第十四話 : 幕間六 : いつもの放課後を
幕間も、これが最後となります。
航と恵理が並んで校門を出て行くのを見送った後。
放課後の昇降口で、スパイクの入った袋を肩に引っ掛けた鈴村と、きっちり
と鞄を両手で持った長谷川の視線が、偶然にも交差した。
二人は示し合わせたわけでもないのに、ゆっくりと歩み寄り、航たちが消え
ていった夕暮れの通学路へと同じように目を向けた。
「……行かせたのね」
「そっちもな」
長谷川の静かな問いに、鈴村は短く答えた。
彼らは知っている。
航と恵理が、自分たちには手の届かない、理屈の通じない『何か』に立ち向
かおうとしていることを。
あの歪んだ不気味な空間の記憶は、今でも鈴村と長谷川、それぞれの脳裏に
こびりついている。
「俺たちが首を突っ込んだところで、どうにかなる問題じゃねぇし。……むし
ろ、邪魔になるだけだろうしな」
鈴村は、そう言って笑った。
陸上部のエースとして誰より速くトラックを駆け抜け、キャンバスに向かえ
ば誰もが驚くような絵を描ける。そんな才能に恵まれた彼でさえ、航が抱えて
いる心の底には手が届かなかった。
自分にできることは何かないのかと、無力感に苛まれた夜もあった。
だが、鈴村は自分の中でひとつの答えを出していた。
「俺はトラックを走るだけだ。ただ、あいつがいつか自分の足で走り出した時に、
背中くらいは見せつけてやりたいからな」
その言葉に、長谷川は眼鏡を中指でそっと押し上げ、ふっと口元を緩めた。
彼女もまた、葛藤の果てにここに立っている。
不条理な世界に引きずり込まれそうになる恵理を、力尽くで引き留めるべき
かどうか迷った。あの危うい少女から、目を離すのが怖かった。
けれど、恵理の強い決意を感じた時、長谷川は迷うのをやめた。
「腹立たしいけれど、私はあの二人の抱える重さの半分も理解してあげられな
い。……けれど、だからといって他人の顔をするつもりもないの」
「当然だ。あいつらがどんな顔して帰ってきても、明日になれば俺は『ノート
見せろ』って言うし」
「ええ。私は恵理に、『借りた本は期日通りに返すのよ』と正論を言うだけよ。…
…それが、私の役目だから」
彼らが選んだのは、共に泥沼に沈むことでも、無理矢理に扉をこじ開けるこ
とでもない。
航と恵理がどんな結末を迎えたとしても、いつでも迷わず戻ってこられるよ
うに、決して揺るがない「ありふれた日常」であり続けることだった。
「……ま、とりあえず信じて待つさ」
鈴村は軽く手を上げると、グラウンドの方へと踵を返した。
長谷川もまた静かに頷き、新田のいる図書室へと歩き出す。
彼らの背中はどこまでも真っ直ぐで、現実という世界に力強く根を下ろして
いた
◆
西日が差し込む静かな図書室で、新田葵はひとり、返却された本の仕分けを
していた。
カラララ、と引き戸が開く音がして顔を上げると、廊下に出ていた長谷川が
戻ってきたところだった。
まあそれは口実で、実際は恵理の背中を見送りに行っていたのだろう。
それなりに長谷川のことを知るようになってくると、葵でもそれくらいはわ
かるようになった。
「……見送ってきたの、長谷川さん?」
「ええ。宮瀬くんと新城さん……二人で、一緒に行ったわ」
長谷川の短い言葉だけで、葵にはすべてが伝わった。
彼女の眼鏡の奥の瞳には、先ほどまでの迷いはなく、どこか吹っ切れたよう
な穏やかな光が宿っている。
あの日、図書室で突然立ちくらみを起こしたと言った長谷川の冷たい手と、
涙を溜めて「ごめんなさい」としか言えなかった恵理の震える声。
二人が自分たちには見えない何かに傷つき、苦しんでいることを、葵は察し
ていた。
以前の自分なら、何もできない無力さに落ち込み、ただオロオロと後を追う
ことしかできなかったかもしれない。
助けられてばかりで、大切な友達が一番辛い時に何も力になってあげられな
い自分が歯がゆくて、たまらなかったはずだ。
(でも……今のわたしにできることは、追いかけることじゃない)
葵は、窓の外へ視線を向ける。
赤く染まるグラウンドの向こう、壊されつつある団地の影が伸びる街並みが
広がる。
恵理と航は今、あの夕闇のどこかで、二人だけの戦いに挑もうとしている。
どれほど突拍子のない秘密であっても、問い詰めるつもりはなかった。
理由なんて聞かなくてもいい。
葵にとって一番大切なのは、新城恵理という女の子が、宮瀬航という男の子
が、自分にとってかけがえのない大切な友人であるという事実だけだったか
ら。
「新田さん?」
「……うん。あのね、長谷川さん」
葵は振り返り、カウンター越しに長谷川へやわらかな笑みを向けた。
「恵理ちゃんが戻ってきたら、新しく入った外国のファンタジー本、一番に薦
めてあげるんだ。あの子、きっと夢中になると思うの」
「……そうね。あの子、一度本を読み始めると時間を忘れるから、貸出期限は
厳しく言っておくわ」
長谷川も、ふっと小さく口元を緩めた。
自分に特別な力はない。異界の影を払うことも、崩れゆく世界を止めること
もできない。
けれど、彼らが傷つき、疲れ果てて現実へ戻ってきた時、変わらない笑顔で
「おかえり」と言ってあげることはできる。
あたたかいお茶を用意して、くだらない本の話をして、ここは安心して息を
つける場所なのだと、示し続けることはできる。
(だから、絶対に帰ってきてね。恵理ちゃん、宮瀬くん)
葵は胸の前でそっと両手を握りしめ、沈みゆく夕日に祈りを込めた。
残り、二話となりました。
ここまでお付き合い下さり、ありがとうございます。
次話で決着となるのですが、上手くまとまらないでいます。
そのため、次のお話は明後日ではなく、四日後に投稿いたします。
申し訳ありません。
できればその次の日には最終話を投稿して、このお話を終える予定でいます。




