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それからおおよそ一ヶ月間、アデリーナがホラティオで“遊んで”いる間、ウゴは意識して彼女の作業場に近寄らないようにしていた。だから室内で何が行われていたのか、彼は知らない。ただ、彼女がファハドの手を借りて「研究室」に籠もっている間中、間断なく続いた悲鳴とうめき声から、健全な精神を持った健全な人間には想像もつかないことが行われているのだろうなと、うっすら想像していた。
ホアンもそんな想像をしていたのだろう、ふたりともに、朝から晩まで延々響くその悲鳴がまるで聞こえていないような態度をとって、掃除やら薪割りやら家畜の世話やら畑の手入れやら、日常の仕事を黙々とこなすことで精神のバランスをとっていた。
だから、ある晩、悲鳴がふっと熄み、アデリーナが気落ちした様子で作業室から出てきたときには、てっきり、とうとうホラティオを修理もできないほど徹底的に分解してしまったのかとウゴは思ったのだ。
「失敗しちゃった」
ウゴとホアンが夕食の支度を進めていた厨房にやってきて、がっくり頬杖を突くアデリーナに、ウゴは冷たい目をくれた。
「とうとうやっちまったのか」
水でふやかした金時豆のなかから、傷んだ粒をえり分けながら訊ねると、アデリーナは、作業テーブルに置いた腕の中に顔をうずめたまま、小さく頷いた。
「そう。こんなつもりじゃなかったんだけど、セキュリティガードが硬くて、無理にこじ開けようとしたら、駄目になっちゃったのよ」
「そりゃ、後味が悪いな」
「うん。知りたかったこともあんまり判らなかったし、ここ数日の手間が全部無駄になっちゃった」
「まあ、あとで穴掘って埋めてやれよ。ゴーレムの身体は土には帰らないかも知れないけれどもさ」
「はぁ?」
アデリーナが訝しげな表情を見せるのと前後して、ファハドが厨房に現れた。
「何か、お手伝いすることはありますか?」
「うん、じゃあ……そうだな、そこの梁につるしてあるソーセージを――」
黒髪のゴーレムに続いて静かに入ってきた人影に、何気ない目をくれたウゴは、そして硬直した。
「ご、が、ぎ……」
そのまま、両目を見開いて、戸口にたたずむ「彼」を凝視する。
「なぁに、ウゴ?言語中枢でもイカれちゃった?」
あまり心配した様子のない声でアデリーナが訊いて来る。ウゴは、きょとんと軽く目を見開いた彼女にこわばった顔を向け、入り口付近でうっそりと佇んでいる彼を指差した。
「ホラティオじゃねーか!」
なんで生きてるんだ、しかもこんな自由にさせて大丈夫なのかよと問い詰める彼に、アデリーナは死んでないし大丈夫よとあっさり返した。
「誰も、壊したなんて云ってないでしょ」
「だって、無理したら駄目になったって――!」
「それは、知識とか記憶とかを蓄えてあった情報ファイルのこと。誰が主人で、どうしてあたしを狙わせるような命令を下したのか、そこの所を知りたかったから、記憶を取り出して走査しようと思ったんだけど、ファイルを納めているフォルダのセキュリティガードがきつくて、だのに力でごり押ししたら、パア」
云いながらアデリーナは、顔の高さに持ち上げた手をぱぁと開いて見せる。
「記憶がまっさらになっちゃったの。しょうがないから、ファハドの基礎情報をコピーして写したの。だからそう云うわけで、彼は今生まれたばっかのまっさらなゴーレムなの。ファハドと同じくらい安全よ」
「安全って……」
本当に大丈夫かよと、探る目を投げるウゴに気がついたホラティオが、にっこり、邪気のない笑みを返した。それは、これまで彼が浮かべていた陰惨なものとは全く違う、透明感までただよわせたすがすがしいもので、ウゴは思わず目を奪われてしまった。
「初めまして。本日からアデリーナ様にお仕えさせていただきます、ホラティオと申します。どうぞよろしくお見知りおきください」
穏やかな物腰に、ウゴも思わずつられて挨拶を返す。
「あ、こりゃどうもご丁寧に……。オレはウゴ。リーナの昔なじみの腐れ縁だ」
「ウゴ様ですね。かしこまりました」
胸に手をあてた格好で静かにほほ笑むファハドから無理やり視線を引き剥がしたウゴは、傍らでローズマリ入りの焼き立てパンをつまみ食いしているアデリーナの耳元に口を寄せて詰問した。
「……おい、リーナ」
「なに?いきなり声ひそめて、何の話?」
「おまえ、ホラティオの主人になったのか?」
口いっぱいに詰め込んだパンを冷たいレモン水で流し込んだアデリーナは、あっけらからんと頷いた。
「うん。成り行きでね。基礎情報しか写さなかったから、ファハドみたく主人なしでは動けなかったのよ」
それが何か、と改めて訊ねられたウゴは、いや何も、と返して金時豆の選定に戻った。
何とかに刃物――そんな云い回しが頭をよぎって云ったけれど、敢えて口にはしない。
黙々と傷んだ豆を摘み上げては捨てるウゴを眺めること少し。アデリーナが大きく伸びをして云い出した。
「まああれだ。ホラティオの研究もひと段落したし、そろそろ城に戻ろっかな」
「戻るのかよ!」
あれ以降、城からはうんともすんとも云ってこないし、アデリーナ本人もまったくそんな態度を見せなかったので、てっきりこのままここで暮らすのかと思っていたのだ。
手を止めて叫んだウゴを、アデリーナは不思議そうな目で眺めた。
「そりゃそうでしょ。あの地下の書庫を諦める気はないもん。多分今頃がれきの掃除はすんでるだろうし、ホラティオって働き手も確保したし、昇降機の修理にも取り掛かれるわよ」
「サイデスカ、サイデスカ」
もっとゆっくりしていけば良いのにぃ――というホアンの嘆きを耳の端に聞きながら、ウゴは全身を絞るようにして、大きなため息を吐く。
なんとなく、どうとなく、野心満々なエンリーケよりもさらにヤバいヤツの手にゴーレムが渡ってしまったのではなかろうかと、そんな気がしてならなかった。




