子兎騒動 前編
ラパンとケルトーが無事に街から帰ってきてから何回か太陽と月が入れ替わり、何処か落ち着かなかった屋敷の中の雰囲気も漸く元通りになった。
そんなある日の昼下がり、ラパンとパティは二人でラパンの部屋にてテーブルを囲んで話していた。
テーブルの上には愛らしい装飾品や小さな香水瓶、飴玉のようなボタンが入った小箱などが所狭しと置かれている。
「あ、この髪飾りも可愛いな! これは何処で買ったんだ?」
「それは確か……大通りから少し外れた所にあった、小さな雑貨屋さんです」
「そっか、じゃあ其処もリストに入れておこう! 絶対にいつか一緒に行こうな?」
「はい、行きましょうね」
リボンの形をした金色の髪飾りを片手に無邪気な笑顔を向けてくるパティに、自分の方が年下にも関わらず微笑ましさを感じ、つい頬を緩めて頷くラパン。
二人は今、ラパンが街で買ってきたお土産を見ながら、いつか一緒に街へ出かけた時の計画を立てていた。
(……あれ?)
そうして二人で楽しんでいた中、ふと他のお土産の陰に見えた物が気になったラパンは思わずそれに手を伸ばす。
それは兎を象った銀のブローチだった。両目の部分には宝石に似た小さな赤い石が埋め込まれている。
(こんなの買ったっけ……?)
ラパンが見覚えの無いそれを掌に乗せて小首を傾げた、その時だった。
「ーー……えっ?」
銀の兎が、その赤い瞳をぎらりと怪しく光らせた。
「きゃっ!?」
「ラ、ラパンちゃん!?」
驚いたラパンの手からブローチが転がり落ちた。
悲鳴を聞いて漸く異変に気付いたパティの目の前で、ラパンの全身は見る見るうちに赤紫色の光に包み込まれていく。
「うわ……っ!」
その光の強さにパティは堪らず目を瞑ってしまい、目蓋の裏で光が治まったのを感じてゆっくりと目を開けば、
「……え、ええっ?」
其処には、純白の子兎がちょこんと座っていた。
***
「多分、呪術の一種だね」
そう淡々と言ったのは、禍々しい表紙の本を膝の上で開いたクレだった。
それを聞いたパティは顔から血の気を引かせてふらりとよろめき、ドアの所に寄りかかっているケルトーは忌々しげに舌を鳴らし、サーヌは困惑した様子で眉間に皺を寄せた。
「どどど、どうしよう、ラパンちゃんが……っ!」
「まず落ち着いて、パティ。……クレ、その呪術は命に何らかの影響はあるのかい?」
険しい顔をしたサーヌの質問を受けるとクレは手元の本に視線を落とし、其処に書かれた内容を目だけで読んでから首をゆっくりと横に振った。
「いや、それは無いみたい。でも、長い間このままでいたら、元に戻るのが難しくなる可能性はあるね」
「どうしたら元に戻るのかは分かる?」
「一番手っ取り早いのは、この呪術を掛けた張本人に解かせる事なんだけど……。それを特定するのは難しいだろうから、他の道具を使ったりして解いた方が早いかな」
本に書かれた細かい文章を指先でなぞり、丁寧に確認しながら質問に答えていくクレ。
それを真っ白な顔で聞いていたパティだったが、やがて潤んだ蜂蜜色の瞳にしっかりとした光を灯らせると、強く頷いてサーヌの方を真っ直ぐに見た。
「……分かった。サーヌ、今から一緒に街に行って、道具を探すのを手伝ってもらっていいか?」
「それは勿論構わないけど……」
そこまで言ってサーヌは、今までドアに寄りかかって自分達の会話を聞いていたケルトーの方を見る。人手は少しでも多い方が良いのでは、と思ったのだ。
それはケルトーも同じ考えだったらしく、ドアから背中を離すと怪訝そうな顔でパティを見た。
「おい、俺は行かなくていいのかよ?」
「ケルトーはラパンちゃんといてくれ。お前、魔法や魔術に関してはからっきしだろう? だったら万が一、何かあった時の事を考えて、お前が傍にいてくれる方がいい」
そう言われてケルトーは言葉を詰まらせた。
パティの言った通り、自分は魔法や魔術に関しては本当に最低限の事しか知らない。それならばラパンの傍にいた方がまだ少しは役に立つだろう。
そう考えて納得したケルトーは素直に頷いた。
「……分かったよ」
「よし、じゃあサーヌ、直ぐに支度をして行くぞ」
「うん。ラパンちゃんの事は頼んだよ、ケルトー」
ケルトーが頷いたのを見て、パティとサーヌは直ぐに書庫を出ていった。
その姿を見送ったケルトーは溜め息を一つつくと、がしがしと自分の黒髪を掻き、先程から視界の隅で時折動いていた白い塊に手を伸ばしてひょいと抱き上げた。
「……つーわけだ。なるべく大人しくしてろよ、ラパン」
赤い目を覗き込んでそう言われても、無垢な瞳をした白い子兎は桃色の鼻先をひくひくと動かすだけだった。
その光景を端から見ていたクレは、いつものように無表情に近い平然とした表情を変えないままに言葉を挟む。
「今のラパンは完全に兎だから、言葉は通じないよ」
「うるせえな。……つーか、お前も何か手伝えよ」
「僕に知識以外を求めないでよ。あと、此処にいると本でラパンが潰されかねないから避難した方が良いと思う」
「言われなくても出て行くっての。邪魔したな」
ふんと鼻を鳴らしたケルトーは子兎をぽすんと自分の頭に乗せると、少しもバランスを崩す気配を見せず、しっかりとした足取りで書庫を出ていく。
頭上に子兎という、危機感の欠片も無い呑気なその後ろ姿を見送ったクレは若干気が抜けつつも、
「……全く、世話の焼ける生徒だよね」
呪術に関する本が並ぶ本棚の方へ、のそのそと移動したのだった。
***
(……さて、どうしたもんか)
書庫を出たケルトーは廊下を歩きながら考える。
パティ達が外から帰ってくるまで、自分はこの頭上に乗った子兎の面倒を見ることが役目なのは分かった。
しかし、兎など今まで食べるばかりで面倒を見たことなど一度もない。それは兎に限った話では無いが。
(まあとりあえず、屋敷からは出ない方が良いよな)
森に連れて行ったら確実に獣が寄ってくる。自分が追い払うことは容易いが、そんな面倒な思いをしてまで森に行く必要性は感じられない。
そう判断したケルトーは、少なくとも今日一日は屋敷の敷地内に居ることを心に決めた。それと同時に自分の腹が空腹を訴えてきた事に気付く。
「何か食うか……。お前も腹減ったか?」
頭上で大人しくしている子兎に問いかけてみるも、子兎は鼻先をひくつかせるばかりで返事を返す気配は無い。
しかしそれは最初から分かり切っていたので、ケルトーは特に気にする事も無く、そのまま食堂へと足を向けたのだった。
***
「……すげえな、彼奴」
テーブルに並べた物を見て、ケルトーは思わず呟いた。
つい数分前、何か食べる物は無いかとキッチンに入ってみたところ、幾つかの食器が並んでいるのをケルトーは見つけた。ーーそして、驚いた。
「本当に好かれてんだな、お前は」
それらは全てパティが出掛けに用意したと思われる、人参を中心とした野菜料理(但し料理と呼ぶよりも餌と言う方が正解に近い)の数々だった。
子兎でも食べられるようにという配慮で、擦り下ろした林檎と人参のペーストに、糸のように細く千切りにされたキャベツ。細かく賽の目に切られた干し苺もある。
「ほら、食えるもんは食え」
そう言ってテーブルの上に降ろしてやった子兎は、目の前に並んでいる餌の数々をじーっと見つめている。
しかし警戒しているのか、それとも単に物珍しさから手を出しにくいのか、とにかくなかなか口を付けようとはしない。
その様子を暫く頬杖をついて見守っていたケルトーだったが、このままでは埒が明かないと思い、人差し指を橙色のペーストに付けてその指先を子兎の口元へと運んだ。
「大丈夫だっての。ほら、さっさと食え」
子兎は指先に鼻を近付けて、すんすんと嗅いでいる。
そしてちょこんと小首を傾げた後、ケルトーの手を小さな前足でそっと添えるように掴み、指先に付いたペーストをぺろぺろと舐め始めた。
「お、食ったか」
漸く食事を始めた子兎によしよしと満足そうに頷いて、口角を緩やかな角度に上げるケルトー。
そうしてケルトーはその指先を子兎に預けたまま、自分は残っていた食材(主に肉類)で適当に作ったサンドイッチを頬張ったのだった。
***
腹拵えを終えた一人と一匹は、裏庭の木陰にいた。
木の幹に背中を預けて座るケルトーの傍らで、子兎は長い耳を毛繕ったり芝生の匂いを嗅いだりしている。
ぴょこぴょこと忙しなく動き続けるその姿を、ケルトーは胡座をかいた自分の膝頭に片肘をつき、頬杖をついて眺めながらぼんやりと考える。
(……もし、このまま此奴が戻んなかったら)
それこそもう二度と狙われる事は無くなるに違いない。このまま一匹のただの子兎として、自分達の下で平穏に生きていけるだろう。
けれど、それと引き替えに失う物は多すぎる。それは少女だけではなくて。
《ケルトーさん》
無垢な微笑みが、脳裏に浮かぶ。
鈴の転がる声が、鼓膜を震わせる。
どこもかしこも小さくて儚くて弱くて、それなのに自分を怖がらずに傍にいては、此方の興味を惹かせてくる不思議な存在。
(……本当、何が起こるか分かんねえもんだな)
あの時の自分の気紛れがこうなるなんて、誰が予想出来ただろう。ケルトーの口元に思わず笑みが浮かぶ。
「……!?」
と、先程までいた場所に子兎の姿が見当たらない事に気付いたケルトーは慌てて木から背中を離し、もしや鷹にでも浚われたかと辺りを見回して、
「……マジかよ」
今の今まで自分が寄りかかっていた木の根本で、泥だらけになって穴を掘っている子兎を見つけたのだった。
真っ白だった毛並みは見事に土色に汚れてしまっているが、子兎自身はきょとんとケルトーを見つめている。
そんな子兎にケルトーは深い溜め息をつくと、呆れながらも手を伸ばして、その汚れた小さな体を抱き上げた。
「ったく、何してんだよ?」
そう言ったところで単なる子兎に通じる筈もなく、子兎は鼻先をひくつかせながら、円らな赤い瞳でケルトーを見つめ返すだけだった。
その視線にケルトーは、もう何度目かも分からない溜め息をつき、流石に頭上に乗せるのは止めて下からひょいと抱き抱える。
そして、どろどろに汚れてしまった毛並みを元の美しい純白に戻してやるべく、屋敷内の浴室へと足を向けたのだった。
.




