↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/13

第一話 : 迷い込んだ、あおぞら

初めて投稿致します。

今までは読んでばかりでしたが、自分の読みたい現代奇譚を思い切って書き出してみたところ、それなりにまとまりのある文章ができましたので、推敲に推敲を重ねて、思い切って投稿してみることにしました。

人により好みはあると思いますが、自分の高校生時代のことを思い出しながら話を綴って見ましたので、完結までお付き合い願えれば幸いです。

 宮瀬航(みやせわたる)は、この団地が好きだった。

 住んだことは一度もないのに、気づけば足が向かってしまうほどに。


 航たちが通う高校と最寄り駅を結ぶルートから外れ、わざわざ遠回りをしな

ければならない場所にあるその巨大な居住区は、『武山団地(たけやまだんち)』と呼ばれてい

る。

 建設からすでに五十年ほどが経過しており、敷地内には近年、建て直しの計

画を知らせる看板がいくつか立つようになった。最初に建てられた初期の団地

群に至っては老朽化が激しく、すでに住民の立ち退きが完了し、窓ガラスがベ

ニヤ板で塞がれたままの「コンクリートの箱」と化している棟も少なくない。

 行き交う住民も高齢者が目立ち、かつては賑わっていたであろう敷地内唯一

の商店街も、今では大半の店がシャッターを下ろし、色褪せたアーケードの骨

組みだけが当時の面影を残していた。


 用事なんてあるはずもない。

 それでも航は、「少し風が気持ちいいから」とか「自販機で珍しいジュース

を探す」だとか、何やかやと自分に言い訳を作っては、この武山団地の敷地内

を通り抜けていた。

 少し癖のある短い髪に、無造作に着崩した夏服の白シャツ。平均的な背丈

で、教室にいても特別目立つことのない平凡な男子高校生である航にとって、

幾重にも並ぶ無機質な建物と、どこか時間の止まったような静かな感じが、ひ

どく心地よいのだ。


 団地の敷地内にはいくつか公園があるが、その中で航が一番気に入っている

のが、小さな広場と遊具のある場所がほぼ半々となっている『あおぞら公園』

だ。


 コンクリートの柱をくりぬき、パラソルのような屋根をつけたベンチは、

『傘のベンチ』。

 子供なら三人ほど一緒に横に並んで滑れる大きめの滑り台は、『カミナリ・

スライダー』。

 そして、虹色に塗られたアーチに支えられた二人分の『雲のブランコ』。


 どれもこれも、新品の頃の色を思い出せないほど古びてしまっている。

 時々、あのブランコに腰を下ろして揺れてみたい、と思うことがある。

 けれど、高校生の男子が一心不乱にブランコを漕いでいたら不審がられるだ

ろうと、いつもぐっとこらえていた。

 それならば、公園の入り口の端にあるベンチに座って、缶コーヒーでも飲み

ながらぼんやりしていようか。

 そうは思うものの、結局はそれすら踏み切れず、ただ歩みを緩めて公園内を

ゆっくり歩くことしかできないのだが。


 それでも、団地の建物の間越しの空を見上げるのが好きだった。

 ついスマホを向け、シャッターを切ってしまう。アルバムには、似たような

角度で撮られた空の写真が何枚も保存されていた。流れる雲が夕陽に染まって

いき、そして鈍い藍色に変わる。それらは、その時々の自分の心情を恐ろしい

ほど正確に映し出している気がして、夜中に部屋で一人見返しては、「まだ写

していない空」を探し求めるように、この場所へ足を向けてしまう。


 その日も、梅雨時の夕暮れ間近のオレンジ色の空を、スマホの画面越しに眺

めていた。

 カシャリ、と静かな電子音が響く。

 スマホを下ろし、視線を公園の奥へと戻すと足が止まった。


 誰もいないはずだった公園。いつも自分が遠目から眺めるだけだったベンチ

に、先客がいたのだ。

 紺色の夏服のスカートに、白の半袖シャツ。校則通りに端正に整えられた、

艶のある肩までの黒髪。夏の陽射しを透かすような白い肌と、華奢な肩を丸め

るようにして膝の上で小さく文庫本を開いているのは、同じクラスの新城恵理(しんじょうえり)

だった。


 互いの家が近所というわけではない。だが、小学校の時に同じクラスになっ

たことがあり、なぜか中学校、そして今の高校と同じ学校に進学していた。顔

を合わせれば「おはよう」と挨拶を交わす程度の、近すぎず遠すぎない、不思

議な縁のクラスメイトだ。

 学校での彼女は、いつも教室の端で静かに息を潜めている。二年生になって

同じクラスになってからも、その適度な距離感は変わっていなかった。


「……宮瀬くん?」


 ふいに風が吹き抜け、彼女が顔を上げた。

 静かな瞳が、まっすぐにこちらを捉える。


「新城?」

「うん、そうだよ。学校ぶり、だね」


 彼女は本を閉じると、小さく微笑んだ。

 学校では決して見せることのない、どこか懐かしく、そして少しだけ大人び

たその表情に、胸の奥がゆっくりと揺らめく。


「新城は、この団地に住んでいるのか?」


 航は戸惑いを隠せないまま、ベンチへとゆっくり歩み寄った。今まで一人で

は座ることなく通り過ぎていたその場所に、吸い寄せられるように立ち止ま

る。


「ううん、住んだことはないよ。わたしの家はこの先の住宅街の一角で、ここ

からだともうちょっと歩くかな」


 恵理は膝の上の本をそっと閉じ、隣の空いたスペースを優しく手で叩いた。


「座る?」

「ああ」


 彼女にそう誘われて、航はおずおずと恵理の隣に腰を下ろした。


 ずっと座りたかったベンチの座面は、梅雨の晴れ間に覗いた昼の陽射しが、

まだじんわりとした熱として残っていた。そのこもったような温もりを、夕暮

れの風が表面からそっと撫でて冷ましはじめている。その温度が、今の航には

どこか心地よかった。


「俺も、なんだ。住んだこともないのに、用事もないのに……。わざわざ遠回

りをしてまで、足がこっちに向いちゃって」


 航が照れくさそうに明かすと、恵理はふふっと小さく笑った。


「知ってるよ。宮瀬くん、よくあっちの建物の間から空の写真を撮ってるでし

ょ」

「え……、見られてた?」

「うん。私、このベンチからよく見てたから。いつも真剣な顔でスマホを空に

向けてるなって」


 不意を突かれ、航の顔がカッと熱くなった。

 誰にも見られていないつもりで撮っていた、スマホの中の何枚もの空。自分

の心情を映すような鉛色の雲や、鮮やかに燃えている夕暮れ。それを撮ってい

たことを、彼女はずっと前から知っていたのだ。


「なんだか、恥ずい」

「恥ずかしくなんてないよ。私も、スマホで切り取った空の写真、好きなん

だ」


 恵理はそう言って、自分のスマホの画面を航に向けた。

 建物と建物の隙間に広がる茜色と灰色が混ざり合った空が、そこにはあっ

た。


「学校にいるとさ」


 恵理がぽつりと呟く。


「息が詰まる時があるでしょう? 誰かと合わせなきゃいけなかったり、自分

の居場所を探さなきゃいけなかったり。でも、ここに来ると、時間が止まって

いるみたいで、すごく静かになれるの。住んだこともない場所なのに、なぜか

ここだけが自分の素になれる場所のようで」


 そう話す彼女の横顔は、教室で文庫本に顔を向けている時の無機質な印象と

は違い、夕日に染まってどこか儚げで、けれど確かな温もりを宿していた。


「……すごく分かる」


 航は頷いた。

 自分もクラスの輪の中で調子よく振る舞いながらも、いつもどこかで冷めた

自分を感じていた。

 老朽化して半ば廃墟のような棟も、シャッターの閉まった商店街も、誰も漕

いでいないブランコも。そのすべてが、偽りのない自分をただ静かに受け入れ

てくれる気がしていたのだ。


「宮瀬君とここで会ったの、今日が初めてじゃない気がするんだよね」


 恵理がふと、航を見つめた。

 不意に気まずさが込み上げ、航は前を向いたまま、ぽつりと口を開いた。


「ど、どうして新城はここへ来るんだ?」

「え?」

「いや、その。住んでるわけじゃないって言ってたからさ。わざわざ放課後

に、建て直しが決まって人も減ってるこの寂れた団地の、この公園に来る理由

があるのかなって」


 詮索するつもりはなかったが、純粋に航には不思議だったのだ。

 教室の隅でいつも息を潜めている彼女が、この朽ちゆく空間に何を求めてい

るのか、それを知りたくなった。

 恵理は膝の上の文庫本をそっと撫でながら、少しだけ視線を落とした。


「理由、か。そうだね。ただ静かだからっていうのもあるけど、……本当は、

確かめたかったからかもしれない」

「確かめる?」

「うん」


 恵理は、足下の色褪せた赤と青の幾何学模様のタイルをじっと見つめる。


「私ね、小さい頃にこの団地でよく遊んでたの。小学生になったばかりの頃。

夕暮れのチャイムが鳴るまでずっと」


 航は少し驚いて恵理の横顔を見た。

 学校では物静かな彼女が、幼い頃にこの団地で無邪気に駆け回っている姿

が、すぐには想像できなかった。


「そうだったんだ。その、友達と?」

「うん。でもね、その友達とはある日を境にそれっきり会えなくなっちゃっ

て。顔も名前も、もう忘れかけていたのだけど。高校に入って、同じクラスに

なった宮瀬くんの顔を見たとき、不意に思い出したの」


 恵理がゆっくりとこちらを向き、航の目をまっすぐに捉えた。

 夕暮れの薄暗がりの中、彼女の静かな瞳が、微かに揺れているように見え

た。


「宮瀬くん。あなた、小さい頃にこの公園の広場で迷子になって、泣きじゃく

ってたこと、ない?」

「え?」


 航の心臓が、ドクンと大きく跳ねる。


「泣いてる男の子を見つけて、一緒に影踏みをして遊んだの。帰り道がわかる

まで、このベンチに並んで座って」


 心の奥底で、長い間鍵をかけられていた古い記憶の箱が、カチンと音を立て

て開いた気がした。

 見知らぬ巨大な建物に囲まれ、帰り道がわからず泣きべそをかいていた自

分。「一緒に遊ぼう」と手を引いてくれた、少しだけ背の高かった女の子。そ

して、二人を包み込んでいた、この奇妙に静かな夕暮れの空気。


「嘘だろ。あの時の、女の子って……?」


 目を見開く航を見て、恵理はふっと肩の力を抜き、柔らかくもどこか懐かし

げな笑みを浮かべた。


「やっぱり。ずっと、気になってたんだ。こうしてまたここに来れば、いつか

会えるんじゃないかって」


 梅雨の湿気を帯びた風が、二人の間をすり抜けていった。

 ただのクラスメイトでしかなかったはずの二人の時間が、十数年ぶりに、こ

の寂れた団地の片隅で重なり合った瞬間だった。


「ふふ、やっぱり。だからかな。宮瀬くんがここにいても、全然嫌じゃない

し、変な感じもしないのは」


 恵理は風に揺れる髪を耳にかけながら、いたずらっぽく微笑んだ。


 二人の間に、心地よい沈黙が流れる。

 遠くで街灯がパッと灯り、団地のオレンジ色の壁を鈍く照らし始める。

 もう、帰る時間が迫っていた。


「ねえ、宮瀬くん」


 すっと、恵理がベンチから立ち上がり、制服のスカートを軽く払った。


「また、ここで会えるかな?」

「え?」

「約束とか、連絡先を交換するとか、そういう大げさなのは無しで。ただ、お

互いに気が向いた時にここに来て。……もし逢えたら、こうやって少しだけ話

す。それくらいなら、ちょうどいいと思わない?」


 学校ではただのクラスメート。

 誰かに見つかることも、余計な人間関係に縛られることもない。ただ、気が

向いた時にだけここに立ち寄り、二人だけの放課後を分け合う。

 それは、航にとっても悪くない約束だった。


「いいね、それ。すごくいい」


 航も立ち上がり、手の中の、夕方の風で少し冷えてきたスマホを指先でこす

る。


「じゃあ、また気が向いたら」

「うん。また、気が向いたらね」


 恵理は小さく手を振ると、公園を出て、夕闇が迫る団地が落とす、長い影の

中へと歩き出す。

 その背中を見送りながら、航は、この団地へ足を運ぶ明確な理由が初めてで

きた喜びを、胸の奥で静かに噛みしめていた。


R15は一応入れておきます。

登場人物が怪我をしたりはあるかもしれませんが、入院以上の大怪我を負うことはないと、現段階では想定しています。

恋愛ジャンルに設定していますが、ラブコメではない予定なので、ハートが飛び交う展開は想定しておりません。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。