十、
「──…需要、あるんですか?」
清家先輩の言った〝需要〟という言葉に、あたしは頭の中で算盤を弾いていて、思わず口を吐いてそう訊いてしまっていた。
もちろん、あたしにそういう需要があるか? なんて意味じゃない。
ウチの学校に、可愛い女の子の写真の需要があるか、ってことだ。可愛い女の子には当てがある(──紀平せんぱいには悪いけど……)。
「…………」「…………」
けど、あたしのその質問に、先輩二人が固まってしまった……。
──…もしもし? 二人とも女の子に幻想、抱きすぎですよぅ!
そんなあたしと先輩たちとの間がちょっと居心地悪くなったちょうどそのときに、お店のスタッフの人が残り二人の料理をテーブルに運んで来てくれた。
あたしはオムライスの二口目をスプーンに掬って、目線をテーブルの上へと伏せる。
紀平せんぱいは、スタッフが料理を並べ終え、注文を確認してからテーブルを離れるのを待って、それから口を開いた。
「……新澤、お前、それ真面目に言ってる? 冗談でもそういうこと、言わない方がいいぞ」
すごい真剣な口調でそう言われてしまった。
「そうそう。俺がいま写真撮ったのも、あくまでシャレやさかい…──」
清家先輩がしたり顔で打った相づちさえ、まるで場を取り繕うような響きだったことで、いよいよあたしは、自分のセリフを後悔した。
「あのぅ……」 気恥しさを誤魔化すように、おずおずと口を開くあたし。「──…本気って、わけじゃあ…… ただ、カメラってお金掛かるなー、って思ただけで……だけです」
──…バッテリーとかSDカードとか、いろいろ物入りになりそうなのは本当だったし。
でも、やっぱり気後れとなって、尻すぼみ……。
そんなあたしにせんぱいは、一口目のフォークを置いて紙ナプキンで口元を拭う──そんな仕草も慣れたように様になっている…──と、真っすぐにあたしの目を見て言った。
「お前ね、写真とか画像ファイルなんか、どこでどういう〝使われ方〟するかわかんないんだぞ。ネットとかに変な流出の仕方とかしたら、取り返しがつかなくなることもあるんだから」
このときの紀平せんぱいの表情が、割りと真面目にあたしのことを心配してくれているようで、それはちょっと嬉しくて、あたしの中のせんぱいへの好感度はさらに上がった瞬間だったけれど、同時に、せんぱいの中でのあたしの好感度は大きく下がった(と、思う)瞬間だった……。
もしあたしに〝タイムリープ〟の能力があったなら……、まっ先にコレを〝なかったこと〟にしなければ、と思った瞬間だ。
◆ ◆ ◇
その後、微妙にぎこちの無くなった場の空気を何とかしたのは、結局、清家先輩だった……。
紀平せんぱいは一方の当事者だったから退くに退けなくなっちゃってたし、もう一方の当事者のあたしも〝あんなこと言い出さなければよかった〟と後悔しきりだったから、上手く話が出来なくなって……。
注文したオムライスの味は、デミグラソース味じゃなかったはずなのに、ほろ苦かった。
それでも清家先輩はがんばって、紀平せんぱいの肩を引っ張ると、
「ほら、こいつはこの通りに生真面目な奴やさかい……な。とにかくこの話はこれでお終り! 写真もほら──」 スマホのストレージから削除の操作をしてみせて、「はい! この通りこれで無かったことに……」 と始めてくれて……、
最後に、テーブルの向かいで居ずまいを正した清家先輩が無理やり紀平せんぱいを巻込んで、ちょっと大げさに頭を下げながら言ったのだった。
「──…品のあらへんことしてすまへんかったです!」 と。
……だから、あたしは気を取り直すことが出来たのだった。
「品の無いことをしたのはオマエであって俺じゃないだろう……」
「ええんやって、こないなときには謝った者勝ちなんやさかい、ほら! オマエも謝っとけ」
小声になったそんなやり取りの後、紀平せんぱいはバツの悪い表情で頭の後を掻きながら謝ってきた。
「悪い……。さっきのは〝感じ悪い〟言い方になった……」
そう言ってから逸れたせんぱいの目は、せんぱいは少しも悪くないのに、なんだか悪いことをした子供みたいで、ちょっと可愛い。
──そんなふうにして場を執成してくれた清家先輩も、その流れに乗って自分が悪い訳でもないのに〝あたしの方が許してあげる〟という体裁にしてくれた紀平せんぱいも、なんだかとても大人に感じた。
◆ ◆ ◇
三人はその後、三条から四条へかけて三件の中古ショップを巡り歩いた。
清家は部の備品のデジタル一眼に付けられる交換レンズを幾つか見て回って、値頃の〝撒き餌レンズ〟──初心者向けの、お手ごろ価格ながら写りのいいレンズ…──を1本購入した。
本体は、今年の夏休みにバイトをして購入資金を貯めるつもりでいる。
正道は三脚に乗せる雲台──カメラを載せて固定する器具…──やらレンズフィルターやら、風景撮影向けの周辺機材を見て回りながら、ときおり清家や一葉から訊かれたことに応えていた。
お目当ての機材は高価で、いまは手が出ないらしい。清家にバイトのことで訊き返したりもしていた。
一葉は、お目当てだった予備のバッテリーを、結局、中古ながら程度の良さそうなものをメーカー純正品で2つ、購入することができた。
実は彼女の手元の資金四千円では一個しか手が出なかったのだが、最後のショップが三人の通っている学校のOBの店ということもあって、正道が自分の千円を足して五千円にして〝二つ買うから少し勉強してよ〟と交渉したら、アッサリと成立した。
さすがに恐縮した一葉が遠慮してみせると、
「ま、結局、俺のカメラだし、予備のバッテリーは二つくらいあった方がいいから」
と躱されてしまった。
だから一葉としては、もう、ただただ感謝して低頭するだけだった。
なにしろ動画で撮影すると、あっと言う間にバッテリーを消費してしまうのをこの数日で実感している。
これからの〝せんぱいへのメッセージ〟の録画のことを考えると、予備バッテリーはいくつあってもいいと思えた。
◆ ◆ ◇
そんなこんなで、お目当てのバッテリーも(1個余分に)手に入れることができ、棚ぼたで食べてみたかったオムライスも──途中でチョンボはしたものの…──堪能できて、最後はお茶をして……、とまずまずの半日を終えた一葉は、正道とは四条京阪の駅前で別れた。
何でもこの後には手習い事のピアノの約束があるそうで、東山にある、子供の頃から指導を受けている先生の自宅兼教室に行くのだという。
五線譜も読めるんだ、と感心しきりの一葉は、そんな多芸な〝せんぱい〟の見送りを受けて、叡電の市原駅が自宅の最寄りの清家と帰路についた。
帰りの京阪と叡電の車中で清家から聞いたところによれば、正道は小学二年生頃からピアノを習っているそうで、本人が言うには〝べつに上手くはならなかったけど、やめる切っ掛けがなかったから〟いまも続けているとのことだった。
清家は中学のときに聴いたことがあり、本人の言うことはともかく、フルートを吹く妹さんの伴奏をするくらいには弾けるらしい。
「──…妹さん、中等部に入学する直前に事故に遭うてや。死んでもうたんだ。血は繋がってへんかったけど仲良おしてな……、ちょうど一葉ちゃんとおんなじ年に入学のはずやった」
つり革に両手で体重を掛けた清家が、隣の一葉に声を潜めるように言う。
「その後、なんか正道のやつ、取っ付き難なってや。ピアノやめんといて通ってるのも、俺らと長ういるの避けたいさかいちゃうかな……」
どこかもどかしそうに聞こえる清家の物言いに、一葉は訊き返すべきかどうか迷った末、そっと口を開いて訊いた。
「──清家先輩も……、避けられてるんですか?」
その声の色彩を清家は感じ取ったようだった。肩を竦めながら言った。
「まー、そないな露骨なもんちゃうけどなぁ。元々ええヤツで話せば打ち解けるけど、ちょい距離を置くようになったな…──」
それに一葉が頷くと、清家はお道化たような表情で一葉を向いた。
「やけど、一葉ちゃんが誘うとちゃうのな。俺、安心してもうたで」
一葉が怪訝に顔を向けると、清家はその顔を見ずに独り言ちた。
「妹さんの代わり、なのかもしれへんなー……」
「…………」
一葉は何と応えていいものか、と視線を車窓の外へと逸らせた。
「いやいや、ちゃうか……ぜんぜんタイプがちゃうしな、うん」 と、清家はひとりでオチを付けるふうにそう言って片目を瞑ってみせた。「──…だいじょうぶ、脈、ある思うで。コレは俺の〝男の勘〟だけど」
最後の最後にそう言われて、一葉は頬を少し朱くした。




