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狼王と兎少女  作者: 亀吉
本編
12/58

兎の恩返し

「じゃあ、何かあったら直ぐに言うんだぞ?」

「はい」

「怪我だけはくれぐれも気を付けてな?」

「は、はい」

「あと火の扱いも気を付けて! それと……」

「いい加減にしろっつーの。ほら、行くぞ」

「ああっ! が、頑張ってな、ラパンちゃん!!」

 

 呆れ顔のケルトーに首根っこを掴まれてずるずると引っ張られていくパティを、ラパンは少しの戸惑いと有り難さと感じながら見送る。

 そして、自分だけになったキッチンを見回すと、気合い充分といった様子でよしっと頷いた。


「……頑張ろう」


 いつも着ているドレスではなくて動きやすい服装と真っ白なエプロン(といってもパティお手製なのでフリルやリボンは多少飾ってあるが)に身を包んだラパンは、これまたいつもとは違う髪型ーー邪魔にならないように高く結い上げたポニーテールを揺らしながら、まず籠から新鮮な白い卵を手に取った。


(皆に、喜んでもらえますように……)


 風邪が治って幾日。どうしてもお礼がしたかったラパンが悩んだ末に思いついたのは手料理を振る舞うことだった、と言っても、つい最近まで森で過ごしていたラパンが作り方を知っている料理はたった一つ。


(お母さんがよく作ってくれたパンケーキは作り方を覚えてるし、大丈夫なはず……)


 まだ両親と過ごしていた頃によく母親が作ってくれたパンケーキを思い出して、その懐かしさにラパンの頬が僅かに緩む。

 当時まだ幼かったラパンは完成が待ちきれず、母親がパンケーキを作っている姿をいつも横で眺めていたので、作り方だけはしっかりと記憶に焼き付いていた。ただ、実際に作ったことは無いので不安は勿論あったがーー、


(……少しでもお礼、したいもん)


 そうしてラパンは改めて意気込んで、卵を幾つかボウルに割り入れていく。


「あっ……」


 途中までは順調だったが、三つ目の卵を流し台の端にぶつけた時に力加減を誤ってしまった。大きくひび割れた卵から透明な卵白がとろりと溢れ出して、卵を持つラパンの手をぬっとりと伝い、緩やかに床へと垂れていく。

 

「あ、あっ、ええと」


 ラパンは卵を片手におろおろと慌てふためく。

 床を拭かないといけない、けれど卵をどうにかしないといけない。

 普段なら卵をボウルに割り入れてしまってから床を拭けばいいのだと直ぐに思いつくのだが、不慣れな作業をしている最中という所為でラパンは暫く一人で右往左往する羽目になった。


「あああ……! ラパンちゃん、手伝ってあげたい……っ!!」

「じゃあ手伝ってやりゃいいじゃねえか」 

「ケルトー、こういう時は我慢するものなんだよ」

「ふーん……」


 その様子を三人が見えない位置から見守っているなんて夢にも思わないラパンは、どうにか卵を処理すると次に小麦粉を選んだ。

 本来なら秤を使って正確な分量を量るのだろうが、記憶の中の母親は木のカップを使って目分量で量っている。なのでラパンもそれに則るしかなく、少しでも大きさの似たカップを探す。


「……これくらい、かな?」


 大量の食器が整理された棚から適当な大きさのカップを取り出して、ラパンは記憶にあるそれと照らし合わせてみる。そうして大体同じくらいの大きさだと判断すると、その中に小麦粉をさらさらと慎重に入れ始めた。


(零さないように、零さないように……)


 小麦粉の袋はラパンには少し重く、緊張も相まって手が震える。

 と、それまでゆっくりと出て来ていた小麦粉が突然どさっと大量に零れ出た。


「……っ!?」

 

 その勢いで小麦粉は一気にぶわっと周囲に舞い上がる。あっという間に視界が真っ白に埋め尽くされたラパンは思わずぎゅっと目を瞑るも、小麦粉の袋だけは絶対に離すまいとしっかり掴んでいた。

 そうして宙を漂う小麦粉が落ち着いた頃を見計らって恐る恐る目を開けたラパンは、目の前で広がっている惨状に愕然とした。流し台は白く汚れ、カップには小麦粉がこんもりと山を作ってしまっている。

 自分自身も銀髪や顔に小麦粉を被ってしまっていたが、ラパンにとってはキッチンを汚してしまった衝撃の方が強かった。


「う……」

「ラ、ラパンちゃん、頑張れ……!」 


 卵に続いて起こしてしまった失敗にラパンの顔が僅かに悲しげに歪む。

 それを見たパティは今すぐにでも飛び出したくなったが、ここで自分が手伝っても喜んではくれない事を分かっているのでぐっと堪えて、代わりにこっそりと声援を送る。

 

「……まだ、大丈夫」

 

 それが届いたかのようにラパンはふるふると首を振って小さく頷き、折れかけていた気持ちを奮い立たせた。

 カップから余計な分の小麦粉を取り除くと、先ほど卵を割り入れたボウルに混ぜる。それから同じく記憶を頼りに牛乳を適量注ぎ入れて、木のへらで一生懸命にかき混ぜ始めた。

 

「んしょ、っと……」

「おー、どうにか出来そうじゃねえか」

「そうだね。あとは焼けば良いんだろうけど……」

「だ、大丈夫かな? 火傷とかしないといいんだが……」


 感心したように呟くケルトーと、心配そうに見守るサーヌとパティ。そんな三人の視線にやはり気付かないラパンは何とか完成した生地を満足げに見て、遂にフライパンに手を伸ばした。

 この屋敷ではマッチも薪も無く、パティが魔法で火を自由に付けている。なので今回もパティが予め火を付けてフライパンを温めてくれていた。


「ええと、バター……」


 常温にしておいたバターの欠片を入れてみれば、フライパンの上でゆっくりと溶けていく。溶けたバターがフライパン全体に広がったのを確認すると、生地を玉杓子で慎重に落とし入れてみる。

 そうすれば少し歪な丸形がフライパンに三つ出来上がった。生地はまだ余っていたがフライパンがいっぱいになってしまったので、ラパンはとりあえずこの三枚を焼き上げてしまう事にする。


(……上手く出来るかな)


 記憶の中の母親は慣れた手付きでひっくり返しては、綺麗な狐色のパンケーキを次々と焼き上げていた。まるで魔法のように見えたけれどーー果たして自分は出来るだろうか。

 そう思った途端にさっきまでの失敗が蘇ってしまい、ラパンはフライ返しを片手に少し怖じ気付いてしまう。

 

(でも……)


 風邪を引いていた時の自分に、三人がくれた温かな気持ちを思い出す。

 あの時に貰った気持ちを少しでも返したい。本当に嬉しかったから。

 

「……よし!」


 フライ返しをぎゅっと握ってフライパンを見る。生地の表面にはぷつぷつと細かな穴が開き始めていて、それを見た途端にふと記憶の中の母親が得意げに笑って言った。


《いい、ラパン? パンケーキは穴が開いたらひっくり返すのよ》

 

 その言葉を思い出したとほぼ同時に、ラパンはすかさず生地の下へフライ返しの先端を滑り込ませる。すると生地はすんなりと浮き上がった。そして少し手首を返せばフライパンにこびり付く事も無くあっさりと裏返り、


「や、やった……!」


 ふっくらとした、それは綺麗で美味しそうな狐色の表面を表した。

 そうやって一度コツを掴めば後は簡単だった。生地を垂らす段階で少し形が崩れてしまったのも何枚かあったし僅かに焦げてしまったのも出来たが、生地が無くなるまで焼き続けること数十分後。


「出来た……!」


 たっぷりの蜂蜜と蕩けたバターが掛かった、優しい甘い匂いを漂わせるパンケーキの山が無事に完成したのだった。


 ***

 

 食堂に濃厚な甘い香りが充満する。

 山盛りのパンケーキを前にしたパティは感動にわなわなと打ち震えていた。


「す……凄い! ラパンちゃん頑張ったな!」

「うーん……良い匂いだね」

「へえ、割と上手く出来たみたいだな」


 賞賛の言葉を貰えた事にラパンはひとまず安堵する。

 しかし、一番の問題は味だ。味見をしたので食べられない事は無いとは思うが、三人の口に合うかどうかは分からない。


「それじゃラパンちゃん、いただきます!」

「は、はい……」


 真っ先にパティが焼きたてのパンケーキにナイフを入れ、それに続いて二人も皿に取り分けられたパンケーキに手を付け始める。

 蜂蜜とバターで程良くしっとりとしたパンケーキが三人の口へとほぼ同時に運ばれていくのを、ラパンは背筋を伸ばして緊張した面持ちで見守った。

 

「……ど、どうですか?」


 三人が咀嚼している少しの間も落ち着かず、ついラパンは尋ねてしまう。

 すると、目を瞑って味わうようにもぐもぐと頬張っていたパティが突然両目をくわっと見開いた。

 そして、ナイフとフォークをテーブルに叩きつけるように置くと、パティの反応に戸惑っているラパンに向かって、


「おい……っ、しい、よおおおおっっ!!」

「ひゃあっ!?」


 興奮と喜びで頬を染めて満面の笑みでそう叫びながら、椅子から飛び出すような勢いでラパンをぎゅうっと抱き締めた。


「あっぶね! パティ、テーブル揺らしてんじゃねえ!」

「だって美味しいんだもん! 嬉しいんだもん!!」

「うん、本当に美味しい。凄いね、ラパンちゃん」


 危うくひっくり返りそうになったコップを押さえながら怒鳴るケルトーにも怯えず、パティは幸せそうな笑顔で腕の中のラパンを撫で回したり頬摺りをする。サーヌもパンケーキを食べながらいつも以上に優しく微笑んでいる。

 そんな三人の反応をパティに抱き締められたままきょとんと見ていたラパンだったが、結果が大成功だった事をじわじわと実感すると深紅の瞳を嬉しそうに輝かせた。


「おい、ラパン」

「!!」


 ふと呼ばれた声に向けば、ケルトーが蜂蜜を付けた頬をもぐもぐと動かしながら、中央に置かれたパンケーキの山から新しい分を自分の皿に盛っていた。それに蜂蜜をとろりと垂らし、口の中に残っていた分を飲み込んだと思えば直ぐにまた食べ始める。


「思ってたより美味い。また作れよ」

「……っ!」


 その言葉を聞いた瞬間、ラパンの周囲にぱあっと花が咲いた。

 もしも今のラパンに兎の耳でも生えていたら、それはそれは嬉しそうにぴんっと伸びて忙しなくぴこぴこと揺れているに違いない。


「い、いつでも作ります……!」

「おう。じゃあ食いたくなったら言う」


 ラパンはこの屋敷に来てから一番はっきりとした笑顔を見せる。雪のような柔頬を淡い薔薇色に染め、自分が作ったパンケーキを食べるケルトーを心底嬉しそうに見つめるその姿は、あまりにも微笑ましげで愛らしい。

 そんな少女にパティとサーヌは顔を見合わせてこっそり笑う。


 こうしてラパンの恩返しは甘い匂いに包まれて、無事に成功したのだった。



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