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筺の鳥  作者: みなきら
籠の鳥、雲を恋う
13/34

泡沫の夢

 火産霊神の所から戻ってきた翌日。雅は仕事に来ていた。午前二時にもなると、四月も後半に入り日中は暑いくらいだが、まだまだ気温は下がる。


 雅は慌ただしく出入りする看護師のすぐ後について、部屋に入ると、細く長く息を吐いてカーテンの奥へと進んでいった。


 中には、たくさんの管が付けられた少女が眠っていて、その枕元近くに両親がいる。母親の方は手を握って、一生懸命に女の子の名前を呼んでいた。


(もう、この子は助からない・・・・・・。)


 《運命の書》には、あと僅かな時間で彼女が他界することが書かれていた。


 計器類はアラートを出し、医者がそっとそれを外すと昏睡状態の少女に「頑張ったね」と告げた。


 やがて少女の身体から仄かな光が抜け出してきて、その光と身体を繋いでいた細い糸がプツリと切れる。そして、ふわり、ふわりと病室を彷徨い、名残惜しげに両親の上を飛んでいた。


 医者が脈を測って、目に光を当て、瞳孔が開ききったのを確認した後に首を横に振る。


「午前二時十四分、ご臨終です――。」


 その言葉を聞いた途端、母親が泣き崩れる。雅は慟哭(どうこく)する彼女を見て、胸が潰れる思いがした。


 死は遅かれ早かれ平等に訪れる。


 老若男女問わず、貴賎も問わない。それは《必然》であり、今まで何度も《人の世の理》だと割り切ってきたはずだった。なのに、久しぶりに仕事に出た雅の心には迷いが生じていた。


 雅はふわふわと惑う光に手を差し伸ばすと、蝶を虫かごに閉じ込めるようにして、小さな瓶の中へとその光を静かに収めた。


「よく頑張ったな・・・・・・。」


 雅がそう声を掛けると、小さな光は少し明るく光った。


 もし加代子(彼女)が死んだなら、果たして自分はこんな風に冷静でいられるのだろうか。


 加代子に生きて欲しいと思う心と、何故生者なのだと思う心がぶつかり合い軋む。


 泣き崩れている母親をその夫が支えたのを見届けて、雅が来た時と同じように医師とともに病室を出ると、廊下では雅と同じように真っ黒な服装をした(ごう)が立っていた。


「よう、久しぶりの仕事の調子はどうだ?」


 雅はその相手をする気はなかったが、すれ違いざまにポツリと「年端の行かない子ですからね、連れていくのが偲びないです」と零す。


「珍しく《青い》事を言うんだな。何千万って看取っているんだろうに。」


 轟がそう返すと雅はいつになく苛ついた。


「そんな軽口をわざわざここまで叩きに来たんですか?」


 それには答えずに轟はにやりと笑う。


「一週間ほど前、魂をひとつ掠めとったらしいじゃないか。」


 雅は轟を一瞥すると、無言のまま屋上へ続く階段を登り始める。轟も無言のまま、その後を追ってきた。


 死神には二種類ある。ひとつは雅のように魂が滞りなく輪廻の輪に戻れるように促す者、そして、もうひとつは轟のように魂を冥界に攫い罰する者だ。


 大抵はその二人が一組になって仕事をする。轟は雅が完全にフリーランスになる前のパートナーだった。コンビを組んだのは織田信長や豊臣秀吉が活躍する戦国の世の頃で、コンビを解消したのは太平洋戦争が終わった頃だ。


 あの頃は一日で何十万、何百万という魂を送った。死に方ももっと凄惨を極めていたし、辺りは魂の火で溢れていた。


「相変わらず、都合悪くなると黙るんだな。」


 雅は静かに屋上のドアを開けて外に出る。空は曇り、風は湿り気を帯びていた。


「お前が勝手をしたせいで、何人の仲間の魂が犠牲になったと思う?」


 淤加美神が人神に傷付けられたことが伝わった結果、伊邪那美命が激怒した。


 千引きの岩の元で千人殺すと豪語した神だ。何が起こったかは想像に難くない。後を追っていた轟も外に出ると、深紅の大鎌をその手に生み出した。


「その罪、お前の魂で贖うべきだとは思わないか?」


 そう訊ねると、雅の首元を狙って轟は大鎌を振り抜いた。


 刃が届く直前で、雅は地面を踏み切ると、ふわりとバック宙して攻撃を(かわ)す。そして、自身も大鎌を取り出しながら、体勢を整えた。


 紫色の細い稲妻が、赤い焔を纏っている大鎌に絡み付かんばかりに伸びていく。


 轟は「チッ」と舌打ちをすると、雷撃の届かない位置まで間合いを取った。一方、雅は空中で仁王立ちすると、轟を見下ろした。


「火産霊神、そして龍翁を介して天照大神に承認を得たのです。高天原には高天原の《理》があるのもご存知でしょう? それに逆らうと仰るのですか?」


 火産霊神や天照大神が雅の後ろ盾になっている以上、雅の首を狙うということは高天原の多くを敵に回す。


「今回の件は、近々、根の堅洲国と黄泉の国に弁明に伺うつもりです。」


 それを聞いても轟は「高天原は《事なかれ主義》だからな」と、空中に佇む雅の元へ一足飛びに間合いを詰めてくる。


「俺は今の高天原の《理》に生きるつもりは無い! 無垢な魂を奪われて何も言わない腑抜け共などッ!」


 雅は間髪入れずに空を蹴って、轟の攻撃を躱す。


「雅ぃッ!!」


 鬼気迫る轟に反して、雅は戦う気が一切なかった。ここで応戦すれば、危ういバランスで成り立っている《死神界》自体が完全に二分されてしまう。


「貴方と争うつもりはありませんッ! 私の首を取っても業の秤での減刑にはならないッ!」


 そう叫んで戦線離脱をしようと空を翔る。しかし、数メートルの距離をとって、付かず離れずで轟が追ってくる。


「そんな事を言ってたとえ俺から逃げても、多くの奴がお前を狙ってるんだ。高天原が納得しても、黄泉の国は納得するものかッ!」


 いつの間にか、轟の他にもあちこちに事の成り行きを見守っている死神達がいる。自分が倒れれば黄泉の国に、轟が倒れれば高天原に突き出すつもりで漁夫の利を狙うつもりなのだろう。


「その首級(しるし)、俺が貰いに受ける。昔の(よしみ)だ、苦しめるような事はすまい。」


 そう言うと深紅の大鎌の先に赤黒い光が現れ始める。


「な、一帯を焦土にするつもりですかッ?!」

「戦わねば、そうなるなッ!」


 雅は咄嗟に呪符の力を大鎌に載せると、範囲を最大限に広げて時を歪めた。


 青白い光が半径二キロメートルの範囲で広がる。広ければ広いほど、長く止めれば止めるほど身体にかかる負担は大きいが今はそんな事を言っていられない。


 自分だけが動ける世界で、轟の攻撃を相殺できるだけの一撃を叩き込む。


 雅は一時的に時を止めた負荷に耐えられずに、轟の攻撃が相殺されたのを確認すると力尽きた。


 ビルの谷間に落ちていく――。


 受身を取らねばならぬのに、指一本動かすことは能わず、気が遠くなっていく。


 胸に締まっていた蟷螂から火産霊神の御力が発して、雅をふわりと着地させると、まるで蟷螂の卵のように繭玉に包んだ。


 時が動き始める――。


 轟は一瞬の内に雅の姿を見失って吼えた。その声を遠くに感じる。


(早く加代子さんの元に戻らないと・・・・・・。)


 それに、この小さな灯を輪廻の輪に戻さなければ。


 しかし、白い糸に目の前を覆われるに連れて、雅は思うように目が開けられなくなる。雅はビルの谷間で意識を失ってしまった。


 ◇


 雅が戻ってこなくなって、もうすぐ三日が経つ。一人では鏡渡りも出来ないので、加代子はマンションの一室から動けずにいた。


 加代子は知らず知らずネックレスを握りしめる。


 不安で押し潰されてしまいそう。


 こうして雅と離れると、自分がどれだけ雅に依存しているのかがよく分かる。それは亨の時の比ではなく、まるで幼い頃、街中で親とはぐれてしまった時のような心許なさだった。


 今日も、もうすぐ日が沈んでしまう。


 夕焼けの空にキラキラと星が瞬き、それを掻き消す勢いで街に灯りが点っていく。


 淋しい――。


 この言い様のない淋しさは、夜が近付くほどに強まっていく。


(どこにいるの・・・・・・?)


 そんな不安を紛らわせる為に雅の書斎に行くと、姿見に手を伸ばした。しかし、姿見は加代子の姿を見せるばかりで、中には入れず、冷たい金属の感触だけが伝わってきた。


(・・・・・・酷い、隈。)


 連日の寝不足で、肌は荒れて、目の下に隈が出来ている。「このままじゃダメだ」と分かっていても、加代子は鏡の前から動けなかった。


 ()に出会わなければ、こんなに切なくなることも無かった。


 ()に出会わなければ、こんなに淋しくなることも無かった。


 加代子はじんわりと涙が込み上げてくるのを堪えると、震える声で「雅信」と雅の本当の名を呼ぶ。それは加代子と雅の合言葉だった。


「良いですか? 何かあったら、僕の名を呼んでください。」

「名?」

「はい、お渡ししたネックレスを握って、雅信(まさざね)と。そしたら、直ぐに傍に行きますから。」


 それなのに。


 何度呼んで見ても、雅は姿を現さず、こうして時が流れていくばかりだ。


「雅の嘘吐き――。」


 小さく詰るように呟くと、姿見から不意に自分の姿は掻き消えて、真っ暗闇な中で雅が丸まって眠っている姿が見えた。それに気がつくと加代子は鏡を乱暴に叩いた。


「雅!!」


 鏡をバンバンと叩いても雅は気が付かない。


「雅、起きてッ!!」


 目の前にいるのに駆け寄ることも出来ずに歯噛みする。加代子は胸元を掴むと「助けて」と涙声で呟く。


 それに呼応するように青竹が淡く輝き、《姫様、今の内に鏡へ。》と、凛の声がした。


 途端に鏡の表面は柔らかくなり鏡の中へと進む。


 加代子は真っ暗闇で、しかしくっきりと雅の姿を見つけると、小さくなって丸まって眠っている雅の元へ駆け寄った。


(雅だ・・・・・・。)


 加代子はそっと手を伸ばして、その頬に触れる。そして、自分より少し低い雅の温もりに安堵した。


(良かった・・・・・・。)


 ホッとしたせいか急激に視界が滲んでいく。加代子は雅の首筋に腕を絡めるとその体に抱きついた。


「ん・・・・・・。」


 一方の雅は急に抱きつかれて、眉間に盛大に皺を寄せながら目を覚ました。そして、自らに抱きつく柔らかな肉の感触と仄かな花の香りに、


「なぜ・・・・・・加代子さんがここにいるんです?」


と、少し掠れた声で驚きの声を上げた。


「凛に力を借りて、鏡で渡ってきたの。」


 なるほど加代子の後ろを見れば、ぽっかりと白くて四角い入口が浮かんでいる。加代子は雅の無事な姿を見て、ほろほろと泣き出した。


「名前呼んだら来てくれるって言ったのに、嘘吐き。」


 不安で、淋しくて、苦しくって、安心して・・・・・・。胸がきゅうっと引き絞られて、堪えても、鼻の奥が痛くなり声が途中で裏返る。


 そして、言葉で言う代わりにとんとんと握りこぶしで雅の胸元で叩いた。


 雅は自分を力弱く叩く加代子の肩に腕を回すと、そのまま引き寄せる。それから「すみませんでした」と囁く。途端に強ばっていた加代子の身体から力が抜けた。


 琥珀色の瞳が涙に濡れていて艶めいて見える。


 雅は吸い込まれるようにその頬にそっと手をあてがうと、親指の腹で加代子の涙を拭った。自然、加代子の瞳が閉じられると、雅は静かに加代子の唇に自らの唇を重ねた。


 ほんの一瞬のようにも、ずっと長い時間のようにも感じる。


 ゆっくり名残惜しそうに雅が離れると、加代子はそっと自分の唇に指先で触れる。


 その仕草に雅はゾクリとして、眉間に皺を寄せた。


「ここにいつまでもいるわけには行きませんから・・・・・・、一旦、家に戻りましょうか。」


 重い腰を上げて、加代子の手を引くと、ぽっかり浮いている鏡へと向かう。雅は靴を脱ぐと玄関に入るのと同じようにして、自分の部屋へと戻ってきた。


「お帰りなさい。」


 加代子に出迎えられて、雅は自然と笑みが零れた。


「ただいま――。」


 そして、思った。


 たとえこれが泡沫(うたかた)の夢でも構わない。


 いつか彼女を人の世に戻す事になっても。そのために多くの魂が傷つき、たとえ、自分の魂が滅したとしても。自分はきっと彼女を手放せない。


 加代子は雅から上着を脱ぐように勧める。雅は上着を脱ぎながら、ふと三日前の夜に狩った少女の魂が胸ポケットに収まっているのを思い出した。


 中身を確かめると、きちんと収まっている。


「綺麗だね・・・・・・。」


 加代子は瓶に収まった魂の光を蛍みたいだと言った。


「早く輪廻の輪に戻して上げないとですね。地獄に連れていかれれば、賽の河原行きでしょうから。」

「賽の河原?」

「ええ、親よりも先に死んだ成人前の子達が、地獄に連れていかれるとそこに送られます。」


 そして、父親や母親を思って石を丁寧に積んでいくのだ。永劫の時の中で。


「この子は頑張ったんですよ、大病を患ってからの四年間。」


 徐々に動かなくなる身体や痛む身体に涙しながらも懸命に生きていた。


「そんな子が賽の河原に行くなんて、誰も望まないでしょう?」


 ふわりふわりと瞬く魂の火に、加代子も「そうだね」と優しく手を伸ばし「頑張ったんだね」と言った。


「ちゃんと輪廻の輪に乗せるのにはどうするの?」

「一番手っ取り早いのは死神協会への提出で、一番確実なのは自分で葬送することですね。」


 いつもの雅なら、前者で送るのだが、三日前のことを思うと、死神協会ですから行くのは危うく思われた。それに早めに冥界の赦しを得ないと、事態はどんどん悪化していく。


 一刻も早く《根の堅洲国》へ向かわねば、と雅は思った。

次の更新は26日0時を予定しています。

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