再会も突然に
その日、加代子は渋谷の駅前にいた。
スクランブル交差点は今日も人でごった返している。それを眺めながら、ハチ公と並んで人を待って、斎が来るのを楽しみにしていた。
初めて出会った場所で待ち合わせして、休みの日に一緒に出かける日が来るなんて思っていなかったから、加代子はいつになく早く来てしまった。
ギターケースを持って南口に向かう男性も、スマホを操作しながら改札に向かうサラリーマンも、女子高生も、外国人も、誰一人として自分に目を向けることは無い。
それでも、誰かを待っているという事だけで、こんなに気持ちが逸るのだから、不思議な感じだ。
あと十分もしたら斎が来て、映画を見に行って、それが終わったら、どこかカフェかレストランに入って食事でも出来たらいい。
(早く、来ないかな・・・・・・。)
三月後半の穏やかな空気が、余計にうきうきとさせる。
不意にスマホが鳴って、ガサゴソと鞄から取り出す。そして、斎からの電話だと思って、何の気なしに電話に出た。
「もしもし、加代子です。」
しかし、返事がない。加代子は首を傾げながら、「もしもし?」ともう一度訊ねた。
《お久しぶりです。加代子さん。》
その声に何故かぎゅうと心臓を掴まれて、加代子は言葉に一瞬詰まった。番号をみても非通知なのか、表示されていない。
「どちら様ですか――?」
加代子が尋ねれば相手の男がくすりと笑った気配がした。
《こちらは《死神》です。でも、まさか加代子さんにちゃんと掛けられるなんて思いませんでした。》
「はい・・・・・・?」
思わず怪訝そうに訊ねてしまい、加代子は慌てて左手で口を覆った。電話越しにまたくすくす笑う声がするから、加代子は意を決して聞いてみた。
「あ、あの・・・・・・、シニガミって・・・・・・?」
その言葉に相手の男は「やっぱりまた聞くんですね」と言うと、咳払いをひとつした。
《死神は、死神ですよ?》
「・・・・・・もしかして、鎌を持ってる?」
《覚えておいでのようで何よりです。》
いやいや、何を言っているのと思いながらも、似たようなやり取りをしたデジャブを確かに感じる。加代子が小さく口をとがらせて、「からかわないで」と話した。
しかし、男は飄々としたもので、
《からかってなんかないですよ? 何ならまた余命をお教え致しましょうか?》
と、言ってのける。そして、
《そろそろ幕引きの時間の始まりですから。》
と少し寂しげに話した。
「幕引きの時間って、私、ピンピンしてるよ? 人間、そう簡単に死ぬもんじゃないし。」
なんでこんな話をしてるのか、加代子は不思議に感じながらも、なぜかこの声をもっと聞いていたくて電話を切れなかった。
《私が迎えに行くんですよ? 散々折ってきた死亡フラグですけど、他の誰かに回収されるようなヘマをすると思いますか?》
「散々折ってきた?」
《ええ。》
「もう折ってくれないの?」
《それは、十秒後に。》
そう言い残して、ぷつりと電話が途切れる。後はツーツーと電子音だけが耳に残った。
加代子はスマホを片付けて、静かに目を閉じると、十カウントしてみる。
そして、カウントしきって目を開けると、黒い靴と、黒いズボンを身に付けた足元が見えてきて、斎の手の込んだ悪戯なのかとさえ思った。しかし、目の前にいたのは全くの別人だった。
「お待たせしました。お迎えに上がりましたよ?」
電話の声と同じ声が目の前からして面を食らう。
「本当に、来たの?」
そこには春の景色には似合わない、上着から靴まで真っ黒なコーディネートの男が、胸にはシルバーで作られた鎌の刺繍が入った服を着て立っていた。
「十秒後にと、お約束したでしょう? 来ないと思ったんですか?」
目の前の男は、端正な表情を崩して、極上の笑顔を加代子に向ける。
切れ長な目は燃えるような赤で、まるでカラーコンタクトでも嵌めたかのようなのに、見つめられると、それだけで胸が締め付けられるような心地になる。
普段の加代子なら、こんな風に見目のいい男に甘やかな表情を見せられたら、それだけで喜んだだろうに、この時は宣言通りのタイミングに姿を現したこの男に警戒心を抱いただけだった。
「お迎えに上がりましたと言われても、これからデートだし。変なナンパはお断りなんですけど。」
すると、男は自嘲気味にクッと喉を鳴らして笑い、赤い眼をすっと細める。
「加代子さんを、他の誰かとデートに行かせるわけにはいけませんね。」
そういう男は百戦錬磨な笑みを浮かべながらも、その眼は真剣そのものだったから、加代子は背筋がぞくっとして、その眼を見ないように目を逸らした。
「それにしても、思い出す気配すらないですね。」
「へ?」
男は「我ながら強力な呪をかけてしまったようです」と独り言ちると、距離を詰めてくる。そして、耳元で囁いた。
「約一年、楽しかったですか? ご家族と過ごしたり、なごみ屋で働いたり、果ては斎に心奪われてみたりと、お忙しそうにお過ごしとお見受けしましたが。」
どこかで見ていたのか、男が知った風な口を利くから、加代子は目を丸くして、「あなたは、一体・・・・・・?」と尋ねる。
「ですから《貴女の死神》ですよ。」
そういうと髪を一筋手にして、愛おしそうに口元に持っていく。
「去年の今日、ここで会った時、そのまま連れ去っていれば良かった。」
「去年・・・・・・?」
そう呟くと男に手首を取られ引き寄せられると、反対の手を背中に回し、すっぽりと男に腕の中に包まれる。そして、驚きはしても男の胸元は自分のために誂えられたかのように居心地が良くて、加代子は戸惑ってしまった。
背中に回された腕を解こうとしない加代子の様子に、「あのまま誰の手も及ばぬ所に連れ去っていれば、こんな風にはならなかったのに」と呟く。
でも、それは全て「もしも」の世界だ。
「姿を見せれば、もしかしたら苦痛を味わわせずに、と思ったんですけどね・・・・・・。」
そして「そろそろ時間のようです」と言いながら、一度きつく抱き締めたかと思うと、名残惜しそうに腕を解いた。
「あの、私、貴方の名前も知らないんだけど。」
すると「きっと直に思い出しますよ」と言って人混みに去っていく。その背中が見えなくなるまで見送ってから、「斎に話したら、警戒心が薄いって、怒られるんだろうな」と思ってしまった。
(変なヒト――。)
斎との出会いも相当変だったけれど、先程の電話の君はもっと変だ。
去年の、あの記憶のない期間に会っていた人だろうか?
そんな事を考えながら、再び斎を待っていると、急に辺りが騒がしくなって人垣が崩れた。
複数の警察官が止まれ、止まれと喚きながら追いかける中心に、包丁を持った男がいて、物騒な事にそれを振り回しながらこちらに向かってくる。
あちこちで、わあ、きゃあと、叫び声が上がり、人々は散り散りになっていく。
加代子も「逃げなきゃ」と内心では思うのに、何故か金縛りにあったみたいに加代子の足はその場に縫い付けられて動かなかった。
危ないという声が、すぐ近くで聞こえる。
「そこを退け――ッ!!」
その怒声が聞こえた時には、暴漢の振り回す包丁がすぐ近くにあり、次の瞬間、それはドンという衝撃とともに加代子の胸に深々と刺さっていた。
刺されたのは自分のはずなのに、周りから複数の悲鳴が上がる。
そして、包丁がずるりと引き抜かれると、痛みと言うよりは体が燃えるような熱さが襲ってきて、加代子は膝から崩れ落ちた。
(嘘・・・・・・、本当に死んじゃう・・・・・・?)
霞んでいく意識の中で浮かぶのは、何故か、先程の赤い目の死神だった。
「加代子さん。お迎えに上がりました。」
そう言って大きな鎌を振り下ろす姿は、舞を舞うようで、薄れゆく意識の中でもとても美しいと思う。
貴方の名前は――。
加代子は倒れ込みながら、「雅」と告げ、そのまま地へ伏した。
「ほら、すぐに思い出したでしょう?」
糸が切れ、ふわりふわりと彷徨う加代子の魂に雅はそっと手を伸ばす。
そして、吸い込まれるようにして、その魂が手元までやってくると、雅は心底嬉しそうに笑った。
「お帰りなさい、加代子さん。」
◇
斎が約束の時間に少し遅れて、渋谷駅の前に着くと、辺りは酷く騒然としていた。
聞けば誰かが刺されたらしいと聞き、人をかき分け、かき分け、前に出ると人垣の中心には犯人の身柄を捕らえた警察官の姿と、真っ赤に血を流して倒れている加代子、それを助けようとする警察官や救急隊員、そして、その傍に一人佇む雅の姿があった。
「みっちゃん・・・・・・?」
目を擦ってもう一度見ようとした時には、雅の姿は掻き消えている。斎は居てもたってもいられず、立ち入りを規制しようとする警察官の合間を縫って、「華世ちゃん」と呼びかけながら加代子の元へと近づいた。
「これ以上は近付かないでくださいッ! ほら、下がってッ!」
警察官の制止にあって斎は「うるさいッ! 退いてくれッ!」と怒鳴る。
「華世ちゃん、返事しろッ! 華世ちゃんッ!!」
すると、別に近寄ってきた警察官に肩を叩かれて「落ち着いてください。被害者のお知り合いなんですか?」と聞かれる。斎は、頭の中で「なぜ、どうして」の二つがグルグルとしていて、頷くのが精一杯だった。
「そうでしたか。お気の毒です。」
警察官の一人が沈痛な面持ちになると、斎は彼女がもう助からないのを察する。
「今、蘇生を試みていますが、被害者の名前は分かりますか・・・・・・?」
しかし、斎はその問いには答えられず、「そこで、待ち合わせをしていたんです」とだけ返した。
そして、加代子を連れて行ってしまったのは雅なんだと確信する。
(何故、どうして・・・・・・?)
天寿を全うできるようにと望んだ雅が、突如、加代子を連れて行ってしまった理由が分からない。
「お気をしっかりもってください。」
警官に言われても、頭の中は「何故」の二文字で埋め尽くされ、膝から崩れ落ちる。
三月の終わりの三連休。春めいて、桜の花も綻びかけたこの日、《島崎 加代子》は名実ともに死んだ。
《運命の書》はその死亡日時と死因を「渋谷で刺殺された」としてシステムにも自動反映し、灰峰たち死神協会の面々を困惑させることになる。
しかも、何日経っても、加代子の魂は見つからず、彼女の魂を保護していたはずの「時任 雅」とも連絡は付かぬまま数カ月が過ぎていった。
そして、半年後、魂の管理をシステムで行うようになってからは初めて、二人の魂は「失踪者」と表示される事になったのである。




