二十三、
そろそろ外気も熱を帯び始める頃合いで、賀茂川の堤の上の街道を正道と並んで歩く一葉は、今日も暑くなりそうだと感じている。
街路樹の向こうの川面の照り返しが眩しくて、空には雲がほとんどなかった。
一葉の隣を歩く正道は彼女の歩調に気を遣ってくれていて、そのことが一葉には何だかこそばゆい。
そんな街路樹の木陰の下の歩道で、正道が隣の一葉に訊いた。
「新澤は、何で妹に……千歌に関わろうって思ったんだ?」
いつもの写真部のせんぱいの声音でそう訊かれ、正面を向いたまま一瞬考え込んだ。
少し間を置いて、千歌も聞いているんだろうな、と思いながら口を開く。
「写真の千歌のせんぱいを見る表情、あんまり一生懸命やったさかい」
ちょっと間があってから、ほうっ、となったような、正道の声が聴こえてきた。
「──…ありがとう、だよな、これは。……新澤でよかった」
「……はい?」
少し話が見えなくなった一葉が、思わず訊き返す。
「妹が最後の頼み事を頼んだ相手が、新澤でよかった、って言いました」 正道はまた頬を掻くようにして言った。「──…ほんとに、これは感謝してる」
「…………」
一葉は、いよいよ訳が解らない、といった目で正道を見上げた。
「これが清家とかだったら目も当てられんでしょ?」
正道はお道化たふうに見返して答える。
それを訳が解らぬままに、何やら煙に巻かれたようにも感じつつ、一葉は正道に問い掛けてみた。
「感謝してくれるん?」
「うん。この先も〝ずっと〟、感謝しきれないと思う…──」
それでもそう言ってもらって何だか満足気となった一葉が前に向き直ると、正道はおずおずと続けた。
「……俺さ、三年間、妹のこと……千歌のことを引きずってた。
千歌に言った最後の言葉が、ずっと気になってて……」
少し遠くなった正道の声音を追いかけるように、一葉が耳を聳てる。
すると、後悔している少年の声が聞こえた。
「──酷いこと言ったんだ」
千歌から聞いていた言葉が脳裏を過って、一葉は少し目線を下げた。
躊躇いはしたが言っていた。
「…………〝全部知らなかったことにできる、無神経さ〟…──」
それは三年前に、中学一年の正道が千歌に投げ付けた言葉だ……。
…──器用に立ち回れる千歌にはあるだろうけれど、俺には〝そんなもの〟ないよ。
そう言った当時の正道には、両親の離婚の理由に理解を示せる千歌を許すことができなかったのだろう。
一葉の家庭は平凡だけれど、誰一人として欠けるということを経験したことがない。
そんな一葉の声は、何だか顔色を窺うようだったかも知れない。
すぐさま言葉を返せなくなった正道の気配を感じることになって、一葉ははっと頭を撥ね上げる。
「かんにん!」
正道の方は、もう観念してしまったように苦笑を浮かべて、そんな一葉に頷いてみせた。
「……いや、いいよ。いまさら隠したところで、もう全部知れちゃってる訳だし……。むしろ、新澤に聞いてもらいたかった……」
それで一葉は、居ずまいを正すように前を向いた。
──あたしはまだ、大人を演じて聞いてあげられない。
だからせめて、真剣に聞いてあげたい……。
正道も前に向き直って、(多分、千歌に対してだろうか…──)誠実に聞えるように、ゆっくりと話を再開する。
「あの日、最後の最後に千歌から会おうって言われたとき、謝ろうって、思ったんだけどね……
でも、あの日のあの時には、千歌は公園に来なくて……。
日が暮れて、八時くらいまで待ったよ。
で、家に戻ったら留守電に親父からメッセージが入ってて……事故のことを告げられて…──」
言葉が止まった。
──自分を嫌いになった瞬間を、思い出しているのだろうか。
そんなふうに一葉には思えた。
「それからずっとさ……千歌にかけた最後の言葉があんなだったことが気になってて。
今日、千歌のメッセージ見て、思ったんだ」
「何て?」
「いい加減〝吹っ切ること〟をしないと、誰も報われないな、って…──千歌だって、安心して〝あっち〟に行けないな、って……」
その声音が、本当に〝吹っ切ろう〟としているのが解るようなそれなのに、一葉はほっとする。
──千歌の思いは届いたんだ……。
なら、あたしはあたしに、〝あたしの思い〟を届けたい……。
一葉は正道に訊いた。
「千歌は、どうでした?」
正道は、ちょっと考えてから答えた。
「なんか、思ってたよりずっと〝大人〟だった」
一葉は、そんな正道の表情をチラと見上げ納得する。
「…………」 それから探るような声になって訊く。「吹っ切りますか?」
正道は気負いなくこう答えた。
「努力します」
一葉は少し笑って、小さくうんと頷く。
そんな一葉に、正道はカメラを取り出して静かに切り出した。
「それで今日……、千歌との残りの時間を、写真に残したい……。──お願い、できますか?」
一葉は足を止めて正道にもそうさせて正面に立たせると、真剣かつ慎重な表情になって訊いた。
「デートですね?」
「あぁの……、そうなるのかな……」
ちょっと気圧され気味となった正道に、カメラを受取った一葉は勢いづけるように言う。
「そうですよ!」
──…せんぱいと千歌との最後のデートをあたしが撮って千歌を送る。
その思いを新たにしてカメラの電源を入れた。
千歌の姿は、二人の近くにすぐに見つけることができた。
彼女の目が、何かを期待しているふうに笑っている。
一葉は、その千歌にも聞こえるように宣言した。
「ステキなデートにしましょう!」
まずはここから始めてみよう……。
一葉は、そう決めた…──。




