1話
官邸で開かれる会議の多くは、危機対応というよりも「確認」に近い。何かが起きていることは分かっているが、それが今ここで扱うべき事態かどうかを仕分けるための場だ。三浦 恒一が会議室に入ったとき、机の上に置かれていた資料の表紙には、どれも同じように「参考情報」と印字されていた。
三浦は内閣官房事態対処・危機管理担当参事官だった。現場を持たず、決裁権もない。各省庁から上がってくる断片的な情報を集め、官邸としての整理案を作るのが役目だ。危機管理と名はついているが、彼が扱うのはたいてい、まだ危機と呼ばれない段階の話だった。
「では、外務省からお願いします」
三浦がそう言うと、外務省中東アフリカ局アフリカ部アフリカ第一課長が資料を開いた。
「在外公館からの報告です。アフリカ地域で、医療施設周辺を中心とした治安トラブルが複数発生しています」
「暴動ですか」
内閣官房副長官補が確認する。
「いえ。いずれも局地的な事案です。患者、あるいはその周囲の者が興奮状態となり、医療従事者に危害を加えたケースです」
「背景は」
「現地当局は、新規薬物の流通、または精神疾患による錯乱の可能性を示しています」
三浦は資料に目を落とした。記述は簡潔で、どこにも断定はない。薬物、精神疾患。官邸では、それだけで十分に説明がつく。
「警察庁としては」
警察庁警備局の担当者が引き取る。
「外務省ルートの情報と照合していますが、組織的な動きは確認されていません。テロや武装勢力との関連も否定的です」
「国内への影響は」
副長官補が聞く。
「現時点では確認されていません」
その一言で、この話の重さは決まる。国内に影響がなければ、官邸として急ぐ理由はない。
「厚労省は」
「医療体制や疾病の観点から、特異な事象は確認されていません」
厚生労働省の担当者が答える。
「治安悪化に伴う医療現場の混乱、という整理で問題ないと考えています」
誰も異を唱えない。むしろ、話が早く終わることに安堵しているようにも見えた。
「では」
三浦が言う。
「海外事案は、治安混乱。国内への直接的影響は現時点ではなし、で整理します」
それで、この会議は終わった。決定というほどのものでもない。ただ、今は扱わないという確認だ。
会議室を出た三浦は、廊下を歩きながら、先ほどの言葉を頭の中で反芻していた。アフリカ。医療施設。興奮状態。どれも遠い話だ。日本の日常とは、まだ線が引けている。
その日の午後、内閣官房の共有システムに一通の情報が流れた。発信元は警察庁。件名はいつもと同じ、「参考情報」。
地方都市の病院で、患者が突然暴れ、複数人で制止。薬物使用の可能性あり。
三浦は画面を一瞥し、そのままフォルダに移した。国内の治安事案だ。海外とは、関係がない。
翌日も、似た文面が届いた。
さらにその翌日にも。
表現は違うが、内容はよく似ている。
暴れる。押さえが効かない。原因は特定できない。
三浦はそれらをまとめて処理した。官邸では、こうした情報は珍しくない。単体で見れば、どれも説明がつく。
まだ、日本には何も起きていない。
少なくとも、そう整理できているうちは。




