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稲穂の国を渡らえば、珍々聞々奇々聞々  作者: 一二三 五六七
第一輯 春に少女が降る年は、麦を刈らずに悪を狩れ
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第五節.それは受難か栄光か

 日もすっかり落ち、暗い屋内に(しょく)の明かりが頼りなくともる。いきり立つ少女を何とかなだめすかした三兄弟は、尚も(いぶか)しげな表情を浮かべる少女にこれまでの経緯(いきさつ)を必死に説明していた。


「……私が天から降りてきた、か……」


「姫さんは天女様じゃねぇのか?」


「違うわバカ者。――もっともこの器量では勘違いするのも無理はないがな」


「はぁ……」


 得意げに顎を上げる少女。言葉を詰まらせる茄蔵に代わり鷹丸が話しに加わる。


「それじゃ、なんで空から……?」


「そんなこと私のほうが知りたいわ!」


「す、すいません」


 慌てて頭を下げる鷹丸を一瞥(いちべつ)することもなく、少女は足元の藁束を意味ありげに見つめた。


「――大方、あの色欲坊主の仕業であろう……怪しげな術で私を(かどわか)しておいて機を見て山へ放り捨てたのだ……おのれ色ボケ狸め! 私を生かしておいたのが奴の運の尽きだ。必ずや目に物見せてくれる!」


 少女は先程と同様に醜悪な笑みを浮かべながら語った。色欲坊主が誰のことかは分からないが恐らく知り合いの僧侶に(だま)されたということなのだろう。つまりこの少女は何らかの理由で知己の僧侶に妖術をかけられ、混濁とした意識のまま三降山に捨てられた、ということか? ……しかしなぜ? 富士重は湧き上がる疑問を少女に投げかけてみた。


「姫君はその、色欲坊主の仕業と仰いましたが、何故その者は姫君にこのような仕打ちをしたのでしょう?」


「あん? ……まぁよい、教えてやる。――私があの坊主の正体を暴こうとしていたからだ」


 少女の話しによると僧侶の名は導鏡(どうきょう)といい、数年前に父親の知人の紹介で屋敷にやってきたという。幾度となく客分として迎えるうちに父親は導鏡のことを甚く気に入り、事あるごとに屋敷に呼び寄せては様々な相談事を持ち掛けていたそうだ。その信頼ぶりは相当なもので、ついには屋敷のそばに寛叡寺(かんえいじ)という立派な寺まで建立してやり、今ではそこの住持を任せているそうだ。


「父上はあの男のことを随分高く買っているようだが、私は初めて会ったときからアイツがいけ好かなかったのだ……いつもその(ツラ)に温和な作り笑いを貼り付けておったが、その実、瞳の奥にドス黒い魔物がおることを私は見抜いておったわ」


 ある日少女は侍女達の立ち話を耳に挟んだそうだ。どうやら導鏡は少女の母親とも懇意らしく、屋敷に訪れた際には時折母親のもとにも顔を出し、とりとめのない会話に花を咲かせていたようだった。


 当初はさほど気にもしていなかったが、日を増すごとに母親へのご機嫌うかがいは頻度を増していき、ときには都にいる女房方の間で流行しているという織物や、目にも鮮やかな呉服の数々など高価な手土産を持参することも多くなったそうだ。今では父親が留守であっても公然と母親のもとに足を運ぶようになっており、それが屋敷の侍女達の間である噂を生んでいるらしかった。


“奥方様はお屋形様の目を盗んで導鏡様と……”


「母上を侮辱された私の気持ち、お前たちに分かるか? ……しかし相手はあの父上からも言葉巧みに信用を勝ち得るほどの詐話師だ……私と同じく人を疑うことを知らない純粋無垢な母上では、いずれヤツの口車に乗せられ取り返しのつかない過ちを犯してしまうとも限らない……とは言え父上があの生臭坊主を高く買っている以上、どれだけ私がに進言したところで子供の戯言と一笑に付されるのがオチだろう。我が家の未来と母上の名誉を守れるのは私しかいない。そう確信した私はあの狡猾な化け狸の本性を暴くため、奴の留守を見計らって寺へと忍び込んだのだ」


「ん? なんでお寺に?」茄蔵は不思議そうに尋ねた。


「バカ者! 何でもいいからヤツの悪行を示すような証拠探しに行ったに決まっておろう」


「でも、そのお坊さんって本当に悪い人なんかぁ? 話しぃ聞いてる限りじゃ悪い人には思えねぇんだけどなぁ……」


「みんなそうやってヤツに騙されているのだ。それとも何か? 私の鑑識眼を疑うのか?」


「そういう訳じゃねぇけど……それで、何か見つかったんかい?」


「いや、金堂(こんどう)を探ったあとにヤツの住居へ潜入したところまでは覚えているのだが……」


「そこで何らかの妖術をかけられて意識を奪われた、と?」


「恐らくな」


 富士重の言葉に少女は力強くうなずいた。


「何にせよこうしてはおれぬ、すぐにでも屋敷に戻らねば! おい、ひょろいの!」


 少女は富士重を見ながら言った。富士重は弟達を見回すと、あぁ自分のことかと納得した。


「ここは何という場所だ?」


「ここは瀬川村という山間(やまあい)の村でございます」


「せがわむら? 聞かぬ名だな……」


「意識を失っておられる間、姫君は三日程駕籠で運ばれて来たと申しておりました。だとすると姫君のお屋敷はここから随分と離れた場所になるかと」


「三日?! なぜそれを早く言わぬ! 我が家の危機なのだぞ!」


「あの、……申し訳ありません」


「おのれ色情坊主めが、余程私に知られては困る秘密があると見える……よし、すぐ屋敷に戻るぞ! お前達は私の供をしろ!」


「え?」「は?」「へ?」


 突拍子もない少女の発言に三人は困惑した。しかし三人の様子など気にすることなく少女は富士重に指図を続ける。


「状況が状況だ、反論は認めんぞ。すぐに出立(しゅったつ)の用意をしろ!」


「あの……急にそんなことを申されましても……」


「反論は認めんと言っておろう! この国に住居を構えながら、よもや東光寺(とうこうじ)家の危機に助力できんと言うのか?!」


「……あの……今、何と?」


「お前、その耳は飾り物か?! だから、東光寺家の危機に助力できんのかと聞いておるのだ!」


「姫様、いくらなんでもそりゃ横暴だぜ! なぁ、兄貴?」


 たまりかねた鷹丸が声を上げる。どこの屋敷のお姫様かは知らないが、こちらの都合も考えずに供をしろとは自分勝手がすぎる。兄貴も何か言ってやれとばかりに鷹丸が富士重のほうに顔を向けると、当人は絶句したまま岩のように硬直しているようだ。乏しい明かりのせいか顔色も随分と悪く見える。


「どうした兄貴?」


「東光寺……様? あの、いえまさか……この国の守護大名様の……?」


「他に誰がおるのだ?」


中州守(なかすのかみ)……様?……では、あの、姫君は中州守様の……」


「長女の茜だ。よく覚えておけよ」


「はぁ?! 姫様が守護大名様の娘さん?!……」


「はー、こりゃたまげた!……」


 呆然と驚く二人の弟を残し富士重は突如土間へと駆け下りると、倒れ込むように茜に向かって平伏した。

 

「知らぬこととは申せご無礼の数々どうか平にご容赦を! おい、お前達! 中州守様の姫君の御前だ、頭が高いぞ!」


 久々に聞く富士重の厳しい口調。驚いた二人は慌てて土間に飛び降りると兄に並んで平伏した。この国を統治する中州守様のご息女が目前におられる。そのあまりにも衝撃的な事態に三人は理解も追いつかぬままに踏み固められた土の上へと額を擦り付けた。


 ところがそんな忠義の土下座を茜はにべもなく一蹴する。


「バカ者! 平伏なぞせんでもよい! それより早く用意をせんか!」


「その……お言葉ですが、そのような大役、我らのような一介の百姓風情には荷が重すぎます。まずはこの村を治める喜一郎様に――」


「そんな悠長なことをしてられるか! お前達が供を断るというなら私一人で出発するぞ! だがその時はよく覚えておれよ、屋敷に戻って導鏡の悪行を暴き立てた暁には私自らこの地に戻り、死よりも(つら)い責め苦をお前達にくれてやる!」


「そんな……」「ちょっと待ってくださいよ!」「姫さん、そりゃあんまりだ!」


「うるさい、うるさい! 分かったら四の五の言わず出立の準備をせい! 返事は?!」


「わ、わかりました」


 勢いに押されて返事はしたものの富士重は突然真っ暗な穴の底へ放り落された思いがした。


 ――旅の用意と言われても何をどうすればよいものか……そもそも中州守様のお屋敷はどこにあるのだ? 野党や物の怪からどう身を守る? 路銀は? この家と田畑の世話は? ……


 動転した思考が脳髄の中で踊るように逆巻き次から次へと不安要素を並べ立てていく。降って湧いた難題に富士重が途方に暮れていた時、突然茄蔵の間延びした声が屋内に響いた。


「出立って言ったって、姫さんはその格好で旅をするんかい?」


 その言葉に三人の視線が茜に注がれる。確かに守護大名の姫君らしい(みやび)な出で立ちではあるが、その姿で野山を歩き回るというのは正気の沙汰ではない。


 茜は改めて自身の姿をまじまじと見つめた。


「ふん……確かにこのままでは歩き辛そうだな……おい、でかいの、旅用の装束を用意しろ」


「旅用? 富士兄ぃウチにそんなものあったかぁ?」


「いや、無いな……申し訳ありません、我が家には姫君にふさわしい衣裳など――」


「バカ者! そんなもの見れば分かるわ。この期に及んで贅沢など言うつもりはない、無ければ無いなりに考えて用意せい!」


「わ、分かりました」


 困った富士重は川向うにある佐平(さへい)の家へと鷹丸を向かわせると、“降臨された天女様”のために娘の小袖を借りてくるよう言いつけた。


 突然の申し入れに佐平は「何を訳の分からないことを……」と随分訝しんだが、それならばと鷹丸は佐平を家へと連れて帰り、腕組み胡坐組みで待ち受ける茜の姿を見せてやった。佐平は茜の姿を一目見るなり戸口に這いつくばって合掌し「御身に不釣り合いなぼろ切れではありますがどうぞお使いください」と、快く娘の衣装を借りられる運びとなった。




 茜に家を追い出された三兄弟は、暗闇の中、それぞれの思惑を胸に無言のまま立ち尽くしていた。


 しばらくすると屋内から声がかかり三人は恐る恐る家の中へと戻る。そこには色あせた枯葉色の小袖に身を包んだ茜が「どうだ、村娘に見えるか?」と、勝気な笑みを浮かべながら座っていた。

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