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狼王と兎少女  作者: 亀吉
本編
33/58

鳴けない狼

「エト、こっちだよ。頑張って」

「きゅうー……」


 暖かな日差しに包まれた庭園で両手を広げるラパン。

 優しく浮かべられた微笑みの先では、きらきらと真珠色に輝く小さなドラゴンが一生懸命に翼を動かして、空中でふらつきながらもラパンの方へと飛んでいく。

 そんな穏やかな光景をケルトーとサーヌは白い丸屋根のテラスで紅茶を飲みながら眺めていた。


「ふふ、無事に産まれて良かったね」

「……そうだな」


 本来の名前である『流星竜エトワールドラゴン』に因んでエトと名付けられた真珠色の小さな命は、最初に見たラパンを母親だと認識してすっかり懐いていた。

 というよりも、どうやらエトは生まれつき人懐っこい性格で、産まれてから数日も経たないうちに屋敷の住人全員に愛らしい鳴き声を上げるようになった。

 しかし体はやはり弱い方らしく、生活に慣れた最近ではこうしてラパンが外で遊んでやっては少しでも体力を付けさせる、という日々を送っている。


「よしよし……頑張ったね、エト。いい子だね」

「きゅう、きゅっ」


 無事に腕の中にたどり着いたエトをラパンは満面の笑みで抱き締めて、その額にすりすりと頬擦りをしてやる。

 普通のドラゴンなら鱗で痛い筈なのだが、エトの体は色と同じく真珠のように滑らかなので、ラパンの柔頬が傷付く事は無かった。

 そんな平和を絵に描いたような一人と一匹のやり取りにサーヌが和んでいると、不意にケルトーが食べていたエクレアの残りを一気に口に押し込んで席を立った。


「……どうしたんだい、ケルトー」

「別に、ちょっと森に行ってくる」


 驚いているサーヌを一瞥することもなく、ケルトーは足早に屋敷の外へと向かっていく。その背中からは何を考えているかは読み取れない。

 それでも少なくとも良い雰囲気はせず、サーヌは心配と不安が入り交じった表情を浮かべながらも、引き留める事を望まれてはいない事を何となく察してしまい、黙って見送るしかなかったのだった。


 ***


 透き通るような青色だった空は、今では燃えるように赤い。

 昼から今の時間までをエトと遊び通したラパンは心地よい疲労感を感じながら、自分の腕の中ですやすやと眠っているエトを優しい眼差しで見下ろした。


「ラパンちゃーん!」


 不意に名前を呼ばれたラパンは声が飛んできた方向に自然と顔を向ける。

 其処では食堂の窓から身を乗り出したパティが手に持った麺棒をぶんぶんと振って此方を見ていた。

 何だろうと小首を傾げるラパンに、少し困った顔をしたパティは大きな声で言う。


「ケルトー、そっちにいないかー?」

「えっ? 此処にはいませんけど……ケルトーさん、いないんですか?」

「そうなんだよー! 屋敷の何処にもいないんだ! ちょっと固い木の実を潰したいから、彼奴に頼もうと思ったんだけど……見かけたら言っておいてくれ!」

「わ、分かりました!」


 ラパンが頷いたのを見たパティは「お願いな!」と言うと、窓から出していた体をひょいと引っ込めて、夕飯の支度へと戻っていく。

 そうして再び静かになった庭園でラパンは少し怪訝そうに眉を寄せた。


「……ケルトーさん、どうしたのかな」


 ケルトーが何も言わずに屋敷から出掛けるのはいつもの事である。しかし何故かは分からないが、今回は違う気がした。

 ラパンの胸の中にどうにも落ち着かない気持ちが流れ始める。

 真っ赤な夕焼けの中で立ち尽くすこと数分間、一人で小さく頷いたラパンがぱっと振り返ると、


「森に行くの? ラパンちゃん」

「……! サーヌさん……」


 いつから其処にいたのだろうか、少し離れた所にサーヌが立っていた。

 その表情は夕焼けを背にしている所為でよく見えないが、聞こえる声色は普段よりも穏やかで、でも何処か切なくもあった。


「ケルトーを探しに行くのかな?」

「……はい。……あの、サーヌさんも」

「ううん、僕は行けないんだ」

「……え?」


 一人では危ないから、とサーヌの方から一緒に行くことを提案されるとばかり思っていたラパンは予想外の返事にきょとりと目を開く。

 そっと首を横に振ったサーヌはラパンに歩み寄り、その両腕に包まれて眠るエトを起こさないように、そうっと抱き上げた。


「いや……僕は、じゃないか。ラパンちゃんが行ってあげて」

「で、でもっ」

「大丈夫だよ。行き先は花の精霊が示してくれる」


 そう言ってサーヌは屋敷の外、即ち霧の森を指さす。

 サーヌの意図が掴めないラパンは暫し戸惑った様子でサーヌと霧の森へ交互に視線をさ迷わせていたが、やはりケルトーの事が心配な気持ちには勝てなかった。


「……分かりました、行ってきます」


 たたっと足音を立てて、霧の森へと向かっていった。

 遠ざかっていく小さな背中を見送りながら、夕焼け色と混ざった青い瞳を細めてサーヌはぽつりと呟く。


「……頼んだよ、ラパンちゃん」


 その声は、何処までも優しいものだった。


 ***


 屋敷から霧の森に出たラパンは、まず初めに驚いた。

 恐怖を呼び起こす程に真っ白な濃霧の世界で、真っ赤な薔薇の花が咲いているのがはっきりと見えたからだ。

 しかもそれは一輪や二輪では無く、ラパンを導くように左右に並んで何輪も咲いては明らかに道を作っている。

 

「これが、花の精霊の……?」


 屋敷を出る際にサーヌが言っていた事を思い出し、ラパンは驚愕と感心に目を瞬かせながらも、その美しい薔薇の道をひたすらに駆けていく。

 花の精霊の加護なのか、魔物らしき影も気配も見当たらない。

 乱れる呼吸も速まる鼓動も浮かぶ汗も、全てを二の次にして、ただ早く見つけたい一心でケルトーの姿を思い浮かべながら走った。

 

「はあ、っ……はあっ……!」


 一体どれくらい走っただろうか、遂に薔薇の道に終わりが見えてきた。

 汗が滲む顔に貼り付いていた銀髪を払い退け、息を切らしたラパンは徐々に走る速度を落としていく。

 霧が晴れて開けた其処は真っ赤な夕陽に染まっていて、貫禄ある雰囲気を漂わせる大樹が一本そびえていた。

 薔薇の道を抜けたラパンはゆっくりと呼吸を整え、静かにその大樹の方へと歩み寄る。

 

「……ケルトーさん」


 大樹の下で座り込んでいる男の名前を呼んだ。

 自分が呼ばれた事に気付いたケルトーは僅かに俯いていた顔をゆるゆると上げ、自分に歩み寄ってくるラパンを何処かぼんやりとした鈍い眼差しで見た。


「……ラパン?」

「はい、そうです」

「一人……だよな? 何で此処に来れた?」

「サーヌさんが花の精霊に頼んでくれました。それで、私が行かなきゃ駄目だって……」

「……サーヌが?」


 ケルトーは不思議そうに首を傾げ、その間にもラパンは地面をそっと踏み締めて歩み寄っていく。

 そうして互いに手を伸ばせば届く距離まで近付いた時、ふとラパンは違和感に気付いた。

 しかし、それが何によってなのかが分からず、ぱちぱちと数回瞬きをする。そして違和感の原因を理解したと同時に、


「ーー……っ!?」


 思わず、言葉を詰まらせた。

 

「ケルトー、さん……? その、それって……」

「……? ああ、これか。俺のじゃねえよ」


 震える指先を向けられたケルトーは不思議そうな表情を浮かべたが、直ぐにラパンが言いたい事を察して首を振る。

 それを聞いてラパンはほっと胸を撫で下ろしたものの、それでも目の前の光景に質問せずにはいられなかった。


「……その血、どうしたんですか?」

 

 ケルトーの口元や指先を汚す、濁った赤色。

 何処か浮いているケルトーの様子に気を取られた事と、真っ赤な夕陽に照らされていた所為でこの距離まで近付かないと気付かなかった。 

 自分を見つめながらのラパンの問いかけに、ケルトーは遠くを見るような目で自分の手を眺めながら平然と答える。


「さっきまで、適当に魔物狩ってたんだよ」

「そう……なんですか」

「おう、……なあ、ラパン」

「何ですか?」

「お前さ、言ってたよな。卵が孵ったら嬉しい、って」

「え……」


 ケルトーは血に染まった手に虚ろな視線を向けたまま、淡々とした声色で問いかける。

 唐突な質問をされたラパンは少し困惑するも、答えは確認された通りだったので素直に頷いて「はい」と返す。

 するとケルトーは「じゃあ」と静かに前置きをし、戸惑っているラパンをそっと見上げて言葉を続けた。


「生まれてきた事を喜ばれない奴って、いると思うか?」

「……え?」

「この世に生まれなきゃ良かったって思われる奴って、いると思うか?」


 ごく自然に、平然と、残酷な質問を続けざまに投げかけられてラパンは頭の中が真っ白になる。

 深紅の瞳を見開いて立ち尽くし、何も言えなくなっている目の前の少女に、ケルトーは血に汚れたままの口元だけでそっと笑みを浮かべてみせた。


「俺はその、生まれてきた事を喜ばれなかった奴だ」


 大樹の葉が、夜の気配を乗せた風に吹かれて揺れる。

 その音は物悲しく、泣いているようだった。



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