色付いていく、
プレジールという所は、中央大陸の中でも一際大きな城下町として名を馳せていた。
港が比較的近いことや気候の良さも相まって、各国から行商人や旅人が集まるので常に活気に溢れており、観光地としても有名である。
その城下町の名物の一つ、天国をモチーフにしたという立派な装飾が施された門の前に、二つの人影が立っていた。
片方は細身で長身、フード付きのマントで身を包んでいるが、背中の広さや肩幅から男だということが分かる。
そしてもう片方の影は、その男の腰辺りまでという小柄な背丈で、男と同じような格好をしていたが、背中に背負ったリュックの可愛らしさから少女だということが窺えた。
そんな二人に気付いた門番が声を掛ける。
「そこの二人、旅人か?」
「ああ。久々に来たんだが、相変わらずの活気の良さだと思ってな」
「そうかそうか、ゆっくりしていくと良い。但し騒ぎは起こしてくれるなよ?」
「おう、分かってる。じゃあな。……ほら行くぞ」
先程からぽかんと口を半開きにさせて門を見上げている少女の頭を、男はぽんと叩いて我に返らせる。
そこで少女は漸くハッとして、慌てたようにこくこくと何度も頷くと、先を歩き始めた男の後を小走りで追いかけて行った。
「……兄妹の旅人、か? 珍しいな」
そんな二人の後ろ姿を、門番は少し不思議そうに見送ったが、その意識は続いてやって来た行商人の馬車にすぐ移っていったのだった。
***
右を見ても人、左を見ても人、あちこちで飛び交う声。
建物と屋台が所狭しと建ち並んでいる大通りを、フードを深く被ったラパンとケルトーは人混みに混ざって歩いていく。
勿論はぐれてしまわないように、ラパンの手は前を行くケルトーのマントをしっかりと掴んでいる。
「まずは宿屋だな。……おい、大丈夫か?」
「は、はい、何とか……」
道中の疲れに加え、慣れない人混みと見慣れない物だらけで、感動するよりも先に目を回しかけているラパンに時折声を掛けながら、ケルトーは目当ての場所へと真っ直ぐに向かう。
そうして二人は暫く大通りを進んでいたが、ある横道に差し掛かるとケルトーは其方へと逸れた。
すると、あれほどいた人の数は一気に減り、息苦しさから解放されたラパンは安心したように小さく息をついた。
(す、凄かった……)
ちらりと振り返れば、建物の間から賑やかな大通りの光景が見えた。それと比べると今歩いている道は狭く、とても静かで落ち着いている。
どうやら、この通りは店よりも住宅の方が多いらしい。
こっちの方が雰囲気が好きだな、と思いながらラパンが歩いていると、いつの間にか足を止めていたケルトーの背中にぽすんとぶつかった。
「わぷっ」
「着いたぞ。此処の宿屋をいつも使ってんだ」
ケルトーの言葉を聞き、ラパンは鼻の頭を擦りながら目の前の建物を見上げた。
少し古い煉瓦で出来たその宿屋は、他の建物に比べて些か小さく、正直なところあまり繁盛しているようには見えなかった。
しかし、ケルトーは躊躇うことなく、軽く錆の付いたドアノブを回して中へと入っていく。
その後をラパンが追いかけて入れば、くすんだ木製のカウンターで頬杖をついている若い女性が最初に目に入った。
その女性は、少し癖のある栗色の髪を後ろで一つに結っていて、何処となく猫に似た赤茶色の瞳でケルトーを見ると、目を細めてにんまりと口角を上げた。
「おや、久しぶりだね。ガルー」
「おう、まだ生きてたか。アルカ」
「はは、これまた随分なご挨拶だね。……おや、そっちの可愛らしいお連れさんは誰だい?」
アルカと呼ばれた女性はラパンの存在に気付くと、笑みを浮かべたまま小首を傾げる。
「あ、えっと、私は……」
ラパンは自己紹介をしようと口を開きかけたが、ふと今の二人の会話で引っかかる事があった事に気付き、そのまま言葉を詰まらせた。
(ケルトーさん、ガルーって呼ばれてた……っていうことは、本当の名前を言わない方がいい……?)
不自然に言葉を止めて固まってしまったラパンをアルカはきょとんと見ていたが、ケルトーの方をちらりと一瞥すると「ふむ」と何やら納得した様子を見せた。
「まあ、ガルーのお連れさんって時点で訳ありだわな」
「どういう意味だ、それ」
「そのまんまさ。……しかし呼び名が無いと不便だし、お嬢さんさえ良ければ『フィーユ』と呼んでもいいかな?」
「え、えっと……」
どう答えたらこの場は正解なのかが分からず、情けなく眉を下げてケルトーを見上げれば黙って頷かれたので、ラパンはこくこくっと首を縦に振ってみせた。
その反応に、アルカは満足そうに笑う。
「そうか、じゃあ改めて自己紹介をしよう。私はアルカ。この宿屋『リーブル』の主人をしているよ」
「えっと、フィーユです。宜しくお願いします、アルカさん」
「うんうん、宜しく。部屋はどうするんだい?」
「俺はいつもの。此奴は隣で。どうせ部屋はがら空きなんだろ?」
「はは、流石に分かってるね。何か必要な物があったら言っておくれ。フィーユも遠慮しないで言うんだよ?」
「はい、有り難うございます」
差し出された二つの鍵を受け取って我が物顔で二階に上がっていくケルトーを、ラパンはアルカにぺこっと頭を下げてから追いかける。
軋む階段を上った先では、窓から差し込む日差しに照らされた狭い廊下と、窓と向かい合う位置で古びたドアが四つ並んでいた。
そのうちで一番奥のドアにケルトーは向かい、後ろをついてきたラパンに片方の鍵を渡すと隣のドアを指した。
「お前はそっちの部屋を使え。何かあったら来い」
「はい」
「今日はお前が疲れただろうし、仕事には明日行くか……。夕飯は面倒だから此処でいいよな」
「はい、大丈夫です」
「何か食いたいもんがあんならアルカに言っとけ。彼奴は大抵のもんなら用意出来るから。んじゃ、また後でな」
鍵を開けて部屋に入っていくケルトーを見送ってから、ラパンも隣の部屋の鍵を開けて中に入る。
四畳半ほどの部屋には、木製の小さなテーブルと椅子、綺麗に洗濯されたシーツが敷かれたベッドだけが置いてあった。
古ぼけた木板の床は踏む度に少し軋むものの、唯一の窓には一点の曇りも無く、部屋の中には埃一つ見当たらない。
後ろ手にドアを閉めたラパンはテーブルの上にリュックを下ろし、脱いだケープを椅子の背もたれに掛ける。
そしてベッドの端にぽすんと座り、そこでやっと気が抜けたように息をついた。
「ふう……」
森を抜けて平原を越えて、城下町にいる自分。
ずっと何処か夢を見ているような気がしていたが、今こうして腰を落ち着かせて疲労を感じ、漸く実感がじわじわと沸いてくる。
「……私、森から出たんだ」
一生を過ごすと思っていたあの暗い森から、温かな屋敷に迎え入れられて、更にはこうして広い世界にまで触れられた。
それは、今までの自分にとってはあまりにも非現実的で、願望として描く事すら思いつかない事だった。
だけどケルトーはあっさりとラパンの手を取って、いとも簡単にやってみせた。自分と行けば面倒が増えるのは目に見えているのにも関わらず、何の躊躇いも無く外へと連れ出してくれた。
(……ケルトーさん、私、どうすればいいですか?)
姿を思えば、胸の奥が温かくなる。
甘い蜜のようにとろとろと、緩やかに溢れ出るこの気持ちは、きっと彼にどれだけ贈っても物足りない。
だけど、どうにかして贈らずにはいられない。
「けるとー、さん……」
無意識の声が、唇を滑り落ちる。
心の中で膨らみ続ける感謝の気持ちに、紅い双眸をそっと潤ませながら、ラパンは疲れて重くなった体をゆっくりとベッドに沈み込ませていった。
.