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狼王と兎少女  作者: 亀吉
本編
37/58

喧嘩するほど


 丘を降りて森の中に戻ってきた二人は、とりあえず生き物が集まりやすいと思われる水辺に向かうことにした。

 

(そうだ、はぐれないようにしなきゃ……)


 先程までは後ろにパティがいてくれたが、今は誰もいないので自分で気を付けなければならない。

 それに気付いたラパンがケルトーの服の端を掴もうとすると、まるでそれを予想していたかのように伸びてきた大きな手がその手をがしっと無遠慮に掴んだ。

 反応する間も無いうちに握られた手を見てラパンが目をぱちくりとさせていれば、隣を行くケルトーが呆れたような表情を浮かべた。


「だから、手はこっちだ」

「は、はい……」

「いい加減に慣れろっての。服が伸びるだろ」


 ぎゅ、と繋いだ手に力が込められる。

 素っ気ない言葉とはちぐはぐに思えるケルトーの行動に、ラパンは自分の頬がほんのり熱くなるのを感じながら頷くと、自分からも繋がる手に力をそっと込めた。

 そうして手を繋いだまま、少しだけケルトーが先に歩くこと数十分。

 微かに水の流れる音が聞こえてきたと思えば、茂みを越えた先に小川が現れた。その水は川底が見える程に透き通っていて魚が悠々と泳いでいる姿が見える。


「此処にいれば何かしらは来るだろ。待っていようぜ」

「そうですね」


 ケルトーはそう言うと小川から少し離れた位置にバスケットを置き、その隣に腰を下ろした。手を繋いだままだったのでラパンも自然と座る事になる。

 さらさらと小川のせせらぎが聞こえる中、二人の間には会話を交わそうとする気配が見当たらなかったが、そこには穏やかで心地良い空気が流れていた。


(……あ?)


 緩んだ気持ちのままに目を細めて優しい日差しを浴びていたケルトーだったが、ふと視界の端で何かが光った気がして隣に座るラパンに横目を向ける。

 そこでは美しい銀色の髪が太陽の光を受けて煌めいていた。

 穏やかな風に靡く度にきらきらと神秘的な輝きを放ち、それを眺めていると自然と口が動いていた。

 

「……なあ」

「はい?」

「お前の髪って、綺麗だよな」


 それは本当に心から思い、だからこそあっさりと出た感想だった。


「ーー……っ!?」


 しかしラパンにとってはそう受け取るには唐突すぎる言葉で、少しの間を置いてから我に返った様子を見せると一気に顔を赤らめて目線をあちこちに泳がせた。


「え、あの、その、えっと」

「あ、ほら、早速来たぞ」

「えっ?」


 そうしてラパンが一人わたわたと慌てていると、ケルトーの視線がついっと小川の方に向けられた。つられて其方を見れば、小川の傍に一羽の小鳥が飲み水を求めて舞い降りてきている。


「ほら、餌やってこいよ」

「あ……は、はい」


 バスケットの蓋をとんとんと指先で叩きながら促すケルトーはあまりにも普段通りで、混乱して浮き上がっていたラパンの気持ちも徐々に落ち着いていく。


(そ、そうだよね……。ケルトーさんにとっては何となく思っただけだよ、ね……?)


 何とか平静を取り戻したラパンは静かにバスケットを開けると、その中からビスケットを一枚取り出して細かく割り、手の中に収めてそうっと近付いていく。

 そしてある程度の距離まで近付くと音を立てずに屈み込み、ビスケットの欠片を乗せた掌を小鳥の方に向かって差し出した。


(来てくれるかな……?)


 逃げられてしまうのを覚悟しながらラパンは小鳥の反応を窺う。

 すると小川から水を飲んでいた小鳥は顔を上げ、山葡萄のような円らな瞳できょとりとラパンを見つめたかと思えば、ぱたぱたっと翼を羽ばたかせてラパンの掌に飛んできた。


「わ、わっ」


 予想以上にあっさりと飛んできた小鳥に驚きながらもラパンは何とかその場から動かずに踏み留まった。

 そんなラパンの掌では小鳥がビスケットの欠片を早速啄み始めている。小さな嘴で賢明に食事をするその姿をラパンが微笑ましげに眺めていると、


「……おいラパン、後ろ見てみろ」

「えっ?」


 不意にケルトーから掛けられた言葉に、手の上の小鳥に見入っていたラパンは小首を傾げながらも後ろを振り返る。

 そして、木苺色の瞳を零れ落ちそうな程に見開いた。


「え、ええっ……!?」


 其処には小鳥、リス、野ウサギに子鹿と、森に住む小動物が一同に集まったかのような光景がいつの間にかラパンの背後で広がっていた。

 絵本に出てくるような光景を目の当たりにしたラパンは喜ぶよりも先に戸惑い、ぱちぱちと忙しなく目を瞬かせながらケルトーの方を見る。

 そんなラパンにケルトーはくつくつと喉を鳴らして笑うと、ビスケットを数枚取り出して細かく砕き、小動物達に向かってばらまいた。

 それに小動物達が気を取られている隙にラパンはそっとケルトーの下へと戻り、ビスケットに群がっている小動物達を未だ驚きが抜けきらないままに眺める。


「こ、こんなに集まるものなんですね……」

「いや、こんなの初めて見た。多分お前が気に入られやすいんだな」

「ええっ……?」


 気に入られやすいという程度を越えている気がしたが、他にどう表現したら良いかも分からなかったラパンは半ば無理やり納得する事にする。

 その間に小動物達は与えられたビスケットを食べ終えたらしく、きらきらと汚れの無い瞳を揃ってラパンの方へと向けてきていた。

 

「あ……ごめんね? 今あげるからね」


 気付いたラパンが新しいビスケットを砕いて撒けば、再び小動物達は其処に群がって食べ始める。

 そうやって自分が与えた物に素直に喜んでもらえている事が嬉しくなり、ビスケットの欠片を撒くラパンの顔には自然と微笑みが浮かぶ。


「……!」


 その横顔を穏やかな表情で眺めていたケルトーだったが、不意に鼻をついた苦く嫌な臭いに灰色の瞳を鋭く細めた。

 風に乗って臭いが流れてくる方向、即ち自分達の背後を振り返ったケルトーは迷い無く立ち上がって其方へと足を向ける。


(……ここら辺だな)


 ケルトーはすんっと鼻を鳴らして確認すると、目の前の茂みをかき分ける。

 すると其処では、濃い紫色の鱗を鈍く光らせた大きな毒蛇が長い舌を覗かせていた。しゅうしゅうと息を漏らす口端からは毒の唾液が滴っている。


(やっぱり小動物を狙ってきたか……。ついてきて正解だったぜ)


 自分の予想が正解だった事に口角を上げながらケルトーはその毒蛇を躊躇い無く掴み上げ、丸太のように太い首をぐしゃりと呆気なく握り潰した。

 その際に血飛沫が掛かってしまったが、この毒蛇は唾液にしか毒が無い事を知っているケルトーは気にする事も無く、無惨な姿になった毒蛇を地面にどさっと転がした。


「……ケルトーさん」

「ん、どうした?」


 いつの間にか自分の後ろに立っていたラパンを特に驚くこともなく振り返り、何かあったのかとケルトーは首を傾げてみせる。

 が、少し俯き気味だったラパンの顔が上げられてその表情を見た途端、ケルトーは僅かに目を見開いて珍しく動揺した様子を見せた。何故ならば、


「な、何だよ……?」

 

 つり上がった眉、強い眼差し、尖らせられた唇。

 誰がどう見てもラパンは怒っていた。

 

「ど、どうしたんだよ、おい」


 初めて見る表情にケルトーは困惑しながらも言葉を投げかけるが、目の前で怒りを見せつけてくるラパンはなかなか口を開こうとしない。

 それでも何回か声を掛けると、餌を頬袋に貯め込んだリスのようにむすっと頬を膨らませていたラパンも漸く口を開いた。


「……今、何してました?」

「何って……毒蛇がいたから退治してたんだが」

「素手で、ですか?」

「お、おう……」


 いつもの様子からは全く想像出来ない迫力に押されながらもケルトーが頷けば、ラパンは眉間に刻まれていた皺をますます深くさせた。

 それからずいっと大きく一歩踏み出して互いの距離を縮めると、ほぼ反射的に軽く身を引いたケルトーの腕を力強く掴み、動揺を隠せていないその顔をキッと見上げて強く言い放った。


「どうしてそんな危ない事、するんですか?」

「……は?」

「街で毒にやられたのを忘れたんですか?」

「いや、あれは」

「ケルトーさんが強いのは知ってます。でももう少し警戒しても良いんじゃないですか?」


 反論は許さないとばかりに矢継ぎ早に紡がれる言葉を受け、元から黙って聞くことが不得意なケルトーの眉間にも皺が生まれる。

 そして自分の腕を掴んでいる小さな手を軽々と振りほどくと、怒りの色を浮かべて自分を睨むように見上げているラパンを真っ向から睨み返した。


「……あのな、俺はお前を心配して」

「それも分かってます。でもケルトーさんにまた何かあったら嫌なんです」

「もう二度とあんなヘマはしねえよ」

「何があるかなんて分かりません」

「しねえって言ってんだろ!」


 ケルトーの爆発した感情が怒鳴り声となってラパンに飛びかかる。

 その大声は大の男ですら竦み上がるような迫力があったが、普段一緒に過ごしているラパンは一瞬肩を跳ねさせるだけで退く姿勢は見せず、それどころか更に怒りを高ぶらせた。


「もしもという事があるって言ってるんです!!」

「大丈夫だ!!」


 静かな森に二人の大声がびりびりと響き渡る。

 それに驚いた小動物達はビスケットを放って一斉に逃げ出してしまったが、言い合う二人はそれすら気付かず、腹の底から込み上げる感情の勢いに任せるまま言葉をぶつけ合っていく。


「どうして分からねえんだよ!」

「そっちこそ、どうして分かってくれないんですか!」

「俺は別にどうなろうと何とかなんだよ!」

「何とかならなかったらどうするんですか!?」

「それはその、っ、何とかするんだよ!!」

「だから……っ!!」


 と、ラパンの勢いがそこで一旦ぐっと詰まった。一方のケルトーも睨み付ける強い眼差しはそのままに口を噤む。

 そうして吐き出す言葉を見失った二人は暫くの間、同じようなしかめっ面を突き合わせて無言でじりじりと睨み合っていたが、


「……っ、ふふっ」


 先に堪えきれなくなったのはラパンの方だった。

 一度噴き出してしまうと抑える事は出来ず、見る見るうちに頬を緩めていくと口元に手を添え、くすくすと笑い始めてしまう。

 それに続くようにケルトーの怒りの表情も直ぐに崩れる。あれだけ鋭かった灰色の瞳は可笑しそうに細められて笑顔になった。 


「くっ……ふ、ははっ」

「ふふっ……ごめんなさい、ケルトーさん」

「いや、俺が悪かった」

「いいえ、私が一方的過ぎました」

「別にお前は悪くないだろ」

「いえ、そんな事……っ」


 そこでまた二人は会話を止めて顔を見合わせ、同時に笑い合った。笑い声を上げるほどに強ばっていた気持ちが緩んでいくのを感じる。 


「あー……初めてだな、こんな風に言い合ったの」

「そうですね……」


 一頻り笑って落ち着いたケルトーが零した呟きに、今になって申し訳なく思い始めたラパンは少し居た堪れなさを感じながら頷いた。

 それを察したケルトーは緩く口角を上げ、優しい表情でラパンに向かって片手をすっと伸ばし、


「おら」

「ふにゅ、っ」


 その柔らかな頬をむにりと摘んだ。

 そして、そのまま気持ち良い感触を楽しむかのようにむにむにと指先で揉み、目をぱちくりさせて自分を見ているラパンに笑ってみせた。


「何でそんな顔してんだよ?」

「……?」


 何処か嬉しそうなケルトーを不思議に思ったラパンは小首を傾げる。

 するとケルトーは頬から離した手でラパンの髪を無遠慮にわしゃわしゃと撫で回し、最後に人差し指で額をくりっと軽く押すと、瞳を覗き込むように顔を近付けた。

 

「俺とお前が、言い合い出来る程の仲になれたって事だろ?」

「あ……!」


 そう言われてラパンはぱあっと表情を輝かせた。

 自分の言葉で花が咲いたような笑顔を浮かべたラパンの無邪気さにつられてケルトーの頬もますます緩んだ。

 先程まで二人の胸の内をふつふつと満たしていた怒りの熱は、今やすっかり穏やかな温かさに変わっている。

 

「ほら、そろそろ戻るぞ。あんまり遅くなるとパティが騒ぐだろうし」

「ふふ、そうですね」

「彼奴は心配性過ぎんだよなー……っと、バスケット忘れんなよ?」

「あ! 忘れるとこでした……」


 ついさっきまで言い合っていた事など嘘だったかのように二人は和やかな雰囲気で会話を交わしながら、甘い香りに包まれているであろう花畑へと戻っていく。

 そんな二人の後ろ姿を茂みから顔を覗かせた小動物達は円らな瞳でこっそりと見送っていた。



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