ニコとヴォルト
人間《俺たち》は弱い。
いつでも森の獣に狙われて、食うか食われるかの日々を送っている。
「ダメだ!狩人がやられたぞ」
「クソ…… 泥岩河馬なんてここ二十年は出ていなかったはずだろ。しっかり巣穴まで潰したってのに」
大人達が集まって話してるのを茂みの中で聞きながら、俺はこっそりと立ち入り禁止をされている森へ向かった。
泥岩河馬相手に金をケチって新人の狩人を雇うからこうなるんだ。じいちゃんみたいな熟練の狩人じゃなきゃ、簡単にやられちまうっての。
「ニコがまたいないぞ」
「またあの子ったら森に行ったのかしら」
「死んだじいさんみたいな狩人になる!なんて意気込んで泥岩河馬を見に行ってなきゃ良いんだが」
俺を探している声を無視して、見つからないように隠れながら進む。
飼っていた羊たちも牛も、泥岩河馬にやられた。村の人達も何人か喰われちまった。
もうやられてばっかりなのはごめんだ。だから、俺は一人でも戦うって決めたんだ。
家でも丸太でも簡単にかみ砕いちまう大きな口と、イボだらけでガチガチの岩みたいな肌、短い四本足のくせに素早く動く泥岩河馬は、天敵がドラゴンくらいしかいない恐ろしい獣だ。
その泥岩河馬に、今この村は数日前から悩まされている。しかも、危険な獣を狩る狩人に大枚をはたいて依頼をしたってのに、その狩人がやられたものだから村は蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。
「狩人もバカなもんだぜ。わざわざ泥岩河馬が動きやすい水辺で戦うなんてよ」
泥岩河馬は寒いのを嫌うので夜には動かない。夜の間に水くみに行った村人が水辺でズタズタにされている狩人を見つけたのだ。
あいつらは濁った水の中に姿をくらまして、あのずんぐりむっくりとした動きからは想像も出来ないほど早く動く。
それに泥を身体に塗りたくっているので、水辺では見つけにくい。
だから、水辺で戦うのは阿呆のすることだ。
大人達に見つからないように、木から木へ飛び移りながら無事に森へ着いた。
用意していた水棲馬の皮を被って俺は水辺近くにある茂みに隠れる。
日も高くなってきた。そろそろ泥岩河馬が動き出すはずだ。
人死にが出た後は大人達が水辺に近付くのをやめろというけれど、それは逆だ。腹が満たされている間なら、獣は無闇な狩りをすることは多くない。
茂みで息をひそめて待っていると、緩慢な動作をしながら泥岩河馬が水中から出てくるのが見えた。
泥だらけの浅瀬に寝転んで、地面に身体を擦りつけている。
身体中に泥を塗りたくると、今度は腹這いになって、そのままいびきをかき始めた。小鳥たちが泥岩河馬の上に止まって、さえずり合ったり、身体をつついているが、泥岩河馬は小さな筒状になった耳をプルプルと震わせるだけで意に介していないようだ。
角笛のような長い音が聞こえて、のんきに昼寝をしている泥岩河馬の上に大きな影が差す。
小鳥たちが飛び立つと同時に、泥岩河馬が水辺に飛び込んだ。
長い首、そして首よりも太い尾と大きな両翼。影を見るだけでわかった。
ドラゴンだ。
ドラゴンの鋭い爪は、泥岩河馬の分厚い脂肪の上にある硬い皮膚でも簡単に切り裂いてしまう。
それに、背後から滑空してくれば泥岩河馬の最大の武器である大きな口となんでも砕く牙を使う暇も無い。
だから、泥岩河馬はドラゴンの影を見ただけですぐに水の中に入って逃げていくのだ。
でも、ドラゴンがここを通過するだけだとわかるとすぐに奴は水から出てきて、昼寝を再開する。
天敵を利用して泥岩河馬を追い出せないか考えたが、万が一ドラゴンがここを気に入って巣にでもしたら村は今よりもっと大変なことになる。現実的な案ではない。
ドラゴンが、ここをナワバリにしたと勘違いさせることが出来ればこいつを追い払える。でも、そんな方法はない。あれば大人たちがもう実行しているに決まっている。
「あーあ。ドラゴンが泥岩河馬だけ襲って、帰ってくれりゃいいんだけどなぁ」
思わず独り言を漏らす。
泥岩河馬の耳がピクピク動き、目を開けたので慌てて両手で口を押さえて息をひそめた。
寝転んで、鳥に集られている泥岩河馬は、パッと見るだけでは水辺の岩と変わらないように見える。
気付かずに自分に近付いてきた鹿を、あっという間に大きな口で一呑みした泥岩河馬は、口に入れた獲物をバリバリと咀嚼する。そして、食べ終わると骨だけを器用に吐き出した。
突然、唸り声のような音が降ってくる。大きな影が、再び泥岩河馬の上に差しかかる。
しかし、さっきのように泥岩河馬は水中に逃げない。
大きな口を開けて威嚇しながら、短い首を上に向けた。
新月の夜をそのまま塗りたくったような色をした両翼。太くて鋭い嘴。それに、鱗に覆われた黒い四本脚……大烏だ!
まさか絶滅したと思っていた大烏をこの目で見られるなんて……。
雷の神と夜の神が生んだ空の支配者。それが大烏だ。
ドラゴンのように強く、雷を放つ鳥なんて伝説もあったらしいけれど、さすがにソレは盛りすぎだと思う。
子牛ほどの大きさがある大烏ですら、泥岩河馬と並ぶと小さく見える。
いや、見とれている場合ではない。今ならやれるかもしれない。
俺は茂みの中から半身を乗り出して、弓をつがえた。
キリキリと弦が小さな音を立てる。息を止めてこの瞬間――と矢を持つ手を離した。
風を切って真っ直ぐに飛んだ矢は、泥岩河馬の口の中に深く刺さるはずだ。
「ガゥ」
獣の唸り声のような一鳴きと共に、重いものが水に叩き付けられたような音が響く。
俺が放った矢は、あろうことか大烏の右翼に当たってしまったらしい。
見た目よりも硬い羽根によって俺の矢は弾かれたが、バランスを崩して水面に落ちたらしい大烏は、バシャバシャと水面でもがいている。
泥岩河馬が、これを逃すはずがない。さっきまで四本の脚から繰り出される爪で引っかかれるだけに甘んじていた奴は、水面に落ちた大烏を見る。口を大きく開けた今なら弓で射られるか?と思ったが、羽ばたく大烏が邪魔で弓は使えない。
「ガァガゥ!」
獣の唸り声のような大烏の鳴き声がけたたましく響く。
うまくいけば、こいつが忌々しい泥岩河馬を追い出してくれたかもしれないのに。邪魔したのは俺だ。
「クソ」
舌打ちをしながら、俺は水棲馬の毛皮を脱ぎ捨てて、茂みから立ち上がる。
近くにあった扇に似ている木の葉っぱを引きちぎり、水面をバシャバシャと叩いた。
「こっちだこっち!うすのろのデカブツが」
水に落ちた邪魔者へ突進するために、頭を低く構えていた泥岩河馬がこちらを見た。
もう少しだ。
わざと水音を立てて、浅瀬を走る。ここなら大丈夫だ。
射線上から大烏が外れたところで止まり、弓を射た。
か細い風切り音を放ちながら、矢は泥岩河馬の目に当たる。
硬い瞼に阻まれたが、奴の不興を買うには十分だったらしい。
泥岩河馬の怒りがこっちへ向いたところで、ちょうど大きな羽音が聞こえて、俺の上に大きな影が差す。
大烏はよろけながらも水面から脱することが出来たようだった。
豪快に水しぶきを上げながらこちらへ走ってくる泥岩河馬が見える。こうしちゃいられない。
俺はスルスルと木に登ると、急いで隣の木へ飛び移った。
高いところへは泥岩河馬はこれないはずだ。森の奥にある大樹まで、木を伝っていけば逃げ切れるだろう。
背後からバキバキと木が折れる音がするのを聞きながら、俺は必死でツタや枝を掴んで木の上を移動する。
「げ」
焦っているとろくな事がない。
妙なざらっとした手触りがしたと気が付いたときには遅かった。掴んだのは、俺の腕くらい太い翡翠蛇の身体だ。木々に紛れて獲物を狙う翡翠蛇は毒はないものの気性は荒く、力も強い。
シャーっと言う威嚇音を放たれて慌てて手を離したはいいが、慌てていた俺の足はズルリと音を立て、踏みしめていた枝から滑り落ちる。
落ちるわけには行かないと必死で別の枝を手に取ったが、宙ぶらりんの状態になってしまった。
目の前には威嚇音を出しながらこちらに鎌首をもたげている翡翠蛇、そしてバキバキという木々を折る音と共に現れた泥岩河馬。
鼻息を荒くした泥岩河馬は、頭上にいる俺に気が付くと大きな口を開いて、俺の真下にやってきた。
ガチンと音がして、その震動で足先が震えるくらいの大きな音をさせて泥岩河馬は口を開閉させる。
腕がしびれてくる。いくら威嚇してもどこへもいかない俺を明確な敵と見なしたのか、目の前に居る翡翠蛇が身体をこちらへ伸ばしてくる。
翡翠蛇に絞め殺されるか、泥岩河馬に喰われるか……どっちにしても終わりかよ。
俺は目をぎゅっと閉じて、普段信じてもいない森の神様に「助けてくれ」と祈った。
「ガァーガァー」
強い風と小枝を折る音、そして獣の唸り声みたいな鳴き声と共に俺の背中はむんずと捕まれた。
そのまま俺の身体は空高く浮いていく。
しまった!大烏がまだ彷徨いていたのか。
あっというまに俺が掴んでいた木が遠ざかっていく。村とは正反対に飛んでいく大烏に、無駄だとはわかっていても「食べないでくれ」とか「そっちじゃない」と言いながら、俺は森の奥へと運ばれていく。
どさっと乱暴に落とされたのは、森で一番高い大樹の上だった。
羽毛と木の枝でうまく編まれた巣らしき場所は、思っていたよりも清潔で不快な匂いもない。
キラキラとした石や剣、よくわからない硬そうな筒、角笛などのガラクタもたくさん転がっている。
「グゥ……ガァ」
俺を落とした後、埃や小さな綿毛を舞い起こしながら、大烏は俺の前に四つの脚を揃えて止まった。
数歩、ピョンっと飛ぶように歩いて俺に近付くと、大烏は首を傾げて、こちらをじぃっと見つめる。
目を逸らして、背中を向けて逃げるのは多分ダメだ。大烏は、逃げるものを追いかける性質があるとじいさんから聞いている。
走ったとしても、この高さからは逃げられないだろうしな。
後退りをして、ボロボロになった剣が取れる位置まで行ってから、俺は目の前にいる子牛ほどの大きさがある鳥を見上げた。
じいさんから聞いたことを思い出す。大烏はとても賢い。そして警戒心が強い獣だ。美しい羽根が原因で狩り尽くされ、見ることが無くなったと聞いていたし、森をよく歩く俺も、今日までは実物を見たことがなかった。
夜色をした羽根は、木漏れ日に照らされると不思議な色合いで光っている。
そして、俺を見つめているこいつの目が青いことに気が付く。
ということは、こいつはまだ幼体か。親はどこかへ行ってしまったのか、それともはぐれたのか……。それなら、矢が当たった程度でバランスを崩したのにも納得だ。
まだ幼体なら、逃げられるか?
後ろ手に剣をそっと握る。
「グァ!グァ!」
羽根の付け根少し浮かせて、大烏が短く鳴いて、嘴をこちらに突き出してきた。
慌てて剣を遠くへ放り投げて、両手を見せる。
「グゥゥ……」
唸り声のような声を更に低くした大烏の瞳孔が小さくなる。
「悪かったって!敵じゃない。ほら、さっき助けてやったろ?」
両手をひらひらとさせながら、話しかける。言葉が通じると思っているわけではないけれど、声色で相手と意思疎通をしたいと示すことは大切だ。
背中に背負っている弓を手にすると、大烏は嘴を開いて抗議するかのように短く鳴いたが、弓をつがえていないのがわかると大人しく嘴を閉じてこちらをじっと見た。
「ほら、こうやってさ?」
俺が放った矢でそもそもこいつはピンチになったんだけど、それはわすれてくれていることを願おう。
身振り手振りで、こいつを助けた時の真似をすると、大烏はなにかに納得したように「ガァ」と元気よく鳴いた。
敵意と警戒が消えたみたいだ。
「俺と、お前は仲良しだ。な?友達になろうぜ」
じいさんから聞いた大烏同士が親愛を示す仕草をやってみる。
俺は仰向けになって手足をばたつかせてみせた。
すると、大烏も俺の真似をして仰向けになり、四本の脚をばたつかせて「ガ!」と短く鳴いた。
俺が立ち上がると、大烏も仰向けをやめて「ガ」と鳴く。近付いていくと、頭を下げて俺の顔に自分の顔を近付けて首を傾げた。
そっと手を前に差し出すと、大烏は嘴を僅かに開いて俺の手を挟む。一瞬、緊張が走る。
そっと柔らかいものが手に触れて、蠢いた。大烏の舌が俺の手を舐めていた。
頭を擦りつけられて、俺は思わず尻餅をつくと、大烏は目を丸くして、俺へ駆け寄って脚の一本を差し出した。
「俺の名前はニコ。仲良くしようぜ。えーっと、せっかく友達になったんだ。名前を付けてやるよ」
「グゥルル」
「本当に大烏ってのは獣みたいに鳴くんだな。そうだ唸り声!お前はヴォルトだ」
「ガ!ガ!」
名前を呼ぶと、偶然かもしれないが、ヴォルトは上を向いて嘴を開きながら短く鳴いた。
俺は慌ててポケットを探る。ちょうど良く持っていたパンをちぎって、ヴォルトの嘴を目がけて放り投げる。
「ガ!」
パンの味が嫌いでは無かったようだ。楽しそうにピョンとその場で跳ぶ。
「ヴォルト」
「ガ!」
名前を呼んで、鳴いて反応をしたらパンをやるというのを繰り返している内に、どうやらヴォルトが自分の名前だと覚えたらしい。
もうパンはないが、俺が名を呼ぶと、こちらへピョンと跳びながら近寄ってくる。
大烏が賢いというのは本当みたいだ。
いつのまにか、木の間から見える太陽が傾いていることに気が付く。
ぼそりと「どう帰ろうか……」と呟くと、ヴォルトが「ガァ」と大きな声で鳴いて両翼を開いた。
そのまま有無を言わせずに俺を四つの脚で掴むと、そのまま翼を羽ばたかせる。
真っ赤に染まる夕暮れの中、飛び立ったヴォルトは森を越えて村の方へ向かっていった。
もう日が暮れかけているからか、幸いなことに闇に紛れて空を飛ぶヴォルトの姿は見えにくい。
「ダメだってば!止まれ!いけない」
村のど真ん中で滑空しようとするヴォルトに、全身をばたつかせて抗議すると、どうやら意図は伝わったみたいで、ヴォルトは再び高度を上げていく。
村の裏手にある丘は、昼なら目立つが夜は誰も近付かない場所だった。
なんとか手振りと声で示しながら、ヴォルトをそこまで誘導する。
ゆっくりと下降したヴォルトは、手荒に俺を落とす。
人の匂いがするからか、ヴォルトはそのまま飛び立つと暗闇に紛れてどこかへ消えてしまった。
「ニコ!」
村へ戻ると、俺を見つけるなり母さんが抱きついてきて、それから頭を軽くひっぱたいた。
「ったく!どこに行ってたんだい!泥岩河馬に喰われちまったのかって心配してたんだよ」
「夜になればあいつは動かないから平気だってば」
もう一度軽く頬を叩かれて抱きしめられる。
ここで大烏に巣まで持ち帰られたなんて言ったら、大目玉どころじゃ済まなそうだ。
「ごめん」
母さんの背中に手を回して、顔を埋めると、汗とお日様の匂いが入り交じった落ち着く匂いがした。
家に帰って、父さんからも大目玉を食らって、でも無事でなによりだとほっとされながら俺たちは食卓を囲んだ。
翌朝、大きな悲鳴で目が覚めた。
驚いて家を出ようとすると、母さんに扉の中へ押し込まれる。
泥岩河馬が村を襲いに来たんだとすぐにわかった。
俺が匂いを残してしまったから……あいつは復讐に来たんだ。
頭の芯が冷たくなる。
外からは、悲鳴と怒号が聞こえてくる。
父さん達は、農具を持って戦っているらしい。泥岩河馬専門の狩人には、昨日のうちに依頼をしたらしいけど、到着するのは早くても明日だって昨日話してた。
怒った泥岩河馬は執念深い。いつものように村人や家畜を少々食べた位では去って行かないだろう。
どうしよう。俺のせいだ。
壁に立て掛けられた弓を手に取る。母さんは扉の外で俺が出てこないように見張っているはずだ。
「ガァーガァー」
空から、獣の唸り声みたいな声が聞こえる。
村のざわめきが増す。
バケツに手を突っ込んみ、魚を数匹掴んで腰のベルトにぶら下げた。
俺は、窓を蹴破って外に出ると屋根によじ登った。
「ニコ!降りなさい!」
母さんの声が聞こえる。父さんが、暴れる泥岩河馬に遠くから石や農具を投げている。
「ヴォルト!」
「ガ!」
急降下してきたヴォルトの首元に捕まって、俺は空高く飛び上がった。
影が泥岩河馬の上を通り過ぎる。一瞬だけ怒り狂う泥岩河馬の動きが止まってこちらを見た。
そうだ。影…それに今は昼間。
「今はまだダメだ。ヴォルト、巣に帰るぞ!」
急降下して泥岩河馬へ攻撃しようとするヴォルトへ声をかける。
不服そうにしながらも、ヴォルトは短く「ガ」と鳴いて、村を後にする。
風が冷たいけど、羽毛で包まれている身体はあたたかい。
巣についてゆっくりと着地したヴォルトの上から降りた俺は、辺りを見回した。
「ガウ」
ガラクタに近寄る俺を、咎めるように短く鳴くヴォルトに俺の弓を咥えさせる。
弦を思い切り引っ張って離すと「ポロン」と綺麗な音が出る。
「ガ!ガ!」
ヴォルトが喜んで、弓で遊んでいる間に、俺はガラクタの中から使えそうなものを引っ張り出していく。
大きな筒を取り出して、それに扇状の葉を巻き付けていく。重さがあまりあってもヴォルトがバランスを崩してしまうので慎重に……。
先端に少しくびれのある太い棒が出来上がった。先端の左右に光る石を嵌め込んで、俺は首から角笛を下げた。そして、ボロボロになった剣を一応腰にぶら下げる。
「よーし!出来たぞ。これであのうすのろを追い出してやろうぜ」
「ガ!」
弓で遊んでいたヴォルトがこっちを見る。首を傾げていたが、俺の顔を見て、ヴォルトも自分の宿敵を思い出したようだ。
弓を大切そうに巣の奥へ置いたヴォルトが身体をかがめた。脚で掴むよりも背に乗せる方が、俺は安全だと学んでくれたらしい。
羽根にそっと掴まって、作った棒を構えて俺はヴォルトの背にまたがった。
不思議そうに棒を見ていたので何度か、ヴォルトの頭に棒を乗せてみる。
「グゥ…ルル」
「嫌がるなって」
笑いながら、頭を振る直前に棒をサッと持ち上げる。間髪入れずに持っていた魚をヴォルトの嘴に入れてやる。
何度か繰り返す。頭に棒をのせて、褒めて、餌をやる。
嫌がったり身体を揺するのをやめてくれるようになったので、俺は魚をまた一匹、ヴォルトの嘴に入れて首元をポンポンと撫でてやった。
焦るなと自分に言い聞かせる。まだ村は持ちこたえてくれているだろうか。
「ヴォルト!行こう」
俺の声に合わせて、ヴォルトは羽ばたくと、村へ向かって風のように飛んでいく。
「いいって言うまで降りるなよ」
村の遙か上空へさしかかる。俺はさっき作った棒をヴォルトの頭の上からはみ出すように置く。嫌がる様子はない。
「ヴォルト、えらいぞ」
泥岩河馬が家の壁に体当たりをしているのが見える。みんなは屋根の上に逃げながら石や火の付いた木を投げている。父さんと母さんも多分生きているはず。
「下へ!ゆっくりだ」
太陽を背にして、ゆっくりとヴォルトが下がっていく。
嘴に魚を入れて褒めてやりながら、俺は角笛に口を付けた。
笛の音色は、空を引き裂くような力強い音色で鳴り響く。
思った通り、それはドラゴンの鳴き声そっくりだった。
上空からゆっくりと降りてくる影に、予想通り泥岩河馬は反応をした。
さっきまで猛り狂って家の壁に体当たりをしていた巨大な岩みたいな獣は、一目散に森の中へと戻っていく。
「追いかけるぞ」
「ガァ」
俺たちは、泥岩河馬を追いかけて森の水辺へとやってきた。
ぐるぐると旋回して、水辺の周りを飛ぶ。泥岩河馬は姿を隠しているつもりだが、雄牛ほどもある巨体はなかなか隠せない。
角笛を短く何度も鳴らす。じいさんが真似をしていたドラゴンの威嚇音は、確かこんな感じだった。
ばしゃりと音がして、泥岩河馬の巨大な身体が動いた。
「ヴォルト!木を蹴れ!ここら辺の……」
「ガ!」
泥岩河馬から少し離れたところの木をヴォルトが四本の脚で強く蹴飛ばすと鋭い爪痕が木に深々と刻まれた。
再び舞い上がり、泥岩河馬を追うようにヴォルトが上空を飛ぶ。
もう少しで川だ。ここまで追い回せば、泥岩河馬も遠くにナワバリを変えるだろう。
そう思ってヴォルトに引き返そうと指示しようとした時だった。空が陰って太陽が隠れる。
真っ黒な雲が、辺りを覆い尽くして、水桶をひっくり返したような雨が突然降ってきた。
「しまった」
手が滑り、泥岩河馬の頭に手作りの棒が当たる。
ぎろりと、逃げていた奴の視線がこちらへ向いた。
バレた。
落ちた棒を拾おうとして、身を乗り出した俺は、そのまま空中に身体を投げ出した。
雨粒が痛い。怒り狂った泥岩河馬の大きな口が、目の前に迫ってくる。
空が光る。ゴロゴロと獣の唸り声を大きくしたような音が響く。
「ヴォルト、逃げろ!」
俺を助けようと追いかけてくるヴォルトが見えた。ダメだ。幼体のお前がこのまま近付いてきても俺ごとかみ砕かれちまう。
ガチンっと嫌な音がして、肘が燃えるように熱くなる。
身体を振り回されて、そのまま身体が空高く放り投げられた。
このまま水面に叩き付けられても、もう一度噛まれても死ぬ。ぼんやりとかすむ視界と意識の中、死を覚悟していると目の前が光る。
太陽が落ちたみたいな強烈な光の中で、俺はそのまま意識を手放した。