第53話 私の可愛いリリアーナ
夜も遅くなり、エレノアが自室で本を読んでいると、控えめに扉を叩く音がした。
「お母様、まだ起きていらっしゃいますか?」
聞こえてきた声に、エレノアはすぐ本を閉じた。
「起きているわ。入っていらっしゃい」
扉が開き、寝間着姿のリリアーナが顔を覗かせる。
いつもは綺麗に結われているシャンパンブロンドの髪も、今は背中へそのまま流していた。寝る準備を終えた娘は昼間より幼く見え、十一歳になっても変わらない可愛らしさに、エレノアの頬が自然と緩む。
「どうしたの? 眠れない?」
「いいえ。お母様に相談したいことがありますの。明日でもいいのですけれど……今、お話ししてもよろしいですか?」
「もちろんよ。こちらへいらっしゃい」
エレノアが隣を空けると、リリアーナは嬉しそうにやってきて腰を下ろした。
こんな時間に相談とは何だろう。王宮のことか、勉強のことか。それともアルベルトには言いにくいことでもあるのか。母親としていくつか考えていたエレノアだったが、娘の口から出てきたのは予想していなかった話だった。
「今度、マリーと二人でお出かけしようと思いますの」
「あら」
思わず笑ってしまった。先ほどアルベルトとも話したばかりである。
「そのお話なら聞いているわ。お父様にもお話ししたところよ」
「お父様にも?」
「ええ。護衛のことはお父様が確認してくださるそうだから、安心して楽しんでいらっしゃい」
それを聞いたリリアーナの紫色の瞳が輝いた。
「ありがとうございます! それで、お母様に相談したいのはお出かけ先ではなくて、マリーのことなのです」
娘が身体ごとこちらを向く。その顔があまりにも真剣なので、エレノアも姿勢を整えた。
「マリーを、とびきり可愛くしてあげたいのですわ」
「まあ」
今度は違う意味で笑みがこぼれた。
リリアーナは普段から可愛い娘だが、好きな人のことを話している時はもっと分かりやすい。頬が緩み、声まで弾んで、聞いているこちらにも楽しい気持ちが伝わってくる。
「マリーはいつも、わたくしの髪を可愛くしてくださいますでしょう? お洋服に合わせて髪飾りを選んでくださったり、編み方を変えてくださったり。ですから今度は、わたくしがマリーを可愛くしてあげたいのです」
「素敵ね。マリーも喜ぶと思うわ」
「そうでしょう?」
嬉しそうに頷いたあと、リリアーナは困った顔になった。
「ですが、ここで問題がありますの」
「どんな問題?」
「マリーは元から可愛いのです」
あまりに真剣に言うので、エレノアは笑いそうになった。けれど、娘にとっては大問題らしい。
「綺麗な髪ですし、瞳もとても素敵でしょう? お顔も可愛いですし、笑った時なんてもっと可愛いのです。それなのに、普段のお仕事ではメイド服ですから、お出かけの日くらいはもっと可愛くしてあげたいのですわ」
話しているうちに熱が入ってきたのか、リリアーナは両手まで動かし始めた。
その姿を見ていると、エレノアには別の誰かを思い出さずにはいられなかった。娘からもらった絵をどう保管するか真剣に悩み、まだ次の絵をもらってもいないのに大きな木箱を用意しようとしていた夫である。
好きな相手のことになると夢中になるところは、どうやら父親に似たらしい。
「それなら、マリーの綺麗な髪を活かしてあげたいわね。全部を結い上げるより、長い髪を残しながら編み込みを入れるのはどうかしら。髪飾りは、あの子の瞳に合う緑色が綺麗だと思うわ」
エレノアが提案すると、リリアーナは想像するように母親の髪へ目を向けた。
「編み込み……。それならお花もつけたいですわ。マリーには可愛いお花が似合うと思いますの」
「ええ。小さなお花なら緑色の飾りと一緒でも綺麗よ。マリーは顔立ちも整っているから、飾りを増やしすぎない方が本人の可愛らしさが引き立つと思うわ」
リリアーナの顔がぱっと明るくなった。
「それですわ、お母様! さすがお母様です!」
「ふふ、ありがとう」
「明日マリーに話してみます。きっと似合いますわ……絶対に可愛いです」
もう頭の中では完成しているらしい。楽しそうな娘を見ながら、エレノアも当日のマリーを想像した。
マリーは普段のメイド服でも十分に美しい娘だ。長い赤みがかった栗色の髪に澄んだ緑の瞳を持ち、笑えば年相応の可愛らしさもある。
リリアーナが張り切るのも分かる。
「お洋服は決めたの?」
「それもマリーとお互いに選ぶことにしたいのです。わたくしのお洋服はマリーに選んでもらって、マリーのお洋服はわたくしが選びますの」
「まあ、楽しそう」
「でしょう? マリーは『お嬢様のお好きなところへ参りましょう』と言ってくださったのですけれど、それではいつもと同じですもの」
リリアーナは膝の上で両手を重ねながら、エレノアを見上げた。
「わたくしが行きたいところへ行って、マリーがわたくしのお世話をしてくれるだけでは、二人のお出かけにならないと思ったのです。マリーにも行きたいところを選んでもらって、食べたいものも一緒に決めたいですわ」
その言葉に、エレノアは娘の横顔を見つめた。
十一歳の貴族令嬢と、その侍女。立場だけを見れば、主人と使用人だ。
けれど、リリアーナは自分だけが楽しければいいとは考えていない。自分を大切にしてくれるマリーにも、同じように楽しい一日にしてほしいと思っている。
それがエレノアには嬉しかった。
「あなたは本当にマリーが大好きなのね」
「はい! 大好きですわ!」
一瞬も迷わない返事だった。
「マリーはいつもわたくしの味方でいてくれますし、困った時には助けてくださいます。それに、一緒にいると楽しいのです。ですから、わたくしもマリーが嬉しくなることをしてあげたいですわ」
エレノアは娘の髪を優しく撫でた。
「きっとマリーも、あなたと同じ気持ちよ。あなたの髪を結う時も、お洋服を選ぶ時も、あの子はとても楽しそうだもの」
「本当ですか?」
「ええ。お母様には分かるわ」
その言葉に安心したのか、リリアーナは嬉しそうにエレノアの肩へ寄りかかった。
「それなら、もっと楽しみになりました」
「私も当日のお二人を見たいわ。マリーのお洋服を選ぶ時だけ、お母様も混ぜてもらえないかしら?」
エレノアが期待を込めて尋ねると、リリアーナは母親の顔を見上げた。
「お母様、とっっっても良い案ですわ!一緒に選びましょう!マリーも喜んでくれるはずですわ!」
「それに、帰ってきたら全部聞かせてちょうだい。どこへ行ったのか、何を食べたのか、マリーがどんな様子だったのかも」
「もちろんですわ。お母様には全部お話しします」
約束までできたところで、エレノアは時計へ目を向けた。普段なら、もうリリアーナが眠っている時間だった。
「相談はまとまったかしら?」
「はい。お母様に聞いてよかったです」
「それなら、そろそろお部屋へ戻って休みなさい。明日の朝、起きられなくなってしまうわよ」
「はい、お母様」
素直に返事をしたリリアーナだったが、なぜか立ち上がらない。膝の上で指を重ねたり離したりしている。エレノアは急かさずに待った。
やがてリリアーナが顔を上げる。
「……もうちょっとだけ、お母様とお話ししていてもいいですか?」
その一言だけで、エレノアの胸が温かくなった。
十一歳になった娘は、自分の知らない場所へ出かけ、自分で好きなものを見つけ、自分で大切にしたい人を増やしている。それでも、こんな夜には母親の部屋へ来てくれる。
「もちろんよ。今日は何のお話をしましょうか」
「何でもいいです。お母様とお話ししたいですわ」
それから二人は、明日の予定や最近食べたお菓子、庭に咲いている花のことを話した。どれも急いで話すようなことではない。
けれど、母と娘の時間に特別な話題など必要なかった。
やがて返事が遅くなったと思ったら、リリアーナはエレノアの肩へ頭を預けたまま眠っていた。
長い睫毛の下で瞳を閉じた寝顔は、十一歳になった今でも幼い頃と変わらず可愛い。
エレノアは起こさないよう娘の身体を支え、シャンパンブロンドの髪を指で優しく整えた。
昼間は侯爵令嬢として勉強し、王宮へも通い、自分で考えて動くようになった。けれど今は、母親の肩で安心して眠っている娘だ。
どちらもエレノアの大切なリリアーナだった。
「おやすみなさい、リリアーナ」
額へ優しく口づける。
明日の朝になれば、きっとマリーを捕まえて髪型や洋服の相談を始めるのだろう。その時は口を出さずに見守ろう。
できるかどうかは自信がないけれど。
エレノアは眠ってしまった可愛い娘を抱き寄せ、その寝顔を眺めながら、もうちょっとだけこのままでいようと思うのであった。
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これからもリリアーナたちを、のんびり見守っていただけたら嬉しいです!




