30話 機密文書
――以下は、内閣感染症危機管理統括庁が、年末年始にかけてまとめた、症候群に関する総合的知見の記録、及び、関連する報道記録の抜粋である――
【内閣感染症危機管理統括庁】壊死性攻撃行動症候群に関する総合的知見(2026年12月末時点)
一、病原体
原因物質は、暫定名称「X因子」として扱われている。既知のリッサウイルス属(狂犬病ウイルスを含む)と一部の遺伝的類似性が確認されているが、既知のいかなる株とも一致しない。分離・特定には至っていない。
二、感染経路
咬傷、及び、血液・唾液等の体液の、粘膜または創傷部への接触によって感染する。空気感染、飛沫感染は、現時点で確認されていない。
三、潜伏期間
最短で数時間、最長で確認されている例は十四日。潜伏期間中は、通常の意識・理性が保たれる。潜伏期間の長さと、感染時の体液量、個体差との相関は、いまだ特定されていない。
四、発症時の症状
突発的な意識障害、及び、他者への攻撃行動として発現する。発症は、多くの場合、数十秒から数分以内に、急激に進行する。
五、発症後の経過
発症後、意識・理性・意思疎通能力は、完全かつ不可逆的に失われる。回復例は、国内外を通じて、一例も確認されていない。
六、生命予後
発症者本人が、症候群そのものによって死亡した例は、確認されていない。心拍・呼吸等の生命活動は、適切な水分・栄養管理のもとで、長期にわたり維持されることが確認されている。
七、薬理学的介入
鎮静剤を含む、あらゆる薬理学的介入は、有効性が確認されていない。抑制手段は、物理的拘束に限られる。
八、攻撃行動の性質
発症者は、人間の存在を認識すると、例外なく、攻撃行動に転じる。この反応に、鎮静・休止の状態は確認されていない。
九、被害の実態
発症者本人による、他者への攻撃によって、国内で417名の死亡が確認されている(2026年12月31日時点)。これは、発症者自身の死亡例とは、明確に区別される。
十、治療法・ワクチンの研究状況
現時点で、確立された治療法、ワクチンは存在しない。国際的な研究協力の枠組みのもと、病原体の分離・特定作業が進められているが、実用化の見通しは、いまだ立っていない。
十一、収容体制
発症者本人が死亡しないという特性上、収容は長期化・恒久化の傾向にある。既存の医療機関の病床のみでは対応しきれず、長期収容を目的とした専用施設の整備が、優先課題として進められている。
以上
【対策室】主な経過年表(2026年3月〜12月)
時期出来事
3月17日ナミビア共和国にて第一報の事案発生
4月南アフリカ共和国、ボツワナ共和国へ拡大
6月現地専門家より「狂犬病の亜種」との見解
7月国内初の帰国者症例
8月国内二例目(医療従事者)確認
9月国内世論の関心が急速に高まる
10月30日総理会見、事態公表
11月症候群の正式名称「壊死性攻撃行動症候群」内定(非公表)
12月1日通勤電車・国際便での発症事案、緊急事態宣言相当の措置
12月5日総理による国民向け説明(自粛要請)
12月10日WHO、PHEIC宣言
12月16日国内症例、一万件突破
12月31日国内累計症例1万2,300件、死者417名
【内閣府世論調査・分析】症候群に関する国民意識の推移
四月時点では、症候群への「強い不安を感じる」と回答した割合は、わずか三パーセントに留まっていた。これは、当時、事案がまだ遠い海外の出来事として認識されていたことを反映している。六月には八パーセントまで緩やかに上昇するが、いずれも、既存の社会不安調査の枠内で参考的に計測された値に過ぎず、症候群を対象とした独立調査は、まだ実施されていなかった。
国内での症例確認が相次いだ八月以降、数値は急激な上昇を見せる。八月には二二パーセント、九月には三八パーセントへと、不安を訴える声は倍増していった。ただし、この時点での「不安」の内実は、対策室が把握している事実——発症後の意識・理性の完全かつ不可逆的な喪失、そして、症候群そのものによる死亡例が一件も存在しないという、終わりのない予後——とは、大きくかけ離れたものだった。多くの国民は、この現象を、あくまで、既存の感染症の延長線上にあるものとして理解していた。重篤な後遺症を伴う、しかし、いずれは治療法が確立され、収束するかもしれない、未知の感染症。そうした、これまでの疫病の記憶に沿った不安が、世論の大勢を占めていた。目の前の人間が、二度と人間に戻らないまま、しかし死にもせず、半永久的に「そのまま」であり続けるという、この症候群固有の恐ろしさを、正確に理解している国民は、この時点では、ごくわずかだったとみられる。
十月三十日の総理会見以降、不安の水準は、六一パーセントへと跳ね上がる。十一月には七四パーセント、十二月には九一パーセントに達し、もはや、国民のほとんどが、何らかの強い不安を抱えている状態になっていた。この急上昇を後押ししたのは、政府からの公式な情報だけではなかった。現場を直接目撃したという市民の証言が、日を追うごとに増え、かつては「フェイク動画」として一笑に付されていた現地の映像に、次第に、拭いがたい信憑性が与えられていった。証言が証言を呼び、映像が映像を裏付ける——そうした積み重ねが、懐疑論を、静かに、しかし確実に、押し流していった。
「外出を控えている」との回答も、同じ軌跡を辿った。四月の二パーセントから、十二月には八六パーセントにまで達している。これは、新型コロナウイルス流行時の自粛の広がりと、よく似た曲線を描いていた。ただし、あの時と同様、人の往来を完全に止めることは、この国では、ついにできなかった。通勤、通学、生活のための最低限の外出——それらを、要請だけで、完全にゼロにすることは、現実的に不可能だった。結果として、自粛は、感染拡大の速度を緩めることはできても、これを完全に抑え込むことは、最後までできなかった。
なお、政府対応を「評価する」との回答は、この間、一貫して二割前後で推移した。国民の不安がどれほど高まっても、政府への評価が、それに比例して上向くことはなかった。この事実もまた、この一年の記録の、重要な一部として、ここに残しておく。




