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星降る夜に君は死んだ  作者: 天代 朔
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第36話  保身の犠牲者

「……あの日の夜は、俺も花村先生も偶然時間が空いたんで、二人でホテルに――あのレイクサイドに行くつもりだった。だが、急な校務が長引いて予定が狂っちまったんだ」


 荒井は額の汗を手の甲で拭いながら、早口でまくしたて始めた。

 先ほどまでの威圧的な態度は見る影もない。ただの惨めな言い訳を並べる無様な男に成り下がっている。


「この人は最近、クラスの生徒指導や保護者のクレームでひどく悩いたんだよ。俺は同僚として慰めようとしただけで……魔が差したんだ。教師だって人間だ、プレッシャーで押しつぶされそうになる時だってある! ほんの少しお互い寄りかかってしまっただけで……そしたらついムードに流されて、抱き合ってキスをしてしまったんだ。だが誓って言うが、本当にそれだけだ! 一線は越えていない!」


 どうにかして自分の行動を「仕方のないこと」「美しい慰め合い」にすり替えようとする、あまりにも見苦しい自己正当化の嵐。

 花村先生は顔を真っ赤にして、恥ずかしさと恐怖でポロポロと涙を流しながらうつむいて黙っている。

 そんな二人を、亜季が氷のように冷ややかな声で嘲笑った。


「うわぁ……気持ち悪い。生徒が事件で悩んでる時に、大の大人が不倫の言い訳に『魔が差した』とか『プレッシャーが』ですか? しかも学校内で? 信じらんない!」

「お前ら子供にはわからないかもしれないが、大人にだって息抜きが必要なんだよ! それに旧校舎はいつも人気もないし、古いから警備システムも設置されていない。だが、お前らが屋上で天体観測会をやってるなんて知らなかったんだ。その日はなぜか申し送りがなかったから……」


 荒井の口から赤裸々に語られる生々しい事実に、花村先生が耳を塞ぎ、ついに床に崩れ落ちてすすり泣きし始めた。


「もういいでしょう……! お願い、もうやめて……! このことが夫にバレたら、私は離婚よ……」


 しかし直斗は、そんな大人たちの醜態に一切感情を流されることなく、あくまで冷静に言葉を継いだ。


「花村先生、泣いてごまかせると思わないでください。人が三人も死んでいるんですよ。――荒井先生、続けてください。もし少しでも嘘をついたと判断したら、即、亜季にメールを送信させます」

「このガキ……!」


 荒井はギリギリと歯ぎしりをしたが、致命的な動画を前にしては何もできない。


「クソっ……あとはだいたいさっき言った通りだ。暗がりで二人で抱き合ってたら、突然足音がして、尾崎の野郎が血相を変えて走ってきやがった。あいつは、こっちを見た。暗がりだったが、絶対に俺とこいつが抱き合っているのを見られたと思ったんだ」

「それで……?」

「あいつは学校でも有名な不良で、教師を目の敵にしてる。もしあいつが、俺たちの関係を他の生徒や保護者に言いふらしたら……俺の教師生活はすべてが終わりだ。俺は焦った。どうにかしてあいつの口を塞がないとマズいってな……。そう思って追いかけようとした矢先に、旧校舎の反対側で北川の死体が見つかったと大騒ぎになったんだ」


 荒井の顔に、醜悪極まりない自己防衛のためだけの笑みが浮かんだ。


「俺は閃いたんだよ。尾崎があの旧校舎から飛び出してきたってことは、あいつが北川を殺したに決まってる。だったら、俺が『尾崎が北川の首を絞めているのを見た』と警察に証言してやればいい。そうすれば、あいつは殺人犯として捕まる。殺人犯の戯言なんて、誰も信じるわけがない。俺たちの不倫がバレるリスクは完全に消滅する。違うか?」

「お前……ッ!!」


 今まで抑えていた直斗の怒りが、急激に沸騰した。本来生徒を守るべき教師という立場にありながら、なんという卑劣さ。なんという身勝手さ――

 結局、荒井は、武が北川先生を殺す瞬間など見ていなかったのだ。ただ「現場から逃げていく武」を見ただけ。それなのに、自分の不倫を隠蔽するためだけに証言を悪質に捏造し、武を「確実な殺人犯」に仕立て上げたというわけだ。

 警察が最初から武を疑ってやまなかった理由。武が「いくら否定しても無駄だった」と絶望し、直斗に助けを求めた理由。

 そのすべての元凶は、目の前にいるこの二人のあまりにも浅ましく自己中心的な行動だった。


「お前の、その嘘の証言のせいで……武は警察にも追われ、逃げ場を失って真犯人に殺されたんだぞ! 俺の大切な幼馴染の麻衣まで巻き込まれて!!」


 直斗は怒りで声帯がちぎれんばかりに絶叫した。しかし荒井は悪びれる様子もなく、むしろ被害者ぶって開き直った。


「知るかよ! 状況的にあいつが犯人だったことには変わりないだろうが! あいつが北川を殺して、自分の罪に耐えきれなくなって首を吊った。そうだろ? 俺の証言はただ事件の解決を早めただけだ。俺は間違ったことなんかしてない!」

「……クズですね。本当に、救いようのないクズです」


 底冷えのする亜季の低い声が、荒井の詭弁を叩き斬った。


「もし武先輩が真犯人じゃないと警察にバレたら、あなたの嘘の証言は崩れる。そうなれば、『じゃああの時間、旧校舎の裏で何をしていたんですか? 本当は北川先生を殺したんじゃないですか?』と警察に厳しく追及されることになる。……結局、荒井先生はそれが怖かっただけでしょう? 武先輩が犯人かどうかなんてどうでもよくて、ただ自分のアリバイを証明するために花村先生との不倫を認める状況だけは絶対に避けたかった。だから死人に口なしをいいことに、武先輩を犯人だと決めつけて安心しているだけじゃないですか」


「ち、違う! 俺は……俺はただ……!」


 痛いところを正確にえぐられ、図星を突かれた荒井が言葉に詰まり、パクパクと口を開閉させる。


「もういいよ、亜季。こいつらに何を言っても無駄だ。せめて武と麻衣に謝ってほしかったけど、時間の無駄だった」


 直斗は胃の底に泥が溜まるような強烈な胸糞悪さを感じながら、床にしゃがみこんだ花村先生に言った。


「花村先生、顔を上げてください。あなたは先生という立場でありながら、同じ学校の生徒を――無実かもしれない武をかばうどころか、自分を守るためだけに、荒井先生の嘘の証言を黙っていた。それだけで教師失格だと思います」

「…………」

「ただ、少なくとも北川先生を殺した犯人ではない、ということだけはわかりました」

「当たり前でしょ!」


 床に突っ伏していた花村先生が、突如顔を上げて声を上げた。


「滝沢君、確かにあなたの言っていることは正しいかもしれない。でもね、私も荒井も、北川先生は殺していない。もちろん尾崎君と七瀬さんのことも――それだけは事実よ。結果的にそうはならなかったけど、もし警察に疑いをかけられたら、この人と私はお互いの無実を証言し合うつもりだった。お願い、信じて!」


 直斗と亜季は顔を見合わせ、小さくうなずいた。

 花村先生は嘘をついていない。言っていることは本当だろう。

 二人は同じように感じ取っていた。


「荒井先生、あなたは何か言うことはないんですか? 俺たちにじゃない。死んだ武に――」

「……ねえよ。今さら……」

「荒井先生、あなたは自分の都合で嘘の証言をし、武の名誉を社会的に抹殺した。それだけは絶対に忘れないでください」

「…………」


 荒井はバツが悪そうに顔を背け、最後まで明確な謝罪の言葉を口にしようとはしなかった。


「この動画は、当分俺たちが預かっておきます。もし少しでも警察に余計なことを言ったり、俺たちの邪魔をしたりしたら……その時は、容赦なく社会的に死んでもらいますからね。あと、これからは武を殺人犯扱いするのはやめろ!」


 直斗は冷徹に言い放ち、踵を返した。


「行くぞ、亜季」

「はい。先生たちも、気をつけて帰ってくださいね。明日も授業ありますよね。楽しみにしてまーす」


 亜季が最後に残酷な笑みを残し、直斗を追って旧美術室を後にした。


♢ ♢ ♢


 暗い廊下を早足で歩きながら、直斗の頭の中は恐ろしいほど冴え渡っていた。

 これで荒井は容疑者から消えた。当然、花村先生も共犯者ではない。

 では、真犯人は一体誰――?

 荒井の証言が嘘だったと確定した今、事件の構図は反転しかかっている。

 北川先生の声色を使って武を旧校舎に呼び出し、罠にハメた人物。

 警察すら騙される、完璧な殺人計画。

 結局、決定的なピースは欠けたままだ。

 直斗は、胸の中で渦巻く怒りと悲しみをすべて漆黒の決意に変え、歩きながら拳を強く握りしめた。

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