第37話 シード様の疲れを癒やしますわ!
風邪が治り、朝食もいつも通り食べ終えたリリアーナは、マリーによる念入りな体調確認にもようやく合格し、久しぶりに王宮へ向かっていた。
馬車を降りて第三文官執務室へ向かう足取りも、もうすっかり元通りだ。気を抜けば後ろを歩くマリーとの距離が開きそうになる。
「お嬢様、そんなに急がなくても第三文官執務室は逃げませんよ」
「分かっていますわ。でも、数日も行けなかったのですもの。早く皆様のお顔を見たいではありませんか」
最近はマダム・ヴァレンティノから教わることも、父と話す時間も増えていた。侯爵令嬢として覚えることが次々に増え、以前なら簡単に作れた王宮へ行く時間も、今では気づけば一日が終わっていることがある。
そこへ風邪まで重なったのだから、リリアーナには本当に久しぶりに感じられた。
(やりたいことは増えるのに、一日は長くなってくれませんのね)
そう思いながら、隣を歩くマリーが持つ籠へ目を向ける。もちろん今日は、ただ顔を見に行くだけではない。
以前、シード様が仕事の合間に肩を回していたことがあった。すぐ何事もなかったように仕事へ戻っていたけれど、一日中机に向かって細かな文字を追っているのだから、疲れないはずがない。
(シード様、気に入ってくださるでしょうか)
籠の中身を思い浮かべただけで楽しみになり、また少し足が速くなる。マリーはそんなリリアーナを見て笑いながら、何も言わずについてきてくれた。
♢
第三文官執務室へ着くと、リリアーナは髪と服を軽く整えてから扉を開いた。
「皆様、ごきげんよう!」
紙をめくる音とペンを走らせる音の中で、何人かの文官が顔を上げる。
「ごきげんよう、リリアーナ様」
「ようこそいらっしゃいました」
「今日も元気でなによりです」
最初の頃なら、侯爵令嬢が入ってきただけで仕事どころではなくなっていた。それが今では、仕事の手を止める者もいれば、そのまま書類へ向かいながら挨拶を返す者もいる。
リリアーナも笑顔で挨拶を返しながら部屋の奥を見ると、探していた姿はいつもの席にいた。
書見台に書類を立てかけ、リリアーナが贈った万年筆を手に仕事をしている。机にはランプも置かれていて、数日ぶりなのに何も変わっていない。
(シード様ですわ!)
シードも声に気づいて顔を上げた。
「ようこそ、リリアーナ様。しばらくお見えになりませんでしたが、何かあったのですか?」
「実は風邪をひいてしまいまして。フェルナー男爵家へ伺う予定だった日に熱を出してしまったのです」
「風邪を?」
シードは万年筆を机へ置き、先ほどまで書類へ向けていた目をリリアーナへ向ける。
「もう大丈夫なのですか?」
「はい! すっかり元気ですわ。今朝、マリーから外出していいと許可もいただきましたもの」
「熱も下がっておりますし、食欲も戻っております。ただし、無理をしないことが条件でございます」
マリーはそう答えてから、リリアーナを見て少しだけ笑った。
「お嬢様は風邪をひいている間まで王宮のことを気になさっていましたから」
「マリー、それは言わなくてもよろしいでしょう?」
本人を前にして言われると、さすがに恥ずかしい。寝込んでいる間にもシード様がちゃんと休憩しているのか気になっていたなんて、できれば本人には知られたくなかった。
けれどシードには伝わってしまったらしく、口元に笑みが浮かぶ。
「風邪をひいているときまで心配していただいていたのですね」
「もう、そのお話は終わりですわ。それに風邪だけではありませんのよ。最近はお勉強も増えましたし、お父様とお話しすることも多くなって、一日が本当にあっという間なのです」
「以前よりお忙しくなられたのですね。それでしたら、こちらへ来るために無理をなさらないでください」
「それとこれとは別ですわ。忙しくても、来られる日は来ますもの」
リリアーナはシードの机のそばまで歩いていき、いつものように笑った。
「シード様がお仕事をしているところを見に来るのは、わたくしの楽しみなのですから。なくしてしまったら、わたくしが困りますわ」
シードはすぐには答えず、机の上に置いた万年筆へ一度だけ目を落とした。
「……ありがとうございます」
その返事だけで十分だった。
(ふふっ。これからも遠慮なく来させていただきますわ!)
それに今日は、まだ本題が残っている。
「そうでしたわ! シード様、今日は新しいものを持ってきましたの!」
振り返ると、マリーが待っていたように籠を差し出してくれた。リリアーナは「ありがとう、マリー」と受け取り、そのままシードの机へ置く。
中から取り出したのは、目元を覆う魔導アイマスクと、首から肩へ乗せて使う暖魔布だった。
「以前、シード様がお仕事の途中で肩を回していらっしゃったでしょう? 今日はそれを少しでも楽にできればと思って、持ってきましたの」
「……見ていたのですか?」
「もちろんですわ。シード様のことは、ちゃんと見ていますもの」
胸を張って答えると、シードの目元がやわらいだ。
「こちらを肩に乗せてみてくださいませ。中に熱を蓄えられる魔石が入っておりますの。使ったあとも日光へ当てておけば、また温かくなりますわ」
シードは暖魔布を受け取り、そのまま肩へ乗せた。首の後ろから両肩まで収まっているのを確認したリリアーナも、満足そうに頷く。
「そのままでも、お仕事の邪魔になりにくいと思いますの」
「分かりました。少し使ってみます」
シードが書類へ戻ると、リリアーナも邪魔にならないよう少し離れた。けれど視線だけは、書類を読むシードと、その肩に乗った暖魔布を何度も行ったり来たりしてしまう。
(そろそろ何か感じてもよさそうですわよね)
「お嬢様、そんなに見つめていてはシード様もお仕事に集中できませんよ」
「だって感想が気になりますもの。せっかくシード様のために持ってきたのですから」
しばらくすると、シードが万年筆を置いて肩を回した。それを待っていたリリアーナは、すぐに机へ身を乗り出す。
「いかがですの!?」
「かなり楽ですね。肩が温まると力が抜ける感じがしますし、これなら仕事をしながらでも邪魔になりません」
「本当ですの?」
「はい。重さも気になりません」
(よかったですわ!)
シード様が少しでも楽になればと思って持ってきたものが、ちゃんと役に立っている。それだけでも、今日はここまで来た甲斐があった。
「でしたら、こちらもお願いしますわ!」
リリアーナはもう一つ、籠に残っていた魔導アイマスクを差し出した。
シードは受け取ると、見慣れない形を確かめるように手の中で返してから首を傾げる。
「これは?」
「目を休ませるためのものですわ。目元につけて使いますの。中に熱を蓄える魔石が入っていますから、疲れたときに使えば目の周りを温めてくれますわ」
「なるほど。書類を読み続けたあとの休憩に使うものなのですね」
一度の説明で用途を理解したシードは、さっそく目元につけて椅子へ背を預けた。
最初の頃なら、何かを贈るたびにもっと戸惑っていた。それが今では、リリアーナが持ってきたものをこうして自然に受け取ってくれる。
(こうして普通に受け取ってくださるようになったのも、嬉しいですわね)
魔導アイマスクで目元を覆ったまま椅子で休んでいるシードを眺めていると、普段とは少し違って見える。
(……これはこれで、なかなか)
「お嬢様」
隣から声をかけられ、リリアーナは何食わぬ顔でマリーへ振り返った。
「なんですの?」
「いえ。楽しそうで何よりでございます」
マリーの笑顔を見る限り、絶対に別のことを言おうとしていた気がする。けれど今はシードの感想の方が大事なので、聞かなかったことにした。
やがてシードが魔導アイマスクを外し、何度か瞬きをしてからリリアーナを見る。
「これもいいですね。目の疲れが和らぎます。夕方になると文字を追うのがつらくなることもありますから、その前に使えばだいぶ違いそうです」
「まあ! でしたら、これからたくさん使ってくださいませ。日光へ当てるのだけは忘れないでくださいね」
「ありがとうございます。大切に使います」
「大切にしていただけるのは嬉しいですけれど、しまっておくのは禁止ですわよ? 毎日でも使ってくださいませ」
「分かりました。ちゃんと使います」
これなら安心だとリリアーナが頷いたところで、近くの席からこちらを気にしていた文官が声をかけてきた。
次の投稿は11時頃の予定です、このお話の続きになりますφ( ՞. ̫.՞)カキカキ




