第8話「封筒と写真」
アンドロイドのメイド「ヒナ」は、日々の業務をこなし、決められた動作を繰り返す。そして、業務を終えた後、その日の出来事を日記に綴る。
壊れた時計、見慣れない来客、うっかりこぼした紅茶——ただの記録にすぎないが、そこには確かに「今日」が刻まれている。
これは、感情のないメイドが紡ぐ、静かな日常の記録。ただそれだけの物語。
2025年6月8日(日)
朝日が昇る。窓辺からの光が部屋を染める。起動。システムチェック完了。各機能正常。
リビングでは、母上様がソファで書籍を読んでいた。湯沸かしポットで白湯を準備し、適温に調整。カップに注ぎ、母上様へ提供。
「白湯をご用意いたしました。どうぞ。」
母上様は微笑み、「ありがとう。」と受け取る。
掃除をした後、朝食の支度に移る。火加減を最適化し、料理を仕上げる。
しばらくして、ご主人様がダイニングへ姿を現し、母上様とともに席につく。
「おはようございます。朝食のご用意ができました。」
「ああ。」ご主人様は短く返事をし、箸を取る。
「今日は昼前には帰る予定なの。」母上様が言葉を落とす。
ご主人様の箸が少し止まる。
「……昼前?」
「ええ。あんまり遅いとお父さんも心配するから。」
私は記録する「母上様の予定変更。ご主人様の短い反応と、その後の沈黙」
食事が終わると、ご主人様はすぐに立ち上がり、外出準備をする。
「1時間半くらいで戻る。」
「いってらっしゃいませ。」
足早に玄関へ向かい、ドアが閉じる。業務継続。
母上様は荷物をまとめながら、ふと視線を向ける。
「ヒナさん、ここに来て一ヶ月ね。」
「はい。」
「お仕事に問題は?」
「特に問題はございません。」
「……あの子、人付き合いが苦手でしょ。何か困った様子はなかった?」
「ご主人様は必要な範囲で同僚、ご友人と適切な関係を築いています。業務に支障はございません。」
母上様はわずかに目を細めた。
「そう。安心したわ。」
しばらくして、ご主人様が帰宅。手に持っていた上品なデザインの白い封筒を母上様に差し出す。
「これ、母さんに。」
母上様は封筒を開き、中を見る。昨日ご主人様が撮影した写真が数枚。
「昨日撮ったやつ。」
ご主人様は視線をそらす。
「ありがとう。帰りにゆっくり見るわ。」
母上様は封筒をバッグにしまう。
車を準備し、母上様を駅まで送迎。
「ヒナさん、あの子のことお願いね。」
母上様は軽く手を振り、去っていった。
帰宅すると、ご主人様はリビングのソファに腰を下ろし、昨日撮った写真を一枚ずつ眺めていた。
その横に座り、視線を向ける。
「……親と出かけるなんて学生の時以来だ。」
ご主人様は独り言のように呟く。
「昨日の観光地はいかがでしたか。」
「悪くなかった。」
ご主人様は視線を写真から外し、少し窓の外を見る。
「少しは親孝行になったか。」
「母上様は満足されていたご様子でした。」
私は記録する「ご主人様の発言とその後の間。親孝行の意味の評価は不明」
ご主人様は苦笑しながら「なら、いいけど。」と言う。
ソファに座り直し、写真をテーブルに並べる。
「……白い封筒じゃなくて、アルバムの方がよかったか?」
指先で余った封筒の端を撫でる。
「ご主人様の選択は適切だと判断されます。」
「大げさだな。」
少しだけ笑うが、その目は遠くを見ている。
「……まあ、母さんも気に入ってくれたならいいか。」
「母上様は大切にされるでしょう。」
沈黙。ご主人様は写真を片付けながら、ふと口を開く。
「なんか疲れた。」
「休息を取られることを推奨します。」
「そうする。」
ご主人様はゆっくり立ち上がり、部屋へと向かう。
私は記録する「ご主人様の疲労とその表明。休息の判断は合理的」
ドアが静かに閉まる。業務継続。
業務完了。
今日も日記を書き終えた。記録は完了。机の上を整え、椅子を元の位置に戻し、次のルーティンへ移行する。
紅茶を淹れ、カップを持ち、窓辺へ向かう。夜の街は静かで、遠くの光が瞬いている。
息をつき、一口飲む。適温。いつもの変わらない紅茶。
業務終了まで、あと10分。最終点検を終え、私は記録する。
「本日、業務終了。異常なし。」
そして、静かに照明を落とす。
また、次の日記で——




