第4章 弱き王【3】
寝室に戻ると、リベルは躊躇わずに頭から布団に飛び込む。心地の良い枕に顔を埋めると、一日の疲労が一気に体に圧し掛かるようだった。
「疲れた……」
「お疲れ様でございます」
イーリスが寝間着の用意をしながら小さく、くすりと笑う。リベルもイーリスの前では取り繕う必要はなかった。イーリスは私的な侍女。王の冠を被り続ける必要はないのだ。
「頭を使うことが多すぎてへとへとだよ……」
「城での暮らしには慣れられましたか?」
「慣れてはきたけど……この先、何年も暮らすってところはまだ実感はないかな」
王宮はどこもかしこも豪華だ。華美なものではなく、王城としては質素なのだろうが、リベルにとっては華美なものだ。リベルの村は片田舎だし、紫音の部屋は庶民も庶民のアパート。寝室だけでも、これまでの家とは質がまったく違った。
「王になられたばかりですから。仕事に慣れてくれば、きっと慣れますわ」
「そうかな……」
「はい。ですが、無理はなさらないでくださいね。何かあれば、なんなりとお申し付けください」
「うん。ありがとう」
先日の暴徒騒ぎもあったが、大した実力もない若輩者が王位に就いたことをよく思わない者が王宮内にもいるはずだ。これから王としての任務をこなすことで信用を勝ち取らなければならない。リベルにはそれがわかっているが、それと頭の中は別である。
「でも、王として休んでばかりはいられないよね」
「少しくらい大丈夫ですわ。難しく考える必要はありません」
イーリスは優しく微笑む。リベルは側近に恵まれているとしみじみ思う。リベルが王位に就いてから、仕事は溜まる一方だ。それでも誰もリベルを責めない。それがリベルにとって心底からありがたかった。
「お茶をご用意しましょうか?」
「湯浴みして寝たい……」
「承知いたしました」
イーリスが頷いたとき、部屋のドアがノックされた。嫌な予感に顔をしかめるリベルに対し、イーリスは笑みを深めてドアを開く。リベルの予想通り、部屋を訪れるのはキングだった。
「キング、ごきげんよう」
「やあ、イーリス」
「お茶の用意をして参ります」
微笑ましく部屋を出るイーリスとは対照的に、リベルは重い溜め息を落とす。そんな憂鬱な表情には構わず、キングはリベルを抱き上げた。そのままソファに腰を下ろし、リベルを膝の上に乗せる。
「寝室まで来るのはやめてくださいよ」
「寝室でなければお前を堂々と愛でられないだろう?」
キングの指が頬を撫でるのに合わせ、リベルは顔が暑くなる。リベルはこの時間が苦手だった。
「私の可愛いリベル。何か考え事をしていることが多いようだ」
キングの真紅の瞳が真っ直ぐにリベルを見つめる。こうなってしまえば、リベルに逃げる術はない。せめてもの抵抗にと、リベルは目を逸らした。
「王になったのだから当然です。考えなければならないことは多いですから」
「それ以外に何か気になることがあるんじゃないか?」
さすが先代魔王は鋭い。リベルが仕事の合間に考え事をしてしまっていることは、キングでなくても明らかだろう。しかし、それについてミラ以外に打ち明けるわけにはいかない。
「お前の頭の中が覗けたらいいのにな」
もしキングがリベルの頭の中を覗くことができれば、リベルが転生者であることのみならず、この国に厄災をもたらず大魔王となることを知られてしまう。キングならそれを止められるのかもしれないが、リベルがリベルでない魂を有していることに落胆してしまうかもしれない。そう思うと、口を噤むほかなかった。
「いまは何を考えているんだ?」
「……何も考えてません」
「こんなに近くにいるのに、私のことを考えてくれないのか?」
キングの顔が間近に迫るので、リベルは思わず言葉に詰まる。そんなリベルですら愛おしむように目を細め、触れるだけのキスをする。リベルは身動きが取れない中、心臓が一生のうちに打てる心拍は決まっているらしい、ということを考えていた。自分は早死にするのかもしれない、と。
(キングはきっと、小さい僕を可愛いと思って揶揄ってるだけだ)
そう思ってみても、あまり効果はない。それから、前回の大魔王レクスのときは人魔抗争の時点でキングは討伐されていた、と考える。前回のレクスがこの世界を破滅へ導いたとき、キングはすでにいなかったのだ。そのため、誰もレクスを止める者はいなかった。止めることができなかったのだ。
「私の可愛いリベル。何か不安なことがあるんじゃないか?」
優しく頬を撫でるキングに、リベルは俯く。キングはこの世界が破滅の危機にあることを知らない。その不安要素を打ち明けることができないのは、なんとなく察しがついているのだろう。
「ミラには話せるのに、私には話せないのか?」
「いや……。どうしてそんなにミラと張り合うんですか?」
話題を変えよう、と思い立って言うリベルに、キングは軽く肩をすくめた。
「ミラのほうがお前をよく理解しているようだからね。その役目は私であるべきだよ」
「ミラは昔馴染みというだけです。出会った順ですよ」
「ふうん」
キングが目を細めるので、リベルはまた嫌な予感に襲われる。キングは軽々とリベルの体を抱え上げると、そのままベッドに押し付けた。腹黒さをはらんだ笑みに、リベルは体を強張らせる。
「それなら、その時間を埋めるしかないな。回路同調は案外、簡単にできるものなんだよ」
頬を撫でるキングの指の感触が先ほどとは違うことは明らかで、それがさらにリベルの心拍を上げる。リベルは目元を手で隠した。
「困ります……。僕には何もできません」
キングは小さくくすりと笑うと、リベルの体を引き起こす。ベッドに腰を下ろし、またリベルを膝に抱えた。
「冗談だよ」
射貫くような瞳に耐えられず、リベルは俯く。そんな表情も愛おしむように、キングは優しく頬を撫でる。
「お前を無理やり私のものにするつもりはない。そうするのは簡単だがね」
きっとそれはその通りなのだろうと思うと、リベルはまた顔が熱くなった。リベルではキングに敵いようがない。それをしないのも、キングの愛のひとつなのだ。
キングはまた優しく唇を重ねる。その瞳は慈愛に満ちていた。
「愛しているよ。私の可愛いリベル」
もしこれがキングの心からの言葉だとしたら、とリベルは考える。自分にはどうしたって応えることができない。なぜなら、リベルはこの世界を破滅に導く大魔王だからだ。そう考えると、胸が締め付けられる。神の介入があるとしても、自分がそうならないという確証はない。そうなったとき、キングは勇者軍とともにリベルを討伐しなければならない。もし自分が厄災の大魔王となれば、彼らと敵対することになるのだ。そうであれば、リベルにはキングの心に応えることはできないだろう。
「リベル」
キングの指がリベルの顎に添えられ、俯いていたリベルの視線を掬うように目を細める。
「いまは私のことだけを考えていてくれ」
それはそれで、とリベルはまた心拍が跳ねた。すぐにでもこの場から逃げ出してしまいたい。自分の心臓はもつのだろうか。リベルは身動きすら取れなくなっていた。




