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狼王と兎少女  作者: 亀吉
本編
21/58

圧倒的な力


 木漏れ日が射し込んで明るいものの、小鳥や小動物の鳴き声は聞こえてこない静かな森の中に二人はいた。

 霧の森とはまた違った不気味さを感じながら、ラパンはおどおどと不安げに辺りを見回す。


「……静かですね」

「多分、魔物キラービーの所為だろ。動物達が警戒してんだ」


 目的である魔物キラービーの気配を探っているのか、ケルトーは前を向いたまま普段よりも控えめな声で返事をする。

 僅かに張り詰めた空気を察したラパンも同じくらいの大きさの声で「そうなんですか……」と返し、そのままケルトーの邪魔にならないようにと口を閉ざした。

 そうして二人が森の中を歩き続けて三十分ほど経った頃、不意にケルトーが足を止めてラパンの方を振り返った。


「……近いな」

「え?」

「お前は別の所に、とも思ってたんだが……。……お前、もしかしてアルカから何か貰ってねえか?」

「え、あ、お守りって言って、香り袋を……」


 ケルトーに尋ねられたラパンはポケットから香り袋を取り出してみせる。

 小さな掌に乗るそれを見たケルトーは、軽く眉を寄せて顔をしかめ、額に手を当てると小さく溜め息をついた。


「……彼奴、本当に読めねえ奴だな」

「あ、あの?」

「それ、魔除けの花が使われてんだよ。通りでさっきから匂いがする訳だ。……ま、それ持ってんなら一緒に来ても平気だろ。俺としちゃ下手に離れると面倒だし、それ、しっかり持っておけよ?」


 行くぞ、と言ってケルトーは再び歩き始める。

 ラパンは目をぱちぱちと瞬かせて手元の香り袋を見つめていたが、少し先を行ったケルトーに呼ばれると慌ててポケットに香り袋をしまった。


 ***


「お、いたいた」

「わっ……」


 あれから少し歩くと小さな洞窟があった。

 そしてケルトーの言った通り、その洞窟からは人間の子供程の大きさの蜂が、何十匹もぶんぶんと忙しなく出入りを繰り返している。どうやら洞窟を巣にしているようだった。


「確かに数は多いな。まあ、女王蜂をさっさと退治すりゃいいか」

「だ、大丈夫なんですか……?」


 二人は傍の茂みに身を潜めながら会話を交わす。

 想像していたよりも遙かに獰猛そうな魔物キラービーの姿を見て心配になったラパンは、隣で屈んでいるケルトーについ問いかけた。

 するとケルトーはきょとんとした顔でラパンを見た後、それは心底可笑しそうに口元を歪めて笑った。


「まあ、安心して見てろ」


 そう言ってケルトーはショルダーバッグをどさりと地面に置くと茂みを出て、散歩でも行くような足取りで洞窟へと向かっていく。

 そんなケルトーに気付いた魔物キラービー達が一斉に其方を向き、威嚇しているのか耳障りな羽音を辺りに大きく響かせた。


「きゃっ……!」


 厚手のフードを被っているにも関わらず鼓膜をつんざくその音に、ラパンは堪えきれなくなって耳を塞ぐ。

 しかし、ケルトーは平然とした様子で魔物キラービー達と向かい合っていた。

 そして自分をゆっくりと取り囲み始めた魔物キラービー達を視線だけで見回すと、ふんとつまらさそうに鼻を鳴らし、そして一言。


「喧しいな、虫の分際で」


 それが切っ掛けのように、魔物キラービー達は一斉にケルトーへと襲いかかった。尻から突き出た針はレイピアのように鋭く尖っていて、その先端からは紫黒色の毒液が滴り落ちている。

 そんな凶器が幾十も、自分だけに迫って来る中で、


「蜂の癖に遅いんだよ」


 狼はにやりと、その牙を煌めかせた。

 一番最初に向かってきた針を紙一重で避けたケルトーはその魔物キラービーの両羽を鷲掴んで、そのまま容赦なく下方へと引きちぎった。

 ぶつりと嫌な音を立てて羽をもがれた魔物キラービーは硝子を引っ掻いたような鳴き声を上げて、惨めに地面に転がり落ちる。

 その間にもケルトーは目にも留まらぬ早さで、次々に魔物キラービー達の羽を引きちぎっては地面へと落としていった。当然ながら魔物キラービー達も毒針を振り翳して反撃を試みるのだが、それをケルトーは全て踊るように避けていく。


(す、凄い……!)


 茂みに身を潜めているラパンは、あれほど胸を埋め尽くしていた不安も忘れてその光景に見入っていた。

 以前本で『蝶のように舞い、蜂のように刺す』という表現を見かけた事があったが、今のケルトーは本物の蜂すらも上回る早さと鋭さで戦っている。


(……ううん、違う。戦ってない)


 ラパンは自分の思考をそっと否定した。

 何故なら目の前で繰り広げられている光景は、戦いと言い表すにはあまりにも一方的で、そして圧倒的なものだったからだ。

 そうしている間にもケルトーの独擅場が続いていく。

 気が付けば、あれほど飛んでいた魔物キラービーの数はもう残り二匹となっていて、残りは緑色の血の海と化した地面でひくひくと痙攣しながら、残り少ない命の灯火が消えるのを待っていた。


「ほら、さっさと掛かってこいよ」


 傷一つ無いケルトーの余裕に満ちた声が、数十分前よりもずっと少なくなった羽音の代わりに森に響く。

 逃げるという事を知らないのか、若しくは女王蜂を守る為に出来ないのか、二匹の魔物キラービーは左右から挟み込むような形で同時にケルトーへと針を向けた。


「じゃあな。恨むならお前らを見捨てて、最後まで引っ込んでた女王様を恨んでくれ」


 しゅっと、宙を切る音が鳴った。

 ケルトーが両手を下ろして一瞬後、二匹の魔物キラービーはほぼ同時に腹から緑の血飛沫を勢い良く上げて、どさりと地面にその大きな体を落とした。

 そうして少しの間、ひくひくと痙攣していた魔物キラービー達を見つめていたケルトーだったが、ふっと顔を上げると、今までよりも楽しそうな笑みを浮かべて洞窟の方を振り返る。


「……漸くお出ましか、女王様」


 洞窟の奥からゆっくりと姿を現したのは、魔物キラービーを二倍ほど大きくした漆黒の蜂だった。

 赤い複眼がぎらぎらと不気味に輝いて、鉄板をも貫きそうな毒針は、今にもケルトーを刺し殺しそうな殺気を放っている。

 そんな恐ろしい相手を前にしても、ケルトーは口元に浮かべた笑みを絶やす事は無かった。組んだ両手をぽきりと鳴らしながら灰色の瞳を細め、自分から女王蜂に歩み寄っていく。


「っ、ケルトーさん……」


 女王蜂の放つ迫力に、今まで安心していたラパンも流石に不安を取り戻してしまう。しかし非力な自分には何も出来ない事は分かっているので、震える体を抱くように押さえ込んで無事を願った。

 それを感じたのかは定かでは無いが、ケルトーは一切の不安も恐怖も見せないままにあっさりと言い放った。


「じゃあ、倒されてくれや」


 軽く地面を蹴って、ケルトーが宙に跳んだ。重力を感じさせない見事な跳躍だった。 

 そして女王蜂に向かって片手を伸ばし、頭部に揺れていた触角の片方を躊躇い無く引き抜いた。

 先制攻撃を受けた女王蜂は悲鳴の代わりに大きな羽音を響かせて、出来たばかりの傷口から緑の血液を噴き出させる。しかし地面に落ちる事は無く、ふらつきながらも毒針をケルトーの方へと勢い良く突き出した。


「おっと、へえ……流石は女王だな」


 感心した様子を見せたケルトーはその攻撃を引き抜いたばかりの触角で横から叩いて受け流し、すとんと地面に着地する。

そして直ぐに体勢を整え、ぐっと腰を捻ると素早い動きで女王蜂の脇腹に回し蹴りを叩き込んだ。

 重い蹴りを無防備に受けた女王蜂は地面に叩きつけられ、周囲にぶわっと土埃を上げる。

 その隙をケルトーが逃す筈も無く、すかさず近付くと毒針を力一杯踏みつけて寸分も動かせないように固定してから、


「じゃあな、女王様。向こうではもう少し家来に優しくしてやれよ?」


 そう言って女王蜂の心臓に、鋭い爪を突き刺した。


 ***


「あー……何か、まだべた付いてる気がすんな……」

「見た限りではもう付いてないんですけど……」


 顔をしかめて濡れた自分の前髪を摘むケルトーと、背後からその後頭部を見上げて確認するラパン。

 二人の傍らでは透き通った小さな泉が木漏れ日を受けて、穏やかな水面をきらきらと輝かせている。


「久々だからって少しやり過ぎたな……。これ、帰ったらパティに怒られる気がしてならねえんだが……」

「……多分、そうですね」

「うわ、面倒くせえな。何か土産買ってくか……」


 魔物キラービーの血液で濃い緑色に汚れてしまった自分のマントを見て、ケルトーはげんなりとした様子を見せる。その姿に先程までの威圧感は微塵も無く、ラパンは思わずくすくすと小さな笑みを零した。


「何を笑ってんだよ?」

「す、すみません……」


 灰色の瞳にじとりと見つめられて、ラパンは慌てて笑みを堪える。と、ケルトーは濡れている所為で額に張り付く前髪を後方へ軽く掻き上げながら言った。


「……お前さ、怖くなかったのか?」

「え、何がですか?」

「いや……」

「……?」


 珍しく言葉を詰まらせたケルトーに、ラパンは小首を傾げて考える。そして「あっ」と納得したように声を漏らすと、ふるふると首を振ってから目を細めた。


「ケルトーさんがいたから、怖くなかったです」


 その言葉を聞いたケルトーは僅かに目を見開き、前髪を掻き上げた体勢のままで動きを止めた。

 しかしそれも一瞬で、頭上から手を下ろすとその手でラパンの小さな頭をわしわしと撫で回した。


「わ、わっ?」

「……プレジールに帰ったら、街の中でも回るか」

「え、あ、はい。色々見てみたいです……?」


 撫でられた理由がよく分からず、頭を押さえて小首を傾げるラパンを余所に、ケルトーは汚れたマントを羽織ってショルダーバッグを肩に掛ける。

 そんな二人の直ぐ傍では、泉の水面が微笑むように風に揺れて煌めいていた。



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