月の虎と少女
【伝承:モーナフェルム】
その獣の背には風を裂くような長い立て髪がある。昔から語られるのは――少女を背に乗せ、森の奥へと消えていく白い虎の姿。
目撃例の多くは「黄色い毛並みを持つ個体」で、その威容は人々に月の化身として語られた。
「月の獣は少女を攫い、二度と人の世へは戻さぬ」
そんな民話が、各地に散在している。
──だが、今回確認されたのは、**“青白い個体”**だった。それは夜霧の中に溶け、声すらあげぬまま消えていった。
そして、知られていなかったもうひとつの真実。
「――とまぁ、希少中の希少なわけだ」
セラはいつになく得意げな顔をして、ティーカップを軽く傾ける。ドヤ顔である。
確かに、モーナフェルムは古くから語り継がれる幻獣だ。 目撃されるだけでも珍しいというのに、捕獲例は皆無。 ましてや、伝説上の存在である“白虎”ともなれば、もはや神話に近い。
「その毛を一本でも持ち帰ってほしい、ちなみに一房あれば君の借金はチャラになる」
セラはそう言っていた。
夜の森で装備を確認する。レンはセラから前金代わりに受け取った人工スキンで幾分表情が豊かだ。
やる気を見せている。ように見える。
足はロングブーツに人工スキンを追加し、太ももを出している冒険者に見える。
我ながらいい仕事をした。
「レン、足の具合はどうだ」
レンは軽い屈伸運動をし、親指を立てる。
「大丈夫そうだな。ならしもせずにごめんな」
レンは不思議そうに見つめてくる。そして微笑む。
少々不安があるが、この笑顔が見れたのはこの依頼のおかげだ。
できれば危険なく調査で終わらせたい。借金はゆっくり返済でいいのだ。
最悪、毛の採取ができなくて、借金が増えてもいい。
明日もあるから頑張りすぎるなとセラも言ってた。
夜の森を歩く。ダンジョンとは離れた場所だからか、レンは楽しげに周囲を見回していた。
事情を知らなければ、ただの駆け出し冒険者の二人が、気ままな夜の探索に出ているようにも見えるだろう。
――が、空気が変わった。
レンがショートソードに手をかける。反射のように。
「……感じたか?」
返事はない。だが、彼女の眼差しは既に森の奥を射抜いていた。
戦闘の気配。それも――ついさっきまで、激しく火花を散らしていたそれだ。
討伐は先を越されたかもしれない。
報酬に釣られて来てみたものの、実際レンだけで討伐できたかは怪しい。
それでも、彼女は“最強スケルトン”だ。気配を感じた時点で、事態はもう動いていた。
森の奥で、戦う音が聞こえた。だが、やがてそれは唐突にやんだ。
……不自然なほどに。
さらに奥へ逃げたのか、パーティの叫び声が離れていくのが聞こえた。だが、それもすぐに途絶える。
――何が起きている?
セトとレンは、静かにその方向へ足を進める。
大木が何本も薙ぎ倒されている。一本は途中で折れ、地面を抉りながら倒れていた。
魔法か。火を帯びた痕跡が残る。焦げた木の臭いと、生々しい血の匂いが混ざり合っている。
セトは、目を見開いた。
――初めて見る、生々しい戦いの痕跡。
樹皮にへばりついた血飛沫。それが――上から垂れていた。
見上げる。
夜の霧がほんのわずかに割れた。
そこにいた。
青白い毛並みを、霧のようにたなびかせる巨大な獣。
モーナフェルム。
その“白虎”は、既にこちらを捉えていた。
吠えるでも、威嚇するでもなく。
ただ、無言で、静かに――殺意だけを放っていた。
手負いの獣は、理由など求めない。
レンが素早く前に出る。剣を構え、バックラーを前に。
白虎は、有無を言わさず突っ込んできた。