第30話 進化する推し活の予感……
「まず、普通の椅子では駄目ですわ!」
エレノアは、いつになく楽しそうなリリアーナにつられるように、隣でにこにこと笑っている。
後ろのマリーも、シード様と出会ってからの出来事を嬉しそうに話す主人を見つめ、自然と頬を緩めていた。
「シード様は朝から夕方まで、ほとんどのお時間を机に向かって過ごされます。でしたら、ただ座るための椅子ではなくて、長くお仕事をしても身体が疲れにくいものにしたかったんですの。座るところには魔導クッションを入れていただいて、背もたれも身体を支えやすい形にしていただきましたわ」
「魔導クッションとはなんだ? 聞いたことがないな」
「わたくしが職人さんにお願いして作っていただいたものですわ」
「魔導具とクッションを組み合わせたものなのか。それは面白いな。実際に見てみたいものだ」
父が興味を持ってくれたことが嬉しくて、リリアーナの顔が明るくなる。
「それでしたら、見ていただくより座っていただくのが一番ですわ! マリー、まだ予備がありましたでしょう?」
「はい。第三文官執務室の皆様用に量産していただいたものが倉庫にございます」
「持ってきていただける?」
「かしこまりました」
マリーが部屋を出ていくと、アルベルトはその背中を見送りながら、今度は別のところが気になったらしい。
「量産してあるのか。それは贈ったものとは別なのか?」
「はい。シード様の椅子は特別製ですもの。魔石も使っていますし、身体に合わせて細かなところまで調整していただきましたから、同じものをたくさん作ると大変なお値段になってしまいますわ」
そこから先は、リリアーナ自身が考えたことだった。
以前、第三文官執務室のみんなへ使い勝手の良い羽根ペンを贈ったことがある。市販されているものの中から、普段使っている羽根ペンより書きやすく、それでいて全員分を揃えられるものを選んだ。
最初は単純に、毎日あれだけ大量の文字を書くのだから、少しでも楽になればいいと思っただけだった。
ところが実際に使い始めると、思っていた以上に仕事が早く進むようになった。以前ならシード様が手伝っていた仕事を自分で終わらせられる人も増え、シード様自身からも、前より仕事が楽になったと聞いている。
そこでリリアーナは一つ学んだ。
シード様一人を楽にするより、周りのみんなも楽にした方が、結果的にシード様の負担まで減る。
だったら椅子だって、シード様だけのものにする必要はない。
「ですから職人さんにお願いしたんですの。シード様の椅子ほど高価でなくても構わないので、一番大切なところを残して、もっと安く作れませんか、と」
「それで量産したのか?」
「はい。魔石は使っておりませんし、シード様のものほど細かく身体へ合わせることもできませんけれど、魔導クッションと背もたれの形は残してありますわ。それだけでも、普通の椅子よりずっと楽になりますもの」
話しているところへ、マリーが使用人と一緒に戻ってきた。
二人が運び込んできた椅子を見て、アルベルトが立ち上がる。
豪華な椅子ではなかった。革張りでもなければ、細かな彫刻が施されているわけでもない。侯爵家の書斎に置かれている椅子と比べれば、見た目だけならずっと地味だ。
「こちらですわ。どうぞ、お父様」
リリアーナに促され、アルベルトが腰を下ろした。
座面へ体重を預け、そのまま背もたれへ身体を預ける。最初は確かめるように座っていた父だったが、やがて背中の位置を変え、今度は普段書類を読むときのような姿勢を取った。
リリアーナはその様子をじっと見つめる。
自分が使うわけでもないのに、なぜか少し緊張してきた。
「お父様、いかがです?」
「これは……いいな」
その一言を聞いた途端、リリアーナの顔がぱっと明るくなった。
「でしょう!?」
「ただ柔らかいだけじゃないんだな。身体が沈みすぎる前に止まるから、腰がずいぶん楽だ。それに、この背もたれもいい。自分で姿勢を保とうとしなくても、自然に支えてくれる」
さすが毎日長時間椅子を使っているだけあって、父はすぐに違いへ気づいてくれた。
それが嬉しくて、リリアーナも椅子のそばまで寄っていく。
「そこは職人さんと何度も相談したところですの! 最初はもっと柔らかかったのですけれど、それでは身体が沈みすぎてしまって、長く座ると逆に疲れてしまったんです。ですから中へ入れる素材を変えていただいて、魔力の通し方も――」
そこまで説明したところで、アルベルトが座面を手で押した。
「リリアーナ。これ、一脚いくらで作った?」
「こちらでしたら、一脚銀貨7枚と銅貨5枚程ですわ。十脚まとめてお願いする代わりに、そのお値段で作っていただきましたの」
「……それは間違いないのか?」アルベルトが聞き返した。
「はい」
「銀貨7枚と銅貨5枚?」
「そうですわ」
父の反応が思っていたより大きくて、今度はリリアーナの方が不思議になった。
「そんなに驚くお値段ですの?もしかして高すぎでしたか?」
「驚くとも。この書斎にある普通の執務椅子の半分ほどの値段だぞ」
アルベルトが自分の執務机の前にある椅子を見る。
もちろん侯爵が使うものなので装飾や素材には金がかかっているが、座るための機能だけを考えれば、今座っている椅子の方が明らかに優れていた。
「魔導クッションなんてものは、私は今日初めて聞いた。それが入っていて、この金額なのか?」
「難しい魔法を使っているわけではありませんもの。職人さんにも、できるだけ安くしてくださいとお願いしましたわ」
リリアーナはそこで、自分なりに考えた理由も続けた。
「シード様お一人に贈るものでしたら、多少高くても一番良いものを作っていただけばいいんですの。
でも第三文官執務室の皆様に使っていただくなら、それでは駄目でしょう? 一脚だけ素晴らしい椅子があっても、ほかの皆様が使えなければ意味がありませんもの」
だから、何を残して何を諦めるのかも職人と相談した。
精神安定の魔石は外した。使用者一人一人に合わせた細かな調整もしない。装飾も必要最低限にして、同じ部品を使えるところは揃えてもらった。
その代わり、長く座っても疲れにくいという一番大事なところだけは譲らなかった。
「皆様に使っていただくものなら、ちゃんと数を揃えられるお値段でないと困りますもの」
リリアーナは何でもないことのように答えた。
「周りの皆様のお仕事が早く終われば、その分だけシード様のお仕事も減るんですの。でしたら、シード様だけではなくて、皆様にも働きやすくなっていただいた方がいいでしょう?」
目的は相変わらずシード様だった。
けれど、その目的のために見ている範囲は、いつの間にかずいぶん広くなっている。
アルベルトはもう一度背中を預けた。
普通の執務椅子の半分程の値段で、座り心地は明らかにこちらが上。しかも、まだ試作品というわけではない。
十脚単位なら、すでに同じ品質で作れるところまで仕上がっている。
「リリアーナ。この椅子を作った職人を、屋敷へ呼んでもらえないか?」
「お父様の椅子を作るんですの?」
「それも頼みたいな。私のものは、もう少し大きくしてもらった方がよさそうだ」
「やっぱりそうですわよね! お父様はシード様よりお身体が大きいですし、背もたれももう少し高くして――」
「それも相談しよう」
アルベルトは楽しそうに話し始めた娘へ笑いながら、続けた。
「ただ、その前に職人へ聞いてみたいことがある。この値段で、月に何脚作れるのかをね」
リリアーナは一度瞬きをした。
父が自分の椅子を一脚作るだけなら、そんなことを聞く必要はない。
「……お父様」
「なんだ?」
「もしかして、この椅子……売れると思っていらっしゃいます?」
「奇遇だな。私もちょうど、それをお前に聞こうと思っていたところだ」
その答えを聞いた途端、リリアーナの頭の中で計算が始まった。
この椅子を売る。
材料費と職人さんへ支払うお金を引いても、手元に残る金額が少しでもあれば利益が残る。
そのお金で、また新しいものを作る。
もっとシード様が働きやすくなるものを考えて、それを職人さんに作ってもらうことだってできる。
そして、それもまた誰かに売れたなら――。
(……あら?)
リリアーナは、とんでもないことに気づいてしまった。
(もしかしてわたくし、浮いたお金で推し活できますの!?)
今までは侯爵令嬢として与えられたお金を使っていた。
もちろん父から咎められたことはないし、必要なものなら用意してもらえる。
けれど、自分で考えたものを売って、利益を生み、そのお金をまたシード様のために使えるとなれば話は別だ。
使えば使うほど減っていた推し活のお金を、自分で増やせるかもしれない。
リリアーナの目が、先ほどとは違う意味で輝いた。
「お父様。職人さんには、できるだけ早く来ていただきましょう!善は急げと申しますもの!」
もちろん、その善の向かう先にはシード様がいる。
(リリアーナはマダム・ヴァレンティノに、ずいぶん良い教育をしてもらっているようだな)
最近は会計だけでなく、領地や貴族社会についても熱心に学んでいるらしい。
元々物覚えの良い子ではあったが、教わったことをそのまま覚えるだけではなく、自分なりに考えて使えるようになってきたのだろう。
(今度、私からも礼を言っておくか。それにしても、これは大掛かりになるかもしれんな)
アルベルトには自信があった。
やがてこの椅子は王宮の文官たちへ広がり、商人や貴族まで欲しがる人気商品になる。そして、アドラー領へ大きな利益をもたらすことになるはずだと。
しかも、リリアーナが考えたものは椅子だけではないらしい。
他にも売れるものがあるかもしれないと思えば、アルベルトも自然と胸が弾んだ。
そしていつか、そこから生まれた利益をリリアーナへ渡せる日が来る。
自分の考えたものが誰かの役に立ち、それがお金となって自分の手元へ返ってきたと知ったとき、娘はどんな顔をするのだろう。
アルベルトは、今からその日が来るのを楽しみにしていた。
この作品が、「続きを読みたい」と思えるような、日々の楽しみのひとつになれたら嬉しいです。
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今日はは11時頃にもう1話投稿予定ですので、そちらもよろしくお願いします(⋆ᴗ͈ˬᴗ͈)”




