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家族のアイドルでいられるのは幼少期のみ

 空腹を訴えるアザミにご飯をくれたのはお父さんではなく、お母さん(仮)だった。夫のミジュランになかなか辛辣な言葉を吐き捨てた彼女は、まさに「強い女」という言葉がぴったりの女性だ。彼女の指に吸い付きながら、ご飯は母乳なのかと考える。自分と近い年頃の子どもがいるのなら、もしかしたら母乳なのかもしれない。

「アザミ、ごめんね。あなたに母乳をあげたいんだけど、あいにく母乳は出ないの。だからヤギの乳で我慢してね」

 すぐに用意するから、泣かないでねとアザミの頬を撫でながら、しゃぶられていた指を引き抜く。アザミが泣かないことを確認してから、よだれでぬれた手を洗い、ミルクの準備を始めた。

 生きるためだし、同性だし、何も恥ずかしがることはないけれど、母乳じゃないと聞いてどこか安心している。母乳より排泄のほうが恥ずかしい。どうしよう。アザミはいつの間にかついてきたお父さんに抱きかかえられながら空腹と戦った。

「私の名前はアルテシア。あなたのお母さんよ。ミジュランは気が利ないし、育児はいつまでたっても弱腰だけど、私は大丈夫よ。安心してね」

 お母さん(仮)はお母さんだった。お父さんが何も言わないところを見ると頭が上がらないのだろう。これがいわゆるかかあ天下というものか。

 アルテシアは哺乳瓶をアザミの口に押し付けると、アザミは待っていましたと言わんばかりにちゅうちゅうと飲み始める。その様子をミジュランは横から安心して眺めていた。

「よほどお腹が減っていたのね…きっと我慢強い子よ、しっかり見ていかなくちゃね」

「我慢強い子か、将来有望だな」

「誰が我慢させていたのよ」

 アルテシアはミジュランに冷めた視線を送りながら、アザミが哺乳瓶を解放するのを笑顔で待っていた。


 二人が今現在いるのはハイレッティン家の屋敷の一室。ハイレッティン家は表向き普通の貴族と何の変りもしない歴史ある貴族の一員である。ほかの貴族と違う点はいくつかあるが、ここには使用人というものがいない。その代りたくさんの子供が密偵になるべく育てられている。もちろんそれを育てる大人もいるが。

 素早く、そして足音が鳴らないように廊下を駆け抜く数人の子供たちは、迷うことなくハイレッティン夫妻がいる部屋を目指していた。扉の前に来ると、一呼吸おいてからノックをしようと腕を上げるが、その前に了承する声が中から聞こえた。遠慮なくそのまま入った彼らは、ハイレッティン家当主には見向きもせずに、その妻、正確には彼女の上の中にある赤子をめがけて突進してきた。

「私にも抱かせて!」「起きてるねぇ」「やったぜ年下だ」「こき使える」「ミルク飲ませてみたい」「かわいいねぇ」「名前は?」「性別は?」「男だろ」「女の子がいい」

 声が重なることもいとわずに、各々言いたいことを途切れることなく口から放り出す。アルテシアはそんな子供たちにため息をつく。アザミはたくさんの声が嫌なのか、彼女の腕の中で見悶えていた。

「静かに、驚いているでしょ。この子はアザミ、女の子。かわいがってあげるのよ」

「女かぁ…」「女かぁ!」

 子どもたちの反応はいつも通りだから特にコメントすることなく、アザミの背中をさすり、おくびをださせる。そしてだんだんまどろみ始めたアザミの眼を見て、アルテシアはまた微笑んだ。人がどこの家庭よりも多いこのハイレッティン家で、欲求のままに眠りに落ちることは難しいだろう。赤子の欲求なんて顧みない嵐が常に屋敷の中で息を巻いているのだから。我慢強い赤子ならなおさら。強く生きるのよ、と胸の内でつぶやいてアルテシアは嵐にアザミを託した。


 ようやく満たされた空腹感に、次は睡魔が襲ってきた。おそらく自分の兄弟たちであろうが、今は眠くてたまらない。お母さんの腕の中で寝かせてくれ。瞼が視界を徐々に遮っていく、そんなとき。お母さんは自分をひょいと兄弟たちに渡した。

「?!」

 お母さんと違って安定しない抱き方は、首の座っていない赤子には少々つらかった。兄弟たちは問答無用でアザミの頬や髪や手に触れて感想をつぶやく。火消しのバケツリレーの如く次々に渡された。


 アザミは眠たいけれど眠れない今の状況に苛立ち始めた。これは泣くべきか。泣いたら面倒だと理性が頭の中でブレーキをかけるが、赤子の本能が寝かせろ泣かせろとアクセルを踏みつける。いやいや、こんな風にかまってもらえるのは赤ん坊のうちだけだと本能に言い聞かせるものの、子どもがこんなにたくさんいる屋敷ではすぐに埋没するのが目に見えていると皮肉めいた自分が顔を出す。

 所詮幼少期というのは、現在と過去を比較されるためにあるものだ。昔はこうだった、ああだった、今じゃこれだよと言われる。どんな現在でも幼少期の無邪気さと無垢さにはかなわない。つまりどのみち美化されるものなのだ。それならここで泣き叫んでもいいんじゃないか?この大所帯に懐かしまれるだけの存在としてあれるかはわからないが。捨て駒にされるんじゃないかという不安もぬぐえない。密偵ってよくありそう。

 そこで気づく。赤子が泣くことは当たり前だ。しかし、今こんなに悩んでいるのは泣く泣かないということではないようだ。自分のテリトリーの中にいる人の多さに、比較される対象の多さにビビっているのだ。自分はいつかこの集団の中で比較される運命にある気がする。


 兄弟、クラスメイト、同僚、ただの通りすがりの人。どんな人にも嫌われたくない、好かれたいと願いっていた。嫌われたら何かされるというわけではないが、自分の立ち位置が他より劣り、不便で、惨めな気持ちになるのが嫌だった。生意気にもプライドがあるのだ。評価されたい、ほめられたい、認められたい、愛されたい。自分はまたここでも同じようなことを願うのだろう。周りを気にして仮面をかぶるのだろう。これは競争社会に生きていた自分のトラウマなのかもしれない。


 承認意識を求め、かつてはSNSに走ったりしたが、今はそんなものどこにもない。現実味のない、相手の見えない承認は自分を安心させることはなかったけれど。相手を考慮せずに、気ままに生きることがいいわけでもなければ、相手を気にしすぎることをいいわけではない。つまり正解がないことをいつまでも悩んでいるわけだ。あぁ、未来が見えない。当たり前だけれど。


 自分にとって大切なのは家族だった。次に恋人や友人。素の自分、わがままを言う自分、粗野な自分。気を付けるけれどふとした時に現れる鱗片を受け止めてくれる人。受け入れてくれる人。自分にとって家族とは一番小さなテリトリーだ。一番小さいテリトリーの中にいる人間が予想以上に多すぎる。アザミは恐怖した。



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