プロローグ―始まりの始まり―
どこかの洋風な大きい屋敷 午後のティータイム
庭園の真ん中で優雅にミルクティーを飲むひとりの青年.その青年の周りにはたくさんの薔薇が咲き誇り、その美しさを競うかのように真っ赤な己が身を青年に向けている.そしてまたその青年も眉目秀麗で、周りの薔薇たちに劣らず輝きを放っている.
「リオン、そろそろだね」
サングラスを外しながら青年が他の男の名を呼ぶ.どこからともなく現れた、見目麗しいリオンと呼ばれる男.しかし耳には大量のピアスをしており、端正な顔立ちを鋭くさせている.
「ったく.どんだけ待ち遠しいんだか」
呆れたように悪態をつくと、青年――ルイ=ハンバラ3世は困ったように笑った.
「もう何千年と待ったんだ.これはもう鼓動が早まるのを抑えきれないよ」
自分の胸の上に手を当てる.
確かにそこにはいつもよりせわしなく動く心臓があった.
「鼓動なんて自分でどうにかできるもんじゃねーだろ」
ケッと唾を吐きながらルイの座るテーブルの上に腰掛ける.
その様子を真ん前で見ていたルイは、あからさまに嫌そうな顔をする.
「…俺のお気に入りのテーブルに座らないでくれ.あと常識的に椅子に座れ」
自分が紅茶を飲んでいる、まさにそのテーブルに座られたルイは、もう慣れたことだが注意をせずにはいられなかった.しかしただ怒るのではなく、母親が小さな子供のイタズラを叱るような、愛情のこもった声だった.
一方リオンはピアスだらけの耳をやんわりと撫で、つまらなさそうにため息をついた.
「そんなカリカリすんなって.もう3時間も――っと、あと2時間か」
庭園の隅に堂々と立っている時計搭に目をやり、自分たちの待ち人であるアリス・キングスレーの到着時間を確認した.それを聞くとさっきまでの表情とはうって変わって、柔らかい表情になるルイ.
そんなルイを横目に、リオンはテーブルの上に広がる高そうなクッキーを口に運ぶ.
「…あま」
そんな当たり前のことを呟き、また時計搭を見た.
豪華な装飾が施されているそれは、見る者を圧倒する何かがあった.
約束の5時まで、あと1時間50分.それを確認してから、ここ最近ずっと考えてきたひとつの可能性を、あたかも一人言のように呟いた.
「実はアリスはここに来る気なかったりして」
一瞬ふたりの間の空気が止まる.
しかしその空気もすぐにルイの言葉で流れ、さっきまでと同じような空気に戻る.
「そんなわけないだろ.だってアリスは女王と約束したんだぞ?」
ルイはあり得ないというふうに首を振った.
それもそのはず.
この世界において東の女王と西の王は絶対だ.特に東の女王は約束という名の、切れることのない契約を最重要事項としている.契約内容にもよるが、それを破るなど『どうぞ殺してください』と言っているようなものだ.
リオンは否定も肯定もせずに、続きを話す.
「アリス・キングスレーは人間だったっていう説もある.専門書によると、人間は大体100年も生きれたら上等らしいじゃねーか.じゃああっちの世界で死んじまったって可能性もあんだろ? 死んだんなら契約の呪縛から解き放たれるし、契約違反にもならねー」
根拠のある仮説に、ルイは段々とリオンの話に飲み込まれていった.
「まあ、…そうだよね」
ふむ、と頷くと、クッキーを摘む.一口かじり、残りを見つめながら自分の中で整理をする.
確かに納得はできる.根拠もある.だが、本当にアリス・キングスレーがここに来ないという証拠はない.となると、することと言えばひとつだけ.
「でも、俺は待ってみるよ.絶対来ないってわけじゃないんだろ?」
少し自信ありげに笑ってみせれば、テーブルに座ったままのリオンもニヤリと笑った.最悪のケースを考えながらも、やはり心の奥ではアリス・キングスレーが来ることを信じているのだろう.
ルイはかじりかけのクッキーを一口で食べた.甘い味わいが口内に広がり脳が落ち着く.それだけで何もかもが上手くいく気がした.
******
――同時刻 都内にある私立高校
だるい授業も終わり、すぐに帰りたいがために、荷物や教科書を鞄に詰め始める.ほとんどの教科書を鞄の中に仕舞うと、ブレザーのポケットからケータイを取りだしメールの確認.これが普段の私の帰り支度の仕方.ただ、授業のあとにもショートホームルームがあるのですぐに帰れないのが残念だ.
私が通うこの高校は言うならば金持ち学校.お嬢様や坊っちゃんが通うところ.
ここまでだけを聞いたなら羨ましがる人が多いかもしれない.だけど通ってる本人からしたらこの学校は、退屈で無駄に規則が厳しい牢屋でしかない.スカートは膝下、ブレザーの前ボタンは全開禁止、前髪は目にかからない程度で、お菓子の類いは持ち込み禁止、ケータイは使用禁止.だから私はそんな規則を破り、色々と目を付けられてるんだけど.
今もケータイ弄ってるし――って、やば、先生と目が合った.
ケータイを机の下で隠し、出来るだけの愛想笑いをしてケータイ没収は回避した.
ただでさえ金髪ブレザー全開スカート膝上なのに、さらに説教を喰らうところだった.もちろん金髪っていうのは染めたからなんだけど.
親は放任主義だし、呼び出しされても行かない人たちだ.元々私と仲が良くないってのもあるかもしれない.昔からあの人たちは私に文化系な習い事ばかりをやらせ、運動するような習い事は一切させてもらえなかった.だから私は(お金だけはたくさんあったので)自分のお小遣いの中から月謝代を出して、秘密で拳銃とか剣道とかを習っていた.そのお陰で体育の成績は優秀.親に何か習ってるんじゃないかと疑われたこともあったけど、得意の愛想笑いで誤魔化し続けた.それが仲良くない理由かもしれない.
自分のやりたいことが出来ないのは、けっこう辛かったりする.というか華道とか茶道とか、さらには日本舞踊とか、日本の伝統的なものをやらすんだったら、『アリス』なんて外国めいた名前にしなきゃよかったのに.
そうこうしてるうちにショートホームルームが終わり、それぞれ自由解散となった.やはり私の周りは真面目ちゃんばかりで、なかにはおさげをしている子もいる.そんな子たちは先生や親がうるさいから、多分直行で家に帰るのだろう.
世間一般ではお金持ちってきらびやかなイメージだそうだけど、実際は上の偉い人たちに逆らえない可哀想な人なんだよ.まあ、この学校の生徒ではってことだけど.
私みたいに校則に逆らっている人は少ない.ギャル系の子、ただ単に目立ちたがり屋の子、堅いのが嫌な子たちだけ.今私とつるんでるのは堅いのが嫌いで校則を破ってる子たち.私も実際、堅いのが嫌でこんな格好をしてるので、まあまあ気が合う.
今日は友達には用事があるらしく、一緒には帰れない.少し淋しいけど、大切な用事だそうだから許してあげよう.
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―――同時刻 どこかの謎の組織、地下施設
豪華絢爛な着物やらアクセサリーやらを身につけている美女が、冷たい大理石の回廊の上を裸足で歩く.ヒタヒタと素足が床を離れる音が響く、上にも横にも広い廊下だ.美女――武田櫻は、生物学上で言えば雄にあたる.しかし体は男、心は女という性同一性障害の持ち主で、本人は女になりきってしまっている.初対面のときには見た目だけは女だが、実際は声が男の声なので、会話をすればすぐに男だとばれてしまう.…本人はそれを隠す気がさらさらないようだが.
そんな櫻が裸足で、それも着物で寒い廊下を歩いているのには訳がある.それは、すぐに到着するであろう愛しの元・恋人であるアリス・キングスレーのお出迎えだ.ここが櫻の面白いところで、性同一性障害なのだが好きになるのは女ばかり.普通に置き換えると女同士で恋愛していることになるのだが.
ともかくなぜ元という肩書きがついているのかと言うと、櫻とアリスは交際していたのにも関わらず、アリスが忽然と姿を消したままこの八千年という長い年月が過ぎてしまった.その間に二人の関係は自然消滅ということになった.が、櫻は依然アリスのことを好いており、いつかは関係を戻したいと思っているのだ.
そんなアリスがあと少しでやってくる.部下から聞いたときは嘘だと思ったが、どうやらアリスは東の女王に『女王の三万回目の誕生日に再びこの国に戻ってくる』ことを条件に、一旦この国から離れることを契約したらしいのだ.もちろんそんなことは初めて知ったし何故自分になんの説明もなく消えたのかと怒りもしたが、やはりいざ戻ってくるとなると嬉しいものだ.
知らぬままに頬が緩む.冷たい大理石も気にならないほどに、櫻は浮かれきっていた.
「やっぱり嬉しいなぁ〜」
癖のある訛りに機嫌が良い口調.いつもは部下に敬い畏れられる存在の櫻が、ただひとりの、しかも勝手に蒸発した女に振り回されるなど、前代未聞であろう.最も、櫻の障害のことを完全に理解し受け止めた上で交際した女は、アリス以外にはいないのだが.
「わしが初めて心を許した女や.きっと大層な美人になって帰ってくるに違いないわっ」
櫻は朗らかな空気を纏いながらスキップをし始める.よほどアリスのことが好きなのだろう.
ニコニコと、櫻にしては珍しいほどの笑顔.だからこそ、それが崩れたときの表情がとてつもなく恐ろしいものになるのだ.
そしてその恐ろしい瞬間が来るまで、あと1時間50分となった.




