく気になりつつも、自分の気のせいだと思って素直に頷いておく。
夢魔とは本来、人を惑わして色情を煽る魔物である。
しかし、そんな事を目の前にいる十二歳の純粋無垢な少女に教えるのは気が引けたので、どうにか上手く誤魔化せた三人は内心で安堵した。
「それでいつもはあちこち旅して回ってて、たまに屋敷に顔を見せに来るんだ」
「……! 旅人さんなんですか?」
そんな三人の思いなど知らないラパンは小首を傾げていたが、パティが続けた言葉を聞いた途端にぱあっと笑って目を輝かせた。
それを見たパティはふと、あまり良くない予感を覚えつつも頷く。
「あ、ああ、そうなるけど……」
「わあ、凄いなあ……。旅先のお話とか聞いてみたいです。明日お部屋に行って聞いてもーー」
「絶っ対に、駄目だっ!」
予感が的中したパティは、ラパンの言葉を大声で遮った。
突然大きな声を出したパティに三人は目を丸くさせる。
(やっぱりそう言うと思ったんだ!)
共に暮らすようになって薄々思ってはいたが、ラパンは好奇心が人一倍強い。
それが元々の性格なのか、はたまた森に長い間閉じこめられていた反動なのかは流石に分からないが、少なくともラパンと同年代の子達と比べたら強い方に入る。
勿論それが悪いことだとは思わないが、今回ばかりはパティはその好奇心にブレーキを掛けるべきだと思っていた。
(だって、確かに好奇心は大事だけど……!)
提案を止められた事に落ち込んでしまった様子のラパンの姿を見て、当然ながらパティの心はきりきりと痛む。
しかし、あの節操の無い夢魔の元に向かわせて、万が一何かあったとしたら。
そう思うとどうしても首を縦に振ってやることは出来ない。だけど目の前でこうも落ち込まれると情けをかけてあげたくなるのも事実だった。
そうして、パティが考えに考えて出した答えは、
「……ケルトー」
「あ?」
「明日、ラパンちゃんと一緒にアムールの部屋に行ってあげろ」
料理の残りを摘んでいたケルトーに、パティはぴしっと人差し指を向けてそう言い放つ。
突然命令されたケルトーは不愉快そうに眉を寄せると指先に付いていたソースを舐め取り、自分に向けられている細い指を軽く払いのけた。
「何で俺が一緒なんだよ?」
「ラパンちゃん一人であんな節操無しの部屋に行かせられるか! お前がいたら流石に平気だろう?」
「だからって、そんな面倒な……」
過保護とすら思える提案に思わず顔をしかめたケルトーだったが、ふと視線を感じて無意識に其方をちらりと見る。
「あ……」
「…………」
ぱちっと合った目線。交差する赤と灰色。
ケルトーは申し訳なさそうに揺れる赤色を見つめたまま少し黙った後、ふんと鼻を鳴らしてから顔を逸らし、手元に引き寄せていた皿から鶏肉のテリーヌを摘んで口に運んだ。
「……一緒に行くだけだからな」
「おお! 良かったな、ラパンちゃん!」
「は、はいっ! 有り難うございます、ケルトーさんっ」
一回却下された分、余程嬉しいらしいラパンの笑顔は、満開の向日葵も霞むほどに眩しくて明るいものだった。
そんな少女の笑顔を一瞥したケルトーは無言で一つ頷いて返すと、自分の甘さに内心で呆れながら小さく溜め息をついたのだった。
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