八 ウェブギス・アッフェリアとユノ
ソントララ大陸 共和国連邦 首都近くの森
『希望』を手にかけ、追っ手を振り払った私とウェブは、森の上でふわりと当てのないままに浮いていた。
ひとまずウェブをぶら下げたまま、館まで戻ってみよう。誰か帰ってくるかもしれないし、そもそもエレノラさんやマモルさんは館に残っていたはずだ。
しばらく飛んでいると、円上に木々が無くなっているところが見えてきた。
「ウェブ、もうすぐですからもうちょっと我慢してください。」
「おう。」
ウェブは相変わらず私の腕にぶら下がっている。
「しかし、なぜ召喚が解けんのか。」
「うーん、おそらくは何らかの防護魔術をかけられているんだとは思うんですけど、ちょっと断定はできないです。」
それに、もし本当に防護系の魔術がかけられていたとしても、私にはそれを解くことはできない。エレノラさんなら、多分できるだろう。知らないけど。
ダメでもズィー以外なら解けるはずだ。
そんなことを考えていたら、館の上に着いていた。
はずだった。
「何も無いぞ。」
「あれ、おかしいですね。」
ウェブの言う通り、下を見ても何もない。正確には、柵だけがあって、本来あったはずの館だけがすっぽりと無くなっている。
ひとまずは降りてみよう。
当たり前だけど、降りて見てみても館がぽんと出てくるということも無い。ちょっとだけそういう結界でも張ったのかなと思ったけど、本当にもとから何も無かったみたいに無くなっている。
いや、よく見ると何か地面に……?
「ウェブ、ちょっと来てください。」
「どうした。」
ウェブが来る間に掘り出してみると、何かの紙片のようだった。表面に『エレノラ』と書かれている。
疑問符が沸きながらも、見ないわけにもいかないので開いてみると、
『ゴメン、マズった。頑張っ』
読んでるところで、突然ウェブに肩を引き寄せられた。
「な、な――。」
その上手で口も塞がれた。こ、これって、何?なんなの?
慌てふためいてウェブを見ると、しかしながらウェブはこちらを見ていない。
「囲まれている。」
その言葉を皮切りに、周りの森からぞろぞろと武装した人が出てきた。仮面をつけたままにしておいて良かった。
「な――。」
言おうとしたところで、ウェブに止められた。
「何用だ。」
「貴様らはすでに包囲されている。抵抗するだけ無駄だ。」
話にならない。ただ、分かるのは絶対絶命といえる状況だということだ。
「うぇ、ウェブ。どうします。」
「通常の戦争であれば、おとなしく捕まれば殺されることは無いだろうが。」
が、今は普通じゃ無い、ということだろう。つまり、逃げなければいけないわけだ。
「俺を殺せ。」
「は、はい?」
「召喚をやめられないのならば、俺が死ねばカードに戻るだろう。」
「だ、ダメです!」
そんなの、ウェブにかけられた魔術が何か分からないのにうかつなまねはできない。
「ではどうする?」
どうしよう。見たところ、周りはほとんどが魔女では無いようだし、飛べばなんとかなるかもしれない。ぎゅっとほうきを握る。
「やめな。」
人混みの中から声が聞こえる。そうして一人の女性が現れる。
「ほら、ほうきを下ろさせて。飛んで逃がす気かい。」
「ほうきを下ろせ。」
言われるがままにほうきをそっと床に下ろす。
どうやら女性は魔女のようだ。二つ名は『深淵覗きし者』。あの手入れされていない髪を見るにおそらくは研究者だろう。ほうきや杖は持っていないようだけど……。
「馬鹿なことは考えない方がいい。別に命まで取ろうってわけじゃあ無いんだ。今のところはね。」
今のところは、か。それに、捕まれば仮面を剥がれるだろう。それは、あまり良くないはずだ。
やるしか無い。喉を鳴らす。
『ウェブ、目をつぶってください。』
ウェブからは返事が無い。けど、多分伝わっているだろう。
『深淵覗きし者』がこちらに近づいてくる。
「さあ、いい子だ。そのまま。」
「光よ《sodico》!」
あらん限りの声と魔力を出す。そうはいってもたった三音節じゃたかがしれてる。
でも。
『跳んで!』
私はほうきとウェブの手を取って地面を思い切り蹴る。ほぼ同時にウェブも飛び上がった。
「跳んで《soparat》、飛んで《vamov》!とにかく高く《vantrar vaxpano》!誰も近づけないくらい《vaparat qomovo ali novantarino》」
何も考えず、ただ上に飛び上がる。限界が来るまで。
頬のあたりに何かが当たる感覚。でも気にせず飛ぶ。
左手がちぎれそうなほど重い。でも本当に怖いのはこの重みが無くなったときだ。
木々より高く、雲を抜け、ついには何も無い、敵の攻撃も、木々も、雲も何もかも全部下にある。
ひとまずは逃げ切れた。多分。
でも、これからどうしよう。
それから、私とウェブは二人きりで森の中に身を隠した。
町中に行けば、私が魔女であることを知られてしまう。きっと『深淵覗きし者』には名前を知られているし、そうで無くてもマモルさんが魔女はすぐに分かるような話をしていた。
となれば、森の中で、誰にも会わずに、なおかつ誰かに会わなければいけないみたいな、難しい状況に身を置かなければいけない。
幸い、この森には獣が多くいるようだ。狩りさえできれば食べ物にはそれほど困らないだろう。
しばらく歩いて、川を見つけた。しばらくはこのあたりに身を置けばいいだろう。
「キャンプ地は川から少し離れたところに置くのがいい。」
「あ、はい。えっと、どうしましょう。」
ウェブは少し考えた後、地面を見ながら少し歩いていく。やがて山の斜面の穴に入っていった。
「何かがいる。気をつけろ。」
中には熊がいた。一頭だけで、ウェブが思い切り襲いかかって眉間に一発入れる。そして表に引きずり出し、穴を掘ってからその中で石を使って熊の皮を裂き、あっという間に捌いていった。
何というか、本当に手慣れている。
「火はつけられるか?」
「あ、はい。多分それくらいなら。」
さすがに火を起こすくらいならできる。できるはず。
枯れ枝を集めて、ほうきの柄を向ける。
「火よ《falemen》。」
柄の先から火が出て、枯れ枝に移……らない。
あれ?
「火よ《falemen》。」
もう一度。でもやっぱり火がつかない。
うーん。
と、ウェブが来て枯れ枝を見る。
「ダメ、ですかね。」
「うーむ。」
ウェブは枝をいくつかより分けて、枝を組み直した。そして、下に枯れ葉をまとめる。
「ここから付けてくれ。」
「あ、はい。火よ《falemen》。」
火は枯れ葉に付き、枝に移り、だんだんと安定して燃えてきた。しばらくして選り分けていた枝も入れ始める。
「よし。」
「あ、ありがとうございます。」
「火を付けたのはユノだろう?」
ま、まあそうだけど。
ウェブは熊の肉を枝に刺し、火の近くに置く。
すごいものだ。本当はウェブ一人でも火を付けられたんじゃ無いだろうか。
そう思うと、なんだかため息が出た。
「どうした。」
「いえ。……ほんとダメですね、私。一人だと何もできなくって。火は出せても、それだけですし。」
ああ、こんなこと言うつもりじゃないのに。
「小隊でも、誰かに頼ってばっかりだし、ウェブも何度もひどい目に遭わせてしまってますし。」
「俺はいつも助けてもらっているつもりだったが。」
ウェブに言われて、ぐっと詰まった。
「い、いえ。でもきっとトリとかがウェブの召喚師になってたらもっとうまく動けるはずだったと思いますし。」
「そんなものか。」
ウェブは黙って肉をひっくり返す。たき火がぱち、ぱちと音を鳴らしている。
肉をひっくり返し終わると、ウェブは口を開いた。
「頼るというのは、ダメなことなのか。」
「ダメ……といいますか、みんなが一人でできるようなことでも、私はできないっていうか。」
「俺も魔法の類いはできないが。」
「いやまあ、それはウェブはそういう訓練してないからで。」
なんとなくだけど、ウェブは私なんかよりも魔法をうまく使えそうな気がする。
「俺はユノに頼ってもらえないと困る。」
ウェブの方を見て目をぱちくりさせる。
「俺はお前を助けたい。頼ってもらえるのであれば、それが一番助かる。」
ウェブはいたって真面目な顔。その顔を見ていると、なんだか笑えてきた。
「なぜ笑う。」
「だって、助けたいっていったそばから助けてくれって言われたみたいで。」
「む……確かに。だが、まあそんなものだろう。」
そんなもの、ね。まあ、そうなのかも。
「それじゃあ、これからも頼っていいですか?」
「おう。任せろ。」
胸をどんと叩いた。それで、また笑ってしまった。
「あ、でもあれかもしれませんね。これで戦争終わったら、もうウェブは帰るんですよね。」
またたき火の音。ぱちぱち、ぱち。
「まあ、そうだな。」
まあ、そうだよね。
肉を差し出される。よく焼けた、焦げ茶色をしている。
「食え。」
「ありがとうございます。」
うん、野生の味。
*****
そうやって私達は何日か過ごした。日が落ちて、また昇り、また落ちる。
こういう暮らしをしてると、困ることが出る。召喚獣のことが少しうらやましい気持ちになる。けど、ウェブに言わせれば「むしろ生活リズムが取れなくて困る」らしい。
安定してくると、情報収集をどうするかが問題になった。
いつまで私達は逃げていなければいけないのか。いつ、ファクスパーナに戻れるのか。
そしてもう一つ、これはウェブから言われたことだけど、敵は山狩りをしているのかということだ。もしもしらみつぶしに捜索されているなら、いつか見つけられるかもしれない。
どちらの問題にしても、結局私達はこの洞穴から動いた方がいいのかどうか、というところに問題になる。
そして、その問題は結論が出る前に解決した。
*****
川に水くみに行くと、足音が聞こえた。
「ウェブ……?」
声をかけるが、返事が無い。そこで、しまったと思った。
どうも野生生物のようでは無い。慌てて仮面を付ける。
『ウェブ!』
ウェブに呼びかけるが、ほぼ同時に三四人に囲まれる。その中には『深淵覗きし者』もいる。
「ようやく見つけた。全く、ご苦労なこった。」
ほうきも無い。ウェブが来るまで逃げられない。と、一人に腕を取り押さえられ、口を塞がれる。
「魔法は無し。さて、召喚獣はどこだ。」
一人が大きな筒を構える。しまった。呼び出したのは失敗だったかもしれない。
「ユノ!」
と思ったところでウェブが来てしまった。
「おや、そっちから来てくれるとは重畳だね。いいかい、妙な動きしたらこいつの首をひねる。」
『ウェブ、逃げて!』
ウェブだけなら多分逃げ切れる。それでどうなるかは分からないけど、二人で捕まるよりはましだ。
暴れてこっちに気を引こうとするけれど、あまりたいしたことはできない。
「おとなしくしろ!」
銃で頭を殴られる。痛い。じんじんする。
「ユノ!」
ウェブが殴ってきた男に向かって殴り返しに飛び出す。筒を構えていた男の砲撃を避け、筒を奪い、それで例の男を吹き飛ばした。
そのまま私を取り押さえていた男も殴り倒す。
「大丈夫か!?」
「は、はい。」
相変わらずながらすごい。魔力を込める隙も無かったから多分死んではいないだろう。
「おお、すごいな。だからといって自由にはできんが。」
『深淵覗きし者』はこちらに布を飛ばす。
「いけない!」
ウェブを突き飛ばすと、布が大きくなってそのまま私に絡みついた。一緒に口も塞がれる。
「ぐぅっ!」
「ほう、なかなかやるね。」
さらに布を数枚ばらまいて魔術をかける。ウェブは数歩避けるが、その先にあった魔方陣を踏んだ。
『深淵覗きし者』が指を鳴らすと、ウェブの体に電撃が走った。
「ぐぬあぁぁぁ!」
そうしてウェブはそのまま倒れ込んだ。
「ふぅ、こういうのは私の仕事じゃ無いはずなんだがね。……さて。」
『深淵覗きし者』は私の頭のところに立った。
「私はちょいとヘマをやっててね。その埋め合わせにあんたの首を連れて帰らんといかん。」
生唾を飲み込む。
「悪いけど、ここで死んでもらうよ。」
『深淵覗きし者』はそう言って私の首に手を伸ばす。と、そこで手を止めた。
「ちょいと失礼。」
どこからか何やらを出して話をしている。何かの魔術で遠隔会話をしているんだろう。
「ああ、ええ!?でももう……そうか。分かった。じゃ。」
手に持っていたものをしまって、『深淵覗きし者』は私にまた近づいた。
そうして布に触って、私の拘束を解いた。
「運がいいね、『一羽飛雁』。おめでとう、戦争は終わった。」
「え……?」
次にウェブの体に触って、またこっちを見る。
「この体にかけられていた魔術も解いておいた。じゃ、後は好きにやんな。」
そう言ってウェブに吹き飛ばされた三人のところに布を飛ばして、持ち上げる。
「ああ、そうだ。マモルとアキにもよろしく言っておいてくれ。たまには帰って来いってね。」
「は、はぁ。」
それで『深淵覗きし者』は去って行った。
彼女の言ったとおり、ウェブの召喚は解くことができた。
これで、私の戦争は終わった。らしい。
*****
ファクスパーナ大陸 レーゼバルト首長国首都
『深淵覗きし者』の言葉通り、ウェブをカードに戻すことができた。それだけではなく、戦争が終わったことも事実だった。
戦々恐々しながらソントララの海岸線を飛び越えても何も起きない。
ファクスパーナにたどり着いたとして、どうすればいいのかがよく分からなかった。
ひとまずは詰所に向かってみたものの、何もなかった。
いや、人がいた。『霧城王』だ。
「戻ったか。よし、仮面も付けているな。」
「は、はい。あの……。」
「ご苦労だった。詳しい話はここでする。」
紙を一枚渡される。首都の隅のあたり、この前共和国軍に襲われたところだ。
*****
復興中のこの区画はあまり人がいない。その上、『霧城王』の魔術で隠匿されている。その中に一件の屋敷が建てられていた。
「あー、ユノちゃん!生きてましたか。」
区画に入ったところでレーレが出迎えてくれた。
「こんばんは、レーレ。あの、皆さんは。」
「ユノちゃん達が最後です。あ。」
「大丈夫です。ウェブもいますよ。」
ウェブを召喚すると、レーレも「大将!」とこっちにも挨拶をした。
「レーレか。ここは。」
「首都の外れです。『霧城王』からここに来るように言われて。」
「あ、そうですそうです。ささ、こっちですよ。」
「あ、ちょ、ちょっと。」
レーレに引っ張られるがままに屋敷へと入っていく。
屋敷の一部屋に案内され、とりあえずは休むようにと言われた。
久しぶりのドア、久しぶりの屋根。久しぶりのベッド。今日は、ぐっすりと休めそうだ。
……レーレがいなければ。あとどういうわけかアキとクアもいる。
「えーっと、三人とも、部屋は?」
「ありますけど、今日はユノちゃんの生存記念日ですからね。」
「ね。二人だけ全然帰ってこなかったから怖かったよ。」
「……良かった。」
……まあ、心配をかけたのは悪かったかな。一日くらいは付き合ってあげよう。
「そうだクア、ありがとうございます。」
クアはきょとんとした顔になった。
「あの種がなかったら、多分ウェブは……。」
「そう。良かった。」
「なになに、なんの話ですか?」
それから三人と、あの日からこれまでの話をした。
なんというか、日常に戻ってきた。そんな気持ちになった。
*****
翌日。私達は全員屋敷の広間に集められた。減ったり増えたりで全部二十人。それに加えてアキとエレノラさん、『叡智』こと学園長がいらっしゃる。
その学園長が口を開いた。
「皆のもの、よくやってくれた。皆のおかげで魔女の自由は守られた。はじめの約束通り、皆にはできうる限りの望みを叶えよう。だが、その前に、その仮面を返してもらう。その穢れを、我が身に宿すために。」
エレノラさんと『現実複製者』、『霧城王』が仮面を回収していく。
「加え、魔女のものは『円卓の管理者』および『現実複製者』、『鳴き虫ヒヨドリ』を除き、全てその二つ名を捨ててもらう。希望があれば、一段上に上げるとよい。これの名付けもこの三名が行う。」
と、セーテが不満そうな声を上げた。
「どうしても変えないとダメ?」
「ならん。その名は仮面と共に知られている。」
セーテはまた不満そうな声を上げる。セーテ、『妖精王』っていう二つ名気に入ってたんだ。
「全ては後々のこととする。では以上だ。『現実複製者』、行くぞ。」
「は。」
『現実複製者』は仮面を全て持って学園長と出て行った。見送って、『霧城王』が口を開いた。
「皆よくやった。これにて召喚士特別編成中隊は解散とする。ただし、沙汰のあるまでここから出ないこと。日程は追々告げる。それまでは各自待機。以上、解散。」
そうして三々五々分かれて退場した。
*****
部屋に戻る道すがら、『現実複製者』と学園長を見かけた。
「――し、全くどうして僕なんですか、大婆様。」
「魔法使いの身で政治を行えるのがお前以外いないからだ。」
「だったら魔術師にやらせればいいじゃないですか。」
「分かっているだろう。ワシと同じ魔術師では、繋がりを疑われる。」
「だったらあなたの孫弟子の僕なんて。」
「そのお前がワシを売ったからこそ、繋がりを疑われることがなくなる、というものであろう。」
売る……?不穏な声が聞こえた。
というか、私どうしよう。進みにくいし、かといって戻るのもちょっと変だし。
と思ったら二人がこっちを見た。
「『一羽飛雁』か。」
「今の、聞きました?」
視線を左右に動かす。
ごまかそうかと思ったけど、ごましてもしょうがない。こくりと頷く。
「まあよい。どうせすぐに分かることだ。」
「あの……学園長を売ったって……。」
尋ねると、『現実複製者』がため息をつきながら答えた。
「言葉の通りですよ。大婆様を共和国連邦に引き渡す代わりに、魔女の自由と平和を僕が買いました。」
「無論、ワシの計画通りだが。」
「おかげで僕は祖師殺しの裏切り者ですよ。」
「何、すぐに救国の英雄となろう。」
「それはそれでイヤだなぁ。」
えーっと、ちょっと待って。話をかみ砕けない。
「つまり、学園長は……。」
「殺されるはずだ。おそらくだが、この戦争の元凶として。」
「まあ、だから学園長を見るのは今日が最後、ってことになりますね。」
頭がぐるぐるする。でも、なんとなく分かってきた。
この最期を迎えるために、学園長は魔女に理不尽な要求をして、殺人を私達に限って、そして『希望』を殺したときに自分の名前を語らせたのか。
と、頭をぽんとなでられた。
「泣いているのか。」
「え、あれ?」
頬を拭うと、確かに濡れている。
「えーっと、いや。すみません。」
「構わん。」
というか、学園長に頭をなでられている……?
思わず数歩引き下がる。
「あ、す、す、す、すみません。」
「……まあよい。」
学園長はどこまでも落ち着いている。もうすぐ、死が迫っているのかもしれないのに。
学園長はやがて手を私の頭から下ろし、私に質問を投げた。
「『一羽飛雁』、お前の願いはなんだ。」
「え?」
「一人くらいは直接聞いてみたいと思ってな。」
まあ、そういうことなら。でも、うーん。あ、そうだ。
「あの、質問に答えていただいてもよろしいですか?」
「それだけか……?」
「もっとこう、魔石を部屋いっぱいもらうとかでもいいと思いますよ?」
うーん、でも私にとっては魔石をもらってもしょうがないし、お金……も別に困ってなかったし。
「まあよい。それで、その質問はなんだ。」
「じゃあ……あの、どうして私だったんですか?」
学園長は眉間にしわを寄せた。
「小隊長のことならば答えたはずだが。」
「あ、いえ。あの、研究室の話、です。あの、私が学園長に特別噂もありましたし。」
他人の目は気にしていないけど、やっぱり気にはなっている。
「なるほど。その話か。」
しかし、学園長はそれきり口を開かない。代わりに、珍しく表情をいろいろ変えている。
と、『現実複製者』が吹き出した。
「ふ、ふふ、そういうことですか。」
「黙れ。……あー、『一羽飛雁』。」
「はい。」
「それはだな。あー、魔術師と魔法使いで均衡を取るために魔法使いに研究室をやる必要があったのだが。」
「それは建前、ですよね。」
ニヤニヤしながら『現実複製者』が付け足す。
「一つの事実だ。建前で出したのは、光を辺り構わず出されては困る、というものだった。」
う、まあ、確かにそうかもしれない。
「……だが、そうだな、魔法使いの中でもお前を選んだのは、その祖師によるものだ。」
「祖師……って学園長ですよね?」
そう言うと、二人の頭の上に疑問符が上がったようだ。
「それは、誰から聞いたんですか?」
「え、師匠ですけど。」
今度は二人してうなった。
「まあ、約束は約束。答えよう。まず、お主の祖師はワシではない。」
へ?なんで?
「なぜお主の師が偽ったかは知らんが、お主の師は『高潔』の唯一の弟子である。」
「へ、こうけ……。」
『高潔』といえば、世に七人しかいないと言われる『概念』の魔女の一人。
「って、あの『全ての模範』と言われる。」
「そうだ。残る伝説は『星の王』、『彼女の前では何もかも傅く』、だったか。」
学園長の顔が少し優しくなった気がした。
「ともあれ、お前の祖師たる『高潔』は、ちょっとした知り合いでな。」
「ちょっとした、ですか。ふふ。」
「もう一度言う。黙れ。」
とにかく、つまり。
「友人の孫弟子だから……?」
「まあ、端的に言えば、そうだ。」
沈黙。いや、『現実複製者』の笑いをこらえる息だけが聞こえる。
気のせいか、学園長の耳が少し赤い。
「ふ、ふふ。」
なんだろう。噂通りだったわけだけど、逆に予想外だったというか。
「なんだ。」
「いえ、学園長にもそういうところがあると思わず。失礼しました。」
「よい。おい。」
「あ、は、ふふ。」
『現実複製者』は空咳を着いて呼吸を整えた。
「失礼。なんでしょう。」
「ワシは行く。後は手はず通りに。」
「仰せのままに。大婆様。」
学園長はそのまま去って行った。
「あ、あのすみません。なんだか邪魔したみたいで。」
「いえ、構いません。大婆様のあんな姿久しぶりに見ましたよ。」
と、『現実複製者』は少し寂しい顔をした。
「最期にいいものが見られました。彼女も呼べば良かったですね。」
彼女……エレノラさん、だろうか。
「それでは、僕もいろいろ準備があるので。」
「あ、すみません。」
『現実複製者』は髪の奥で笑って去って行った。
*****
部屋に戻ると、例によって三人がいた。
「いや、別にいいですけどなんで私の部屋なんですか。」
「あーほら、やっぱり集まるなら小隊長の元、でしょ。」
「いや、もう中隊は解散したんですから、それも終わりですよ。そもそも、アキさんは小隊員じゃないですし。」
「でも私、まえはユノさんと同室だったわけだし。」
「いや、今はアキさんも部屋ありますよね。」
「お茶も用意してる。」
「いや、そういう問題じゃ……まあいいですけど。」
諦めよう。うん。ベッドが占領されているわけじゃないし、その方が早い。
まあどこからローテーブルとか持ってきたのか、って感じだけど。
「それにしても遅かったですね。何かしてたんですか?」
「あ、えっと。」
どうしよう。言っていいのかな。まあいいか。
「学園長に願いを聞いてもらってたんです。」
「ええー!?いいなぁ。」
「そういえばレーレさんって願いは決まったの?」
そう言われてぎくりとするレーレ。ちなみに、クアはお茶を淹れている。
「いやー、どうしましょう。」
「どうしましょうって。」
「……びっくり。」
そういえば、クアの方はどうなんだろう。そう聞くと
「私は……植物園を。」
「おお~いいですねぇ。アキちゃんはどうなんですかね。」
「私は……そもそももらえるのかな。」
うーん、どうなんだろ。
「多分、ちょっとなら叶うと思う。」
お茶を配りながらのクアの言葉にアキはぱぁっと顔を明るくした。
「じゃ、じゃあ、マモルとのおうちが欲しい!」
微笑ましい願いだ。でもそれは、ちょっと、なんだろうか。
でもまあ、それならマモルさんとの合算で叶えられそうな。いや、マモルさんがいなかったら『希望』を、殺すこともできなかったかもしれないし。合わせちゃったらもっと叶えられてもいい気もする。
「ともあれ、レーレですよ。」
「うーん。」
「そもそもレーレさんは元の世界に戻るの?」
「うーん。」
首をひねりすぎてそのまま倒れそうなほどだ。
「でもまあ、帰っても別にやることありませんし、ここに残った方が楽しそうですね。」
「それでいいんですか……。あの、ご両親とか。」
「うーん、まあもうそんな年じゃないと言いますか……あ、そうだ。」
お茶をぐいっと一飲みして立ち上がった。
「決めました!好きな時に元の世界に帰られる券にします!」
え、えぇ……。いいんだろうか。
クアの方を見ると、お茶を飲もうとするところで止まっている。
「その手があった!頭がいい!」
「いやー、それほどでもー。」
「え、えぇ……。」
どういうわけかアキも乗り気だ。
「召喚魔術って、そんな簡単に狙った世界につなげられるんですかね。」
「うーん、まあマモルも時々帰ってるらしいし、なんとかなるんじゃないかな。」
そ、そうなのか。どうも向こうの魔術レベルはかなりすごいらしい。
お茶を一口。
「まあ決まって良かったですね。」
「はい!で、ユノちゃんはどうしたんですか?」
「私は、ちょっとした質問を。」
すごいいろいろ聞かれそうな気がしたけど、以外とレーレは乗り気じゃないみたいだ。
「少しもったいないと思う。」
「そうですか?」
「ユノさんは小隊長だったわけだし、よほど重要な質問とかじゃないなら全然足りないと思う。」
そうか。まあ、そうかもしれない。まあいいか。またお茶を一口。気付いたクアがお茶をついでくれる。
「あ、ありがとうございます。」
クアは首を振る。
お茶を飲んで、一息ついた後クアが口を開いた。
「……レリースは、何が欲しかったのかな。」
レリースの名前を聞いて、目を少し伏せる。
「最期に『頼む』とだけ言われましたけど、何を頼まれたのかまでは。」
クアもこくりとうなづく。
「レリース……って、クアさんの召喚獣だっけ。」
「そうです。」
この小隊で唯一の犠牲者。
珍しく静かなレーレの方を見ると、眉間にしわを寄せてうんうんうなっていた。
「ど、どうしたんですか?」
「いや、あの堅物が何を願うのかなーって。やっぱりお金ですかね。」
「レリースなら多分元の世界に帰るんじゃないですかね。」
「いや、レリースはきっと残りましたね。賭けてもいいです。」
答えの出ないもので賭けをしてどうするんだろう。
「仕事、とか。」
なるほど。確かにこっちの世界に残るなら重要だろう。
「あ、そういえば私お仕事どうしましょう。」
「レーレさんなら商人とかもできそう。」
「それもいいっすね。」
「それなら元手が必要ですよね。」
「うーん、それに私計算とか苦手なんですよね。レリースがいたらその辺やってもらえたんですけど。」
そういう意味ではレーレとレリースは良いコンビだったのかもしれない。
「案外、『頼む』ってレーレのこと、かも。」
まさか、とも言い切れない。そんな気持ちになった。
「で。何はともあれ、ウェブですよウェブ!」
「うぇ、ウェブ?」
レーレが首をがくがく振る。クアやアキもこちらをじっと見る。
「ウェブが……何か?」
「ウェブは何を願うの?」
「いや、ウェブは元の世界に帰りますけど。」
沈黙。なぜか、沈黙。
そしてため息。ずいぶんと仲良くなったみたいだ。
「違う。違いますよ。」
「はい?」
「ウェブさんはそれだけしか願ってないの?」
「いや、まあそれだけしか聞いてませんけど。」
「何か思い出の品とか、そういうのは何も言ってないんですか?」
「さあ。」
クアも首を振っている。
本当に仲が良くなったらしい。まあ、いいことだろう。
「じゃあ、そろそろ昼食にしましょう。」
「逃げた。」
「逃げたね。」
「逃がしません!」
いやいや、お昼くらいはゆっくりと食べさせて欲しい。
*****
それから五日ほど経った。
その間、私達は暇を潰していた。やることもないため、とりとめのないことを話をしたり、研究したり、ぼぅっとしたり。つまり、好きなことをした。
その一方で、『霧城王』、『現実複製者』および『円卓の管理者』ことエレノラさんは頭を悩ませていたそうだ。これから十人の名付けを行うに当たって、ふさわしいと思われる名前と、誰がその名前を付けるのかをいろいろ考えていたらしい。
私達の名前は、この中隊に入るに当たって、『霧城王』を含めて全て『叡智』こと学園長が名付けた。私達がどこの誰かを隠すために。そして今、中隊から出たことを隠すために新しい名前が付けられる。
つまり私達の今の名前を推察されてはいけない。それでいて、私達を表す名前でなければならない。
その上『現実複製者』やエレノラさんは、『霧城王』と比べて私達といた時間が圧倒的に短い。そこで、面接なんかの聞き取り調査が行われた。
私達の小隊は、ズィーを除いてエレノラさんが名付け担当らしい。
「そんなわけで、まあよろしく。」
「はぁ。」
屋敷の一室に単身呼ばれたが、エレノラさんはかなりぐったりしている。
「ねえ、知ってる?」
「……何をですか?」
「私が名前を付けなきゃいけない人数。」
「…………四人?」
小隊の人数を言うと、エレノラさんは首を振りながらため息。まあ、そうなら聞かないよね。
「二十四人。」
目をぱちくり。
「もちろん、あなたたち含めてね。」
「はぁ……多いですね。」
「多いなんてものじゃないわよ!おかげで私はあっちへこっちへ行ったり来たり。その上尾行なんかも気にしなきゃいけない。一体誰が尾行するっていうのよ!」
どうもかなりお疲れらしい。
戦争後に名付けが行われるのは恒例だが、普通は師匠か指揮官が行うものだ。
「そんなにお弟子さんを持っていたんですか。」
「いいえ一人も。ただ、今回は規模が規模だから希望者にって話らしくて。……それに加えてあなたたちの偽装のためね。」
「なるほど。……大変ですね。」
「えぇもうほんとにそう。どっかの気難しい人のせいでね。……大婆様は自由を守ろうとしただけだってのに。」
そして遠くを見つめる。なんて言うか……かける言葉が見つからない。
と思ったら急ににこっとこっちに笑いかけてきた。
「まあ私の友達でもっと大変な目に遭ってる人もいるし、我慢我慢。さ、愚痴はこれまで。あなたのことを聞かせてね、ユノ。」
「あ、は、はい。」
さっきまでの顔が嘘みたいに、にっこりとした顔を張り付かせていた。いわゆる営業用の顔、といった風だ。
「ユノは光系の魔法が得意なのよね。実はちゃんとユノの魔法って見たことないのよね。見せてもらえる?」
み、見せてって言われても。……どうしよう。
「……光を《sodico》」
ひとまず光をつける。と、エレノラさんはため息をついた。
「いや、それくらいなら誰でもできるし。もっとあるでしょ。」
いや、でも急に言われても、こんなもんじゃないのかな。
「あの、もうちょっと具体的なことを言っていただけると。」
「そう言われても……うーん、せめてこう、色のついた光を出すとか。」
それくらいなら簡単だ。
「いろんな光を《qomutara sodico》。」
七色の光を出す。と、思いのほかエレノラさんが食いついた。
「へぇー、きれいなものね。ふんふん。」
と、エレノラさんは手元にあった紙を読み出した。
「へぇ、巨大な幻像を見せたりもできるんだ。」
「え、それって何が書いてるんですか。」
「あなたたちが何したかとか、まあいろいろ。」
「え、それなら魔法を見せる意味あったんですか?」
「うーん、まああるといえばあるというか。ほら、やっぱり話を聞くのと実際に見るのとじゃ実感が違うし。」
ま、まあ分かる話ではある、ような。
「それじゃ、いろいろ話を聞かせてもらおうかしら。」
それから、エレノラさんにいろいろ聞かれた。エレノラさんは話を聞きながらなにやらをメモしているようだった。
*****
そしてまた五日ほど経った頃。
中隊の……元中隊の全員が集められた。前と違ってもう『叡智』はいない。
『霧城王』――いやもう名前が変わっている。『細道の導者』が口を開く。
「では、これより名付けの儀を行う。『円卓の管理者』はユノ、ディー、トリ、およびクア。『現実複製者』はシエ、スィーおよびセーテを。俺はノヴォとズィーをそれぞれ名付ける。以降、ここで得た全ての名は忘れること。ではそれぞれよいように。」
『細道の導者』はノヴォとズィーを連れて去って行った。
「それじゃ、ユノ達も行くわよ。」
「あ、はい。」
私達四人もエレノラさんに連れられて、別室に移動した。
部屋に入ったところで、エレノラさんは肩を回して、準備万端といった風だ。
「さー片っ端から付けてくわよ。まずはユノ。」
「あ、はい。」
エレノラさんの前に立つと、エレノラさんは私の頭の上に手を置いた。そして、頭の上から独特の光が出始める。
そして呪文を唱え始めた。
「大いなる母にして我らがしもべたる魔素よ、今ここに『円卓の管理者』の名において宣言す。我が認めし者の頭に両の手を置きぬ。この者の新たな生まれを受け入れたまえ。その名、『巨き幻光』を言祝ぎ給えよ。」
『巨き幻光』……『幻獣』の名前。
「あ、あの。ありがとうございます。
「気に入った?それはよかった。はい次、ディー。」
「は。」
「やっぱかたすぎ。まあいいけど。」
そうして残りの三人も名前を付けていった。
「ふぅ。それじゃ、また会ったらよろしくね。」
エレノラさんはそうして手を振って去って行った。まだ名前を付けて回らなきゃいけないんだろう。大変だなぁ。
トリ――じゃなかった、『観者』を除いてみんな笑うなりにやけるなりしている。私もちょっとにやついてるかもしれない。
「みんなよかったね。」
「ま、まあ私もついに『人』の仲間入りですからね。……もうちょっと良い名もあったとは思いますが。」
ディー改め『堤防師』は文句を言いながらもうれしそうだ。
「……あまりうれしくなさそう。」
『もの言わぬ樹人』となったクアはトリの方を見ながら言った。
「まあ、私の場合は別に新たに人となったわけではないし。そこまで感慨とかはないかな。」
まあそうか。
「名付け主があの『円卓の管理者』なのだし。」
「何かまずいことでも?」
「……まあないけど。個人的な問題だ。気にしないでいい。」
そういうのもあるのか。まあずっと持っていなきゃいけないってわけじゃないのが救いなのかな。
*****
私達がふわふわしているのは召喚獣達にも自然と伝わった。
「何かあったのか。」
夕食の際に、ウェブからそう尋ねられた。
「あ、いえ。ちょっと。うーん、なんて言えばいいのか。」
説明が難しい。
「まあ、簡単に言うと認められたと言いますか。」
「そうか。良かったな。」
「はい!」
ウェブの良いところは与えられた情報から、自分が必要な情報をしっかり受け取れるところだろう。
「で、後は何が残ってるんだ。」
「後は……願いの聞き入れだけですね。」
そうか。もうそれだけになったのか。
「いや、あとウェブとの召喚の契約を破棄しないと、ですね。」
「そうか。」
ウェブは食事を済ませて、また口を開いた。
「ユノ。」
「はい?」
「ユノは、幸せか?」
私も食事を一旦止める。
「……どうでしょうね。」
正直、よく分からない。
「ただ、ちょっと思ったんですけど、もうウェブに助けてもらうっていうところじゃないのかもしれません。」
でも、ウェブももう帰るんだから。どうせなら安心して帰ってもらわなくちゃ。
「ほら、戦争と同じで。多分誰か一人だけが頑張っても手に入らないといいますか。多分……ここからは、私次第、なんだと思います。」
「そうか。」
沈黙。
とりあえず、私もご飯を食べ終える。
「ウェブ。」
「なんだ。」
「ウェブは、元の世界に戻るのですよね。」
「ああ。」
「何でですか?」
ウェブはやや眉間にしわを寄せる。しばらくの後に口を開いた。
「どうあっても、俺の世界はここではない。それを良しとする者もいるだろうが、俺は違うのだろう。」
「そう……ですか。」
分かるような、分からないような。
「でも意外ですね。ウェブは細かいところは気にしないタイプだと思っていたので。」
「あるいは、そのために必要なのかもしれん。」
よく分からないけど、多分ウェブにもよく分かっていなさそうだ。深く聞くのはやめておこう。
「あ、帰るにしても何か持って帰ったりはしないんですか?」
「そうだな……。」
ウェブはまた何か考える風。
「まあ、思いついたらもらっておこう。」
そんなものか。まあこう言うのって大体結局何も思いつかないんだよね。
*****
そして、最後の日が来た。
ウェブの世界と繋ぐ召喚魔術の魔方陣が発動したのだ。
ウェブの世界は、どうも一番繋ぎやすいらしく、一番最初に帰ることになったのだ。
見送りには私と、すでに屋敷を離れた『観者』以外の元第一小隊のみんな、それにアキさんとマモルさん。あとは見送りではないけど魔術を発動させている『霧城王』……じゃなくて『細道の導者』がいる。
「それではお元気で。」
「ああ。」
「大将~~。私のこと忘れないでくださいよ~。」
「忘れる方が難しいだろう。」
「あっちの世界に行った後に、ぐるぐるすると思いますけど我慢しない方が楽ですよ。」
「そうか。」
召喚獣達とマモルさんが、ウェブと挨拶を交わしてる。
その様子を遠目に見ていると、ディーとクアが寄ってきた。
「どうしたんですか?」
「……大丈夫かと思いまして。」
思わず数歩後ずさる。
「……どういう反応ですか。」
「いや、ディーがそういうことを言うと思わなくて。」
「『堤防師』。」
「あぁ、はい。とにかく。」
うーん、やっぱりすぐには慣れない。と、ディー……じゃなかった、『堤防師』はため息を一つ。
「一体あなたは私のことをどういう人間だと思ってるのですか。」
「うーん。……ともあれ、私に優しくする人だと思ってなかったんです。」
「う……。ま、まあ、確かに以前はそうでしたが、認めるべきものは認めているつもりです。」
それって、私を認めてるってこと……?
深く考える前にクア……じゃなくて『もの言わぬ樹人』が私の服を引っ張ってきた。
「ほんとに大丈夫?」
「あなたまで。……何があるっていうんですか。」
と、アキさんまで寄ってきた。
「うんうん、お別れって寂しいもんね。」
「まあ、それはそうかもしれませんね。」
ウェブの方を見る。寂しい、のかもしれない。
でもまあ、そういうものだろう。
と、アキがこっちをじぃっと見ていた。
「ど、どうしました?」
「ねぇ、キス、しないの?」
「へ?」
「キス。」
目をぱちくり。その後顔がぽうっと熱くなった。
「き、きききききき、キッスって、その。」
「唇と唇を。」
「分かってます!でもその。」
「あ、もしかしてユノさん。」
「『巨き――」
「外野は黙って!」
アキにいわれてしゅんとする『堤防師』。強い言葉に弱いらしい。
「で?」
「はい?」
にやにやした顔をこちらに向けるアキさんに、笑みを返す。どうかな、引きつってないかな。
「で?」
「あ、そ、そうだアキさん。『深淵覗きし者』って人がよろしくって言ってましたよ。マモルさんとたまには帰って来いって。」
「お師匠様が?会ったの?」
「えー、まあ。はい。」
危うく捕まりそうになったけど。というかほぼ捕まってたけど。
「アキさんの師匠なんですか?」
「私とマモルのね。あ、マモルは研究者として、だけど。」
なるほど。いやうまく話をそらすことができた。
「で、ユノさんってもしかしてキスしたことないの?」
わけではなかった。
「おい、そろそろいいか。」
ちょうど『細道の導者』に声をかけられて、アキが諦めてくれたようだ。助かった。ナイスタイミング。
というか、ウェブ達のことを待たせていたらしい。
「すみません、お待たせしました。」
「では召喚を解くがいい。」
生唾を飲み込む。
召喚っていうのは不思議だ。契約する時は、呪文なんかを唱えてあんなに大げさな儀式を行うのに、召喚を解くのは一瞬。
ウェブの体に、色の抜けたカードを当てる。
「望んでください。」
「何を。」
「このカードを、あなたの中に取り込むことを。」
ウェブは頷き、程なくカードは輝いて、消えた。
「……終わりか。」
「はい。」
これで、終わり。私とウェブの間の繋がりも切れた。
「変わらないな。」
「はい。」
ウェブがあのゲートを通ったら、もう二度と会うこともないだろう。
これまでの二十何年と変わらない。元に戻るだけ。それだけなのに。
脳裏にウェブとのこれまでのことが浮かぶ。
ウェブと出会った時のこと。召喚契約を結んだ時のこと。
初めて会ったはずなのに、どうしてかウェブは私のことを助ける気満々だった。
初めての訓練、初めての戦場。
あのときよく分かってなかったけど、ウェブはいつも私のことを気にかけていた。
悩んでいた時も、失敗した時も、ウェブが近くにいた。
でも、これでもう終わり。
「……ないでください。」
「何?」
「行かないでください。おいて、行かないで。」
目が熱い。口が私のものじゃないみたいに動く。
は、恥ずかしくて顔を上げられない。
ウェブからはなんの反応もない。
「す、すみません。忘れてください。忘れて。」
ぶつぶつ言ってたらウェブが声を上げた。
「おい。」
「なんだ。」
「願いってのは、何でもいいのか。」
「今更だが……まあできることなら。」
「そうか。」
と、体を抱え上げられる。
「え、え、え?」
「じゃあ、ユノをもらっていく。」
沈黙。少しして、驚きの声がかぶる。
「ええぇぇーーーー!?!?」
その後、好き好きにみんな話し出す。
「さすが大将、よく言った!」
「いや、ええ?」
「それじゃあ『巨き幻光』、お元気で。」
「あ、あの。」
「じゃあいいんだな。」
「まあ構わんだろう。」
「いや構いましょう!」
「ちょっと待ってください。」
ついに私以外のストップがかかる。マモルさんだ。
「魔女が異世界に行くと死ぬことがあると聞いているのですが。」
「ふむ。」
話を聞いた『細道の導者』がウェブの体に触る。びくっとウェブの体が動いた。
「……まあ大丈夫だろう。」
「そうですか。それは良かった。」
「いや、ほんとに大丈夫なんですか?」
「理論上は。」
理論上って……そんなのでほんとに大丈夫なんだろうか。
ウェブの体の上で暴れていると、ウェブに体を持ち直される。
「ユノはイヤか。」
じぃっと私のことを見る。
うぅ。
「い、いや、じゃない、ですけど。」
「そうか。」
ウェブはそのままゲートの方に歩き出す。
「いやでもまだ心の準備がっていうか、そう!パパとママが。」
「ご両親には俺の方から伝えておこう。」
いや、ええ?
「なに、時々はこちらからまた繋いでみよう。見つけられたらくぐってみるがいい。」
『細道の導者』はどうもどうあっても私をあっちの世界に送ろうとしている。なぜ。
「いやでも、あのそんなの絶対見つけられないっていうか。」
進行方向を見るともうゲートは目の前。言い訳も思いつかない。
「ああああああああああああああああーーーーーーーーーー。」
そして、私とウェブはゲートをくぐり抜けた。
*****
異世界 某地 某所
気がついたら、ウェブはもう起きていた。
「う、うぅ。」
起き上がる。頭が重い。
「目が覚めたか。」
「あ、は、はい。」
どうもここは森の中?鳥の鳴く声がする。
「ここは……。」
「俺の村の近くの森のようだ。」
へぇ。っていうか、私、本当にウェブの世界に来てしまったんだ。
とりあえず、生きている。マモルさんに脅されたのは杞憂で済んだらしい。
「光を。」
詠唱すると、弱々しい光が出た。どうやら全く魔法が使えないってわけじゃないらしい。でも、かなり疲労感が出る。
「大丈夫か。」
「はい。一応。」
息を整える。
「それで、これからどうするんですか?」
「そうだな。ひとまずは家の様子を見に行こうと思うが。」
と思ったところで、女性の甲高い声が聞こえた。
「む、行くぞ。」
「行くってどこへ、って、わわ!?」
ウェブは私の体をまた抱え上げて、悲鳴の方に走り出した。
どうやら、今度は私の方がウェブに付き合うことになるらしい。
ウェブの顔を見る。なんだか楽しそう。
まあ、なんとかなるだろう。きっと。
何か大きい……なんだろう。とにかく、巨獣をやっぱり素手で倒したウェブは、助けた女性にものすごい感謝された。その後、その女性は走り去っていった。
「追いかけないで良いんですか?」
「大丈夫だろう。あの方向なら街も遠くない。」
それなら大丈夫……なんだろう。
「では行くか、ユノ。」
あ、そうだ。
「あ、あの。」
「どうした。」
「わ、私のことはアイラって、呼んでください。ほ、本名です。」
「そうか。」
ウェブは鼻を少しかいた後、こちらに手を差し出した。
「じゃあ行こう、アイラ。」
「は、はい!」
私はその手を取って、ウェブと一緒に歩き出した。