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覚悟が揺らいだわけでもないのに、イズラ王女と話してからというもの小さなモヤモヤが自分でも無視できないほど大きくなっていた。ルイスと一緒になるのは諦めるって豪語してるのに、彼と一緒になる誰かを想像しただけで暗い気持ちになるのは何故だろう。胸が締め付けられるような苦しみを覚えることもあって、自分の感情をコントロールできなくなった私は途方に暮れていた。
見て見ぬフリをしてきたツケが一気にきたのかしら。どうしたら割り切れるようになるんだろう。
「何かありましたか?ずっとお元気がないようですけれど・・・」
そしてとうとう顔にも出てしまったらしく、夕食中にミランダ様に指摘されてしまった。私は誤魔化すのを諦めてフォークをテーブルに置く。
「ミランダ様は恋したことってありますか?」
「恋?・・・そう改めて言われると難しいものがありますね。年上の男性に憧れてたことならありますけど、若いうちから嫁ぎましたから」
「あの・・・大変失礼なことをお尋ねするかもしれませんが、夫であるお父様には他に妃がいますよね」
つまり、私のお母様のことだ。ミランダ様はひとつ頷く。
「どうやって受け入れましたか?その・・・自分の伴侶に他に女性が居るっていう・・・」
お父様の場合は国王だからちょっと話が違うけれど、なんとなくミランダ様の境遇に自分と似通ったものを感じた。恋が叶わないという苦しみはどうやって乗り越えればよいのか。
うーんと上を向いて必死に考え込むミランダ様。
「そうですね・・・。私は受け入れるというよりも、受け入れざるをえなかったというか。
元々私が嫁ぐことになったのはクラー様から打診があったからなんです」
「そうなんですか?」
お母様がミランダ様を選んだの?
「ええ。当時はようやく内政が落ち着きかけたばかりで貴族の娘を側妃に迎えたら混乱するからって、西の外れにある民族の娘である私が適任だったそうですよ」
「嫌じゃなかったんですか?好きでもない男性と結婚するなんて」
「嫌でしたよ、もちろん。でもあのクラー様がわざわざ訪ねて来られて頭を下げられて」
そんなことがあったのか。王妃が側妃に頭を下げて夫の嫁に迎えるなんて、王家の男女関係って結構複雑なのね。
「王家の存続のために陛下の子を産んで欲しいって頼まれたら断れませんでした。クラー様も相当複雑なお気持ちだったと思いますが、当時は跡を継げる男児がいらっしゃらなくて、クラー様はもうお子を望めませんでしたからお互いに仕方のないことだったんです」
「自分の運命を受け入れたんですね」
ミランダ様はからからと気持ち良いくらいに笑った。
「そんな立派なものではありません。のんびりと自由に育った私は嫌で嫌で仕方ありませんでした。嫁いだ当時は毎晩のように泣いてましたし、耐えきれず城を飛び出したこともありましたよ」
「そんなことがあったんですか!?」
ゆったりした方だから帆が風を受けるかのように流されて来たのかと思ってた。
彼女は当時を思い出しながら俯いて絞り出すように声を出す。
「グレスデンの王家って独特でしょう?持てるものは命を繋げるギリギリの食料だけ、食べてもすぐにお腹が空いてしまうくらい。自由なんてありませんし、常に民に奉仕し続けることを求められる。若い私にとってそれは奴隷のような生活でした。
故郷から持ってきた大事なフルートを自分を慰めるために毎晩吹いていたんですよ。その時間だけは嫌なことを全部忘れられるから。けれど結局民にそれを知られてしまって、高価なフルートは贅沢だと反発を受けて手放さざるをえませんでした」
「そんな・・・」
裕福な暮らしから一転して貧しい暮らしを強いられたミランダ様にとって、フルートはきっと心の拠り所だったんだろう。しかし金管楽器はかなり高価で、私たちが手にできるような代物じゃない。
だからといって嫁ぐ時に持ってきたものを手放さなければならなくなるまで非難するなんてやり過ぎだと思う。
「結局、少数民族の娘なんてグレスデンの民からしたら他国の人間同然なんです。だから最初からあまりよく思われていなかったみたい。
それでもクラー様のように皆に認められたくて必死に頑張ったけれど、私はあんなに献身的になることはできなかった。当然そんな私を見る目は厳しかったです。今でもそんなに変わりはありませんけどね」
「そんなことはありません。だってアディ達がいるじゃないですか」
跡継ぎを生んだ。側妃としてこんなに大事なことはない。
ミランダ様も少し微笑んでゆっくりと頷いた。
「そうなんです。辛くてもう逃げ出したくって、実際に一度逃げ出したんですけど、そんな時に妊娠が分かって・・・ようやく私は生きがいを見つけた気分になりました」
「生きがい?」
「はい。私の子どもたちが将来のグレスデンを担い守っていくのだと思えば、どんな貧しい生活でも意味があるものに思えた。
私を救ったのは私の存在意義であり、子どもたちです」
ミランダ様はまた心の拠り所を見つけることができたのね。側妃として跡継ぎを生み、その子が次の王になるという名誉が救いになったんだろう。
「なにか信じるものや大切なものがあることで苦難は乗り越えられると思います。辛いとか苦しいが無くなったわけではないし、逃げ出したくなる気持ちはまだありますけど、不思議と耐えられるんですよね」
「なるほど」
私は何度も頷いた。
「とても参考になりました。ありがとうございます」
「いいえ。でも気を付けてくださいね」
何を?と首を傾げる。
「どんなに信じていても、ある日突然失うこともあります。そんな時には自暴自棄にならず後悔のない道を選んでください。・・・私のようになっては駄目ですよ」
顔は微笑んでいたけれど真剣なミランダ様の声に、私はしっかりと頷いて彼女の言葉を心に留めた。
忙しいルイスに代わって夕食はミランダ様ととるのがここ最近の日課になっていたのに、ある日時間になってもミランダ様はいらっしゃらず、何か用事でも出来たんだろうかと不思議に思いつつその日は一人で夕食を食べた。
次の日に温室へ向かう途中、ついでにミランダ様の部屋を訪ねたが留守だった。ここでさすがに不審に思い、部屋の近くの衛兵を見つけて訊ねる。
「ねえ、ミランダ様を見かけなかったかしら」
「いいえ、見てませんよ」
「そう・・・」
どこに行ってしまったんだろう。すぐ道に迷うからと彼女はほとんど部屋で過ごしていたのに、昨夜も今日も部屋を空けているなんて何かあったのかもしれない。温室は夕方以降は閉まるから考えにくいし・・・。
「そういえば昨日から見かけませんね」
「そうでしょう?ずっと部屋にいらっしゃらなくって」
「そうではなく、侍女です」
え?と衛兵の言葉に訊き返す。
「侍女の出入りが昨日からパタッと途切れてますね。ずっと見てません。前までは食事を運んだりしていたんですけど・・・」
「・・・・」
まさかずっと部屋に帰っていないのか。本当に何かあったのかも。
「わかったわ、ありがとう。侍女の方に聞いてみるわ」
嫌な予感がして、私はすぐにその足で使用人たちの集まる待機室へと向かった。しかしここでもミランダ様の行方は分からず、次に陛下や王妃様の元へ向かったが突然訪ねても会えるはずがなく門前払いされた。
どうしよう、ミランダ様の行方が分からない・・・。
温室へ行く気分にもなれず悶々としながら部屋へ戻る。ルイスなら何か知ってるかもしれないけれど、忙しくて今は捉まらないだろうし。
「あ、おかえり」
考え事をしながら部屋の扉を開けたら、まさかのルイスの姿。珍しいこともあるものだ。
「どうしたの?忘れ物?」
「いや、午後から仕事が休みになったから」
「そうなの・・・」
今の今まで仕事に忙殺されていたのに急に休みができるなんて変なの、と不思議に思いながらも喜びを隠しきれない私は顔を綻ばせる。久しぶりに顔を合わせて話せそうだ。とは言っても、ミランダ様の件があるからのんびりしてはいられない。
「午後から休みなんて珍しいわね。昼食はもう食べたの?」
「まだだよ。シンシアもまだなんだよね?今用意してもらってるから」
「そう。・・・あれ?イズラ王女は?」
あの方放っておいていいの?サイラス王国からの賓客なのでは?
ああ、とルイスはなんでもないように言う。
「大丈夫、帰りの予定が早まって明日帰国するそうだよ。はあ、酷い目に遭った。ああいう面倒なのはいつもレイラ姉さんに押し付けてたんだけど、あの人今留学中でいないし。母様に頼まれたら断れなくってさあ」
「ルイスって実は王妃様大好きよね」
前々から思ってたけど、ルイスは王妃様に頼み事をされて断っているのを見たことがない。結構突飛なことを仰るのに全部頷いてるし、なんとなく王妃様といる時のルイスは他の人といる時よりも雰囲気が柔らかい気がする。
「うん、そうだよ」
「やっぱり」
お母様のことが大好きなのね。私もお母様が大好きだから気持ちはよくわかる。ルイスの堂々とした頷きに私も同じく大きく頷いた。同志だわ。
私はここで本題に入った。本当はすぐにでも聞きたかったんだけど、やっとここで切り出せるタイミングが来た為、早口でまくし立てるように訊ねた。
「あ、それでね、ルイスはミランダ様がどこにいらっしゃるか知らない?昨日からずっと部屋に戻ってないみたいなの。衛兵や侍女に聞いても誰も行方を知らなくって。何か知らないかな」
「本当に部屋に戻ってないの?温室や庭にいるかも」
「昨夜の食事の時にいらっしゃらなかったのよ。毎日夕食を一緒にしていた私に何も言わずどこかに行くような方じゃないわ」
「じゃあ急用でもあったんじゃない?」
絶対に変よ、と訴えるがルイスははっきりとしない返事。
その時、何かの勘が働いたのか、私はルイスの様子がおかしいことに気付いた。そもそも多忙だったのにいきなり休みができるなんて奇妙だし、彼には顔を近づけて話す癖があるのに今日はそれもない、それにこんなに近い距離で話しているのに目線があまり合わない。
小さな違和感の積み重ねが大きな不安になって私を疑心暗鬼にさせる。だって誰も気づかないほど自然に嘘をつくことができるルイスが、私に見破られるような失態を犯すなんて普通じゃないから。
「ルイス、何か知ってるのね」
「なんで」
「様子が変よ」
「そうかな」
「うん」
ミランダ様に一体何があったんだろう。緊張と不安で声が震えてしまう。
「気にしなくてもそのうち帰ってくるよ」
「教えて」
「シンシア、でも・・・」
「教えて」
強く詰め寄ればルイスは押し黙って困ったように額を手で抑えた。その表情は彼にしては珍しいほど険しくて嫌な予感しかしない。
「座ろうか」





