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筺の鳥  作者: みなきら
エピローグ
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33/34

天空の逃避行

 雅は加代子の魂を手に入れた日、その足で一箇所だけ寄り道をした。


 小瓶を開けてそっと呪文を唱えると魔法陣がいくつか展開し、瑠璃色の魂は人の形へと転じて、再び加代子の姿を(かたど)っていく。


 こんな事が出来るようになったのも、皮肉な事に、伊邪那美命の眷属である事を心身ともに受け入れたからだったが、その幻想的な様子に雅は見とれていた。


 瑠璃色の魂は淡い光を放ち、温かな春風を巻き込み、加代子の後ろ姿に戻ると、雅は黄泉の国に堕ちて分からなくなっていた心が不思議と慰められ、急に世界が色付いたように感じた。


「え、何? ・・・・・・ええッ?!」


 一方、加代子の姿に戻った瑠璃色の魂は、人の形を象り目を覚ました途端、パニックを起こして、自分の身体を確かめたり、キョロキョロと辺りを見回したりしている。


 その慌てふためいている姿が、記憶の中の加代子の挙動と何一つ違わなかったから、雅はククッと喉を鳴らして笑った。


 加代子はその笑い声に気が付くと、ハッとした表情に変わる。そして、振り返り、雅の姿を見つけるとじんわりと涙目になった。


「雅・・・・・・?」


 確かめるように呟く。そして、雅に近づいてくると、両手を伸ばし頬に触れてくる。雅は目を細めるとその手を取って掌に口付けた。


「雅、だよね? 時任 雅。本当の名前は源 雅信の。」


 真っ直ぐ見つめてくる加代子の目は潤んでいて、泣き出してしまいそうに見える。


「ええ、そうですよ。」


 そう答えれば涙目のまま加代子はくしゃりと笑顔になって「なんでさっきまで思い出せなかったんだろう?」と呟いて鼻を(すす)った。


 心が震える――。


 雅が腕を大きく広げると、泣き出した加代子を包むように抱き締めた。


 いつか来ようと言った東京タワーの特別展望室のさらにその上で、二人でコツンとおでこを合わせれば、世界は二人だけのためにあるような気さえしてくる。


 幸せで満たされた瞬間――。


 加代子が「このまま、時が止まっちゃえばいいのに」と言って背中に手を回してくる。雅がくすりと笑って「止めましょうか?」と囁くと、加代子はその胸に埋もれるようにした。


 ああ、ここだ。


 戻りたかったのは――。


 欠けていたパズルのピースが見つかってかちりと(はま)った時のような心地になる。


「もう離れないで?」


 その言葉に少し逡巡した後、何も言わぬまま、返事の代わりに加代子をきつく抱き締めた。


「さっきのあれ、私、死んじゃったんだよね?」

「ええ、そうですね、()()()()()の加代子さんは死んでしまいました。」


 雅が申し訳なさそうに答えると、加代子は肩を震わせる。


「もう、家族の元には戻れないんだね?」

「挨拶しに行きたかったんですけどね。」


 硬い声で雅が答えると、加代子はぽろりと泣き出す。


「そうか、死んじゃったんだ・・・・・・。」


 現世に未練がないと言ったら嘘になる。でも、それ以上に加代子は雅と離れるのが嫌で涙が零れた。


「やっとまた会えたのに・・・・・・。」


 そう哀しげに加代子が言えば、雅は「なぜ泣くのです」と訊ねてくる。


「死んだら、人の魂は輪廻の輪に乗るか、地獄に落ちるかなんでしょう? そしたら、私、また雅とサヨナラしなくちゃいけないんじゃないの?」


 大粒の涙を拭って貰いながら雅に尋ねれば、雅は肩を竦めて吐き捨てるようにして「そんなの《クソ喰らえ》ですよ、加代子さん」と言う。加代子は雅の暴言に思わず「え?」と返した。


 雅は加代子の髪を指先で梳き、ひと房手にすると口元に持っていく。


「黄泉の国に行き、自分がいかに嫉妬深いのか思い知ったんですよ。」


 記紀に「嫉妬深い」と書かれている須勢理毘売命も、もっと。


「貴女をほかの誰かになんて渡す気は毛頭ないですよ?」


 色付いた世界の中で、迷っていた心が定まっていく。今はまだ可哀想な伊邪那美命から逃れられぬとしても、きっと加代子の傍に戻ってこようと心に決めた。


「どうせ僕らは規格外(イレギュラー)な魂なんですから。規格通り、誰かの思惑に沿って動いてやる必要なんてありません。」

「でも、それ、《死神》としてルール違反なんじゃないの?」


 加代子がそう尋ねれば、雅は「そうですね」と微笑んでみせた。


「みんな必死で探すでしょうが、もう加代子さんを最後に《死神》は今日で廃業ですし。」

「へ?」

「探し求めていた貴女を見つけたのに、魂を狩る必要はないですからね。」


 加代子は雅の話に涙を引っ込めて、困惑しながら「そんなにあっさり辞められるものなの?」と訊ねる。


「ええ。幸い、フリーランスなんで自分で《辞めた》と言えばそれで。」


 そう言うと雅は春風の吹く東京タワーの上で、どうして自分がここにいるのかを素直に話した。


 加代子をずっと見ていた事。斎の事を気にかける加代子の様子に、みっともなく嫉妬した事。死の間際に加代子が自分の名前を呼ぶまでは、黄泉の国に連れ去り、伊邪那美命に自分と同じ眷属にして貰おうと思っていた事。


 しかし、色付いた世界で彼女を見れば、やはり自然と愛しさと恋しさが募ってきて、真っ直ぐには戻れなくてこの約束の地に降り立った事も――。


「伊邪那美命の眷属になったなら、二人して手を繋ぎ、滅びの呪文で、この世を火の海にすることなんて朝飯前になりますよ?」

「それ、なんて、ラスボス・・・・・・?」


 加代子があからさまに引くのを見て、雅は一年前に戻ったような心地で心和み、「確かにそうですね」と言うと声を立てて笑った。


「そんなに笑うところ?」

「いや、あからさまに引かれたので。でも、世界の方が僕らを排除しようとするんですよ? 少しくらい痛い目を見せようとは思いませんか?」


 加代子に電話する少し前、検非違使庁と死神協会の公式ページにアクセスして、自分が正式に《お尋ね者》になっていることを知った。


 利用価値がある内は使えるだけ使っておきながら、都合が悪くなると蜥蜴の尻尾切りをする高天原に愛想が尽きた。そして、黄泉の唐草の問題とは別に、天照大御神の率いる高天原に居続ける事は出来ないと思ったのだ。


 天照大神達の組み敷いたシステムが自分たちを排除するなら、このまま、むざむざそのシステムに組み込まれてやる必要もないだろう。


 それは大己貴命として、天照大神の一族と袂を分かった日と同じ心地だ。雅は「そんな世界を僕らが排除したとして、文句を言われる筋合いはないでしょう?」と語る。


 しかし、その言葉に加代子は悲しそうな目になった。


「世界が私たちを排除するとして――。もう一度、受け入れて貰えるようにする方法はないの?」


 雅は意外そうな表情をしたものの、加代子がじっと見つめてくると、やがて苦笑混じりに「幾度となく、殺されかけて、助けを望んでも手も差し伸べられず、最終的に殺された貴女が、それを仰るんですか?」と話す。


 そして、少しばかり思案顔をして、「そうですねえ。僕らがそうなるように願ったなら、もしかしたら、もう少しマシな世界が出来るかもしれません。」と答えた。


 それを聞くと、加代子は安心したのか、相好を崩して「それなら良かった」と笑う。雅はその姿にツキンとトゲが刺さったような、それでいて愛おしいような心地になった。


「確かに嫌いな人、苦手な人、殺意を抱いて接してくる人もいるけれど、それ以上に大切な人達がいる世界を壊す気にはなれないよ。」


 雅はその言葉に少しムッとした顔になり、「斎のことですか?」と訊ねる。彼女はどうしてこうも簡単に、自分の心を乱すのだろう。


 しかし、加代子は「違う、違う」と笑っていうと、その存在を確かめるように雅の身体に腕を巻き付けて、上目遣いに話した。


「過保護な父に、心配性な母、口煩い兄に、口喧しい妹がいるって言ったでしょ? 雅が世界を滅ぼしちゃったら、家族も巻き添えになるかなと思ったんだけど。」


 そして、声を詰まらせながら「自分が居なくなっても、家族には生きていて欲しいの」と話し、途中で口をへの字にして零れてくる涙を指先で拭う。雅は「なるほど、それでは仕方ないですね」と話した。


「でも、私、これからどうしたらいいの?」


 胸に顔を埋めたまま、加代子が訊ねてくる。雅はふうと息を吐くと、不意に「辛いのも、苦しいのも半分こしてもらえるのってまだ有効ですか?」と言った。


「もちろん有効だけど、なんで?」

「加代子さんに僕を助けて貰いたいんです。」

「雅が私をじゃなくて、私が雅を?」

「ええ。」


 このまま黄泉の国で過ごせば、いつか自分は加代子と敵対し、加代子を喰らい尽くしてしまうだろう。


「雅になら、喰らい尽くされてもいいけど。」


 加代子がふふっと笑う気配に「茶化さないでください」と雅が話す。


「今の加代子さんは、誰よりも自由なんですから、そのまま自由でいてください。」


 人間の身体に縛られることも、神として崇められ、畏れられる神でもない。それでいて、他の残光となり消えていく魂とも違い、美しく輝く純然なる幸魂(さきみたま)だ。


 その力は荒御魂となり鬼の身となった自分さえも言祝ぐというのに加代子はそうと気付いていないのか、「じゃあ、世界旅行にでも行こうかな」と暢気な事を返してくる。


「あいにく、それは三年ほどお待ち頂けますか?」

「え、だめなの?」

「そうですね。獄卒に見つからぬように今日より百日、死神に見つからぬように半年は必要です。」


 それまでは誰にも気が付かれないように、ひっそりと身を隠す必要があるらしい。


「それを加えて三年経つと《失踪者(LOST)》は()()()()()として扱われます。」


 その後は名を変えて生きても、追われることはなくなるらしい。


「でも、どこに――?」

「そうですねえ。ひとまずは素戔嗚尊(お義父さん)に匿ってもらいましょうか?」

「雅が素戔嗚尊(お義父さん)とか言ったら、怒られるんじゃない?」

「面と向かって言ったら、怒られるでしょうね。」


 雅はくすくす笑いながら話を続ける。


「でも、素戔嗚尊は火産霊神曰く、超が付く親馬鹿だそうですから、きっと貴女を守ってくださるでしょう。」


 そして、雅は懐から小さな横笛のネックレスを取り出すと、加代子に見せた。


「これは、凛?」

「いいえ、それは小笹です。」

「え? 小笹?」

「守り人として、式神に転じて貰っています。呼んでみてはどうです?」


 雅に言われて、そっと「小笹」と呼ぶと横笛は「(ようよ)う呼んでくださいましたね」と嬉しそうな声が聞こえてくる。


《首から外されてしまい難儀しておりました。》

「加代子さん、外して鞄に入れっぱなしだったでしょう? どさくさに紛れて拝借して参りました。」


 小笹と雅に言われて、先日、なごみ屋で髪にチェーンが引っかかり、取り外したままだったのを思い出した。


「まあ、そのおかげで守りが甘くなったので、私はこうして加代子さんを取り戻したわけですが。」


 そして、「もう外したままにしないでくださいね」と言うと加代子の首にネックレスを付けて直してくれる。


「根の堅洲国に戻って落ち着いたら、火産霊神の元を尋ねてください。きっと加代子さんを助けてくれるでしょう。」

「雅は、一緒に行かないの?」


 そう言われると、雅は口籠もり「行きたいんですけど、行けないんです」と寂しげに話した。


「筐の中に閉じ込められた鳥みたいな状態なんですよ。そして、今はその鳥が見ている夢。」

「夢?」

「ええ、今、加代子さんが見てる僕は幻なんです。本体は黄泉の国の伊邪那美命の元にあるので。」


 加代子はもう一度、雅がいるのを確かめるように抱き締めると「だって、いるよ?」と呟く。


「んー、あ、そうだ。ドッペルゲンガーって聞いたことありません?」

「聞いたことはあるけど・・・・・・。」

「今の僕は《それ》なんです。ちょっと手助けしてくださる方がいて、こうして半分実体化してますけど。」


 あくがれた魂が生み出した夢、幻。


「じゃあ、本当の雅は黄泉の国にいるの?」

「ええ。そして、夢から覚めれば戻らないと行けない。ですから、一緒には行けないんです。」


 加代子は「分かった」と答えると、もう一度雅に抱きつき直す。


「今度は私が雅を黄泉の国から助け出しに行けばいいのね?」

「ええ、そうです。お願い出来ますか?」


 雅が聞けば加代子は「当たり前だよ」と返した。


「どうやったらいいのか分からないけど、絶対に助け出す。」


 意を決した加代子の瞳には強い光が宿る。雅は目を細めて、加代子を抱き締め返した。


「根の堅洲国には貴女のための天詔琴(あまののりごと)が残っています。」

「天詔琴?」

「ええ、それを弾けばご神託が得られると言われている琴です。もし弾くのに困る事があれば、火産霊神に源 博雅と渡りをつけて欲しいと頼みなさい。」

「源 博雅?」

「ええ、二つ離れた従兄なんですが楽器の名手です。通称、長秋卿や博雅(はくがの)三位(さんみ)と呼ばれていました。彼は人嫌いな晴明とも繋がりが深い。」

「晴明って・・・・・・、安倍晴明?」

「ご存知ですか?」

「うん、漫画で・・・・・・。」


 すると「兄者と晴明は今も昔も有名人ですね」と笑う。


「晴明はとても頼りになる。ですが、お会いになるのは・・・・・・。」

「半年過ぎてから――?」

「ええ、出来れば。晴明は勘が鋭いですし、合理主義ですから、貴女を高天原に差し出しかねない。なので、できるだけ接触を控えてください。やむを得ない場合は、名で縛ってもいい。」

「名で縛る・・・・・・?」

「あっちはその道のプロですから、一筋縄では行かないでしょうが。奥の手があります。」


 そう言うと、雅は晴明の「真の名」を耳打ちして教えてくれる。


「根の堅洲国に行けば、貴女の味方は高天原や葦原中国よりずっと多い。」

「でも、それは《須勢理毘売命》の味方でしょ?」


 根の堅洲国にとって加代子は、ようやく見つかった須勢理毘売命で、「島崎 加代子」としての記憶や価値観は必要としていない。


「いっその事、その辺りの事がなければ溶け込めるんだろうけど・・・・・・。」


 素戔嗚尊を「須勢理毘売命にとっての父」と思って、踏み込みきれないでいるのと似たような気持ちをきっと根の堅洲国の面々には抱かれるのだろう。


「須勢理毘売命は須勢理毘売命、私は私でしかないの。でも、雅が根の堅洲国に行けと言うなら、あちらに渡るわ。」

「僕は加代子さんを悲しませたいわけじゃない。それに、加代子さんが願うなら、この世界を壊さぬよう最大限の努力はします。」

「うん、約束ね。」


 だんだんと透き通っていく雅は「ああ、もう時間がない」と口惜しそうにし、加代子の頬に口付ける。そして、淋しげな笑みを浮かべると「どうか助けてください」と加代子に告げた。


「この身に巣食った八岐大蛇が、君と、君の愛する世界を壊さないように。」


 そして、君の傍に在りたいと願う自分を、どうか助けて欲しい。


 名残惜しそうに雅の手が離れ、春の風にその姿が解けて溶けていく。加代子は逃がすまいと雅に抱き付いたが、雅は寂しげな笑みを残して消えてしまった。


 残ったのは、頬に残った温かで柔らかな感触と、どこまでも広がるビルの群れだけ。


 東京タワーの特別展望室のさらにその上で、加代子はひとつの決意をすると、意を決して氷川神社の方へと走り出す。


 今はまだ泣くべき時じゃない――。


 ただ雅の示してくれた道を進むのみだ。


 魂一つ、加代子は春塵舞う世界へ落ちていった。


(了)

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