4章
官邸に集まる情報は、いつも整理されている。整理されているということは、裏を返せば、**整理できない部分が最初から見えない**ということでもある。三浦は、そのことを、会議室に座るたびに強く感じていた。
「では、国内外の関連情報について」
副長官補が議題を淡々と進める。
「まず、厚労省から」
厚生労働省の課長補佐が資料をめくった。
「国内の医療機関から、暴力行為を伴う患者対応についての照会が増えています。ただし、症状や経過にはばらつきがあり、共通の疾患像として整理できる段階にはありません」
三浦は、その言い回しに引っかかった。整理できないのではなく、**整理できる段階に情報が揃っていない**というのだ。
「感染症の可能性は」
副長官補が形式的に尋ねる。
「現時点で、特定の感染症を示唆する情報は把握していません」
課長補佐の声には断定がない。否定ではなく、**情報不足**を正直に伝えている。
「否定できる、という意味ですか」
三浦がさらに確認する。
「ええ。症例数も情報も断片的で、評価する材料がまだ十分に揃っていません」
逃げているわけではない。単に、像を結ぶ材料がないのだ。
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「海外の件は」
副長官補が次の議題に移す。
「外務省から説明します」
中東アフリカ局の担当者が口を開いた。
「一部地域で医療施設が機能低下しています。原因は治安悪化や医療従事者の離脱など、複合的です」
「感染症の兆候は?」
「現地当局からは、現時点で確認されていません」
“現時点で”。
その言葉が、ここ最近増えている。
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警察庁の担当者も加わる。
「国内事案は引き続き単独事案として処理可能です。関連性を示す明確な要素は確認されていません」
三浦は資料を見下ろしたまま聞いていた。
確認されていない、とは、**まだ分かっていない**という意味だ。
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「つまり」
副長官補が結論をまとめる。
「どの省庁も、現行の枠組みを超える判断材料は持っていないという理解でよろしいですね」
異論は出ない。否定できるほどの材料を、誰も持っていない。
「では、引き続き情報収集を」
それだけで、議題は終わった。
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会議後、三浦は自席で厚労省資料を読み返していた。症状は似ている。だが症例は点でしか存在せず、線にならない。
「見えていないだけだ」
小さく呟く。逃げているわけではない。誰も、全体像を把握できていないのだ。
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夜、三浦はテレビの海外ニュースを眺める。画面にはアフリカの病院の映像。患者なのか、付き添いなのか判別できない人々が、入口付近で揉み合っている。
*当局は複合的な要因が重なった結果との見方を示しています*
複数の要因。
像を結ばなくて済む便利な言葉だ。
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翌朝、官邸に届いた追加情報を三浦は立ったまま読む。
*国内医療機関より、原因不明の興奮状態を示す患者対応について、再度照会あり。既往歴なし。*
原因不明。
しかし同じ表現は、既に何度も見ている。
三浦は初めて、はっきりと気づいた。
**これは誰かが隠しているわけではない。
誰も全体を見切れていないだけだ。**
官邸は今日も静かだ。
厚労省も、警察も、外務省も、できる範囲で対応している。
だが事態は、確実に、理解の外側へ進み始めていた。




