六 『叡智』
ファクスパーナ大陸 レーゼバルト首長国首都 街中
崩れつつある煉瓦の街を、仮面を付けてウェブと歩く。
綺麗に舗装されていたんだろう石畳の道には、崩れ落ちた煉瓦が瓦礫となって馬車を立ち往生させていた。
街には至る所にテントが張られている。わたしたちの街、かつての魔法都市からの避難民だけではなく、どうやら元々この町に住んでいた人たちも、天幕を張って風をしのいでいるらしい。
「これは、ひどいな。」
『……ですね。』
わたしたちが来た時には、もうすでに敵兵たちは去っていた。おそらくは一時撤退だろうとは、霧城王の言だ。
「これより先は、我らと彼らの戦いではない。国同士の戦いとなる。これ以上長引かせるわけにはいかぬ。こちらも、あちらも。」
わたしたちの現在の任務は哨戒。敵がいつ来るかについては、我らが学園長が見ているところらしい。
学園長が『天と地を知る者』と呼ばれるゆえん、彼女の『千里眼』は一度に一か所しか見られないという。
敵の行うだろう「いやがらせ」を、未然に防ぐのがわたしたち、いや全魔女に命じられたのである。
大通りを歩いていると、連絡が入る。
『ウェブ。』
「分かった。」
ほうきにまたがり、ウェブを連れて連絡のあったところに向かう。
街のはずれ、街並み、という風ではないようなところに、テントが点々と貼られている。
「光れ《facons》、示せ《sodic》、敵の位置を焼き記せ《falemen fanumamo odi fadico》。」
テント群の一部、特に内側のほうを光らせる。
『お願いします。』
「分かった。」
ウェブをほうきから降ろし、片目を閉じる。目に映るのは、空からの奇襲に慌てふためく人たち。テントの中には瓶や銃、あとは魔術回路のついた何か。どうやら避難民に紛れて準備をしていたらしい。
こんな状況でも、学園長からの魔女に対する命令、つまり「死なず殺さず」は生きている。ただ、少し変わって対魔女であれば目をつぶられるようになった。
でも、敵の大半はただの人だ。それを相手にするのは、魔女に強化された国兵とわたしたち中隊。多少は味方が増えた、というわけではある。
少なくとも、形だけは。
一個分隊を襲撃した後、しばらく街の外側をぶらぶらした。もちろん、哨戒のためだ。
すれ違う人からは、時々触れたくないものを見るような目を向けられる。主に、魔女たちから。
耳をすませば、きっと彼らが何を話しているか聞こえるだろう。
負け犬、とか。味方しか殺せない、とか。
いや、やめよう。
空を見ればもう日も落ち始めている。
『ひとまずは終わりですね。』
「む、そうか。」
『いったん戻します。』
「うむ。」
ウェブをカードに戻すと、ちょうどセーテが現れた。
「あ……。」
「交代よ。」
セーテは男女の召喚獣を連れている。女の方は先の戦いで亡くなった唯一の召喚士、オートの召喚獣だった。
「よろしくお願いします。」
「……当然よ。」
セーテの声はどこまでも冷たかった。
*****
ファクスパーナ大陸 レーゼバルト首長国首都 専用詰所
中隊の詰所に戻り、ウェブを召喚する。
「お疲れ様でした。」
「ああ。」
ウェブはじっとこっちを見ている。
「何ですか?」
「いや。なんでもない。」
ウェブはそのまま何も言わずに食堂の方に向かった。
なんとなく気が引けるので、先にクアに挨拶しに行こう。
クアの部屋には、何もない。ベッドと机、それにわたしの置いた椅子と花瓶。それでもクア自身はだいぶ良くなった。食事もちゃんと摂っているようだ。
「クア、元気ですか?」
ベッドの上のクアは気のない笑みをわたしに向ける。
「私は元気。」
「そう、ですか。それはよかった。」
「何しに来たの?」
椅子を引いて座る。
「顔を見に来たんです。」
「なんで?」
なぜ……?難しい質問だ。
「えと、隊員の状況を見るのは隊長の役目……とか。」
「でも、私はもう。」
戦えない。続けはしなかったけど、言おうとしたことは分かる。
机の上の花瓶を見る。名前も知らない、小さな花。
「いつだったか、クアはわたしと同じって言ってましたよね。」
そう言うと、クアは目を逸らした。
「ごめん、なさい。」
「あ、ち、違います。むしろ、謝るのはわたしの方です。」
クアが戦えなくなったのは、レリースが消えてしまったのは、わたしのせいだ。
わたしが混乱していなければ、わたしが引き際をわきまえていなければ。
わたしがウェブを止めていなければ。
「小隊長?」
「え、あ、ごめんなさい。」
いけない。わたしも変なこと考えてた。
「とにかく、わたしも同じように思ったんです。クアとわたしは似てるって。」
わたしも、多分ウェブが消えたらもう戦えない。
わたしには力もない、技術もない。それに、心もたぶん、耐えられない。
でも、クアは首を振った。
「それは多分違う。」
「そう、ですか?」
クアは目をきょろきょろと動かしている。まるで言葉を探しているみたいに。
「小隊長は、小隊長、だから。」
ちょっとよく分からない。
「でも、それだってわたしが『鳥』だからだと思いますし。」
クアはまた首を振った。
「でも、私は小隊長じゃない。そこが、私と違う。」
「それはそうですけど……。」
そんなの……わからないけど、別にわたしが小隊長に向いているからってわけじゃないと思うし。
「その……クアはちょっと喋るのが苦手みたいですから、それだけですよ。多分。」
でもクアは納得いっていない様子。
「あ、ち、違いますよ?クアがダメって言ってるわけじゃなくて。むしろいつも助けてもらっていて。」
「違う。」
「違いません!」
なんだか段々意地になって来た。
けれどクアは乗ってこなかった。いや、まあいいんだけど。
「ちゃんと小隊長してる。」
「そうですか……?」
こくりと首が縦に振られる。
「……本当は、私はレリースがいなくなったのよりも、もう認められないのが、怖かった。それで、私は本当に何もできなくなった。」
「そんなこと……。」
ないと言いたかった。でも、言えない。
クアは戦えなくなった。魔術は使えるけれど、使えるだけ。植物を生やしたりするのはあまり戦闘向きとは言えない。
わたしたちにとって召喚獣は武器だ。特に『人』の身でない、生み出せる魔法や魔術の少ないわたしたちにとっては。
「でも小隊長は違う。たぶん、小隊長はやらなきゃいけないことをやれる人だから。」
話のつながりがうまく見えない。けど、クアなりに慰めてくれている気もする。
わたしが慰めに来たはずなのに、おかしな話だ。
「ありがとうございます。でも、やっぱり同じですよ。わたしだって認められないのが怖いです。だからやるべきことをやってるんだと思います。」
必死に小隊長ぶって。本当は誰かにおんぶにだっこで。
でもやっぱりクアは首を振った。
「認められたいだけなら、多分違う。」
「そうですかね。」
まあ、なんにせよクアも元気そうでよかった。
と、ドアがノックされる。ウェブの声が聞こえる。
「俺だ。」
「どうぞ。」
ドアが開いてウェブが入って来た。
「邪魔をしたか。」
「いえ、そろそろ立とうと思ったところです。」
そう言って本当に席を立つ。
「それじゃあ、クア、ありがとうございます。」
「ううん。今度は、お茶用意するから。」
クアは笑ってわたしたちを見送った。ちょっと寂しそうな笑顔だった。
クアの部屋を出て、ウェブがわたしの手を引いた。
「ちょ、ど、どうしたんですか?」
「呼びだしだ。」
あ、なるほど。そういえば報告とかしていなかった。
「そういえば、ちゃんとノックしていましたね。」
「俺も成長する。……昔は成長は止まると思っていたが。」
なるほど。まあ、確かに言われてみればそんなもんだ。
*****
中隊長室に行くと、『霧城王』と、見覚えのある二つの後ろ姿があった。
一人はマモル・マキグサ。もう一人は、あの第一島に居た司令官。
「『現実複製者』……?」
と、そこで仮面を付けていないことに気付いた。慌てて探して付けようとするが、よく見れば『霧城王』も仮面を付けていないことに気が付いた。
「あの……。」
「補充要員だ。もっとも、戦闘員ではないが。」
『霧城王』はさっと説明して、『現実複製者』はこちらに右手を差し出した。
「あの島では世話になりましたね。」
「あ、いえ。その節はすみません。」
握手を受けて軽い挨拶のように言ってしまったが、『現実複製者』はきょとんとした後、長い前髪の後ろで笑った。
「いやあ、僕個人としてはむしろ感謝していますよ。おかげで面倒な指揮官を止めることができた。あ、もちろん犠牲者への責任は感じていますけど。」
「その男は第一島を落とされた責任を取って指揮官職を辞退した。それで、ここに配属となったわけだ。」
「僕としては、こうやって内勤で研究できる方が嬉しいですね。」
なんというか、自由な人らしい。第一島で見た時とはえらく印象が違う。
「でも、とても優秀な方だと思いましたが。」
「いや、僕なんてまだまだ。」
「まあ力を使うべき時に使わない者は優秀とは呼べんだろう。」
『霧城王』の言葉に『現実複製者』は口角を上げてそちらを見た。
「言うようになりましたね。」
「何の話だ。私は『霧城王』であって、あなたの知る人ではないと思うが。」
……どうやら二人の間には何かがあるらしい。
「そ、それで、どうしてマモルさんがいるんですか?」
『霧城王』はようやく気付いたかのような顔で、『現実複製者』を睨むのをやめた。
「こう見えて『現実複製者』とマモル・マキグサ、分野は違うとはいえともに研究者だ。ついては、二人は中隊付きの技官となってもらう。敵の厄介な磨滅弾その他魔術兵器に対する策を考えるのが仕事だ。」
「改めて、よろしくお願いします。マキグサマモルです。女の子みたいな名前ってよく言われますが、男です。」
マモルさんは右手を顔の辺りまで一度上げてから、何かに気付いたようにこちらに手を伸ばしてきた。そうして握手をする。
「あ、はい。こちらこそお願いします。第一小隊長のユノです。」
なんというか、マモルさんも『現実複製者』もどこか緊張感がないというか、この二人を見ていると本当に戦時下なのか怪しくなってくる。
ウェブと『霧城王』を見て、自分の立場を思い出そう。
「どうした?」
「何だ。」
「あ、い、いえ。なんでもありません。」
別に悪いことはしてないと思うけど、なんとなく気まずくなって目を逸らした。
『霧城王』はため息を漏らし、解散を宣言した。
そういえばまだご飯を食べていなかった。ご飯を食べに食堂へ行こう。
「あ、ご飯ですか?僕もご一緒してもいいですか?」
振り返ったところにマモルさんに声をかけられた。まあ断る理由もないだろう。
そして当然のようについてくるウェブ。ご飯先に食べたんじゃないのかな。まあいいけど。
*****
食堂では、以前と同じように土人形たちが料理をしてくれていた。
「これ、本当にすごいですよね。ユノさんもこういうの出来るんですか?」
マモルさんに素直に聞かれて思わず首をぶんぶんと振ってしまう。
「いえいえいえいえ。無理です無理です。わたしなんて精々光を操るくらいなもので。」
答えながらも料理を受け取って、椅子に座る。ウェブはお茶だけ組んで、わたしの隣に座った。
「あれ、ウェブご飯はいいんですか?」
「俺はもう食べた。」
やっぱり食べてたんだ。まあいいか。喉でも渇いたのかもしれないし。
マモルさんはわたしの向かいに座って両手を合わせて料理に頭を少し下げた。
「いただきます。」
変わった風習だ。けど、まあ食べ物に感謝をささげるのはそれほど変わってもないか。
「それはソントララのほうの風習なんですか?」
「え?ああ、いや。僕の故郷の……異世界の風習です。」
「そういえばマモルさんも異世界の出身でしたね。アキさんに聞きました。」
アキの名前を出すと、マモルさんはちょっとはにかんだ。
「アキは大丈夫ですか?その、彼女人付き合いがあまり得意じゃないから。あ、僕が言える立場でもないですけど。」
「ええ、特には。」
魔女に人付き合いが得意じゃない人は割と多いし。我が強いというか。
と、どこからともなくアキがエプロン姿で現れた。
「ま、も、ル~!」
ぎゅっと食事中のマモルさんに抱き着いた。
抱き着かれた腕をポンポンと叩いたマモルさん。
「はいはい、お疲れ様。ご飯食べてるところだから、ね。」
「は~い。」
ぴょんとマモルさんの隣に座ったところで、わたしたちと目があって、ものすごく顔が赤くなった。
「あ、あの、す、すみません。」
「いえいえ。お構いなく。」
「ああ、気にするな。」
ウェブにまで言われた所でますますアキは顔を赤らめていった。
わたしとマモルさんがご飯を食べているところを、ウェブとアキがちらちらと眺めている。
なんというか、なんだろう。異様だ。
まあ気にしたってしょうがない。早く食べて、部屋に戻ろう。
「そういえばアキ、そのカッコどうしたの?」
「ああ、私ここの給仕係なの。さっきはお皿洗いしてて。」
なるほど。アキは魔女だけど、表に出るわけにもいかないし、そうやって働いてるんだな。
ひょっとするとクアにも、同じような道もあるのかもしれない。給仕係はともかく、内勤的な立ち位置はありなのかもしれない。
魔術的にも、戦闘向けじゃないけど戦闘以外で使えないわけじゃないし、魔法陣だけ書いてもらうとかも悪くはない気がする。ただちょっと具体的な話は出て来ないけど。
「……ノ、ユノ!」
「え、あ、はい。」
ウェブに声をかけられて、自分がちょっとぼぅっとしていたことに気付く。慌てるようにご飯をかきこむ。
「大丈夫か?」
「ふぁい。……大丈夫です。」
思わずご飯を口に入れたまま喋ってしまった。
「失礼しました。」
「いやいや。そういえばユノさんは光の魔法が使えるんですか?」
「ええ、まあ。」
ご飯を食べながら受け答えする。
「光魔法はいろいろ面白いことができそうですね。あ、もしかして召喚獣の視界を見るのもその辺りの応用なんですか?」
若輩とはいえ自分の研究分野の話をされて、いざ話そうとしたのによく分からない話をされた。
「えと、なんでですか?」
今度はマモルさんがぽかんとした。
「いや、あれ?そうですよね?確か召喚士は召喚士と視界を共有すると聞いたんですけど。視界は光がつくるんですから、瞼に光を出して他人の視界を映してるんだと思ったんですけど。」
「いや、んん。そうか。なるほど……。」
考えもしていなかった。なるほど、確かに言われてみれば光がなければ見れるものもないわけだから、いやでもどうなんだろう。それにしたってどうやって光の情報を送ってきているかという話になるわけで、それはまあつながった魔力がそうさせているわけだけど、その構造通りに光を再構成して作り出すのはピンホールカメラを映すのとはわけが違うわけだから
「……キ、アキ!」
「は、はい!」
またぼけっとしてしまった。
「すみません。」
「いえいえ。分かります。」
そういえばマモルさんも研究者らしい。アキの方を見ると、呆れた様な、共感するような表情でウェブの方を見ている。だから違うって。
「ま、まあやってみるのが早いですね。瞼に映せるなら机にも映せるわけですから。」
目を閉じてウェブと視界を共有する。これはもう難しくない。ウェブと契約を結ぶ前から何度もやってきたことで、詠唱だって必要なくなった。
次に、この瞼に映っているのを瞼を開けてからも出し続ける。で、その焦点をずらすイメージで……。
「映れ《sodic》、続けろ《soxpan》、瞳から出でよ《soparat fari sodicetamo》。瞼に映るものを同じく外に映し出せ《sodic suri faparato ali qocons suri vaparato》。光を曲げ《famutar falemeno》、光を広げ《faxpan sodico》、集まる所を奥へと進めよ《somov qocongro suri faparato》。」
視界がちょっとちらつく。けど、机には確かに何やら映っている。白い何かが層を作っているようだった。
あ、そうか。ウェブが見ているから、合わせ鏡みたいになってるんだ。
「すみませんウェブ。ちょっと別の床を見てください。」
「む、分かった。」
机に映ったのは私の顔。
「ちょ、なんで私なんですか!」
「いや、なんとなくだが。」
机に映っている私の顔がだんだん赤くなってくる。リアルタイムにも写っているみたいだ。いや違うそうじゃない。
ひとまず魔法をやめる。ため息をひとつ。
「と、ともあれ確かに光関係みたいですね。いやぁ、これまで考えても無かったです。」
照れ隠しに頭をかく。前の二人を見ると、ぽけっとこちらを見ている。と、アキが私の手をとった。
「すごい!」
「え?」
「いや、実際すごいですね。言われたからってすぐに出来るものじゃないとおもいますよ。」
「いえ、まあ一応得意分野ですから。」
「そういう分野が一つあるだけでもすごいと思いますよ。」
なんだかこんな風に褒められたことがないからすごく照れる。
「いや、私なんて、ほらウェブからも。」
ウェブを見るとなんか誇らしげな顔をしている。なぜウェブが?
「あの。」
「どうした?」
いや、まあいいか。
「ともあれ、すごいのはマモルさんの方ですよ。こういうのはむしろアイデアを出す方が難しいですよ。」
「いやあ、そうでもないですよ。」
「いえ、マモルはすごいんです!」
正反対のことを同時に言うのは、仲がいい証拠……なんだろうか。
*****
また数日が過ぎ、変わらぬ日々を過ごす。少しずつ道が整い出した街を哨戒する。
噂によると、ソントララの人たちは首長国の地方都市を狙い出しているらしい。無駄に戦線を広げるというのが大変というのは、私だって知っている。だから、何か理由があるんだろう。
でもそれを考えるのは私の仕事ではない。私は、命令に応じて出撃するだけ。別の街に行けと言われれば行くだけ。
できれば、パパとママの元気な姿は見ておきたいけれど。
哨戒の度にそれとなくさぐってはいるけど、まだ情報はない。
そしていつものように哨戒を終えると、『霧城王』から呼び出しを受けた。仮面着用との事だ。
ファクスパーナ大陸 レーゼバルト首長国首都 専用詰所 中隊長室
室内には中隊のほぼ全員がそろっている。いないのはクアとアキだけだ。
「それでは会議を行う。」
壇上には『霧城王』と『現実複製者』、それにマモルさんが立っている。
三人の後ろにはこの辺りの地図が張られている。ピンで三か所ほど打たれ、一か所は首都、一か所は地方都市の一つ、レムレル。もう一か所は国境に近い平原部の辺りのようだ。
『霧城王』はその、平原部のピンの辺りを指示した。
「現在、敵の主力軍はこの辺りに駐留している。兵糧についてはここから国境を越え、隣国から受けている。そして、」
今度はレムレルの方を指す。
「次にこの主力軍が攻めるだろう場所がここだ。我々としてはここを攻められるのはかなりまずい。そこで、」
『霧城王』は首都に打たれたピンをさっと残りの二つのピンの間に動かす。
「我々魔女の七割と、レーゼバルト軍のおよそ三分の一をもって、ここアクレル渓谷で迎え撃つ。が、まあ例によってそれ以上の情報を知る必要はなかろう。」
いつも思うのだけど、いくら独立した部隊といっても、もうちょっと足並みをそろえるものじゃないんだろうか。
「この中隊に求められているのは簡単なものだ。可能な限り殺せ。死んでも殺せ。不死の意味を思い出させてやれ。」
オーダーはとてもシンプル。でも、それこそが私たちの仕事。
「質問は?ではかかれ。解散。」
戦場が変わっても同じ。やることは最低だけど、同じってことが少し安心。
*****
第一、第二小隊ともに欠員が出たので、中隊長付だった二組をそれぞれに加える形で再編された。私たちには、前に一緒だったズィーとその召喚獣のネシーが当てられた。たぶん、ズィーが『鳥』だからだろう。
こちらに移った時には再編成はされていたのだが、哨戒については小隊単位では行っていなかったので出撃前に顔合わせを行った。
ネシーは大変目立つ男だった。光らない黄金みたいな髪色をして目鼻立ちの整った顔をしている。
「ほら、ネシー。小隊長にご挨拶を。」
ズィーに言われ、ネシーは頭をかきながらこっちを見た。
「えーと、まあ、よろしく。」
「え、えと、はい。」
適当なセリフな割に軽く腰を折るようなお辞儀をされて、ちょっと面食らってしまった。まあ、それはそれとして隊員を軽く紹介する。たった二人分だけど、紹介する時間が短くなったのがちょっと引っかかってしまう。
「とまあ、そんな感じです。何か質問はありますか?」
「武器は?」
「……えーっと、エケーが刀で、ウェブが拳、レーレは……。」
レーレの所で止まってしまった。助けを求めるようにトリを見るが、顔を背けられてしまった。
仕方ないのでレーレの方を見るが、こちらも首をかしげている。
「……爆発?」
「……なんだそりゃ。」
首をかしげながらため息を吐いている。どうやらネシーには呆れられてしまったようだ。
まあ、事実なんだからしょうがない。と、ウェブがずいと前に出た。
「そういうお前の武器は何なんだ。」
と、ウェブの髪が風にあおられたように揺れる。
ネシーの方を見ると、自信満々な顔でウェブの方を見ながら、棒切れとゴムみたいなものを持っていた。
「俺のはコレさ。」
唇の片方を上げたところで、ズィーにチョップを受ける。
「失礼です。」
「って―な!ちょっとは加減しろっての。俺はおめーらみてーにムキムキじゃねーの。」
ズィーは頭を抱えている。
「まあ、こんなのですが仕事はちゃんとやります。」
みんなでうなずき合う。
「気を付けるべきは、召喚士の身と魔滅弾、それに全滅となるだろうね。」
トリの言葉を聞きながら瞼に映った景色を思い出す。レリースはあの時、いったいどっちに何を頼んだつもりなんだろう。
「マモルさんによりますと、基本的には魔女と兵士は一対五の割合でいるらしいです。基本的には魔女の近くで戦い、魔滅弾に対するけん制としてください。それでも打ってくるようならすぐに召喚を解くこと。」
ほぼ全員が頷きながら聞いてくれている。ネシーが聞いてるのか分かんない感じなのと、なんかレーレが睨んでる。
「あと、召喚獣の皆さんにはこれを。」
マモルさんから貰ったバングルを召喚獣一人ひとりに渡す。
「それは?」
「魔滅弾の衝撃に反応する魔術回路……?だそうです。魔力を込めれば一度だけ魔滅弾を防ぐそうです。」
「便利なものっすね~。」
全くそう思う。これがあの時にあれば、なんて思ってしまう。
「これもマキグサマモルが?」
「正確には現実複製者との共同制作らしいですが。」
思い思いに眺めた後に、みんなバングルを腕に通した。
「それはあくまで最後の手段だ。召喚獣も、召喚士も、基本的にはそんなものなどないつもりで動かないといけないよ。」
トリの言葉に今度は全員頷いた。
「それじゃあ、特に質問がなければ、仮面を付けたのちアクレル渓谷に出発します。」
そして誰からも特に質問はなかったようで、一度解散となった。
と思ったら、ディーがこちらをじっと眺めている。別に怒っているわけではなさそうだけど……。
「あ、あの、何か?」
「……何でもない。」
それだけ言って行ってしまった。なんだったんだろう。
*****
ファクスパーナ大陸 レーゼバルト首長国 アクレル渓谷
仮面をつけた四人と四枚はアクレル渓谷にほど近い山の中に降り立った。ここ以上に近づくと、隠れきれないらしい。
「相手も少数が来ているのは覚悟の上だろうけど、だからといってみすみす身を晒す意味もない。」
そんなわけで、私たちは探知の魔術も捨て、身を隠して各々召喚して渓谷の方へとやる。
目を閉じて、ウェブと視覚を共有する。まだ森の中を走り回っているようだ。
ネシーの姿は見当たらないが、上の方から木々のすれる音が聞こえる。どうも木の上を走っているらしい。
と、前を走っていたエケーが制止の合図をとる。奥は急な斜面となっていて、木々を絶つように道が走っていた。
「ここか。」
「おそらく。」
トリとノヴォの方を見れば頷いている。
『そちらで待機を。右側から敵が来るはずです。』
「了解。」
視界が右を向き、そのまま固定される。道の中央に流れる川音と、風が作る葉のすれる音だけが聞こえる。
エケーとレーレは地面に何やら書いている。どうやら魔方陣のようだ。
「たった四人で防衛戦をやるなら、準備は欠かせないからね。ディー。」
「は。」
エケーの腕が光り、地面に移る。地面には魔方陣が現れて、そこから霧が出始める。
「最も避けるべきなのは全滅です。召喚獣は不死身とはいえ、再召喚には時間がかかりますから、その間に敵に侵攻されてはいけません。」
「一応洪水の魔術は準備しています。この地形ですから、いざというときの足止めになるでしょう。」
ディーの方を見てうなずく。
「トリの方は?」
「私のほうは地崩し。敵が来ると同時に発動させるつもりだ。」
「なるほど。その通りでお願いします。」
「了解。」
さすがはトリだ。
「えっと、ズィーは……?」
「私もあなたと同じ魔法使いで、準備することは特に。その上私は回復魔法が得意なものですから、どちらかというと戦闘中ですね。」
なるほど。私も今のうちにできることは特にない。
「了解です。今後も何か準備をしたら各自報告をお願いします。」
エケーとレーレはまた何かを書き出した。まあ、準備はこれくらいだろう。
「後ろからこちらの軍勢が追いかけているはずです。ソコッマデ耐えれば、私たちの勝ち、といった感じです。頑張りましょう。」
といったら、なぜか笑われてしまった。
「な、何か変なことを言いました?」
「いや、頑張りましょうとは。」
「なんだか締まりませんね。」
そ、そうだろうか。
動きもなく、しばらく時間が経った。日も高くなってきたが、まだ敵は来ない。
「どう思います?」
「道を外れた行軍や空輸ができるほどの人数ではないはず。何かあって遅れているか、出撃をやめたか、実はすぐそこまで来ているか。」
まあ、どちらにしても私にできることはない。待つだけだ。
とはいえただ待つというのもつらいものがある。来るなら早く来てほしい。
……願いはすぐに叶った。
「……来ました。」
ズィーの声に全員の緊張感が高まる。目をこらしてもよく見えないほどに霧がかかっている。
が、その中に黒い影がちら、ほら、と見え始める。規則正しい足音も聞こえる。
こちらの声が聞こえるわけではないが、なんとなく声を出すのがためらわれる。トリの方を見ると、小さく頷いている。
そして轟音。黒い影たちの動きが止まる。
全員を見る。そして、ウェブに声をかける。
『行きましょう。』
土砂崩れの終わった頃に、ウェブとエケーが黒い影の前に出る。土壁を背に、ソントララの前に立ち塞がる。
先手をとるか、相手が来るのを待つか。
「行きます。」
ディーに言って歩みを合わせる。
やがて霧の先の黒い影が、人の姿となって、姿を現した。
「誰だ!?……貴様、その仮面は!」
「悪いが死んでもらう。」
「この先には、一人も通しません。」
銃声が一度に鳴り響くが、気にせず正面の男たちに殴りかかる。とはいえ、作戦通り魔女を近くに置かねば。
「見よ《sosciat》。感じよ《vasciat》。魔女の姿を浮かび上がらせよ《sovirg sodco odi vanuma fadomato》。」
魔法をかけて魔女を光らせる。
『光っている人たちが魔女です。必ず近くに置くようにお願いします。』
「わかった。」
ウェブ達はあえて敵に囲まれるような位置に動き、体をひねって敵の槍を避けたり、敵の体をぶん回して巻き込んだりしている。
と、後ろ側でゴツンと何かが当たる音がする。振り向くと件を振りかぶった男が頭から血を出して倒れている。
前を見ると敵がいない。
『ウェブ!』
「分かっている!」
すぐに敵が構えている槍のほうに飛び込む。多少腕に傷がつくが気にしない。
と、すぐさまに銃撃がさっきまで経っていたところに降りかかる。まるで横に振る雨のようだ。
腕に刺さった槍をそのまま握り、逆側に投げ飛ばして敵ごと弾の雨を打たせる。
「銃撃、やめ、やめ!」
慌てるように敵がまた集中してくる。槍に可動域を制限される。
ウェブはそれでも飛んだりはねたりと華麗に避けるが、さすがにつらそうだ。脇腹に引っかけたり、飛んだ先の槍にえぐられたりしている。あまりよくない状況だ。
「レーレは出せますか?」
「いいとも。」
途端にやや遠くから爆発が聞こえてくる。周囲の敵が気をとられている隙に包囲を破ってまたぶっ飛ばす。槍の方に押して自爆を狙い、足を引っかけて頭を踏み抜き、殴るだけでも何かが折れる音が聞こえてくる。
その分、後ろからの攻撃がやはり避けられない。そろそろ血を流しすぎだ。
「ディー、エケーはまだ耐えられそうですか?」
「少し防御に回すよう指示を出します。」
「すみません、お願いします。」
耳にまた爆発音が聞こえる。爆発で山の方に飛んで、また飛び込んでとやっているらしい。
「ネシーは?」
「いかんせん数が多すぎます。フォローは入れてますが、かなりつらそうです。」
「炸裂系の玉を撃ってください。しばらく三人でお願いすることになります。」
「了解です。」
そういったところで、足を取られてそのまま胸を刺された。
「ぐぅっ。」
『戻します!』
「すまん。」
言葉を聞いたところで召喚を解く。大きく息を吐いて、カードを握りしめる。
「すみません、しばらくお願いします。」
「まあこの調子なら土砂を崩す余裕もないでしょう。」
多分このままいけば撤退まで耐えられる……だろう。
……よし、ウェブはそろそろいけそうだ。もう一度召喚する。
「行ってくる。」
「お願いします。」
「早めに頼みます。そろそろエケーもまずそうです。」
「レーレもそろそろつらい。」
ウェブは頷いて、思い切り走る。遠慮がないとかなり速い。
ウェブが戻ってくるとほぼ同時に、エケーが銃撃を受けているのが目に入った。
銃を撃っている敵を吹き飛ばすが、エケーは消えていった。
「ネシーは?」
「魔女が空を飛ぶようになってきましたので、そちらを押さえています。」
空を飛ばれるとネシー以外には対応が難しい。レーレにはできるかもしれないけど、急な対応はとれない。
「そのままお願いします。地上はウェブとレーレで押さえます。」
と、今度は敵が一挙に後退する。引き下がったように見えるが、構えが解かれていない。
ウェブももちろん見逃していない。引き下がる敵に突っ込んでいく。と、後ろに引っ張られるように動いた後、思い切り前に飛ばされた。
「うおっ!」
『だ、大丈夫ですか!?』
すぐに立ち上がってまた敵を吹き飛ばす。
「爆風だろう。問題ない。」
ふと視界に独特の黄色い光が見えた。
『ウェブ、魔法です!』
「うむ。」
逃げて、といったつもりだったがウェブはあえて光の方に向かって、殴り飛ばした。
まあ、確かに殴られたら集中させた魔力も発散してしまうだろうけども。
そうしているうちにエケーが戻ってきた。
*****
兵の死体が周りの山と同じ高さに積み上がるまで繰り返しているうちにソントララ軍は引き下がっていった。
「ひとまず終わり、ですね。」
「後ろはレーゼバルト軍が押さえています。少し体制を整えてから挟み撃ちにするとしましょう。」
「兵の死体は焼いておこう。変な病が蔓延しても困る。」
言うと同時にレーレに魔方陣を書かせるのはさすがだ。
しかし、ズィーは何かを考えているようだ。
「おかしい。」
「何がですか?」
「いえ、人が少なすぎるかな、と。」
と、ウェブ達の方に魔女が飛んでくる。構えるが、どうも味方のようだ。
「すみません、道なりに飛んできたのですが、敵はどこに行ったのですか?」
どういうこと?崖を登って森に入った?
「いえ、それはありません。数名ならともかく、大軍勢が整備の行き届かない森を逃げるのはかなり無理が……。」
と、ディーが両目をつぶってしばらく黙っている。
「……確かに、主力軍という割には死体が少なすぎますね。敵は数百も死んでいないのに撤退していった。こっちの第二小隊も戦闘していただろうとはいえ、合わせても千人も殺してはいないでしょう。威力偵察で、森に逃げ込んだということでしょうか。」
と、トリが首を振る。
「そもそも、いくら理由があったとしてもこんなところは大軍が進むような場所ではないように思える。要するに。」
「囮……。」
ということは、どこかに本命があるはず。あるとすればそれは、行軍に支障がなく、そして陣を組んでいたところにそれほど遠くない、こちらに割かれたファクスパーナ軍が戻る前に戦闘を終わらせられるような場所……。
「あるとすれば、首都でしょう。あそこの周辺にはまだ残党が残っていたはずだから、そこも含めてそなえていればかなり早く着けるかと。」
「しかしそれなら学園長が気づくのでは。」
トリは少しうなりながら顎に手を当てている。
「『叡智』の持つ千里眼の魔術は、一度に複数は見られないと言います。もしこちらへの行軍が実際に計画されたものであり、土壇場で変えられたのだとしたら、あるいは気づけないこともあるのかも。」
「つまり、首都がまた危ないかもしれない、と?」
トリが首を縦に振る。
首都にたどり着いた時を思い出す。
焼けた家。壊れた道々。がれきに押しつぶされた人。
だんだんと呼吸が浅くなる。
「じゃあ早く戻りましょう!」
「いえ、これらはあくまで推測で、ディーの言ったとおり単なる威力偵察だった、ということも十分考えられる。」
でも、それでももし首都に入られたら。
前の時はほぼ全軍で当たってようやく首都を守った。でも、今はその三分の一がこちらに割かれている。
逆に敵は陣を張って万全の体制で行軍しているかもしれない。
何より、今度こそパパとママが巻き込まれるのかもしれない。
「……分かりました。ディーは魔方陣を発動させ、あちらの道を封鎖してください。土石流となって進める道にはならないでしょう。その後、三人で第二小隊と合流してください。」
「小隊長は?」
「私は首都に戻ります。」
言ってほうきを手に取る。が、トリに腕を掴まれた。
「いけません。本当に首都が攻められるとして、あなた一人で行ってなんになるというんだ。」
……何も言い返せない。でも。
「いきます。」
トリをじっと見る。掴む力が弱まったところで振りほどき、そのままほうきでまたがって飛ぶ。
「とべ《vamov》、飛べ《vamov》、もっと速く《vamutar faparata uni faparata》。」
波力を入れるごとにほうきは速くなっていく。
でも足りない。もっとだ。
「おい、俺はどうする。」
高速で飛ぶ中、ウェブの声がする。
『ウェブ、すみません、ついてきてください。』
「分かった。」
ウェブの召喚を解き、またほうきに力を込める。
「もっと速く《vamutar faparata uni faparata》、音を超え《qunum faparatoto suri vadicono》、光さえも追い抜くように《fantrat faparato odi sodicono》。」
一直線に首都を目指す。もう日の光も落ちてきた。
やがて、かがり火が目に入ってきた。
*****
ファクスパーナ大陸 レーゼバルト首長国 首都近郊
トリの予測通り、どうやら敵は首都の方に来ていたようだ。もう辺縁の家々が攻められ始めている。
レーゼバルト軍も応戦はしているが、装備の差がかなり見られる。魔女も少ないようで、魔術に対する防御もできていない。
はっきり言って、戦闘とはいえない。レーゼバルトの兵士達はみすみす殺されに行っているようなものだ。
どうしよう。ウェブを呼ぶだけじゃ、足りない。もう一つ何か。
「見せよ《sodic》。現れよ《sosciat》。召喚その姿をすべてに見せよ《sodic sogloro odi allemeno》 。目をこちらに向けられるよう《sodomat alsosciatamo suri covirgo》、その巨きな姿をこの地に下ろせ《sovirg sogloro odi solemeno》。」
詠唱とともにウェブを召喚する。そしてウェブと同時に、ウェブのハリボテを浮かび上がらせる。とても大きく、後ろにそびえるお城くらいに大きい。これなら、敵軍の視線を釘付けにできるだろう。
でも、これはただのハリボテ、光の塊。要するに無策。どうしよう。
ともあれ敵が寄ってきている。砲塔がこちらを向く。
魔法であることは火を見るよりも明らか。きっと飛んでくるのは魔滅弾だろう。
『ウェブ、急いでハリボテから逃げてください。』
「ああ。……なんだか恥ずかしいな。」
そう言われても。
ウェブが逃げるのに合わせてハリボテを逆側に動かす。すぐ壊されるにしても、囮として注目を得るためにも何かしないと……。
ひとまずは腕を振り下ろしてみる。何も起こらない。まあそうだよね。と、目を閉じると光が痛い。
『ウェブ?』
ウェブはどうやら振り下ろした腕の中で暴れているらしい。
「こういうことではないのか?」
いや、なんというか。すごい。本当に助けられてばっかり。
そうはいっても結局は大きな的でしかない。すぐに砲撃が来て。
爆音が遅れて二重に来る。爆風で体の半分が崩れて……ない。
私のハリボテは五体満足だ。
なぜ?
地面を見れば、真っ黒な杖を緑に光らせた人が見える。
背筋の伸びた、たった一人。杖を地面に突く。また杖が緑色に輝いて、地面が割れる。
『そこでは的だ。こっちへ来い、「一羽飛雁」。』
言われるがままに杖の人の方へと向かう。そこにいたのは学院長だった。
「学院長!?どうしてこちらに。」
「ワシはこの街にいたからな。このような大きなものがあれば、来ないわけにもいくまい。」
割れた地面にもう一度杖を突くと、地面から土が吹き出す。吹き出た土は、まるで導かれるように、というかおそらくは導かれるがままに敵兵の頭上へと落ちていく。
味方には傷一つつけず、敵のみを打ち抜く弾。これが『叡智』の、『概念』の魔術。
あ、でも敵が死んでそうだけどいいのかな。
「構わん。もはや状況は変わっている。ワシ一人が恨まれるなら、それでいい。」
やがて敵の方から黄色や赤の光が上がり、土砕流を防ぎ始める。防護の魔術でも発動し始めたのだろう。
今度は学園長の持つ杖の上に光球が出る。
「ふん、単純でつまらん魔術よ。」
そしてまた杖に緑色の筋が通る。その筋は地面を通って、敵の方へと向かっていく。
おそらく筋が防護壁にたどり着いた頃だろう。一瞬にして防護壁が割れ、その割れた隙間を通ってまた敵に土の塊が降りかかる。
そしてさらにまた杖が緑色に光る。
「我は『叡智』。貴様らを焼き砕く者。ここに残る者は、一切を問わずにその頭蓋を砕き割る。」
そしてもう一本地面を割り、飛んでいく土が二倍になった。
やがて敵の火はみるみる下がっていき、ついには見えなくなった。
学園長がもう一度杖を突くと、割れていた地面が元に戻っていく。
そして何事もなかったかのように元通り。
それを見て、背中に寒気が走った。
こんなの、同じ魔女だなんて思えない。
それで分かった。学園長が恐れていたのは、これだったんだ。
結局、何もできなかった。
「ところで、アクレル峡谷はどうした。」
ぐ、学園長の目が冷たい。
とおもったらふっと力が抜けた。
「冗談だ。経緯はすべて知っておる。」
「も、申し訳ありません。」
「構わん。」
「でも、何もできなくて。」
学園長はにらむようにこちらを見ると、ため息を一つついた。
「『円卓の管理者』の見立て通りかね、これは。」
えっと、その。
言葉に詰まっているとウェブがこちらにやってきた。
気にせず学園長は話を続ける。
「いいか、一羽飛雁。お前以外の中隊員は皆『円卓の管理者』が選んだことは知っているな?」
頷く。召喚師としての才能を見て選んでいったと聞いた。
「では、お前は誰が選んだ。」
私は……?
「このワシが選んだのだ。無論『鳥』である必要はあった。しかしそれが決め手ではない。」
「優柔不断で操りやすいから……?」
思いついたことを口に出したら本気で睨まれた。ウェブが間に入る。
「それはワシに対する侮辱であるぞ。」
「す、すみません……。」
学園長はウェブを杖でそっと押して、私に正対した。
「お前にはほかの魔女にはないものがあった。自由を旨とする魔女の中でも異質といえる、責任感とでもいうものがな。」
「せき……にんかん。」
あまりピンとこない。
「でも、私隊を抜けてここに来たのですが。」
思わず出た言葉に、学園長はこちらから視線をそらした。
「……ワシの知る限り、真に他人のために動けるのはお前のほかには三人ほどしか知らぬ。それほどの貴重な特質といえよう。」
「はぁ。」
やっぱりよくは分からない。そんな顔をしているのが分かったのか、学園長はふっと笑った。
「ともあれ、頼む仕事はあと一つといったところだ。よろしく頼んだぞ、第一小隊長。」
「え、あ、は、はい!」
ぴしっと背筋を伸ばして答える。ウェブもつられるように背筋を伸ばした。
「では息災に。」
学園長は城の方へと戻っていった。私はその背中を見ながら、学園長の言葉を考えていた。
*****
詰め所に戻る途中、ちょっと戻りづらくて寄り道をすることにした。
どんな顔で小隊の人たちに会えばいいのだろう。そもそもちゃんと無事なんだろうか。そんな思いが、さらに私の足を重くした。
憂鬱な気持ちで歩いていると、変な風に考えが進んでいく。
そもそも、どうして私はこんなに頑張ってるんだっけ。
そんなとりとめのないことを考えていたからだろうか。
「……アイラ?」
つい、反応してしまった。声をかけられた方を見ると、夫婦が一組。よく、知っている顔だった。
「アイラでしょ?ああ、よかった!」
女性の方が私に抱きついてくる。思わず抱き返しそうになるけど、すんでの所で止まった。
男性の方も寄ってきて、目を潤ませながらこちらを見る。
「どうしたの?そんな仮面なんかつけて。ほら、声を聞かせておくれ。」
口を開くけど、声が出ない。出せない。出せば何かが壊れてしまう気がした。
ウェブが近づいてきて、優しく女性を私から離す。
「何か勘違いをしているようだが、この者の名はユノだ。」
「嘘!そんな男みたいな名前。ねぇ、アイラなんでしょう?」
ウェブの制止にもひるまないで、女性は私に話しかける。
ようやく、私は首を振ることができた。私だと気づかれないよう、声に魔力を混ぜる。
「彼の言うとおり、私の名前はユノです。アイラという名は聞き覚えがありません。」
そう告げた時の二人の顔を見て、胸が激しく痛んだ。
「そう……ですか。」
「で、ですが魔女なんですよね?アイラに会ったらパパもママも元気でいると伝えてください。あの子もきっと生きてると思うから。」
今すぐこの仮面を剥いで私が二人の娘だといえたらどれだけいいか。
あるいはそれくらいなら許されるのかもしれない。でも、もしそれで殺された人の恨みがパパとママにまで伝わってしまったら。
私はただの臆病者だ。
「もし会えたならお伝えします。では。」
きびすを返そうとしたところで、もう一度二人の顔が目に入ってしまった。不安そうな、すがるような目。
「……死亡者リストにも見覚えがありませんから、きっと大丈夫ですよ。」
それだけ言って、本当に二人と別れた。
はやく、この戦争を終わらせたい。
多分初めて、心からそう思った。
「大丈夫か。」
ウェブにまで心配されるなんて……と思ったけど、それは違うか。ウェブはいつも私のことを気にかけてくれていた。
ちょっと考えなしに思えるようなときもあるけど、それでもいつだってウェブは私の幸せのために動いていると言っていた。
「ウェブ。」
「何だ?」
「ウェブはどうして、私のために動いてくれるんですか?」
「召喚獣とはそういうものではないのか?」
いや、まあそうだけどそうじゃない。
「じゃあ、なんで私と契約してくれたんですか?」
「お前が助けを求めたからだ。」
「見ず知らずの人の助けに応えたのは?」
そこで、ウェブは少し考えた様子だった。けど、やがて口をゆっくりと開いた。
「それが、父の教えだったからだ。助けを求められたなら、その者に幸福を与えよと。」
ウェブは空を見て話を続ける。
「俺の名前は母がつけた。名を呼ばれれば、俺は母を感じられる。この生き方は父に教わった。それに従う限り、俺は父を思い出せる。二人には会えないが、俺がウェブギスとして生き方を貫けば、俺は両親とともに生きているといえる。」
ウェブが自分のことをちゃんと話したのを聞いたのは初めてかもしれない。
「良い、お話ですね。」
「そうだろうか。俺は時々、両親に甘えていると思うことがある。」
なんだか不意に、ウェブがとても子供みたいに見えた。そうしたらちょっと可愛く思えた。
「ユノもやはりそう思うか。」
「あ、いえ。違います。なんだかうれしくなっちゃって。」
「そうか。それは良い。ユノがうれしいなら俺もうれしい。」
ウェブの方を見る。ウェブは、まだ空を見ていた。
「それは生き方として?」
「いや、本心だ。いや違うな。……まあ分からん。」
なんだそりゃ。ま、いいか。
でも、ウェブの考えは素敵だとは思うけど、なんだか自分のために生きてほしいなって、ちょっと思った。
でもまあ、人のことをいえた義理ではないかな。
*****
詰め所に戻ると、中隊全員損失無しで、無事作戦を完了したことを報告された。あと、めちゃくちゃ怒られた。