88話 親友の涙
「そう……、ですか」
「……」
僕が知っているムトに関することを全てを伝えた。誰かから聞いて知ったムトじゃなく、僕が実際に会って知ったムトを。
全てを聞き終わったリチェルさんは否定するでもなく、僕を罵るわけでもなく、ただただ目を瞑って現実を受け入れているように見えた。
「僕が嘘をついているとは思わないの?」
さっきまでリチェルさんはムトのことを、本当に楽しそうに話してくれた。それこそ、姉が弟の自慢をするときのように。
あの時の顔は、姉さんが僕のことを友達に話していた時と同じ顔だ。ずっと見てきたからすぐに気がついた。
……リチェルさんは本当に、ムトのことを心から実の弟のように慕っている。
「思いません。あなたはこんなことで嘘を吐くような人ではないでしょうから。それに、……思い当たる節はありますから」
「……そう。聞いて後悔してる?」
「いいえ。聞いても聞かなくても後悔はしていました。むしろ聞かなかったらもっと後悔していたでしょう。あの日からもう何年も何年も、ずっとここで後悔し続けていたのですから」
神に寿命はない。果たして今のリチェルさんにそれが当てはまるのか分からないけれど、彼女の言葉の重みを聞く限りでは、僕が想像もできないほど昔からずっとここで後悔ばかりしていたんだろう。
この誰もいない、孤独な空間で。
「ユート、私を連れて行ってくれませんか?」
「そうするつもりだけど、いいの?」
きっと今のムトを見たら傷つくと思う。
「構いません。私にとっては目を背ける方が辛い。……どうか、よろしくお願いします」
「……分かったよ。それで、僕はどうしたらいいの?」
「私の目の前にあるこの神剣を抜いてください。力の操作はこちらでしますから、あとはそちらの神剣を叩き斬ってもらえれば」
「分かった」
白い神剣に近づいて、その柄を握る。
「……これが神剣」
想像以上だ。持ってみて分かったけど、この神剣には神一柱分の力が丸々込められている。それも上級神、天照さんに匹敵するかもしれない。
これがリチェルさんの力なら、きっと以前のリチェルさんは相当上位の神だったに違いない。
「あ、抜けた」
少し持ち上げただけで簡単に抜けた。これで抜けなかったら少し恥ずかしかったけど、その心配はいらなかったね。
「ーーせいッ!」
キンッ、と甲高い音が響く。
とりあえず、言われた通りに切ってみたんだけど……、
「切れないね」
「……すみません、少し手を抜きすぎたようです。ユートも少し力を貸してもらえますか?」
「いいよ」
まぁ、神剣を切るんだからね。そりゃ一筋縄ではいかないか。
僕も少しだけ本気で切ろうかな。久しく剣を握ってなかったから少し心配だけど。
師匠直伝の技。天すらも切った一太刀。
その名も、
「………【天断ち】」
「ーーえっ」
えっ、何その不安になる「えっ」って。もう切っちゃったけど。
「……ユート、私は少し力を貸してほしいと言いましたよね」
「そうだね。だから、少し本気でーー」
「これのどこが、“少し”何です?」
……たしかに神剣は切れてる。ちゃんと目的は果たしてる。
でも、
「どうして、この空間自体も切ってしまうんですか!?」
「あー、……ごめんね?」
僕の視界には、少しずつずれていく空間が見えていた。
……冷や汗が止まらない。非常にまずい事態になっているっぽい。
なぜかって? いや、僕が切った場所から空間が崩壊し始めているからだよ。
「 今すぐここから逃げてください! この空間はもうもちません!!」
……うわぁ。遂に神が作った空間を切っちゃったよ。今ならダンジョンも切れそう。
って、そんなことを考えてる場合じゃないか。
「ッ、【転移】!」
とっさに転移で地上に出る。見渡す限り砂だらけ。振り向けば、遠くに陽炎でぼやけたメゾリアの街が見えていた。
「とりあえずは戻ってこれたのかな」
「……自重してください。私もあなたには容易に力を貸さないようにしますので」
「そうだね。僕も力を借りるときは気をつけるよ」
「そうしてください。それにしても、ここが……」
周囲を見渡して悲しそうに顔を歪めるリチェルさん。
しばらくそうしていたけど、リチェルさんは作り笑みを浮かべて言った。
「すみません。先程ので少し疲れてしまったようなので、少し神剣の中で休みます」
神剣の中で休めるんだ……。家みたいなものなのかな?
「分かった。あんまり無理しないようにね」
「はい。それと……」
リチェルさんが僕の持っている神剣に触れると、剣が消えた。驚く僕をみて少し微笑むと、「大丈夫ですよ」と言って説明してくれた。
どうやら僕が念じるだけで剣が出てくるらしい。そんな馬鹿なことが、なんて思ったけど、実際に念じてみたら出てきた。……神の力ってやっぱり凄い。
「少し寝ます。もし何かあれば起こしてください」
そう言ってリチェルさんはすぐに姿を消した。
まぁ、疲れているのなら休んだほうがいいだろうし、それを止めるつもりはないよ。きっとリチェルさんも一度にいろいろあったから気持ちを整理したいだろうし。
でもね、
「起こして、ってどうやって起こせばいいの?」
それはきちんと教えてから戻って欲しかった。
あの空間に間違って誰かが入らないように、砂漠に埋まっていたあの扉をもう一度埋め直して、街に戻ろうとした時だった。
「……さて、リンのことも心配だし、すぐに街に戻ってーー」
『唯斗!!』
頭の中で僕を呼び声が聞こえた。この声はーー、
『天照さん? どうしーー』
『今すぐ街に戻って! リンが危ないわ!!』
ーーリンが、危ない?
何が起きて、なんて聞く余裕はなかった。
反射的に身体中に神力を流して強化し、爆ぜるようにその場から駆け出した。でも、数秒も経たずに、頭が最も早くリンのところに駆けつけられるような答えを叩き出す。
その瞬間、僕は街の入口へと転移。どういうわけか人がいなかったけど、おかげで全速力で走ることができた。
リンの気配はーーあそこか。
リンに近づく禍々しい気配を見つけた。どこかで似たような気配を感じたようなことがあった気がしたけど、そんなの関係ない。
ーーリンの敵は、僕の敵だ。
リンのいる建物が見えた。随分と壊れている。今にも崩れ落ちそうだ。
そんな建物の壊れた壁から、リンの姿、そしてそれに少しずつ向かっていく黒い人型が見えた。
そして止まったと思えば、足元に何かあった。その何かはすぐに分かった。あの元メイドさんだ。
僕がそれを理解した時、黒い人型は元メイドさんを踏みつぶそうと足を振り上げていた。
そして、
「助けてッ! ユートー!!」
ーーああ、あれは敵だ。
そう認識した瞬間。僕は弾丸のように飛び込んで、黒い人型を蹴り飛ばした。
振り向けば、リンが涙を流しながらうつ伏せで倒れていた。
頬だけじゃない、腕や脚の至る所から血を流している。もしかしたら骨も折れているかもしれない。
それでも、リンは懸命に動こうとしていたみたいで、床には引きずったような血の跡が残っていた。
それを見て、僕は自分の感情が抑えられなかった。
「……よくもリンを泣かせたな」
リンはいつも笑顔で僕を支えてくれて。
ーーなのに今はこんなにも辛そうな顔をしている。
「キミが元々誰なのか、何が起きているのか知らないけど、これだけははっきりしてる」
自分ことでは一切泣かない、泣き言も言わない強い女の子で。
ーーなのに今はこんなにも涙をこぼしている。
「キミは僕の親友を泣かせた。怪我をさせた」
僕の好きな、大切な親友。
そんなリンをあいつは傷つけた。……ならどうする?
ーー絶対に償わせてやる。
「僕は絶対にキミを許さないッ!!」
ーーその命をもって。




