第33話「抜かぬ刀」
絶対の、権力。
誰も、逆らえぬ——その、沈黙の、中。
アルフォンスは。
ゆっくりと——腰の、光丸へ。手を、伸ばし。
——そして。
その手を、すっと——離した。
「……抜か、ぬ」
ぽつり、と。
その、ひと言が。広間に、落ちる。
『……え?』
ひかりが、戸惑った。
◇
「宰相殿。お主は、申したな。——『力こそ、正義』と」
アルフォンスは。
静かに——その男を、見据える。
「ならば。——今、ここで。それがしが。お主を、斬り伏せれば」
「それは。お主の、その言葉を——それがし自らが、"正しい"と。証してしまう、こと」
「のみ、ならず」
紅の瞳が、わずかに——伏せられた。
「力にて、意に染まぬ者を、屠る。——それは。お主と、何ら、変わらぬ。畜生の、道」
「某は。——その手には、乗らぬ」
ゆっくりと。
アルフォンスは、光丸から——完全に、手を、放した。
『……武士、さん』
ひかりの声が、震える。
『……そっか。斬らない。——斬っちゃ、だめなんだ。斬ったら、あいつの思う壺。……自分から、破滅王に、なっちゃう』
『刀を、抜かないことで。——あいつの、罠を。かわした……!』
◇
「——だが」
アルフォンスは。
すっ、と——顔を、上げた。
「刀を、抜かぬ、からとて。——退く、つもりは。毛頭、ない」
その視線が。
宰相を——通り越して。
広間の、奥。
玉座に、座す——ただ、一人へと。向けられた。
「宰相殿は。先ほどから、しきりに。——『国が』『国家が』と。仰せに、なる」
「なれば——某は。その、国家に。問い、申す」
すっ、と。
アルフォンスは。その場に——片膝を、ついた。
されど、その眼差しは。
まっすぐに——国王を、射抜いて、いる。
「国王陛下。——此度の、この断罪。この、『正しさ』」
「——まことに。陛下、御自身の。御心にて、ございますか」
◇
しん、と。
水を、打った、ように。広間が、静まり返る。
——誰もが。気づいて、しまった。
宰相は、ずっと。『国が』と、言って、きた。
——だが。"国"とは、誰か。
この国の、真の、主は。
あの、玉座に、座す、御方を、おいて——他には、いない。
宰相の、"力"。その、すべての、拠り所は。
——本当は。この、国王の、権威を。借りた、ものに、過ぎなかった。
「……陛下」
宰相の、額に。
初めて——うっすらと。汗が、滲む。
「お気に、なさいますな。これは、すべて。国の、安寧の、ための——」
「——っ、ま、待って、ください……!」
震える、声が。
宰相の、言葉を——遮った。
人々が、いっせいに、振り返る。
——アンジェ、だった。
一度は。
"錯乱"と、"脅迫"の、せいに——すり替えられ。握りつぶされた、声。
それでも、彼女は。
衆人の、視線に。膝を、笑わせ。声を、震わせ——なお。一歩。また、一歩、と。前へ、進み出る。
(……刀も、抜かずに。あの人は、立ち向かってる)
(——なら。わたしも。もう、逃げない)
「……国王、陛下。畏れ、ながら——発言を、お許し、ください」
胸の前で。
ぎゅっ、と、手を、握りしめ。アンジェは——まっすぐに、顔を、上げた。
「わたしは……ロザリンド様に。害を、加えられたことなど。——ただの、一度も、ありません」
「あの『証言』は——ぜんぶ。作り話、です」
ざわ、と。広間が、揺れた。
「わたしは。ずっと——あの方に。セドリック様に」
その指が。
震えながらも——はっきりと。セドリックを、指した。
「"お前は、特別だ"。"あの女を、許すな"。……そう、囁かれ。——いいように、利用、されて、いました」
◇
「——っ」
セドリックの、涼やかな、仮面が。
ぴし、と——音を立てて、ひび割れた。
最後まで、隠し持って、いた——"聖女の証言"という、切り札。
それが、今。衆人の、前で——己自身を、指す、刃と、なる。
「ち、違う……! 私は。そんな、ことは——」
いつも、氷のように、冷静だった、その声が。
初めて——うわずった。
「——その娘の、言葉に。嘘は、ないわ」
凛と。
進み出たのは——イザベラ。
「闇に、囚われかけた者の、目を。わたくしは……誰より、よく、知って、いるの。この娘は、今——己の、足で、立った。それが、何よりの、証よ」
「俺も、見てたぜ!」
ローランも、吼えた。
「アンジェは、ずっと、苦しんでたんだ! こいつに——いいように、操られて……!」
「——私からも。はっきりと、証言、いたします」
ユリウスが、一歩、前へ、出る。
「セドリック・メルツの、数々の、策謀。生徒会長として——もはや、看過は、できません」
うっすらと、引き締まった、面構えの。
婚約者連合の、青年たちも——次々と、頷いた。
——もう。
この場に。セドリックの、嘘を、信じる者は。——ただの、一人も、いない。
ひとつ。また、ひとつと。
アルフォンスが、これまで——救い。そして、変えて、きた、人々の、声が。
今、ひとつに、束なって。
"偽りの、正義"を——打ち崩して、いく。
「……ええい!」
宰相が——吐き捨てた。
「たかが、聖女くずれと。小僧どもの——世迷い言! そんなものが、いったい、何だと、いうのだ!」
「——黙れ」
◇
低く。
されど、広間の、隅々まで——響き渡る、声。
国王が。
ゆっくりと——玉座から、立ち上がった。
長きに、わたり。
政の、多くを、宰相に、委ね。沈黙を、保って、きた——老王。
その瞳が、今。
静かな、怒りを、湛えて——アルフォンスを、見下ろした。
「……白銀の、髪。紅の、瞳」
「忌み子と、呼ばれ。生まれた、その日に。——余が。その、小さな命を、抱き上げた、時」
王の声が。
どこか——遠くを、見るように、揺れる。
「あの赤子の、瞳の、奥に。——余は、確かに、見た。濁りなき、まっすぐな……"何か"を」
「——あの時、見た、ものは。やはり、間違いでは、なかったようだ」
◇
国王の、視線が。
今度は——氷の、ように。宰相を、貫いた。
「宰相よ。——そなたは。余の、名を、騙り。『国の、正しさ』と、嘯いて」
「——いったい。幾人の、無辜を。その手で、焼いて、きた」
「な……陛下。何を、仰せに、なります。私は、ただ——」
「ヴァレンシュタインの、件。——一から、洗い直す」
ど、と。
広間が——どよめいた。
「真実も、道理も、関わりが、ないと、申したな。——力こそ、正義だと」
国王は。
一歩、また一歩——玉座を、降りて、くる。
「——よかろう。ならば、宰相。その『力』とやら。今、この時を、もって。——余が、取り上げる」
「衛兵。——捕らえるべきは。そこな、宰相、メルツ。——その、ほうだ」
◇
——一瞬の、静寂の、のち。
広間の、衛兵たちが。
今度は——宰相、メルツへと。一斉に、向き直った。
「ば……馬鹿な。馬鹿な! 私は、宰相だぞ! この国の、すべては、私が——!」
絶対の、はずだった、権力が。
その足元から——音を立てて、崩れて、いく。
——力こそ、正義。
ならば。その、最も、大きな力たる、王が。『否』と、言えば。
その理屈は。
たちどころに——己自身を、縛る、縄と、なった。
『……勝っ、た』
ひかりが、呆然と、呟く。
『刀を、一度も、抜かずに。武士さんは……あの、絶対の、権力を。——ひっくり返して、みせた……!』
静かに、立ち上がる、アルフォンスを。
ロザリンドが——涙の、滲む、瞳で。見つめて、いた。
——白紙だった、はずの、物語に。
今、確かに。
"誰にも、書けなかった、結末"が——刻まれ、ようと、して、いた。




