閑話 フィリアの一日
登場人物紹介2と、この閑話 フィリアの一日を連続投稿しております。
エルムス国国王。ウォルス・リフィト・エルムスが娘、フィリア・エルムスの朝は早い。
「……いいじかんですね」
まだ外が薄暗いにも関わらず目を覚ましたフィリアは、まだ少し重い目を、その細く陶器のような指先でそっと撫でた。
レースがあしらわれた純白のキャミソールを身に纏い、ぼんやりと外を見遣る様子は、その容姿も相まって、まるで天使や女神のようだ。これで背中から純白の翼でも生やそうものなら、誰もが目を奪われ、そして跪くに違いない。
とは言ってもフィリアは生まれたときから人間である。人の子は人、それはもちろんフィリアとて例外ではない。
……どこぞの見た目も中身も子供っぽい半人半神を除けば、ではあるが。
そんな天使のような少女はキングサイズのベットからズルズルと這うように抜け出すと、あっちへふらふら、こっちへふらふらと、周囲から見ればああっもうっ、とヒヤヒヤさせられるような動きで、服が収納されている両開きのクローゼットの前へと移動する。
「……んー」
何やらごそごそとクローゼットの中を漁っていると思いきや、取り出したのはーー
「ん」
白いジャージ。否、ジャージによく似たジャージというべきか。伸縮性があり、動きやすいという点は同じではあるものの、その素材はとある魔物の出した糸を使っているため、地球産のジャージとは似て非なるものだ。
ちなみに、このジャージに似た服の出所はオスカの店だったりする。
しかし、ところどころにピンクの花の刺繍がしてあるものの、それはジャージに似たものに違いはない。普通、一国の姫が着るようなものではないだろう。
しかし、それでもフィリアは動きやすい服が欲しかった。こうして朝早くから起きて庭を走り、体力をつけるために。最近習い始めた護身術もその一つだ。
ーー全ては立派な女王になるため。
唯斗との約束を違えないために、フィリアは早速自分にできることを始めたのだ。
「はふぅ……」
漏れ出す欠伸を噛み殺しつつ着替えていると、不意に扉をノックする音が聞こえてきた。
「姫さま、よろしいでしょうか」
「……はぅ」
「姫さま? 入りますね」
そう言って扉の向こうから姿を現したのは、フィリアが小さい頃から仕える侍女だった。
「……姫さま、服がズレていますよ」
「えぅ」
「そんなに眠いのでしたらもう少し寝ていてはいかがですか?」
「……だめです。がんばらないと」
寝ているのか、起きているのか。いや、半分寝ていて半分起きているのだろう。侍女は小さく溜息を吐くと、フィリアに水の入った桶を差し出した。
「姫さま、これで顔を洗って目を覚ましてください。走りに行くのでしょう?」
「……はぅぅ」
曖昧な返事ではあるものの、フィリアはゆっくりとした動作で水桶の中に顔を突っ込み、十数秒の間ぶくぶくと泡を立てていると、ハッとしたように水から顔を上げた。
「ご、ごめんなさい。私、寝てました?」
「そうですね。顔に水をつけるまで起きないのはいつものことです」
「……すみません」
「いいえ。それで、今日も走りに行かれるのですか?」
侍女はフィリアにタオルを差し出しながら、少し心配そうに再度問うた。
「ええ。体力がなければ女王は務まりませんから」
「ですが、体力をつけるために体を壊しては元も子もありませんよ」
「大丈夫です。人の上に立つものとして、体調管理には人一倍気をつけていますから」
そう、フィリアは侍女に笑いかけるものの、侍女の顔は晴れない。侍女にはフィリアが張り切りすぎているようにしか思えなかったのだ。
……特にあの少年がこの国を出て行ってから、それが顕著に現れているように思えた。
「では行ってきますね。……イッちゃん、また後でね」
イッちゃん。そう名付けられた市松人形の頭をそっと撫でると、フィリアはその長い髪を一括りにし、部屋から出て行った。
「あっ……」
その後ろ姿を見送った侍女は、いつの間にかフィリアに伸ばされた自分の手に気がついた。
「私は……どうしたいのでしょうか」
その手をゆっくりと元に戻し、自分に問いかけるように呟いた。
姫さまの体調を考え止めたい。でも、一生懸命頑張っている姫さまを止めたくはない。そんな二つの相反する感情が、侍女の心を乱していた。
ランニングを終え、一汗かいたフィリアは、侍女に温かいタオルで体を拭いてもらう。それが終わればイッちゃんの手入れだ。
「イッちゃん、また少し髪が伸びた?」
フィリアは唯斗にもらった市松人形の髪をとかしながらそう尋ねると、市松人形の首がひとりでに傾く。
そう、傾いたのだ。ひとりでに。
呪具から二人を守ってからというもの、市松人形はまるで生きているかのごとく動くようになっていた。初めはフィリアも驚いていたものの、今ではこうして毎日のように髪をといて、一緒に行動し、友人のように接している。フィリア曰く、大切な友達、なのだとか。
と、まぁ、本人はそれでいいものの、周りはそう捉えなかった。動く市松人形を見るなり、魔物だ、呪具だと叫び、兵士を呼ぶ始末だ。今ではフィリアの父、ウォルスの一声があり騒ぎにはならないものの、未だに陰では呪いの人形だと囁かれている。
かく言う侍女もその一人だったのだが、仲良さげに喋り合うーーとは言っても喋るのはフィリアだけだがーー二人を見て、そんな考えは次第と消えていった。
「もう少し伸びたらまた切ってあげるね」
それに対して市松人形がコクリと頷く。その様子は友達ではなく、どちらかと言えば姉妹のようにも見える。
市松人形の手入れが終われば、今度は勉強だ。書斎へと移動し、本を読んで女王に必要な知識は全て頭の中に入れていく。
「えっと、川が氾濫した時の対処法は……」
この書斎には王族に必要な知識の大半が詰まっている。歴代の王が取った対応、そしてその改善案。そういったものが書かれた書物も、この書斎には存在する。
もちろんそれだけではない。王族がとるべき所作や心構えといった、基礎的なものについて書かれたものも、ここにはある。
故に、この書斎に入れるのは王族だけだ。ただ、例外として市松人形のイッちゃんだけは入室を許可されている。ので、今ここにいるのはフィリアと市松人形の二人だけだ。
「……イッちゃん、この本の続きってある? あと、これに関する他の資料も見たいな」
それに対してイッちゃんはコクリと頷き、言われた本と資料を持って飛んできた。
ありがとう、と言ってフィリアは微笑みかけ、その本や資料を受け取る。
イッちゃんにどれほどの知性があるのかは分かっていない。だが、その行動から少なくとも人並み程度には賢いことが伺える。
それが他者への恐怖を増加させているのかもしれないが、フィリア自身はまったく気にもしていない。むしろ手放しで喜んだほどだ。
その後、朝食を終えたフィリアは、イッちゃんと侍女と共に気晴らしに城内を歩いていた。
今日は晴れているし、庭でお茶を飲むのもいい。そんなことを考えていると、前方からフィリアにとってあまり出会いたくない人が歩いてくるのを目にした。
「これはこれは姫様。ご機嫌いかがですか」
「……ありがとうございます」
ここのところ毎日のようにフィリアに付き纏う貴族の嫡男。それが今フィリアの前で軽薄な笑みを浮かべている男だ。
今まではガトナー伯爵が居たため、女王になるかも分からないフィリアに近づくものはほとんどいなかった。しかし、フィリアが女王になるのだと分かると、手のひらを返すように近づく者が増えたのだ。その内の一人がこの男だ。
ガトナー伯爵に加担していた者は罰したものの、この手の輩が居なくなることはなかった。それでも、暗殺を企てていた連中に比べたらマシな部類だろう。
ただ途轍もなくうざったいだけで、今のところそれ以外に害はなかった。
「こうして出会えたのも神のお導きでしょう。如何ですか? これから少し散歩でも」
いえ、結構です。そうハッキリと喋ってしまいたい衝動に駆られるが、フィリアはその言葉を飲み込んだ。
ハッキリと拒絶して余計な反感を買ってしまえば、今後の関係に問題が生じてしまう。こんな輩であろうと、貴族は貴族。国を動かしていく上で重要な存在なのだ。
それが理解できているからこそ、フィリアは曖昧な言葉で躱すしかなかった。
「すみません、これから用事が」
「でしたらそれにお付き合いしましょう。何なりと申してください。今日限り私は貴方の騎士になりましょう」
男はキラリと白い歯を見せ、笑顔で片膝をつく。
正直、フィリアは我慢の限界だった。
よほど自分の容姿に自信があるのだろうが、フィリアにとってそれは何の意味もなさなかった。むしろその痛々しい言動が、フィリアの苛立ち度を限界まで高めていたと言える。
そしてさらにフィリアは心の中で叫んでいた。
(何度今日限りの騎士になるんですか!?)
男がフィリアにアタックしたのは、先の通りこれが初めてではない。そして驚くべきことに、彼はフィリアに会うと、必ずあの歯の浮くようなセリフをまったく一言一句違わずに繰り返していたのだ。
ゲームを知っている人ならこう思うだろう。
コイツRPGに出てくるNPCか、と。
そんなことを知らないフィリアは、内心溜息を吐きつつ、いつものように断ろうとしたところで、
「さぁ、行きましょう! 私たちの進む先へ!!」
そう言って男はフィリアの手を取った。
初めて聞く言葉と、急に手を取られたことによる驚きで、フィリアはその手を拒絶することも、断ることもできなかった。
それが彼には肯定だと受け取ったのだろう。気を良くして、強引にフィリアの手を引いた。
ゲームを知っている人ならこう思うだろう。
こいつRPGに出てくるNPCじゃなかったのか!? 、と。
男が手を引けば、必然的にフィリアは男の胸元に飛び込むこととなるだろう。それを側から見た人がどう思うか、その誤解による影響は計り知れない。
「姫さま!!」
咄嗟に侍女はフィリアに手を伸ばしたがーー届かない。侍女という身分を弁えるため、フィリアから離れすぎたのが仇となってしまった。
そしてフィリアと男の距離が縮まり、触れ合ってしまう瞬間ーー
「ーーオヴェッ!」
男が吹き飛んだ。
「……えっ?」
何が起こったのか、フィリアにも理解できなかった。それは侍女も同じ、おそらく周りにいた人達にも分からなかっただろう。
ただこの場にいた全ての人が、フィリアの目の前で空を漂う市松人形の姿が悪漢から少女を守る騎士のように見えていた。




