青竹(あおたけ)と青山(せいざん)
風薫る五月。京の都は賀茂の臨時祭に都人も、そうでない者も浮き足立つ。
四条大路近くの中納言の邸では、誰もが更衣腹ながら皇子の誕生と、中の君の婿である雅信がこの度の祭で勅使代として選ばれたことを褒めそやす。
「我が世の春」と言わんばかりに、邸の中は華やいだ雰囲気に満ちていた。
「頭中将、着心地はいかがでしょうか?」
新しく用意された衣冠束帯に袖を通し、最終チェックをする。緌の付いた冠を被ると少し視界が狭まり動きにくいものの、わきは縫われていない袍だから、文官のそれよりはマシだろうと思われた。
「《馬子にも衣装》と言われなければ良いのですが。」
「まあ、頭中将が馬子でしたら、他の殿方は何とします?」
中の君付きの大弐がくすくすと笑うと伝播して、小さな笑いが漏れる。対の屋の主である中の君が御簾越しにこちらを見ているようだったから、「いかがです?」と訊ねるとひそひそと話し、大弐が代弁する。
「なんと立派なお姿でしょうと、姫様も申されております。」
今をときめく邸の中は、沢山の女房たちが仕え、控えている。
(あちらの邸も、この半分でいいから女房たちが入れば、あの女も楽しく過ごせるだろうに。)
華やかで豪奢な環境に身を置けば置くほど、二年ほど前に父親である前右大弁を亡くし、慎ましやかに暮らしている琴子の事が気にかかる。
雅信は着替え終わり、直衣姿に戻ると料紙に和歌を書き付けて、二葵を添えて彬久を使者に立てた。
「今宵はこちらにて、宴をご用意をしております。」
「ありがとうございます。お言葉に甘えてゆっくり致します。」
今上に「まめびと過ぎる」と言われる雅信だから、こういう宴席を外すことはしない。自分の地位を維持するのには、どうしても外戚の力がいる。雅信は中納言のすぐ側の席に通されると、愛想良くにこりと笑った。
「今宵はお招きくださりありがとうございます。」
「そんな他人行儀にせずとも良い。私は貴方を本当の息子のように思っているのだから。」
そして「飲みたまえ」と酒が盃に注がれる。口にすれば、口当たりこそ良いものの酒気が強く「あまり飲み過ぎぬ方が良さそうだ」と思いながら飲み干した。
「先月、中務大輔が鬼より笛を貰い受けたとか。それは眉唾なはなしですが、頭中将の笛もまた見事だと聞き及んでおります。是非、この機会に聞きたいものですな。」
宴の主催者である中納言にそう言われてしまうと断ることはできない。雅信は笑顔を崩さないように気をつけながら、「酔いに任せての演奏ですので」と断りを入れると、懐から横笛を取り出す。
そして、女手の筝の琴の音に乗せて横笛を吹けば、傍らに琴子が居ないことに、心が千々に乱れて落ち着かなくなり、途中で笛を置くと、伴奏に合わせて漢詩を口ずさんだ。
花 発いて 風雨多く
人 生きては 別離に足し
その声色に聞き惚れてか、いつしか曲の方が自然と止まる。
「なんと素晴らしい。」
中納言から手放しの賛辞を受ける。雅信は穏やかな笑みを浮かべたまま、歌には触れずに笛の説明をした。
「この笛は《青竹》と申します。一昨々日、中務大輔と合奏した折に譲られ、私の元に参りました。真っ直ぐ伸びやかな音がする青竹を私も気に入っております。」
先日、中務大輔の博雅に見せてもらった横笛も確かに見事であったが、貰い受けたこの横笛もまた見事であった。
葉二つは葉のようなやわらかさなのに不思議と雄々しくあるが、青竹は茎のようにしなやかなのに女性的だと中務大輔も評していた。
吹けば吹くほど手に馴染み、龍の鳴き声に似ていると言われる程、高く神秘的な音がする。琵琶の名手の父や、それに師事する中務大輔ほど音楽馬鹿ではないにせよ、こうして考えると自分も結構な音楽好きである。
恐らく中務大輔ほどの楽の才に長けた者が同時代にいなければ、雅信の右に出るものはいなかったであろう。現に中納言は雅信の笛と朗詠に目を潤ませていた。
「こうして頭中将を見ると、なぜ神仏があなたを私どもの元へお遣わしになったのかと考え深く思いますよ。あなたは誰かに仕えるよりも天下を治める大器をお持ちに思えますのに。」
暗に皇族に返り咲けと言わんばかりの中納言に、雅信は周りがうっとりするような艶やかな作り笑いを浮かべる。雅信に今上を害するような気持ちは一切なかった。
菅公と交流のあった忠平、師輔の台頭が許せない中納言は、曽祖父に時平の血を引く自分を切り札として使いたいのが明け透けに見える。中の君には悪いがこの邸に長居するのは、どうも苦手だ。それゆえ、雅信は「少し酔いが回ってしまったようです。」と、話して席を辞して、恋歌を料紙に書きつけると、手近な花を添えて大弐に渡し、渡殿を進むと車寄せへと向かった。
車に乗ると彬久が「どちらまで」と訊ねてくる。
「三条の邸のあたりへ」
そう告げると、「心得ました」と彬久の返答があり、静かに牛車は動き出す。そして、しばらくした所で女車に乗り換えた。
ひっそりと琴子の元へ訪れると、邸に入る少し手前のあたりにて、微かに琴の音が風に乗って聞こえてくる。
「そろそろ到着致します。」
彬久が松明をかがげて無粋に声をかけてくるから、雅信は「琴の音が聞こえぬ、静かにせよ」と注意した。
和琴の音は筝の音とは違い、音階が少ないからか、しみじみと心に迫るものがある。雅信は横笛を取り出すと、和琴の音に返すように笛を吹いた。
しばらくするとこちらに気がついたのか、和琴の音が止まる。自分の急な訪れを知ったのだろう。邸の前に車を止めて前栽に気をつけて進めば、女房の右近が急ぎ出迎えて、琴子の部屋まで案内してくれた。
部屋に通されると、仄かに灯された燈台の近くで、少し面窶れした琴子が和琴を傍らに置いたまま、出迎えてくれる。
「先程、聞こえていたのは、やはりあなたの手でしたか。」
「手遊びに掻き鳴らしたに過ぎませぬ。かえって拙い演奏を聞かせてしまい、申し訳ございません。」
右近の立ち去る衣擦れの音がしずかに聞こえる。琴子はその音を聞くと一層心許なげな表情をした。
雅信は和琴を引き寄せると、盤渉調で掻き鳴らす。
「こうしてあなたと音楽を奏でたいと思って、月に誘われるままに来てしまったのですが、お厭いですか?」
すると、琴子は総合を崩して首を横に振る。雅信はにこりと笑うと右近を呼んだ。
「すまないが、《青山》を持ってきてくれないか?」
「承知致しました。」
持ってこられた一面の琵琶は、雅信が少し調整すると、すぐさま美し音色を奏でる。
「やはりこの琵琶は素晴らしいですね。」
琴子は「青山がそのように奏でられるのは、父のいない今は頭中将だけです」と話す。
初夏の月夜に琴の音と琵琶の音が重なる。しっとりと情感豊かに合奏する二人の姿は、まるで絵巻物から抜け出してきたようで、朴念仁と評される彬久も思わず心を揺り動かされるほどだった。
演奏を終えると、琴子は満足そうに「ほう」と息を漏らす。雅信は琴子のこの満足そうな表情がいっとう好きであった。
◇
「じゃあ、斎さんの名前って青山じゃなくて、青山って読むの?」
雅信こと、雅の昔話を聞いていた加代子が訊ねる。
最近は食事の後、こうして二人仲良くソファーに座って、食後のコーヒーを楽しみながら勉強会ばかりしている。初めの頃は伊弉諾尊、伊邪那美命の話など、主に記紀の話に上紀の話を織り交ぜて教えてくれていたが、一週間経ったところで今は平安王朝の話が中心だ。
今日はバイトの事もあって、斎の話に及んでいた。
「ええ、本来は。仕事中は青山 斎の読みでいいと思いますけど。」
「一千年前から、仲良しなのね。」
「そうですね。その時に奏でていた《斎院》という和琴も見事なものだったのですが、あちらは内裏の火事に巻き込まれてしまい、消失してしまったらしく。それを偲んで字名は斎にしたと聞いています。」
初日になごみやで聞いた「色々あって」の話を掘り下げて聞くと、本当に色々あったようだ。
「その後も紆余曲折あって、平経盛の手に渡ったあたりまでは風の噂に聞こえていたのですが、気がついたら、表参道でお団子屋を開いていて。こちらとしては、たまたま立ち寄った茶屋で店員に号泣されるとは思わなかったのですが。」
斎と雅が再開したのは、今から三百年ほど前の江戸時代の頃だそうだ。いきなり雅信と呼びながら泣きついてきたから、とりあえず投げ飛ばしたらしい。
「江戸時代って、その頃は丁髷だったの?」
「私の場合は、生憎、公家風でしたから烏帽子姿です。月代まではいれてませんよ。斎はご想像にお任せします。」
雅は喉を鳴らして笑いながら、そう言うとコーヒーを一口に含む。
「でも、抱きついてきた斎さんを投げ飛ばすだなんて、斎さん怒ったんじゃない?」
「怒ったから、みっちゃん扱いなんでしょうね。」
投げ飛ばしたと思ったら、途中で琵琶の姿に転じて「俺を忘れてしまったのか」と詰られたらしい。加代子はふふっと笑った。
「でも、笛に琵琶だなんて、平安時代の貴族って色々できるのね。」
「そうですね、他にも教養として、漢詩に、和歌に、香道、太刀に、弓。あとは乗馬に、蹴鞠といったところでしょうか。一通りは嗜みましたよ。」
それを聞いた加代子は、たとえそれが努力によるもので「嗜んだ程度」だったんだとしても、華やかな容貌をしている事も思うと「天は二物も三物も与えるんだな」と思った。
「雅が妙にエスコート上手な理由は分かった。」
真面目な顔して加代子がそう返すと、雅は「そういう感想になるのですね」と笑う。加代子はふと雅に貰ったネックレスを思い出すと、シャラリとそれを外した。
「ねえ、そういえば横笛は《付喪神》にならなかったの?」
「勿論、《青竹》も付喪神になっていますよ。」
雅は加代子に与えたネックレスを借りると、そっと触れて《解》と告げる。ネックレスは蛍のように柔らかな光を放つと、齢十七、八の凛とした雰囲気の女性の姿に転じた。
平安時代の服装で現れるのかと思ったら、出で立ちはまるで忍者のようで、加代子は少し面食らう。
「呼び出して悪いね。君を加代子さんに紹介しておこうと思ってね。」
跪いた彼女は恭しげに、加代子に挨拶をした。
「《青竹》と申します。字名は凛。凛とお呼びください。」
長い髪は後ろで一つに縛り、二本の小刀を腰に佩いている。
「凛には加代子さんの護衛にあたってもらっていたんだけれど。紹介するのが遅れてしまってごめんね。」
それから雅は凛に引き続き加代子の警護を依頼する。一方、凛は先日の亨による襲撃について雅に報告した。
「凛の力を封じていた?」
「はい、彼の御仁は龍の御方々でございます。しかも、古き荒ぶる神の一柱。」
雅はその報告で思い至る事があったのか、「報告ありがとう」と告げた。凛は横笛の姿に転じて雅の手の中に収まる。
「古き荒ぶる神、って?」
「そのままだよ。あの日は龍翁の加護があったし、それとは別と考えると、その他で思いつく龍神の名は淤加美神。」
雅は「彼の方の正体は水神様のようですね」と教えてくれる。
「とはいえ、その場合、加代子さんの使った魔法に謎が残りますけど。」
「そうなの?」
「ええ、淤加美神なら水を媒介にするはずですが、加代子さんのは土の精を使っていましたから。」
加代子は「それってどう違うの?」と首を傾げたが、雅は「説明すると長くなります。それは追々、調べることにしましょう」と話した。
「それよりも、近々、斎に使わせてしまった分の護符を貰いに愛宕神社に行くつもりでしたけど、明日にでも行ってきた方が良さそうですね。」
「愛宕神社ってすぐ近くの?」
「ええ。あそこなら、淤加美神でも拮抗できる御仁がいらっしゃいますから会いに伺いましょう。古き荒ぶる神には同じく古き荒ぶる神ですよ」
そう言うと雅はソファーの背もたれにゆったりと身を委ねた。
「その言い方、なんだか《毒を制すには毒》みたいに聞こえるんだけど。」
「仰る通りです。相手が淤加美神となれば、死神なんかが適うはずがない。むしろこうして存在し続けられている事が《奇跡》ですね。」
雅が少しばかり遠い目をしてぼやくので、加代子は首を傾げる。
「そんなに凄いの? 淤加美神って?」
「ええ、国産みの際の神の一柱ですからね、日本を水に沈めるなんて朝飯前でしょう。」
それを聞いて、加代子も顔を引き攣らせる。元彼がそんな人類の敵みたいな存在だなんて知りたくなかった。
「けれど、なぜ、あの日、電話が掛かったのかは分かりましたよ。」
「え?」
「淤加美神は《縁結びの神》でもありますから。」
加代子が知らず知らずに淤加美神の力を自分のものとして使っていたのだとしたら、異界と電話が繋がるような事もあるだろう。
「本当、加代子さんは規格外で困りますね。」
そう話す雅は何故か楽しげで、加代子は溜め息をつく。
いつもと変わらないはずの魂の回収作業は、文字通り「神々の悪戯」で想定外の事ばかりだ。
「一千年ぶりに腕のなる仕事ですよ。」
加代子がむうっと口を尖らせる姿に、雅はくすくすと笑う。
どうせ私は規格外な魂の持ち主ですヨ!




