玖:柔剣合一
ブクマ評価アリャッス
アルの白い喉元に、白刃の切っ先が触れるか否か……ギリギリのところで、手首を掴んで押し留めていた。
「うっ、おおっ……!」
「しっぶといですね。降参します?」
「ぐぬ、ぬっ……だ、誰が降参なんか……!」
上から体重がかかっている以上、先に力尽きるのは下にいるアルだ。まして鍛え始めたのなんて最近だ、そう長くは持たない。
……一瞬だ。一瞬のうちに、たった一手でどうにかしなければならない。
そして、こんな時のための必殺技は、実は伝授えてある。
「くっ、しょうがないね……ごめんっ!」
万が一馬乗り状態になったときの対応として、最終手段を一つ教えてある。叢雲流における鍛練と、身も蓋も無いダイレクトな必殺技。
それは金的、つまりは急所である睾丸への攻撃。
指先に気を満たし、衣類もろとも睾丸を鷲掴みし、破壊する。
アルの指先は、布越しにあるはずの二つの玉を探る……が、様子がおかしい。
「あれ、ない……?」
「ちょ、何をっ、ひゃんっ!」
「えっ」
艶のある声が上がって、二人は硬直した。
比武の舞台で聞くことはまずない類いの声だ。声音小さくも、俺の耳はしっかりとそれを捕らえた。
払野の顔はみるみる茹で蛸のように赤みが差した。
「し、し……死ねっ! というか殺すっ! ぜったい殺す!」
「うわっ! いきなり殺意むき出しにしてきた!」
だが、怒りのあまり動きは単調で粗い。アルは冷静に小刀を手甲で弾いて軌道を逸らす。もう一度突き刺そうとする払野の手首を掴み、喉に指を食い込ませた。
「がっ……」
「っせい!」
払野の体が後ろに傾いたところに、両足を首に絡ませて一気にひっくり返す。だが相手は柔剣道。寝技は不利と見て即座に立ち上がる。
それを逃がすまいと、払野がアルの両足を両足で挟み絡め取って、捻り転ばせる。
そして先んじて立ったのは払野。アルが拾おうとした剣を蹴飛ばし、短刀を振り下ろす。
「うぐっ!」
咄嗟に手甲で防ぐものの、もはやアルの手の届くところに武器は無い。
刃と甲がガチガチと音を鳴らしながら、二人は拮抗する。
「あなた、さっき一瞬躊躇しませんでした?」
「うぇ?」
「天野流だからって、自分のほうが強くて当たり前って調子乗ってるんですか?」
「べ、別にボク、そんなつもりは……」
「ウザい……天野流のそういうところ、マジでムカつくッ!」
向こうのヤツ、なんか本性出し始めてきたな。なるほど、あの一瞬はやっぱりアルが躊躇したのか。
それは不味い。なんであれ、比武の最中に手加減してしまうなど。ましてやそれで逆転されるなど、相手にとっても、自身にとっても不幸な結果になる。
だが侮るなかれ。生まれながらに達人の下で育てられた俺なんぞより、アルの才覚は凄まじい。そこから放たれるのは……。
「だから、お前を倒して、私は零閃を討つ!」
払野は空いた手でアルの胸倉を掴み、持っていた短刀を咥えてから手首も掴む。そして、足をアルの背後に回してそのまま押し倒す。
今度は膝を腹部に膝を落としている。
「今度こそ仕留める!」
次の瞬間には、アルの身体に短刀が突き刺さる……はずが、払野の短刀を握る右手は、引いたままに動かない。
「……ぐふっ、ごほっ!」
咳き込み、涙目になりながらも、アルは最後の剣を刺し込んでいた。
払野の鳩尾に突き刺さるのは、自らの拳。
「おま、え……」
「ありがとう。キミのおかげで、吹っ切れたよ」
そして、次に手刀をもって喉を斬る。薙ぎ払われるように、払野の身体は横に転がる。
「キミはボクを天野流だと思ってるみたいだけど、我流だから」
「がっ、ごっ……何、言って……」
「ボクは我流・不敗魔喧術のアルバトロス! まあ今回は叢雲流と剣闘法まざってるけどね」
「がりゅう……」
すべてはこのための叢雲流。
武器が己の手から離れども、防具の隙間を縫われども、一度振るえば両断貫通、防護堅剛。最強の矛にして盾と成り得る、それこそが五体。
アルの天野とライザの剣闘、そして俺の叢雲。三要素の融合を以って、我流・不敗魔喧術となる。
「でも、ボクに苦戦するようじゃあ、アレには勝てないと思うよ。あれはボクなんかより切れ味が凄まじすぎる」
「あなたは、天野流の子じゃ……」
「ボクはボクだ。虚弱だったボクをハヤテが鍛えてもらった。ライザは剣に頼りきりにならない剣闘士の戦い方を教えてもらった、一人の武人としてここに立ってる」
そう、アルは立っている。そして払野は意識があるものの、立つことは叶わない。もはや勝負は決した。
「キミが天野流に対してどういう思いを抱いているのかは知らないけれど、今回はボクの勝ちだよ。お手合わせ、ありがとうございました」
「ぐっ、このセクハラ野郎、絶対に許さない! 次は絶対に討ち取って、晒し者にして辱めてやるッ!」
ひどい宣言を聞いた気がするが、何はともあれ勝ちは勝ち。勝敗は決した。
「まあ、その時はまたよろしくね」
アルは倒れた払野に手を差し伸べる。戦場ではまずありえない、負かした敵に手を差し伸べるという行為。
「……はぁ、なんなんですかあなた。あんなことしておいて、よくもそんなことが言えましたね」
ため息一つこぼし、苦笑しながら払野は手を取った。武人として、手を合わせた者として手を取り合う。
これが武の頂を目指すための、繋がりの構築だ。
二人は自分たちの得物を拾い上げ、武台を後にする。
「ただいま、ハヤテ」
「おかえり、アル」
何故だろう、なんて声をかけたらいいのか思いつかない。とりあえず、ハイタッチでもしようかと思って片手を上げる。
だが、アルは俺の手を無視してあろうことかタックルをかましてきた……わけではないようだ。
柔らかい頬が重なるほどに近く、両腕は腋の下を通って俺を離すまいと力いっぱいに締め付けている。
「やったよハヤテ! ボク、魔法使わずに勝てたよっ!?」
「アル……」
ああ、そうか……アル、お前はそこまで気にしていたのか。
武力を掴めない虚弱な自分を、魔法がなくては戦えない現実を、どうしても拭いきれなかったのか。
アルは感動に打ち震えている。俺にその震えを伝えようとしてくれているのか。お前にとって俺がどういう存在でなのかを、必死に俺に教えてくれようとしているのか。
「ありがとねっ! 本当に、本当にありがとうっ……!」
「お前の自らの力で成したことだ。お前はよくやった、おめでとう」
自分でも驚くほどに、すんなりと祝福の言葉が紡げた。きっと、アルがまっすぐに思いを伝えてくれたおかげだ。
こんなにも純粋にまっすぐな気持ちを伝えてくる、アルという人間に出会えたことが奇跡だと思えるほどに、俺はどうやら嬉しかったようだ。
アルの対戦相手であった払野邑醒は、訝しげな目で俺を見た。
「こんな子供があなたの師匠? 俄かに信じられませんけど」
「いや、アルと大して変わらないだろ。失礼だなお前」
「こう見えてハヤテは武神の弟子なんだよ?」
「なるほど、それならちょっと納得できますね」
こう見えて……こう見えて?
まあ、仕方ない。傍から見れば確かに俺はようやく二桁の子供。中身は前世の年齢と合わせてもせいぜい30半ばだ。老いた雰囲気など微塵もないだろう。
「アルさんの話によれば、本来ならあなたが私と戦うはずだったんですよね。どうですか?」
「俺は別に構わないが、そっちのコンディションはいいのか?」
「戦場ではバッドコンディションからが本番、というのが柔剣道の考え方です。それに武神の弟子ということなら、遠慮なく胸を借りられますから」
「貸す側の俺に拒否権はないのか……」
――と言いつつも、拒否する気は特にない。何時でも何処でも誰とでも、武とはそういうものだからだ。
それが唐突な今でも、武台の立見席でも、今しがた比武を終えた手負いの獣でもだ。
改めて、払野邑醒という武人を観察する。
セミショートで切りそろえられた、よくよく見れば綺麗な黒髪。
男とも女ともつかないながら、美麗で端整な顔立ち。
胸当てで隠されていた胸はわずかに膨らんでいて、筋肉なのか乳房なのか判別がつかない。
ただ、アルが掴み損ねたのだから、恐らく睾丸は持っていない。即ち女性だということは察しがつく。
「柔剣道には……」
不意を突く、素早い手捌き。払野は胸倉をつかんできた。
そのまま身体を押し当てるようにしつつ、足を引っ掛けて押し倒す。倒れると同時に、鳩尾に対して肘をあてがって体重を乗せる。
それは投げと打撃の融合と言うに他ならず、俺の腹部を強く痛め付けた。
「ぐっふ……!」
間髪いれずに、小刀を抜いて首をかっ裂きに来た。
胸倉を掴まれてから回避を思考したときにはもうここまで進行している、見事な手早さ、技の冴え。
だが、刃が俺の首を滑る前に、白い手首を掴んで止める。
引かねば斬れない刃なら、引かせなければいい話だ。
「さあ、どうする?」
「予想通りですよ」
すると、払野はくるりと身を翻し、俺の腕を両手で取って伸ばした。
俺の上半身は二本の足によって地面に縫い付けられ、腕は太ももと股に挟まれた上に両手で拘束され、尚も肘関節の可動範囲より更に伸ばしきらんとしている。
「柔剣道の寝技が一つ、腕抱え折り。またの名を棺」
「おお……なるほど、すごいな」
「驚きました? まあ無理もないですね」
「棺桶に入るときの姿勢に似るから棺か。面白いネーミングセンスだな」
「……ずいぶん余裕そうですね。これを返す技が叢雲流にはあるんですか?」
そういえば、叢雲流には寝技がないな。だから寝技を返す技もない。
なにせ隼には、相手が寝る時は死んだ時。自分が錬る時は睡眠の時のみという徹底した意識があるからだ。胸倉を掴まれた時点で必殺の一撃を叩き込めないのであれば、それこそ未熟なのだ。
「さあ、どうだろうな。それはともかく……本当に女子だったんだな」
「なっ……」
「手の甲に当たっている豊満とはいかないものの確かに柔らかい感触、二の腕の収まりの良さ。アルが金的を潰し損ねてまさかとは思ったが……」
「ひっ、比武の最中に何言ってんですか!? ぶち折りますよ!?」
「いっ……!」
このまま折られるというのはさすがにまずい。かといって降参はしたくない。
「腕一本取られるのはさすがにキツイ。が、足一本と引き換えということならまあ釣りあうだろう」
「ここからどうやって、私の足を奪うつもり……えっ?」
おもむろに、空いている左手で足首を握る。
「あっ、ちょ……」
「鉄拳道では拳を鉄と化す為に、日々硬いものをブッ叩いてるという。だが、それは拳に限った話ではなく、指先でも実現しうることだ」
鍛え上げた指がもし鉄の如き頑丈さを備えたならば、指先はもはや凶器だ。
胡桃を割り、釘を折り曲げるほどに備えた指先ならば、人体を一部を潰すことなど容易いだろう。ましてや肉にも守られていないアキレス腱など。
「俺が肘を失う代わりに、お前は良くて片足を失う。人体を破壊するだけなら技なんて必要ない」
「それが叢雲の流儀ってわけですか」
「俺も未熟だから、今のところはこれくらいしか見せてやれないが」
「別に構いませんよ、エロガキにそこまで期待してませんから」
「言葉の端々に棘があるな。ツンデレか?」
「端々どころじゃないと思うなぁ……」
さて、これからアルの祝勝会だ。ライザにも礼をするために酒場で挙げるとしよう。
冒険者集う酒場の一角は、今宵限り武人闘士の宴の場となった。
「ステラはともかく、払野もいるのか」
「ボクが呼んだ。人が多いほうが楽しくなると思って」
「あの、なんで敗者の私が勝者の宴会に付き合わないといけないんですか?」
「勝者はいつだって敗者の言いなりなのさ!」
払野は諦めたのか、ため息をこぼして俺のほうを見る。
「よくこんなのと付き合ってられますね」
「こんなんだからこそ助けられることもある」
「でしょうね、あなた陰……じゃなかった、生真面目そうですしね」
え、なにこの子辛らつすぎない?
というか、今なんて言おうとしたんだ。イン……。
「じゃあかんぱーい!」
挨拶も音頭もクソもなく、アルは早速宴会をスタートさせた。問答無用の即決だ。
「おう、アンタがアルバトロスに剣闘技を仕込んだのかい? 見所ある野郎だね、いっちょ飲み比べでもしようじゃないか」
「ハッ、すげぇデカパイだな姉ちゃん! いいぜ乗った! 俺が勝ったら乳揉ませろぉ!」
ライザとステラは早速意気投合したのか、いきなり飲み比べを開催する。こういうことになると外野の見物客が出てくるものだ。二人と見物客は雌雄を決するためカウンターに移動した。
「まっ、こうなった以上気にしてもしょうがないですね! やけ食いします!」
「潔いな、払野邑醒」
「あっ、それリングネームなんで今は邑醒じゃないです」
「リングネーム?」
「武台に上がる者としてのハンドルネームですよ」
「じゃあ本当の名前は?」
払野はライザやステラが置き去りにした料理をあれやこれやとつまみ、さんざん胃袋に収めた。
「私なんか名前が気になるんですか? 物好きですね」
「物好きというほどではないだろう、その美貌があるなら」
「私なんか醜雌ですよ。胸もない、し……うわ最悪、思い出させないでくださいよ」
口が悪いくせに謙虚だな。いや、卑屈すぎるから口が悪いのか。自分の事を見下げ果てているからこそ、その言葉は謙虚ではなく本音なんだ。
「十分に美少女だろう。少なくとも俺の目にはそう見える」
「趣味悪いですね。それとも目が悪いんですか?」
だから自分を良く見られると、嬉しくてもそれを本気でおかしいと思ってしまう。
「柔剣道二段、島田サリナです。あらためてよろしくお願いします」
「叢雲流、叢雲颯。どうぞよろしく」
「二人ともお似合いだけど、もう少しボクのことを祝って欲しいな」
そういえばそうだった。始まって早々に飲み比べが始まったのに気を取られ、払野邑醒あらため、島田サリナへの興味で一人にさせてしまった。
空いているアルのグラスに果汁飲料を注いで機嫌を取る。
「今回の戦いはおおよそ満点だった。剣闘士の臨機応変さ、天野流の剣のキレ、そして叢雲仕込の拳と手刀」
「えへんっ」
「だが、下手な手加減で形成を逆転されたのはいただけない」
「うっ……で、でも、あのまま振り下ろしたら島田さんに傷跡が……」
確かに、アルの心情も分かる。
あそこは比武の舞台であって戦場ではない。殺す殺されるの場所ではない。
そう考えると武器を持ってあの場に立つというのは相当な覚悟を持って臨んでいるのか。
「刃を扱う以上、切り傷は覚悟の上です。天野流は違うんですか?」
「ボクはおちこぼれだったから、その辺りはあんまり……」
「アルは俺が武気を教えるまで虚弱だったんだ。だから魔法と組み合わせた独自の戦術で戦ってきた」
「そうだったんですか。でも技はかなりの切れ味だったじゃないですか。不才ってわけじゃないんですね」
「姉には及ばないけどね」
そしてアルは俺のほうを見る。
「たぶん、そう遠くないうちにハヤテは姉と、零閃と戦うんだと思う。その時は、絶対に武気で受けきろうとしないで」
「ああ、その点は心配しなくていい」
接した時間は僅かだが、確かに感じ取った。仙武境から外に出て、初めて感じた武気の気配を。




