第32話「偽りの証文」
つかつか、と。
アルフォンスは。セドリックの、前へと、歩み寄った。
掲げられた、まま、の——一束の、書状を。
その、紅の瞳で。ひたと——見据える。
しん、と、静まる、広間。
やがて。
アルフォンスは、静かに——口を、開いた。
「——なるほど。よく、できて、おる」
「だが。——一つ。解せぬ、ことが、ある」
その指が。
書状の末尾に、押された——一つの、紋章を、示した。
「この証文には。ヴァレンシュタイン家の、印が。確かに、押されて、おる」
「ロザリンド殿が、謀反を、企てた——何よりの、証。……と。そう、言いたいので、あろう」
「——なれど」
紅の瞳が。すうっと——細められる。
「ヴァレンシュタイン家の、印は。十年前。——その家が、"謀反の咎"にて、取り潰された、折に。すべて、お上に——没収された、はず」
ぴく、と。
セドリックの、肩が——動いた。
「——では、問おう。没収された、はずの、その印が。なにゆえ、今。真新しい、証文に。押されて、おるのか」
「答えは——一つ」
アルフォンスは。
ゆっくりと——書状から、顔を、上げた。
「この偽りの証文を、こしらえ得た者は。——その、没収した印を。今なお、手元に、持つ者。すなわち——」
その指が。
まっすぐに——セドリックと。その奥の、宰相を、指す。
「——メルツ家を、おいて。他には、おらぬ」
◇
——どよめきが。
津波のように——広間を、駆け抜けた。
「な、なんと……!」
「では、あの証文は……メルツ家の、捏造……?」
「ま、待て。ならば——十年前の。ヴァレンシュタイン家の、謀反、そのものも……?」
ざわめきが。
止まら——ない。
◇
「——なるほど。確かに、その印は。我らが、押した」
宰相が——平然と、言い放った。
え——、と。
広間の、空気が、揺れる。
否定、しない。それどころか——認めた。
「没収した、ヴァレンシュタイン家の、印は。今、国家が、預かり、管理している。——その、国家の印を。国家が、用いた。それの、どこに——問題が、あるというのだ?」
「な……」
アルフォンスの、隣で。ロザリンドが、息を、呑む。
「そもそも、だ」
宰相は。玉座の傍らから——ゆっくりと、見下ろした。
「ヴァレンシュタイン家は——謀反人。罪人の、家だ。罪人の、財産も。領地も。その印すらも——とうに、すべて。国家の、ものよ」
「国家の、ものを。国家が、いかに、用いようと——何が、悪い?」
無茶苦茶な——理屈。
だが。"権力"の座に、ある者の、口から、出ると。それは、奇妙な——重みを、もって、響いた。
ざわ……と。
広間の、ざわめきが。——今度は。アルフォンスのほうへと。疑わしげに、揺れ始める。
『……っ、まずい』
ひかりが、息を、呑んだ。
『あいつ、偽造を、否定しない。——"罪人の財産だから、国のもの。国が使って、何が悪い"って……開き直って。ぜんぶ、正当化、してきた……!』
◇
「——では、問おう」
アルフォンスは。臆する、ことなく。まっすぐに、宰相を、見据えた。
「お主の申し条。何もかもの、拠り所は。——"ヴァレンシュタイン家が、謀反人である"。その、一点に、ある」
「ならば、問う。——その謀反。十年前の、その咎。——それ自体が。一点の、偽りもなき、真実で、あったと」
紅の瞳が、鋭く——光った。
「宰相殿。お主は——己の、一命に、懸けて。そう、誓えるか」
しん、と。
広間が、静まる。
——セドリックなら。
あの時のように、沈黙した、やも、しれぬ。その、問い。
——だが。
「……くっ。く、くくっ……」
宰相は。
喉の、奥で——嗤った。
◇
「……誓う? ——馬鹿馬鹿しい」
侮蔑も、あらわに。彼は、言い放つ。
「よいか、小僧。——真実が、どうした。事実が、どうした。そのようなもの。——何の、意味も、ない」
「国が、"謀反人"と、定めた。——ゆえに、奴らは、謀反人。国が、"罪"と、決めた。——ゆえに、それは、罪」
「それが——この国の、理。"正しさ"とは——力、ある者が。定めるもの、なのだ」
ぞくり、と。
広間の、誰もが——背筋を、凍らせた。
——真実でも。道理でも、ない。
ただ、"力"だけが。すべてを——決める。
それは。
アルフォンスの、"一命に懸けた、誠"も。"道理"も。
何もかもを——せせら笑う。
絶対的な——"権力"の、論理、だった。
◇
ロザリンドの、頬を。
伝った、涙が——途中で、凍りついた。
(……同じ、だ)
(——あの夜と。何も、変わらない。真実なんて。あの男の前では——何の、力も、ない……!)
家族を、焼いた、あの"理"が。
今、ふたたび——目の前に、聳えて、いた。
『……武士さん』
ひかりの声が、震えた。
『あいつ、理屈で、戦ってない。——"力こそ正義"で。ぜんぶ、塗り潰してくる。証拠を崩しても、道理で追い詰めても……びくとも、しない』
『……それに。——もし、ここで。武士さんが、刀を抜いて、斬りかかったら』
ひかりの声が——いっそう、強張る。
『……"力で、ねじ伏せた"ことに、なる。あいつの言う、"力こそ正義"を——自分で、証明しちゃう。……武士さんが。ほんとうの"悪"に。"破滅王"に——堕ちちゃう……!』
『理屈も。刀も——通じない。……ねえ、どうするの。武士さん……!?』
◇
しん、と。
静まり返った、大広間。
絶対の、権力を、前に。
誰ひとり——身じろぎ、すら、できない。
その、中央で。
アルフォンスは——ただ、静かに。立って、いた。
その、紅の瞳の、奥に。
いったい、何を、見据えて、いるのか。
——まだ、誰にも、分からない。
——勝負は。
まだ、何も。決して、いない。




