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筺の鳥  作者: みなきら
籠の鳥、雲を恋う
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24/34

荒御魂

 誰か、助けて――。


 洗濯機の中のような水流に飲み込まれ藻掻く。飲みたくないのに、水が鼻や口から容赦なく入ってくる。一瞬、護るように広がった炎の羽も消え、ただ激流に閉じ込められた。


 苦しい――。


 走馬灯のように色んな記憶がフラッシュバックしてくる。


 初めて家族で行った遊園地、初めて妹を抱っこした日、大好きなペットが死んで泣いたこと、亨に初めて会って見蕩れた日。様々な記憶が一気に駆け巡る。ああ、こんな風に人間って死ぬんだ、と思った。


 しかし、水は急に力を失い、解(ほど)ける。一瞬、落っこちる感覚がしたものの、次の瞬間には誰かに受け止められた感覚がした。


 それから、お腹を圧迫されたかと思うと、つっかえていた水が出て、肺に急激に空気が入ってくる。ゲホゴホと噎せて、ようやく息ができるようになると、足元にひれ伏している女と、ぐったりと倒れ込んでいる雅の姿が見える。


「騒がしいと思うて来てみれば、橋姫よ、これは何事ぞ?」

「主様、なぜその女を助けるのですか?」


 それには淤加美神は答えず、加代子を抱えたまま、雅の近付くとその腹を乱暴に蹴り飛ばす。


 ドスッという音ともに、雅は水を吐き出すと噎せ、呻き声をあげる。


「二人は生け捕りにせよと言ったはずだが?」


 橋姫は伏せたまま、何も言わない。


「まあ、良い。結果、生け捕りになったようだからな。今回の件は不問に処す。だが、次はないと思え。」

「申し訳ございません。」

「その男は伊邪那美命にくれてやれ。」


 そう言うと加代子を抱えたまま踵を返す。


「と・・・・・・おる?」

「お帰り、加代子。」


 昔、一緒に暮らしていた時と同じように優しげな声で言われると、何故だか今までの事が全て夢のような気がしてくる。ぐったりとした加代子は朦朧とする意識の中で、風邪の時に看病してくれた亨のことを思い出していた。


 今みたいに身体が鉛のように重くて、目も開けていられない時に、氷嚢やらお粥やら慣れない手つきで用意してくれたっけ。


 大事そうに抱えてくれる淤加美神の様子に加代子は凪いだ心地になって、「迷惑かけてごめんね」と謝る。そして、そのまま意識を失うと、そのまま淤加美神の邸へと連れ込まれた。


「主様、それなあに?」

「主様、それ食べていい?」


 小鬼の童女と小童が、淤加美神を取り囲む。


「翡翠、紅玉、これは、うぬらの餌ではない――。」

「えー、違うの?」

「えー、だって、人間だよ?」


 小童の翡翠は加代子の頬を突っつき、童女の紅玉は「美味しそうなのに」と無邪気に笑う。


「翡翠、紅玉。主様に失礼だぞ。」


 そう言ったのは、少し離れた所で控えていた二十歳前後の男だ。


「丁度いい。瑪瑙。この女を着替えさせて、目が覚めたら湯浴みをさせよ。あと、その二人がちょっかいを出さぬように見張れ。この娘に小鬼めらを近付かせてはならぬ。」

「御意。」


 年嵩の瑪瑙が加代子を抱え、面白がって後ろを翡翠と紅玉がついていく。そして、角を曲がり姿が見えなくなると、淤加美神は奥の間へと入った。


 奥からこの対の主の清姫が顔を出す。


「何やら、騒がしゅうございますね。如何なさいました?」


 春になると八重桜のような濃い桜色の襲ねをよく着る清姫も、夏になったからか涼やかな菖蒲の襲ねを着ている。淤加美神は濡れた狩衣を脱ぐと清姫に渡した。


「お前に世話をして欲しい女がいる。」

「まあ、私にですか?」

「ああ、今の橋姫は欲望のままに喰い殺しかねん。」


 その話を聞くと清姫はコロコロと笑う。


「私はその女を喰い殺さぬとお思いなのですか?」


 ここにいるのは鬼ばかりなのに、と清姫が微笑むから、淤加美神も釣られてくすりと笑む。清姫の良いところはこの笑みであった。


 かつて恋慕した僧侶をその恋情の炎で殺した女とは思えぬほど流麗な笑み。そして、その微笑みは数多の人々を殺してきた笑みでもある。

淤加美神は「そう怖い顔をするな」と清姫を窘めた。


「加代子はお前が会いたがっていた女だぞ。」

「会いたがっていた女?」

「ああ、八岐大蛇の話をした際に会(お)うてみたいと言っていただろう?」


 その言葉に清姫は「では、かの《龍の珠姫》だとおっしゃるのですか?」と訊ねる。淤加美神は「ああ」と頷いた。


「こちらに連れて来るのには追っ手が煩わしいと隠していたのだが、あと少しというところで、高天原の者たちに見つかってしまった。」


 手拭いを受け取り、着替えながら、淤加美神は話を続ける。


「高天原にかつてのような力はないとはいえ、加代子があちらの手に落ちれば、葦原中国だけで事が収まるとは思えぬ。きっと黄泉の国にも影響が出よう。」

「主様は《龍の珠姫》を得し者が三界を制すと仰せでしたが、先程の娘にそこまでの力があるようには見えませんでしたが。」

「あれはまだ完全に力を使いこなせていないだけだ。」


 自ら生み出した神域でもないのに、蜘蛛の網(い)を操り、同時にあの死神が逃げ出せるように糸遊(いとゆう)まで人の身で紡いでみせたと言えば、清姫は目を丸くする。


「だが、人の器は脆い。余り大きな力を無理に使えば器が壊れてしまう。」


 共に過ごしていた三年程の間、淤加美神が加護を掛けているにも関わらず、加代子は熱を出したり、怪我をしたりして伏せる事がしばしばあった。


「最低限の世話で構わぬゆえ、こちらの対にしばらく置かせておくれ。」

「あら、最低限の世話ならば、逃げ出そうとすれば座敷牢に繋いでもよろしいのですか?」

「それくらいならば厭わぬ。今はお前付きの瑪瑙、翡翠、紅玉に相手をさせておるが、ゆめゆめ逃がす事がないように。」

「承知しました。どなたかのように取って喰らうようなことはせぬようにしましょう。」


 そう言って、愛らしく口元を隠してくすりと笑う清姫はとても美しかった。


 一方、その頃、失意の橋姫は、せめて目の前に転がるこの男を、伊邪那美命の元に送ってやろうと雅に手を伸ばした。


「そいつに触んなッ!」


 不意に声変わりの頃合の青年の声が聞こえてきたと思ったら、雅の姿は白い槐の花へと変わり霧散する。


「おい、しっかりしろよッ!」


 橋姫の目を盗み、物陰に隠れた少彦名命はキャンキャンと雅の耳元で騒いだ。その声に雅はようやく意識が戻った。


「大丈夫か? 今は目くらましの術を掛けているが、いずれバレる。さっさとここを離れるぞ。」


 肋が折れているのか呼吸をするのも痛くて、小さく「五月蠅い」と呟くのが精一杯だ。


「助けてやったのに、五月蠅いってなんだよ。」


 少彦名命は眉間に皺を寄せて言ったが、雅が返事をしたことに内心はホッとした。肋が傷んで息も絶え絶えではあるが「加代子さんは?」と訊ねられる。


「そうだ、須勢理ッ!?」


 しかし、辺りを見回すもそれらしい人影はない。あったのは小さな漆塗りの櫛だ。


「ここにはいないみたいだ。あとで俺が探してやるから、ひとまずお前だけでも戻れ。」


 そう耳打ちしたが雅はそれを聞くと、徐(おもむ)ろに大鎌を生み出し、それを支えにしてゆらりと立ち上がる。そして、少彦名命が「どこに行くんだ?」と声を掛けても、振り切って、大鎌を支えによろよろと橋姫の前に立った。


「おや、観念して出てきたのかえ?」


 橋姫はよろめく雅の姿を見つけるとにたりと笑う。


「彼女をどこへ隠したんです?」

「うぬに教えると思うてか?」


 雅はすうっと目を細めると、足元からはゆらゆらと黒い唐草模様が身体中から立ち上り、その一部は大鎌へと絡まっていく。


「馬鹿ッ! そんな体で神威を使ったらッ!」


 その声が辺りに響きわたる。次の瞬間、立つのもやっとといった姿だった雅の姿は掻き消えた。


(な・・・・・・ッ?!)


 少彦名命は掻き消えた雅の姿を探す。


 一方、橋姫は雅の姿が消えた事だけでなく、いつ飛びかかられれても対処できるように身構えていたはずなのに、一瞬で背後を取られ、首元に大鎌の刃が迫ってきている事に驚愕した。


「ちぃ・・・・・・ッ!!」


 紙一重のところで雅の攻撃を躱して、そのまま半身を翻すと、迫り来る雅に腕をのばし爪で切り裂く。しかし、目の前にいたはずの雅の姿は、その爪が届く前に黒い霧のように再び掻き消えてしまう。


(此奴(こやつ)、ちょこまかと――ッ。)


 その後も現れては消え、現れては消える雅に翻弄される。橋姫の周りはつむじ風がまとわりつき、そう深くはないものの、幾ばくもしない内に複数の切り傷が身体中に出来ていく。


 何(・)か(・)がおかしい――。


 死神とはいえ元は人魑魅に過ぎない者が、いくら伊邪那美命の力を借りているにしても速すぎる。


(これでは、まるで・・・・・・。)


 すれ違う瞬間、雅と目が合い、その底知れぬ冥(くら)さに身が竦(すく)む。漆黒の闇に絡め取られそうな感覚に怯めば、その躊躇が橋姫の頬を深々と傷付けていた。


「く・・・・・・ッ。」


 橋姫は大きく跳躍すると、雅の大鎌の届かない位置まで一気に間合いを取る。


 少彦名命は辛うじて橋姫の様子で雅の様子を捉えたが、今はかなり深手を負っているはずなのに、国津神だった時以上の動きをする雅の様子に呆然としてしまった。


 速い――。


 風を操っているにしても、余りに速すぎる。


 橋姫は踊るようにして雅の攻撃を凌いでいたが、徐々に避けきれなくなってきている。


 黒い唐草の気配と、紫の閃光が幾度と光る。


 少彦名命は喉をヒュッと鳴らして、目の前で繰り広げれられていく鮮烈な戦いに見入った。


 キラキラと飛び散る紫の光。


 そして、幻想的な光景ながら、その光が魂から発せられる光だと思い出すと、少彦名命はハッと我に返る。


 このまま無理を押せば、魂(たま)の火が消し飛んでしまう。しかし、雅はそんな事は構わずに連続で神威を使い、橋姫を追い詰めていく。


(あんの馬鹿ッ!)


 少彦名命は口に布をあてがい、ゴーグルを装着すると大きく振り被って、大馬鹿者の雅の頭を目掛けて、拳大サイズの袋を投げつけた。しかし、一瞬早く、雅はその場から姿を消し、橋姫は直撃を避けようとその袋を爪で引き裂く。


 袋からこぼれ落ちたのは槐の花蕾。


 その一つ一つから、白い煙が立ち上り始めると、辺りは真っ白になっていく。


「く・・・・・・ッ!!」


 煙は酷く目に染み、喉は焼けるように痛むから、橋姫はその場にしゃがみこみ、顔を覆って呻く。


 同じように雅も口元を腕で多い、煙に目を真っ赤にする。そして、グイッと腕を引かれると少彦名命の作った異界へと押しこまれる。


 煙が晴れた頃には、二人の姿はなく、橋姫はギリリと歯噛みした。


 ◇


 満身創痍の雅をなんとか引き摺って、鷦鷯(みそさざい)の羽根の気配を頼りに戻ると、そこは愛宕神社の池のほとりだった。


 小笹と一緒に出迎えてくれた火産霊神も身体が透けて、薄紫に淡い光を放つ雅の様子に青ざめる。


「どうしたのじゃ? 消えかけているではないかッ?!」

「この馬鹿、神威を使い過ぎだ。火産霊神の社に上げていただくには状態が悪すぎる。末社の大己貴命の社を使わせてくれ。」


 火産霊神は頷くと社の位置を示す。そして、涙をはらはら零す小笹に「泣いてる場合じゃない」と言い叱咤した。


「悪いがこれを持って素戔嗚尊のところまで走ってくれ。繋がっていたのは淤加美神の縄張りだった。須勢理は恐らく淤加美神のところだ。」


 そう一気に言うと、小笹を赤坂の氷川神社に走らせる。


「少彦名命はどうするんじゃ?」

「ひとまず応急処置して、こいつを末社に押し込めておく。」


 そして、ずるりと雅を境内に転がすと、腰に下げた鞄からガサゴソと荷物を取り出すと雅の傷に色々と塗りつけた。


「ったく、世話がかかる・・・・・・ッ!」


 悪態を吐きながら、次々と小さな鞄から色んなものを引っ張り出す少彦名命の様子に火産霊神が目を点にする。


「その中に、何だか色んなものが入ってるんじゃな。」

「ああ、あちこちで集めたガラクタと、生薬だな。」


 そして「あー、あった、あった」と言いながら、明らかに味が美味しくなさそうな深緑色の液体を意識のない雅の口に突っ込む。


 味は見た目通りだったのだろう。あまりの不味さに雅が目を見開き、吐き出さないように自分の口を押さえる少彦名命を払い除けようとする。


「良いから飲み込めッ! 文句はいくらでも聞いてやるッ!」


 雅が苦々しげな表情のまま、ごくりと飲み込んだのを確認すると、少彦名命はようやく手を離し、もう一度、少彦名命を払い除けようとする雅の手を避けた。


「毒殺なさるおつもりですか?」


 紫色の淡い色の光は幾分収まり、透けかけていた身体も何とか落ち着く。


「何を言う。こちらはお前の命の恩人だぞ? 今のは良薬、口に苦しなだけだ。」

「良薬なのは認めましょう。ですが、なぜ私を連れ帰ったんです? 加代子さんはまだあちらにいらっしゃるというのに。」

「馬鹿野郎ッ! お前は戦える状態じゃないだろうがッ!」


 裂傷、打撲は多数、骨折は二箇所。


 何より脇腹の蹴られたようなところは酷く、人間なら全治二ヶ月から三ヶ月は掛かりそうだ。


「人の顔を見る度に、馬鹿、馬鹿、とおっしゃるのはどうかと存じますが?」

「馬鹿に馬鹿って言って何が悪いんだ? こんの、大馬鹿ッ! お前、もう少しで消し飛ぶところだったって言ってるだろうッ!」


 まるで子供のような喧嘩の様子に火産霊神は目をぱちぱちしながら二人を見る。


 そして、火産霊神が「お主らは、本当に仲が良いのう」と、みずらを揺らしてそう言うと、雅と少彦名命はほぼ同時に「仲良くありませんッ!」「仲良くないッ!」とハモった。


「ハモらないでください。」

「ハモるな!」


 再び同じタイミングで言い合っているのを見て、火産霊神はくすくすと笑う。


「ほおら、やっばり仲良しじゃ。」

「なんだよ! 全くッ!!」


 少彦名命がムキになっているのを見て、逆に雅はだんだんと落ち着いてくる。


「それより、今は加代子さんです。早くせねば、加代子さんの命に関わりましょう?」

「お前、まだ諦めないのか。ドクターストップだって言ってるんだ。こちらに任せてとけ。」


 それには火産霊神も頷き、「無理は禁物じゃ」という。


「雅信は力があっても《死神》じゃ。元は《人魑魅》に過ぎぬ。その身に宿る神威が尽きれば、存在自体が消え去るか、自我を失った《魔縁の者》と化してしまうであろう?」


 そう言われて指先を見れば、なるほど、その名残なのか、自分の指先が半透明に透けて見えた。


「俺は安穏に暮らせれば、それで十分なんだ。戦は好かない。なのに、お前のせいで毎回大変な目にあってるんだよ。」


 楽しく放浪の旅をしていたのに、頭を抱えていた大己貴命に声をかけてしまったのが運の尽き。


 神皇産霊神に見つかって、大己貴命と一緒に国を作る羽目になり、ようやくのんびり出来そうだと思いきや、幽世に閉じ込められて三千年と来ている。


「それでも助けに行ったのに、開口一番、五月蠅いとか言われるし。こうして特効薬飲ませてやっても、毒殺するつもりなのかとか憎まれ口を叩く始末。」


 そう言われると雅も罰が悪くなってきて、「それは申し訳ありません」と謝る。


「全く、その無鉄砲さが原因で、大己貴命時代だって、何度、命を取られてるんだよ。」


 大己貴命は少彦名命が認知してるだけでも三、四回は死にかけている。その度に薬を作り、護符を作り、治癒の呪を作ってきた。


「お前の命なんだから、お前が一番大事にしなきゃだろう?」


 カチャカチャ音をさせながら、少彦名命は薬一式を再び小さい鞄に全てを押し込むと憤然として雅に薬をもう一本押し付ける。


「ひとまず小笹に素戔嗚尊の所に行ってもらったから。お前はそれ飲んで、あそこで待機な。」


 指さした先には大己貴命の社があり「一晩くらい社を貸せよ」と言いながら、少彦名命は末社の封印に触れて異空間を開く。雅は少彦名命に押し込まれるようにして社の中へと入っていった。


「あ、そうだ。」

「小笹のことじゃな? そちらについは何か進展があり次第、呼ぶようにする故、安心せい。」


 少彦名命が頼む前に火産霊神が答える。少彦名命はニッと姿相応の笑みを浮かべると、火産霊神も同じようにして笑ってみせた。


「少彦名命というストッパーがついたようで、ひとまずは安心じゃ。」

「な、火産霊神まで俺をお守り役に認定するのか?」

「あれこれ文句は言っておっても、結局は大己貴命を気に入っているのだろう?」


 少彦名命は苦笑いを浮かべ、「それが一番の問題点な」と言うと続いて社の中へと入っていった。

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