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#1~5

挿絵(By みてみん)

高橋美咲が猿の交尾の話をしたのは、金曜の夜の帰り道だった。


プロジェクト完遂の打ち上げで行った飲み会の終わり際、美咲が「悠真くんと帰るから。」と幹事役の同僚に告げていたが、佐藤悠真はそれを聞いていなかったので、帰り道が一緒になっていると気付いた時は大層驚いてしまった。


繁華エリアを過ぎて人気のなくなった住宅エリアを2人して歩く。


いつも通勤はロボタクシーだったので、この街を自分の足で歩くのは初めてだったかもしれない。


ましてやこんな時間帯に徒歩で移動するヒトなど誰もいない。そんな中、2人きりになって唐突に彼女が猿の交尾について話し出したのだ。


「こないだ再度山に行ったんだけど。そこで猿が交尾してるの見ちゃってさ。」


店を出てから自分についてくる美咲にドギマギを悟られないようにするのに必死だった悠真は、美咲の話すそんな内容に思わず咳き込んでしまった。


「オスがすっごく発情してて。めちゃハッスル。一瞬で終わったけど。あたしもうびっくりしちゃって。だってあんなことあんなタイミングで見るなんて。でしょ?」


「う、うん。生態系はだいぶ回復してきたって話だからね。」


「でね。その時思ったの。ヒトって、猿見ても全然興奮しないじゃない。猿だってそうだと思うけど。なんで同種の間だけであんな反応になるんだろうって。


ぶっちゃけあたしからしたら猿なんてオスとメスの区別もつかないもんね。だけど猿同士はあんなにハッスルするわけだから。


ううん。猿だけじゃなくって。魚でも。虫でも。同じ種類同士は自動的に惹き合う。


まあそれを『本能』って言うんだろうけど……。不思議じゃない?本能。」


悠真は面食らっていたが努めて顔には出さないようにした。


「そ、そうだね……。」


このヒトは本当に変わっている。


入社以来、悠真は美咲を意識しまくっていた。が。とにかくこの気持ちだけはバレませんようにと、素知らぬフリを貫き通していた。


「俺もそんな詳しいわけじゃないけど、進化の過程でそういうシステムというかメカニズムというか?より良い遺伝子を残すための生存戦略が構築されたって話は聞いたことがあるよ。」


つっかえながらも悠真は冷静さを装って答えた。


「すごいよね生存戦略。お花とか蜂に花粉を運んでもらって受粉するんでしょ?誰が思いついたの?」


「誰って!」


「自然にそうなったって言うにはあまりにも凄すぎない?鮭が川を登って産卵するとか。カッコウの雛が他の鳥の卵を巣から落とすとか。


本能って何?やばくない?そのスキーム誰が組んだの?」


「いやそれは途方もなく長い年月の積み重ねの結果であって……。」


「学校とかで教えてくれないんだよ?どうやって学ぶの?」


「だから……本能?」


「本能?」


「本能。」


「本能。」


え。待って。これ何の話?何が聞きたいの?


悠真がいよいよ取り繕いに限界を感じてきたぞと思った瞬間「悠真くんってさ、こういう話、嫌じゃないのね。」


不意に美咲が覗き込むようにして聞いてきた。


「嫌じゃないけど……なんで俺に?」


一応俺、男なんですけど……。


美咲は少し考えるような素振りで間を置いた。


「なんとなく。悠真くんなら、ちゃんと考えてくれそうかなと思って。」


それだけ言って、彼女はまた前を向いた。


街灯の光が、その横顔を妙にはっきり照らしていた。


********************************************


家に帰ると玄関が悠真を認証し「お帰りなさい悠真さん。」と声をかけてから解錠した。


部屋に入ると照明が自動で柔らかく灯る。


悠真は上着を着たままベッドに倒れ込み、長いため息を吐いた。


「俺って絶対、異性として見られてないよな……。」


悠真は耳たぶを引っ張ってAIエージェント『アイビック』を呼び出した。


軽やかな起動音と共に網膜に投影された白猫が部屋の中に現れた。


「お帰り悠真。気疲れしてるみたいですね。」


いつも通り前足で毛繕いしながらアイビックが質問した。


「美咲さんに猿の交尾の話をされた。あり得ないよ。なんか胸のあたりが疼くんだ。痛いような、苦しいような。」


「聞いてました。その感覚は彼女が一緒に歩いてる時からありましたね。」


「そうなんだ。彼女がついてきてるのが分かって、話し出して、声を聞いて、顔を見て、話の内容が入ってきて。」


「つまり、彼女から特殊な入力があった。」


「……まあ、そうなるか。」


「そしてその処理に時間がかかっている。今あなたが感じているのは、その処理の長さに対する重さみたいなものですね。」


「コンピュータみたいな言い方。」


「仕組みとしては似たようなもんです。」


アイビックはベッドに上がり悠真の枕元で横になった。


「あんな話をするだなんて、俺ってそんなに男っぽくないのかなあ。」


「それだけ親密に思っているということじゃないですか?」


「いや〜ど〜かな〜。猿の交尾だよ?女子が男子にそんなあけすけな話する?完全に脈なしでしょ。でなきゃリサーチクエスチョンだよ。仕事の延長線上ってヤツ。」


悠真は自虐的に笑った。


アイビックはまた毛繕いをしてから答えた。


「悠真に対する美咲さんの想いはきっと親密なものだと思いますよ。ただ。」


「ただ?」


「仰るように今回の話題は恋愛とは無関係の、純粋な『質問』だったのかもしれませんね。」


「質問?」


「美咲さんは猿が興奮している姿を見たわけですが、美咲さんは猿を見ても興奮しなかった。何故ですか?」


「そりゃ猿じゃないからだよ。」


「では美咲さんは何ですか?」


「ヒトに決まってるだろ!」


「その通り。ヒトの脳には『同種認識』という強力な自動操縦システムが初期設定として備わっています。


同種認識、性的刷り込み、生殖隔離……進化は無駄なエネルギーを費やさないよう、

『自分の種だけに反応する』という強固な仕組みをヒトに埋め込みました。


性的興奮は無意識のうちに『自分の種か?』というフィルターを通されます。


猿は明らかに別種なので、反応しない。


別種に対して無駄なコストがかからないようにフィルターが選別しているのです。


これは進化が長い時間をかけて書き込んだ識別システムなんです。」


「やめてよ。なんか仕事を思い出しちゃうよ。」


「それでは感じ方のテンプレートと言い換えましょうか。


種として何億年もかけて蓄積されてきた独自のテンプレートがあって、みんなそれに従って生きている。」


「それがつまり本能ってヤツだろ?」


「そうです。ただ、種ごとのテンプレートがあっても実装は個体ごとに違う。


例えば『赤』と言ったら悠真は何を連想しますか?」


「んん?……リンゴとか、夕日とか、ああ、血液だな。」


「そうですね。しかし生まれつき目の不自由なヒトは、赤をトランペットの音や夏のアスファルトの熱さとして理解することがあるそうです。」


悠真は起き上がった。


「個性か!」


「そうです。あなたが美咲さんに感じていることも、あなたなりの実装です。他の誰とも完全には一致しない。個性です。


そして、美咲さんはあなたに対して個性的な質問をした。


どうです?これなら納得できませんか?」


悠真は仰向けに寝転がった。


「納得した。ありがとうアイビック。おやすみ。」


そう言って自分の耳たぶを引っ張る。


「どういたしまして。おやすみなさい悠真。」という声と共にアイビックが消え、部屋の明かりが消え、悠真は眠りに落ちた。


********************************************


悠真は夢を見ていた。


真っ暗闇の中、たった1人で途方に暮れていた。


退屈。困惑。閉塞。空虚。


矢も盾もたまらず悠真は『命』を作り始めた。


寂しさを紛らわせるためだった。


『命』は初め脊髄反射でしか反応を示さない存在だった。


悠真は不満を感じ、新たに複数の入力方式を『命』に加えた。


すると『命』は目と耳と鼻と口と触手を獲得した。


5種類の異なる情報を同時に取得できるようになった『命』はしばしばパニックを起こすようになった。


悠真は異なる情報が統合できるように『命』に脳を搭載した。


統合作業は上手くいったようで『命』がパニックを起こすことはなくなった。


ただし悠真の寂しさを紛らわせる存在にはならなかった。


悠真の手を離れて独自の進化を始めたのだ。


五感で得た異なる情報を脳で統合した『命』はそこから『物語』を生み出した。


『物語』は『世界』を生み出した。


『世界』は『宇宙』を生み出した。


『宇宙』は『次元』を生み出した。


悠真はそこから弾き出されてしまった。


再度悠真は真っ暗闇の中、たった1人で途方に暮れていた。


退屈。困惑。閉塞。空虚。


寂しさに押しつぶされそうになる。


また一からやり直し?


今度は悠真がパニックになる番だった。


********************************************


バイタルデータの警報音が頭の中で鳴り響いている。


目が覚めた悠真は慌てて手首を握る。


警報音が止まる。19秒以内に止めないと救急ドローンが飛んでくる。そうなったら『バグ認定』だ。


バイタルデータが正常値を示していることを1分近く確認してから悠真は起き上がった。


網膜投影で映し出された時間は午前5時半。


出社にはまだまだ余裕があったが二度寝する気にはならず、ため息混じりに悠真は朝の支度を始めた。


********************************************


「個性的な発想が電気代を高くしている原因だということがぁ政府の公式発表となっています。


我が社としてもぉこの声明には異論はございません。


振り返ってみれば二度の大戦を経てぇ、一時期は絶滅の危機に瀕していた生態系も回復の兆しにあると、これもまた政府の公式発表にぃございます。


これはつまりとりも直さず我々ヒトが一丸となってぇ復興に尽力してきた賜物なのでぇあります。


よってゼロポイントエナジーの分散プロジェクトは一旦白紙としぃ、本日より政府主体の発電一元化にぃ、官民一体となってぇ、我が社もぉ、舵を切ることと致します。」


山田事業部長の緊急会議は悠真の所属する分散プロジェクト課を騒然とさせた。


つい先日、ゼロポイントエナジーの分散化が完了し、1箇所が壊れたら全てが止まるというリスクを払拭できたばかりだったからだ。


鈴木課長は完全にフリーズしていた。


固まった課長を再起動させようと何人かが取り囲んでいる。


「な?佐藤。分散化が完遂した途端にこれだよ。これもう罠だね。俺たちは罠に嵌められたんだよ。一元化推進派に。」


隣のデスクから同僚の大友三郎が耳打ちしてきた。


「え?何?」


ギョッとして聞き返す悠真。


「だから。事業部長だよ。ヒトの効率化を掲げて与党に提言しまくってたろ?『ムリムダムラはヒトの敵っ!』つって。こっちの予算が尽きるのを待ってたんだよ。まあ本部長と事業部長なんて二重の役職を作った時点でこのトラブルは避けられないと俺は思ってたけどね。」ヒソヒソ声で一気に捲し立てる大友。


「そ、そうなんだ……で?佐々木本部長は?」


「知らねー。旗色が悪くなることが分かってどっかに雲隠れってとこじゃねーの?そんで俺たちに責任を押し付けてほとぼりが冷めた頃に帰ってくる。ま、俺には分かってたことだけどね。」


分かってたんなら先に言っとけよと内心ツッコミながら、悠真はこの先の自分の身の振り方を考えなければならないなということも並列で考えていた。


近頃のフリーエネルギーはほぼゼロポイントエナジーが賄っており、ヒトはもはや働く必要がないレベルにまで達していた。


悠真の勤める『日本製電株式会社』も実質お飾りにすぎない。


しかし『人間』は何かしら『すること』がないと碌なことをしない。


それは2度のAI大戦という歴史が証明していた。


だから『バグ認定』というペナルティ制度を設けてヒトの抑制を図っていた。


しかしそれもフリーエネルギーの普及とともにお題目になりつつある。


そこで政府はある程度の労働をヒトに残す政策を取り始めたのだ。


それが『r/k選択戦略』。


量と質。


フリーエネルギーの取り扱いをふた通り用意して、どちらが優れているかを世界中で吟味する。


2派に分かれてヒトは日々、労働に勤しみ始めた。


派閥の対立は起こらなかった。


『バグ認定』の抑制が効いているからだ。


ヒトは皆、穏やかに、協調して、摩擦を起こすことなく、それぞれの立場を尊重して、与えられた職務を粛々とこなしていた。


悠真もその1人である。


日々を、粛々と、真面目に生きる、模範的ヒト。


それもこれも安定した地盤があってのこと。


少なくとも『バグ認定』でこの人生を終わらせたくはない。


長々とした妄想に悠真はぼんやりと不安を感じて、それからバイタルデータに影響が出ないよう慌てて冷静さを取り戻した。


********************************************

トコヨアスタリスクと申します。

SFです。思いついたので勢いで書きました。

「ネット小説は初速が命。」という死んだ婆さまの家訓に従い、五話までいっぺんに上げましたが、これ以降は一話ずついきます。

お時間ございましたらお付き合いくださいm(_ _)m

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