同じくして、違うもの
(ーー……?)
ことん、と微かな物音がした気がして、ラパンの眠っていた意識がゆっくりと目覚めていく。
そっと起きあがって窓の外を見ればまだ暗く、向かいの家の屋根を月明かりが淡く照らしていた。
(私、いつの間にか寝ちゃってたんだ……)
少し重たい瞼をこしこしと擦るラパン。寝起きでぼんやりとしていたが、窓に映っている自分の姿を見ると記憶は直ぐに引き出せた。
(上手く出来て、良かった……)
ラパンは銀髪を指先でさらさらと弄びながら、安心感に満たされた胸を撫で下ろす。
目の前でケルトーが倒れた時は世界が真っ暗になった。
けれどアルカがやって来て宿に帰り、ベッドで横たわって苦しそうにしているケルトーを改めて見た時、初めて出会った時の事を思い出して無我夢中で髪を使った。
あの時はただ、怪我人だったから差し出した。
だけど今回は違った。ケルトーだから、どうしても助けたいと思った。
だからケルトーが目覚めてくれた時は本当に嬉しかった。心の底から嬉しくて堪らなくて、気持ちが溢れてどうしようもなくてーー、
「ーー……ああっ!?」
そこまで考えて、ラパンは思わず大きな声を上げた。
そして一気に熱くなった頬をぺたんと両手で押さえ、ベッドの上で一人おろおろと狼狽える。
(わ、私、何て事を……っ!)
病み上がりのケルトーに泣きついただけでなく、抱き着いたまま寝落ちてしまったという事実を思い出し、ラパンは顔色を赤くしたり青くしたりと器用な事をする。
そうして暫くの間一人で騒いでいたラパンだったが、廊下の方から時折小さな音が聞こえてくる事に気付いた。
(……やっぱり、気のせいじゃない、よね?)
鳴り続けている音の正体が気になったラパンは静かにベッドから下りてドアの方へと向かう。
深夜という事を配慮して極力音を立てないようにしながらドアをそうっと開け、ほんの少しだけ出来た隙間から廊下を覗いた。
照明は窓から射し込む月光だけが頼りの廊下はひんやりとしていて薄暗かった。きょろきょろと目線を動かしてみても特に変わった物は見当たらない。
(……あっ?)
気のせいだったのかと顔を引っ込めようとしたラパンだったが、ある事に気が付いて動きを止めた。
(窓が開いてる……)
廊下の突き当たりにある窓だけが開き、廊下に夜風を送り込んでいる。どうやら廊下が少し肌寒かったのは、あれが原因のようだった。
アルカが閉め忘れたのだろうかと小首を傾げ、とりあえず窓を閉めなくてはと思ったラパンは廊下に出る。
そして窓際に近付いて手を伸ばしつつ、開いた窓の向こう側に何気なく視線を向けてーーそっと、息を飲んだ。
(え、ケルトーさん……?)
窓を越えた先には、隣の民家の屋根がある。
その屋根の上で此方に背を向けて座っているのは、目を擦って見直してみても、確かにケルトーだった。
黒髪を夜風に靡かせて月を見上げているその背中は、普段よりも何処か儚く見えて、気が付けばラパンは閉めようとしていた筈の窓を全開にしていた。
「あのっ、ケルトー……さん?」
「……っ!?」
窓から軽く身を乗り出してラパンが名前を呼べば、その背中はびくっと跳ね上がり、夜空を見上げていた顔が此方を向いた。
月明かりに照らされた顔には驚愕の色を浮かべていたが、相手がラパンだと分かると一瞬だけ安心したように緩み、そして直ぐに普段と変わらないものになった。
「……何だ、お前か。こんな時間にどうした?」
「えと、目が覚めてしまって……。ケルトーさんこそ、起きていて大丈夫なんですか?」
「おう、……ああそうだ、髪、助かった」
「あ、はい、お役に立てて良かったです」
お互いの距離は少し離れていたが、夜の静けさのお陰で声を張り上げる必要は無い。
しかし、ケルトーは腰を上げるとゆっくりとした足取りで屋根の縁まで来て、きょとんと自分を見つめているラパンに向かって片手を伸ばした。
「……ちょっと、こっちに来いよ」
***
「寒くないか?」
「は……はい……」
「ん、そうか」
耳元で聞こえる低い声と背中をすっぽりと覆い込む体温に、ラパンは心臓の鼓動を大きくさせながら頷く。
ケルトーはそれに気付く様子も無く、自分の胡座の上に座らせたラパンの頭上にのしっと顎を乗せた。
(え、わ、わわっ……!?)
より一層近付いた互いの距離にラパンはますます心臓を大きく脈打たせ、緊張で少し火照った体を強ばらせた。
このままでは自分は以前のようにまた気絶しかねないと思い、どうにかして気を紛らわせようと口を開く。
「ケ、ケルトーさん?」
「んー……?」
「あの、ど、どうしたんですか?」
「……んー、……」
「えっと……まだ調子が悪いんですか?」
「あー……いや、……」
ラパンがどんなに問いかけてみても、頭上に乗ったケルトーからは歯切れの悪すぎる返事ばかりが返ってきた。
「……?」
普段のケルトーとは真逆の物言いに違和感を覚えたラパンは小首を傾げながらも心配になる。
自分の中で込み上げる照れや緊張を二の次にして、他に思い当たる可能性をケルトーに尋ねてみた。
「……何かあったんですか?」
頭上に乗っている顎がぴくっと少しだけ反応を示した。
そしてケルトーは「あー……」と言葉にならない声を漏らし、少しの間を置いてからぽつぽつと話し始めた。
「……お前が寝てる間にさ、広場にいた親子が来たんだよ」
「え? アンジュちゃん達ですか?」
乗せた顎で頭を固定されている為に顔を動かせないラパンは、どうにか視線だけをケルトーの方へと向ける。
ケルトーはその時のやり取りを思い返しているのか、ぼんやりと前を向いたまま頷いた。
「おう、多分な。……で、林檎貰って礼を言われた」
「そうなんですか? 良かったですね」
話を聞いたラパンは、にこりと微笑む。
「…………」
「……?」
しかしケルトーが直ぐに返事をしてこない事を不思議に思い、口を開き掛けた時、静かな夜風にすら飛ばされてしまいそうな声が上からぽつりと降ってきた。
「『守ってくれて、有り難うございました』」
「え?」
「彼奴らに言われた。……彼奴ら、俺が怖くなかったのか?」
そう話すケルトーの表情は、ラパンからは窺えない。
「…………」
けれど、見なくとも分かった。
だからラパンは動かず、月明かりに照らされて眠る街を眺めているケルトーと同じ方向を向いたまま、正直な感想を答える事にした。
「怖くなかったと思いますよ」
その答えにケルトーは灰色の目を見開く。
それからラパンの頭上からそっと顎を引いて、直ぐ眼下にある銀色の旋毛を見下ろした。
「……どうしてだ? 目の前で思いっきり魔物を殺したぞ。化け物の力を見て、怖くないわけがねえだろ」
そう言い返すケルトーの脳裏には過去の記憶たちが次々に浮かんでは消えていく。
どの記憶も自分に向けられる畏怖に溢れていて、どれだけ考えてみてもラパンの今の答えが当たっているとは思えない。
怪訝そうな顔をするケルトーの胡座の上で、ラパンは振り返ってケルトーを見上げる。
その表情はとても柔らかく、落ち着いたものだった。
「だってケルトーさんは、守ってくれたじゃないですか」
「……は?」
思わず間の抜けた声が零れる。
そんなケルトーの反応を見たラパンは小さく笑い、甘く煮詰めた木苺色の瞳で見つめたまま言葉を紡いだ。
「私を森で拾ってくれたあの時や、アンジュちゃん達を魔物から庇った時のケルトーさんの力は、守る力でした」
「守る、力……?」
まるで初めて言葉を発した幼子のように、ケルトーは目を瞬かせながらラパンが紡いだ言葉をそっと繰り返す。
それにラパンはこくりと頷いて、自分を緩く抱き抱えている腕にそっと小さな手を添えた。
「確かにそれは意図的にでは無かったかもしれませんが……。でもその力で、私やアンジュちゃん達が守られたのは、紛れも無い事実です」
だから、とラパンは優しく、諭すように続ける。
「怖くありません。力は壊すだけじゃないんですよ」
まろやかに細められた深紅の瞳に、困惑に揺れる灰色の瞳を丸くさせた男の顔が映っている。
しんしんと淡く降り注ぐ月明かりの下で二つの視線が絡み合って数秒、夜風が遠慮がちにその間を通り過ぎていくと、先に灰色の方が其処から逸れた。
「……眠くなってきた。部屋、戻るぞ」
「はい、そうしましょう」
微笑んだラパンが胡座の上から下りてから、ケルトーは立ち上がってぐっと背中を反らす。
そのまま見上げた先の夜空では、月と無数の星がいつもよりも優しく輝いているように思えた。
***
「じゃあな、アルカ」
「お世話になりました、アルカさん」
「二人とも元気でな。またいつでもおいで」
まだ街の中に朝霧が漂う頃、二人は『リーブル』の玄関前でアルカと別れの挨拶を交わしていた。
本来なら昨日のうちに帰る予定だった二人だったが、屋根上での夜更かしが効いたのか、あれから二人して昼過ぎまで寝過ごしてしまい、結局滞在期間を一日延ばした代わりにこうして早朝に旅立つ事になったのだった。
朝早くだと言うのに、いつもと同じ明るい笑顔を浮かべるアルカに見送られて二人は朝霧の中を歩き出す。
(あ、マント、掴んでおかなきゃ)
時間が時間なのでまだ人通りは無いが、それでも気にしておくに越したことは無い。
そう思ってラパンが先を行くケルトーのマントへ手を伸ばし掛けた、その時。
「おい、ラパン」
「はい?」
「手、こっちにしろ」
不意に足を止めて肩越しに振り返ったケルトーは、そう言ってラパンに片手を差し出した。
突然のその要求にラパンは一瞬驚き、目の前に差し出された大きな掌とケルトーの顔をちらちらと何回か交互に見てから、
「ーー……はいっ!」
橙色のマリーゴールドのような満開の笑顔を浮かべて、温かなその手をしっかりと握った。
「……よし、行くぞ」
ケルトーは片手で簡単に包み込めてしまう小さな手を一瞥してから、今までよりも狭い歩幅で歩き出す。
と、白い朝靄の向こう側に見える青空を飛んでいく二羽の鳥をふと見上げ、朝日の眩しさに目を細めながらぼんやりと考えた。
(……守るだとか、壊すだとか、よく分かんねえけど)
内心で呟いて、隣を歩く少女の横顔を見下ろす。
その柔頬にはもう、涙の跡は何処にも残っていない。
ーー何故だかそれが、嬉しい気がした。
「……ケルトーさん? どうかしましたか?」
「何でもねえよ。ほら、ちゃんとフード被っとけ」
「わっ! は、はい……」
自分に向けられている視線に気付き、不思議そうに自分を見上げてくるラパンにケルトーは小さく笑って、脱げかけていたフードをぽすんと被せ直してやる。
そして繋いだ手に、ほんの少しだけ力を込めたのだった。
.




