4 後宮を出ることになりました
僕は死ぬことになった。
「来た時より瞳や髪の色も変わったし、背も伸びて声も変わった。ちょうどいいから死んでおくといい」
陛下が伸びた僕の髪をひと房掴んで、軽い口調で言った。陛下が来るのは月に一度、次に来た時には僕は自害したことになったという。陛下の寵を賜りながら子を成さないことを苦にして、という筋書きだそうだ。
「明日には出られるから私物を纏めておけ」
「私物……母の服を数枚頂ければ結構です。ほかには特に」
「……俺が贈ったものは?」
「あのような高価なものを僕の私物とするわけにはいきません」
「持っていけ。贈り物を突き返されるなんて御免だ」
「はい。……ありがとうございます」
僕が陛下から賜ったものは三つ。綺麗なペンと、ペーパーナイフ、そして本だった。どれも嬉しくて大切にしていたけれど、後宮の妃の一人として賜ったものだから持ち出せないと思っていた。
実家からは何かを賜ったら送るようにと手紙が来ていたけれど、陛下が何も貰えないと書いておけと言ったからそのように返信していた。基本的には陛下が渡られたら何かを貰えることになっているらしいけれど、実家に送るならやらんと言ってくれた。
今ある物は、僕の誕生日にひとつずつくれたものだ。陛下が初恋のひとを失くした日なのに、子供に罪はないと頭を撫でてくれた。成長期に女性しかいない環境だったけれど、困ったことは陛下みずから教えてくれた。
頂いた沢山の恩を返したいと言えば、陛下が望んだから後宮に召されてしまったんだから良いのだと言う。
大切なものに囲まれて棺に入り、運ばれて揺られながら、そんなことをつらつらと考えていた。このまま土に埋められても、それはそれで幸せなまま逝けていいのかもしれない……。
「起きてください」
「はい!?」
眠ってしまっていたことにも気付かず、声をかけられたことに驚いて跳ね起きた。僕は棺のまま、小さな部屋の床に置かれている。
声をかけた人は、神経質そうな様子の若い男性だった。手に持った紙の束を丸めたり伸ばしたり忙しなくしてから、きゅっと紙を丸めて強い視線で僕を見た。
「私はノジョウ、備品管理部の係長をしています。君の事情は聞いています」
「僕の事情?」
後宮に妃として入ったのに男だったけれど、陛下の温情で許されて就職口を世話して貰ったことだろうか。
「ええ、君が幼い時分に陛下が愛人に連れてきたけれど、育ってしまったので下働きとして雇うということです。まったく、女性だけじゃ飽き足らず男の子にまで手を出すとは驚きです」
陛下が悪い感じに話が変わっている。男に手を出すというのはどういうことだろうか。添い寝がいけなかったのだろうか。ノジョウさんの陛下への評が僕のせいで悪くなってしまう。
「陛下は悪い方じゃありません、僕に酷いことはなにも」
慌てて起き上がって彼に訴えた。死装束の白い衣が簡単に纏っていただけだからはだけてしまって、慌てて前を寄せて言葉が途切れてしまった。男だとばれないように胸元を隠していた癖だ。
ノジョウさんは僕の様子に眉をひそめて、むっつりと言った。
「……そうですか。それなら良いんです。働く意欲はありますか」
「はい。行くところがないんです。働かせてください。何でもします」
僕がどれほどの力になれるかわからないけれど、陛下にご恩返しをしたい気持ちだった。だけど僕の言葉に、ノジョウさんは糸のような目を開いて、強い口調で僕を窘めた。
「何でもするなどと言ってはいけません。人としての意識を高く持ちなさい。ここは王宮です。たとえ陽の当たらない職種でも、なくてはならない部署です。君を含む私達が国を支えているのだという意識を持つのです」
「はい!」
思わず背筋が伸びる言葉だった。
陛下に言われた言葉も蘇った。
「己を貶めてはならない、お前には王家の血が流れているのだから」
*
勤め始めるのに遅すぎるということはなく、僕は年下の先輩に教えられて日々仕事をこなしていった。
その日は先輩が休みになっていたから、初めて備品の払い出しの業務を任された。
今までは在庫数の確認をしていた。払い出し業務の人間と在庫数の確認業務の人間は違わなければならない。思い込みでの欠品や不正を防ぐためだという。公正な仕組みは陛下が考えたもので、前王時代に汚職が蔓延していたのを一掃したらしい。
今日も明日も王宮での行事はないから、おそらく備品の払い出しも少ないとの話だ。
誰も来ないから、ノジョウさんが様子を見に来たついでに雑談をしてくれている。受付の窓口は小さな小部屋になっていて、裏は備品庫の扉だ。彼はそこにもたれて、いつもの紙束をくるくると巻いたり開いたりして話している。決まりごとがどのようにして出来たのかということや、派生してどのような出来事が起きたのかということを。
「役人や貴族からはかなり抵抗があってな、その貴族達の娘を後宮に召し上げて失脚しない確約を与えたから陛下は凄いんだ」
「陛下は女性が好きなんだとばかり」
「女好きも間違いじゃないようだが……。英雄色を好むとは、いやはやという気分だよ」
陛下の話は何を聞いても感心するばかりで、普段会わないことも相まって神様みたいに思えてくる。それにノジョウさんのお陰で、目の前のことがあちこちに影響して繋がっていることも知れた。世界は目の前だけではなく、頭の後ろ側にも繋がって広がっている。
「成長したからといって放り出すとは……」
ノジョウさんは結婚していて、僕と同じぐらいの歳頃の女の子がいるそうだ。もうすぐ嫁にやらなければならないけれど、彼の目にかなう男性が見つからないらしい。
「放り出してなどいません。ここで働かせていただいてます」
「ふぅ……君が陛下の愛人でなければ婿に来るかと言えたのに」
「お気持ちだけで十分です」
ノジョウさんは僕が陛下の愛人だったと信じているけれど、仕事に関しては正当に評価してくれる。真面目で良いと褒めてくれるから、嬉しいしやる気もみちてくる。
雑談の最後に、初めての業務だから手順を確認して去っていった。ここは突然忙しくなるような部署ではないけれど、暇という訳でもない仕事だ。
一人になってお茶でも入れようと立ち上がったとき、
初めての客があった。
「すいません、剣帯の金具が壊れたので交換を」
「はい、こちらに所属部署と名前をお書きください。壊れた剣帯をお持ちですか? 確認しました。少々お待ちください」
窓口は手元しか見えないようになっている。汚職が多かった頃は、管理部の人間があちこちで脅されたり賄賂を貰って備品の横流しをしていたそうだ。顔が分からなければ、外で偶然会っても分からないまま終わる。それが互いの立場と公正さを守るための仕組みだ。
初めての客に緊張したけれど、顔が見えないことと、相手の声が耳に優しくて、落ち着いて対処できた。手順通りに古い剣帯を回収して新しいものを窓口の下から差し出すと、声をかけられた。
「ありがとう。いつもの人じゃないんだな」
「……はい。何か間違っていますか?」
「いや、大丈夫。それじゃ」
緊張しすぎて倒れるかと思った。ふうと息をついて帳面を見たとき、今度は心臓が止まったと思った。
帳面には「ハーディン」のサインがあった。




