第五話 異界屋台
その日は、事務所で仕事をしていた。
キリのいいところまで進んだので、休憩がてら、近所のコンビニに行く。
その道中で、また、霧に包まれた。
いつものことだ。そう明里はひとりごちる。
さて、今回の異界は、どんなものだろうか。
霧が晴れると、明里は、高架下に立っていた。電車のそれだろうか、それなりの広さがある。
車道と歩道が整備されているが、今はどちらにも通行するものはいない。
明里の興味は、今自分がいる歩道の先、高架下の中心くらいにある、一軒の屋台に注がれていた。
異界で人の気配がするのは、珍しいからだ。
明里は、おでんと書かれたのれんの、でのところに手をかけてめくり、中にいる店主に話しかけた。
「やってますか?」
「ああ、やってるよ」
「支払いは円で大丈夫ですか?」
「円以外に何があるっていうんだい」
自分よりは確実に年上だが、壮年というにはまだ少し早そうな男性の店主と、そんなやりとりをする。
ともかく、ここで食事をするのに、不足はなさそうだ。
明里は、それならと、屋台の椅子に座り、店内に掲げられたメニューを見た。
定番のものから、変わり種のものまで、魅力的な品々が、明里を迷わせる。
食の迷宮に迷い込んだ明里はしかし、その迷いに対する救世主を見つけた。
おでん盛り合わせ五種。
これだ。と明里は一人盛り上がり、そして注文した。
何が来るのか、楽しみでもあり、怖さもある、この時間、
「飲み物は?」
店主に言われて、そういえば飲み物のメニューには全く目を通していなかったことに気づいた。
慌てて目をやり、確認する。
おでんに合うかはわからないが、炭酸好きの明里は、適当にコーラでも頼めればそれでいいかとメニューに目をやるが、そこで、見つけてしまった。
普段それほど酒を飲むことのない明里が、唯一、これだけは好きだと言える、幻の酒。
流通量が少なく、飲むには、その酒を出していることを売りにする店に行かないと飲めない日本酒。
つまり、飲もうと思えば飲む手段はある酒なのだが、その労力を惜しむ明里の中では、幻の酒ということになっている。
明里は、迷わず、その酒を注文する。
「あいよ」
店主には申し訳ないが、明里の興味関心は、すっかりおでんから酒に移ってしまった。
程なくして、おでんと酒が明里の目の前に並べられた。
「いただきます」
備え付けの割り箸入れから割り箸を一つ抜き、体の前で構えて、一言つぶやく。
しかし、その箸はすぐに置き、酒を手に取る。
恐る恐る、口をつける。
一口咀嚼すると、甘い香りと味が、通り抜けていった。
そう。この甘さだ。日本酒らしからぬ、この甘みが、明里がこの酒を好きになった理由だ。
明里は、多幸感に包まれながら、酒を飲み進めていく。
そして、あっという間に飲み干し、続いておでんも完食する。
良い酒が飲めた。満足感と共に、明里は少しの酩酊感に揺られていた。
「すみません。お会計を」
「二千円だね」
「二千円!?」
明里が前にこの酒を飲んだ店では、一杯五千円でそれでも安い方と言われていたので、面食らってしまった。
美味しいおでんが五個に、幻の酒で二千円。
こんな店なら、毎日でも通いたい。そう、明里は思った。
屋台を出て、後はこの異界から抜け出す方法を探すだけだ。だが、酒に酔って気分が良くなった明里は、そんなことはおかまいなしに、あてどなく歩き出した。
霧に包まれたのは、それから十数分後のことだった。
気がつけば、明里は自宅の近くを歩いていた。
明里は、自宅に帰り、ゆっくり風呂に浸かり、布団に入って、寝た。
今日の出来事は、これでおしまい。
果たして、『次』は、どこに行くのだろうか。
それは、今はまだ、わからない。




