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狼王と兎少女  作者: 亀吉
本編
13/58

地下書庫の鍵

 鮮やかな緑、優しい黄緑、薄黄色に赤茶色。

 様々な自然の色に囲まれた硝子張りの温室にラパンとサーヌはいた。


「サーヌさん、この植木鉢はこっちでいいですか?」

「うん。手伝ってくれて有り難う、ラパンちゃん」

 

 小さな桃色の花が点々と咲いている植木鉢を持って問いかけてきたラパンに、サーヌは銀の如雨露で他の植木達に水をやりながら笑顔で答えた。

 如雨露から注がれる水が上から射し込む日光と混ざって、きらきらと光りながら小さな虹を作っている。

 庭園の植物は全てサーヌが世話をしているということはラパンも前々から知っていたが、こうして手伝うのは始めてで、見慣れない植物達に好奇心を疼かせながらラパンは植木鉢を言われた場所に置いた。


「サーヌさんは植物が好きなんですね」

「うん、血を取りに行くよりも薔薇を眺めている方がずっと好きだよ」

 

 まるで呼吸をするようにさらりと吸血鬼らしからぬ事を話されて、少しだけ驚いたラパンは思わずサーヌの方を見る。

 しかし、何となく深く追求しようという気にはならず、ただ「そうなんですか」とだけ返して植木鉢の位置を整えた。

 そんなラパンにサーヌはそっと目を細め、何も無かったかのように再び如雨露を傾ける。

 と、ふと沢山の植物の中で目に留まる物を見つけて、思わずそれに顔を近付けた。


「……あれ?」

「どうしました?」

「いや、この植物が白くなってるみたいで……」


 難しい顔で植物の一点を見つめているサーヌの傍へ行き、ラパンも同じ所に目を向けてみる。

 そこではミントに似た葉の植物が拳大の塊となって植わっていて、その葉の先端部分が確かにレースのように白く縁取られていた。

 植物に詳しくないラパンはよく分からなかったが、サーヌにとっては異常な光景らしく、困惑した様子で首を傾げている。


「昨日までは普通だったのに……」

「病気、でしょうか?」

「かもしれない。今まで見たこと無いな……」

 

 どうしよう、とサーヌは顎に手を当てて考える。

 そして、少し考えた後、何やら思いついたらしく一つ頷いた。


「よし、調べに行こうか」

「詳しい人がいるんですか?」

「ううん、書庫に植物図鑑があるから、それを見に行こう」

「へえ……書庫、ですか」


 この屋敷に書庫があることを初めて聞いたラパンは興味の色を見せる。

 それを見越していたかのように、サーヌは微笑んで言った。


「うん、少し不思議な鍵がかかった、立派な書庫だよ」


 ***


 石壁の所々で揺らめく蝋燭の火と、先を行くサーヌが持つランタンの灯りを頼りに、ラパンは冷たい石で出来た螺旋状の階段を慎重に降りていく。

 暗い空間に二人分の足音が反響して、不気味な雰囲気を漂わせていた。


「足下、気を付けてね」

「は、はい……」


 森とはまた違った暗さに少し怯えながらもラパンはサーヌの後に続く。

 そうして転ばないように進んでいけば、暗闇の所為か随分と長かったように思える階段が終わって、突き当たりには一枚のドアが現れた。


「ほら、ラパンちゃん。鍵穴を見てごらん」


 サーヌに何処か楽しそうな声色でそう促されて、ラパンは不思議に思いながらも言われた通りに鍵穴をのぞき込んでみる。

 そして、直ぐに気が付いた。


「……え?」


 その鍵穴には黄土色の土のような物が詰まっていた。土以外にも何か混ざっているのか、ランタンの灯りに照らされて時折きらきらと細かい光が煌めいている。

 これはどういう事なのかとサーヌを見上げれば、サーヌはくすくすと笑ってドアノブに片手を掛けて回してみせた。

 しかし、ドアノブは微動だにしない。


「ね? 不思議でしょう」

「はい……でも、どうやって入るんですか?」

「ふふ、鍵にお願いするんだよ」

「え?」


 答えの予想が全くつかず、大量の疑問符を頭上に浮かべたラパンの首がこてんと傾く。

 そんなあどけないラパンの反応にサーヌはつい微笑ましさを感じながら、ドアを軽く叩いて穏やかな声を上げた。


「クレ、開けておくれ。少し調べ物がしたいんだ」


 サーヌの呼びかけが薄暗い空間に響く。

 すると、ドアの向こう側から微かな物音がした。

 かと思えば、鍵穴を頑固に塞いでいた塊があっという間に金色の粉となり、さらさらと二人の足下に零れ落ちた。


「え……!?」

「さ、ラパンちゃん」


 唐突に起きた不思議な事態に驚きを隠せない。そんなラパンにサーヌは微笑みながら、ドアを開けてそっと背中を押す。

 それにつられて思わず前を向いたラパンは目の前の光景を見て、その赤い瞳を更に見開いた。


「す、すごい……!」


 本の森。ラパンの脳内ではそんな表現が真っ先に浮かんだ。

 壁一面の本棚には隙間無く本が詰められていて、床も足の踏み場が無いくらいに本が占領している。

 唯一本が無いのは天井くらいだったが、部屋の隅の方では天井に届く程の高さで本が積み上げられていて、幾つもの本の塔が建ち並んでいた。

 幼い頃に読んだ絵本が最後に見た本であるラパンにとって、目の前に広がる本の量は目が回りそうなほどだった。


「サーヌ、その子は誰?」


 一瞬気が遠くなっていたラパンを引き戻したのは、淡々とした少年の声だった。

 ハッとして書庫の中を見回せば、本に埋もれて誰かがいるのが分かった。


「この間から屋敷に住んでいる子だよ。ラパンちゃんっていうんだ」

「ふうん……ケルトー辺りが持って帰ってきたの?」

「あはは、相変わらず察しが良いね。ラパンちゃん、紹介するよ。彼はクレ。本が大好きでいつもこの書庫に閉じこもってるんだ」


 大量の本に埋もれて座り込んでいた、ラパンよりも少し年上らしい見た目の少年はクレと呼ばれた。

 茶色がかかった赤い髪はくるくるふわふわとした癖っ毛。長い前髪に片方だけ隠れた緑の瞳が、まだ少し戸惑い気味のラパンを静かに見つめている。


「僕はゴーレムのクレ。君はラパンでいいの?」

「あ、は、はい……。宜しくお願いします」

「うん、でも僕は此処から出ないから」

「えっ?」

「僕は本があればいいんだ。だから用事が無い時は放っておいて」

 

 突き放すとまではいかずとも、見事に平坦な声色でそう言われたラパンは何と返せば良いか分からず、隣に立つサーヌを戸惑いながら見上げる。

 正解を求める視線を受けたサーヌは苦笑を浮かべると、ラパンを安心させるようによしよしとその頭を撫でた。


「クレは元々こういう子なんだ。でも悪い子じゃないから、本が読みたい時は普通に此処に来て大丈夫だよ」

「は、はい……」

「さて、本題に入ろうかな。クレ、植物で少し調べたい事があるんだけど……植物の病気が詳しく分かる本って無かったかな?」

「そんなの山のようにあるよ。種類は花? 果実? それとも薬草?」

「薬草だね」

「そう、じゃああの本かな」


  そう言ってクレは読んでいた分厚い本を脇に抱えたまま本の海をかき分けて、壁の本棚に詰まっていた一冊の本を何の迷いもなく選んで引っ張り出した。

 そして表面の埃を息でふっと軽く吹き飛ばすと、再び本の海を泳いで移動し、出入り口で待っているサーヌにその本を差し出した。

 少し年季の入ったその本の表紙には『薬草図鑑』という文字と、何種類かの薬草の絵が描かれている。

 それを受け取ったサーヌは中身を確認するように本をぱらぱらと捲った。


「……うん、これで良さそうだ。有り難う、クレ」

「別にこれくらい大した事じゃないよ。パティなんかこの間『ありったけの洋裁の本を貸してくれ!』とか言うし、ケルトーは暇だからって適当に本を漁っては片付けないで帰っちゃうし……」


 その時の光景を思い出したのか、クレは不機嫌そうに眉を寄せて、ぶつぶつと愚痴を呟きながら最初の位置に戻っていく。

 そんな彼にサーヌは笑って、受け取った本を軽く掲げてみせた。


「ふふ、お疲れ様。じゃあこれは少し借りていくよ」

「うん。じゃあね」

「お、お邪魔しました……」


 そう言って二人が書庫を出ていこうとした時には、もう既にクレは二人に見向きもせず、手元の本を開いて読書の世界に没頭していた。


 ***


「へえ、クレに会ったのか」

 

 その日の夕食にて。

 サーヌから話を聞いたケルトーは、濃厚なチーズとバターで軽くソテーしたほうれん草が入ったオムレツをもぐもぐと頬張りながら、彼にしては珍しく少し意外そうな顔をしてそう言った。


「あんな埃っぽい所は滅多に行かねえし、会わせる機会もねえかと思ってた」

「それはケルトーが本を読まないからだろう? ラパンちゃんは本好き?」

「えっと、字の読み書きが少ししか出来ないので、小さい頃に絵本を読んだことくらいしか……」

 

 不意にパティにそう尋ねられて、とうもろこしの甘さが優しいスープに口を付けていたラパンは少し恥ずかしそうに答える。

 本来なら十二歳で文字の読み書きは殆ど出来るものなのだが、小さな村で細々と暮らしていた上に、幼いうちに森へと閉じ込められていたラパンにはそういった知識が少なく、本人もその事を自覚していたからである。


(し、しまった……!)


 スープを食べる手を止めてしまったラパンは少し落ち込んでしまっていて、パティは自分の失言に気付いてさっと顔色を青くさせる。

 どうしようと涙目になって戸惑っていると、木の実入りのパンをかじっていたケルトーがさらりと言った。


「んじゃ、クレに読み書き習えばいいじゃねえか」

「……え?」

「彼奴、いっつも本読んでんだから、そんくらい出来んだろ」

「で、でも……」


 書庫で聞いた「自分は本があればいいから放っておいてくれ」という、クレの素っ気ない発言を覚えていたラパンは言葉を濁す。

 その所為で乗り気では無さそうなラパンの様子を見たケルトーは、怪訝そうに眉を寄せた。


「あ? 読み書き出来るようになりたいんじゃねえのか?」

「なりたいです、けど……クレさん、用事が無い時は放っておいてくれって言ってたので……」

「だーかーら、用事があんじゃねえか」

「え?」

「お前が読み書き習いたいっていう、ちゃんとした用事があんだろ?」


 ケルトーのその言葉にラパンは弾かれたように顔を上げる。

 赤い瞳をぱちくりと大きくさせていると、今まで静かに食事を進めていたサーヌがくすくすと笑った。


「そうだね。ケルトーの言う通りだよ、ラパンちゃん」

「サーヌさん……」

「明日、本を返しに行ってもらっていいかな? その時に聞いてごらん」

 

 サーヌの穏やかな微笑みと声色が、遠慮と躊躇いで固まってしまっていたラパンの気持ちをゆっくりと解していく。

 そうしてラパンは少し考える素振りを見せた後、小さくもしっかりした声で「……はい」と言って頷いたのだった。


 ***


 クレに読み書きを習おうと決めた翌日。

 ラパンはサーヌから受け取った本を胸に抱え、書庫のドアの前にいた。


「ク、クレさん、ラパンです。サーヌさんの代わりに本を返しに来ました……」


 緊張で声が震えて小さくなってしまったが、周囲の石壁に反響したお陰でその声が宙にかき消される事は無かった。

 ドアの向こうにいる人物の耳にも、その呼びかけはきちんと届いたらしく、昨日と同じように鍵穴から金粉がさらさらと零れ落ちていく。

 それを見届けたラパンが恐る恐るドアノブを握ってみれば、すんなりと回ってドアが開いた。


「思ったより早かったね。そこら辺に置いてくれていいよ」

「は、はい」


 書庫の中には案の定、大量の本に埋もれたクレがいた。

 クレはちらりとラパンを一瞥すると、必要な事だけを言って直ぐに手元の本に意識を向けてしまった。

 言われた通り、持ってきた本をラパンは近くの本の山に重ねておく。そして、どうやって本題を切り出そうかと思いながらクレの方を見た。


「…………」

「…………」

「……何?」

「あ、えと、あのっ、きゃあっ!」


 本に集中して自分の存在を忘れていると思っていたラパンは、不意にクレに先に声をかけられた事に驚き慌ててしまい、その拍子に体勢を崩してしまった。

 すると、大きな音と埃を立てて周囲の本の山が崩れていき、ラパンの小さな体はあっという間に本に埋もれてしまう。

 そうして舞い上がった埃が落ち着くと、ラパンがいた場所には本の山が出来上がっていて、それを見たクレは小さく溜め息をつくと腰を上げて其方へ近付き、ばさばさと雑な手付きで本を上から退かしていった。


「大丈夫?」

「な、何とか……」

「重い本が無くて良かった。あれは一種の凶器だから」

 

 クレはそんな淡々とした言い方をしながらも、目を回しているラパンの腕を引いて本の海から救出してくれた。

 そして、ラパンの髪や服についた埃を軽く払ってやり、特に怪我をしていないのを確認すると、再びのそのそとした緩慢な動きで定位置に戻っていく。

 

「……あの、っ」


 そんなクレに、ラパンは咄嗟に声をかけていた。

 くる、と振り返ったクレの翠玉の瞳が真っ直ぐにラパンを見つめ返す。

 流れる無言が言葉の続きを促していることを感じたラパンは、緊張を紛らわす為にもじもじと細い指を絡め合わせながら言った。 


「わ、私、読み書きが苦手で、でも、こんなに沢山の本を見たら、読んでみたくなって……。クレさんさえ良かったら、あの、読み書きを教えてもらえませんか……?」


 それを聞いたクレの目が僅かに見開かれる。

 が、ラパンは言い終わると同時にぎゅっと両目を瞑ってしまったので気付かない。

 身を縮こまらせてクレの返答を待つラパン。その姿を暫し無言で見つめていたクレだったが、ふうと溜息を漏らすとラパンに背を向けて読みかけていた本を手に取った。


「あ……」


 背中を向けられた事に気付いたラパンは、しょぼりと悲しげに眉尻を下げる。

 胸の奥が詰まる感覚にそっと唇を噛み締めて、一言謝ってから書庫を出ていこうと頭を下げかけた。


「……人に教えた事とか無いから、上手く教えられるか分からないけど」

「え……?」

「それでもいいなら構わないよ。読み書きくらいなら教えてあげる」

「……!!」


 クレは振り返りもせず、相変わらず本に目線を落としたままだったが、その声はどことなく優しかった。

 自分の要求を受け入れてもらえたことが分かり、曇り空のように暗かったラパンの表情はぱあっと一気に明るくなる。


「あ、ありがとうございます……!」

「好きな時においで。僕はいつでも此処にいるから」

「はい、じゃあ、これから宜しくお願いします!」

 

 余程嬉しかったのだろう、勢い良く頭を下げて書庫を出ていくラパンの後ろ姿を、クレは静かに振り返って見送る。その表情は一見すると何の色もないように思えるが、そこに冷たさは見当たらなかった。

 そして、まるで兎が飛び跳ねるように軽やかな足取りでラパンが石段を上っていくのを見届けてから、クレはまた静かに本の世界へと沈んでいったのだった。



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